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カエサルの左腕 ~ 外傷外科医だった俺は、古代ローマで軍医参謀になった  作者: 東雲 諒杏
第四章 六百歩先の陣地

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第79話 ローマから来た監察官


監察官は三人だった。

正式な官職としてのケンソルではない。

元老院議員や政務官の意向を受け、カエサル軍の支出と運用を確認するために派遣された者たち。

筆頭はマルクス・カルプルニウス。

五十歳前後。

痩せた顔。

整えられた髭。

軍人というより法廷の人間に見えた。

「ルキウス・アエリウス殿」

彼は俺の木札を見る。

「軍医幕僚。生存局創設者。軍医規程起草者。軍団病院責任者」

肩書を並べる。

正式なものと便宜的なものが混ざっている。

並べられると、自分でも多いと思った。

「一人で、ずいぶん多くの仕事を持っている」

「役割を分担しています」

「最終報告は、あなたへ集まる」

「現在は」

「権力は、現在だけを見ればよいのかな」

最初から敵意がある。

「病院をご覧になりますか」

「そのために来た」

◇

カルプルニウスは、病院の患者より帳簿を先に見た。

建設費。

食料。

薬品。

給与。

衛生兵教育費。

傷痍兵雇用費。

契約業者。

「医療へ、これほどの金を使う必要があるのか」

彼が尋ねた。

「兵士の生存と復帰に必要です」

「以前の軍団は、この病院なしでも戦った」

「多くが死にました」

「兵士は死ぬものだ」

感情のない声。

「減らせる死は減らすべきです」

「共和国の費用で?」

「共和国の軍団です」

「カエサル個人の軍団ではない」

本題。

病院は誰のためにあるか。

兵士。

軍団。

カエサル。

共和国。

「規程は、カエサル様の指揮下だけで有効だそうだな」

「現在は」

「他の総督や執政官の軍団には適用されない」

「権限がありません」

「つまり、カエサルだけが使える制度だ」

「公開できます」

「ローマへ提出したか」

していない。

改訂中。

実戦で試行している。

「まだです」

カルプルニウスが小さく笑う。

「なぜ」

「不完全だからです」

「不完全な制度を兵士へ使う?」

「改善しながら使っています」

「元老院の承認なく?」

軍事指揮権の範囲内。

カエサルが命令した。

法的にどこまで問題か、俺には判断できない。

「総督の軍事運用です」

「医療だけか」

生存局。

村の再建。

債務契約。

市場管理。

住民登録。

軍団病院。

民政へ踏み込んでいる。

「ローマの法律ではなく、カエサルの規程がガリアで使われている」

カルプルニウスは言った。

「これは、小さな国家ではないか」

胸が冷えた。

俺は人を救う仕組みを作った。

だが外から見れば、カエサル独自の行政機構。

元老院を通さず。

税と戦利品を使い。

商人と契約し。

兵士を教育し。

負傷兵を雇用する。

「目的は医療と復興です」

「目的で権力の性質が変わる?」

支援という名の鎖。

ヘルウェティイ族の穀物契約で、父を追い詰めるために俺が使った言葉である。

今度は、同じ形の言葉を向けられている。

◇

監察官は衛生兵へ質問した。

「誰へ忠誠を誓う」

「ローマへ」

衛生兵が答える。

「カエサルではなく?」

「総督閣下はローマの指揮官です」

「軍医幕僚の命令と百人隊長の命令が違えば?」

衛生兵が困る。

「戦闘中は百人隊長です」

俺が横から答えた。

「本人に聞いている」

カルプルニウスが遮る。

「救護所では、医師です」

衛生兵が答えた。

「では、軍団に二つの指揮系統がある」

「役割ごとです」

「指揮系統の分裂では?」

「工兵にも騎兵にも専門命令があります」

「医師が兵士を戦列から外せる?」

「医療上必要なら」

「指揮官が戦えると言っても?」

「最終的には軍事指揮官です」

口にすると、カルプルニウスが記録させた。

医療判断より軍事命令が優先。

「なら病院は、兵士を救う場所ではなく、再び戦わせる場所か」

どちらへ答えても罠になる。

「両方です」

俺は言った。

「命を救い、可能なら任務へ戻す」

「戦えない者は」

「別職務か退役」

「その者たちへ給与を払う」

「働きます」

「カエサルの官僚として?」

「共和国の兵士としてです」

「誰が任命する」

「カエサル様の命令です」

また、カエサルへ戻る。

制度を作るたび、権限の根は彼一人に集中している。

俺がいなくても動く組織。

そう考えてきた。

だが法的には、カエサルがいなくなれば正当性を失う。

「答えられないようだな」

カルプルニウスが言った。

「問題を理解しました」

「問題?」

「制度の所有者が曖昧です」

「所有者は共和国だ」

「なら元老院が引き継ぐのですか」

「必要なら」

「カエサル様が反対しても?」

カルプルニウスの目が細くなる。

「お前は、どちらに忠誠を持つ」

今度は俺が問われた。

カエサル。

共和国。

患者。

制度。

「ローマです」

「カエサルではない?」

「カエサル様はローマのために戦っています」

「答えになっていない」

本当にそうかもしれない。

◇

監察の最終日。

カルプルニウスは、クラッススの病室へ入った。

「若きクラッスス殿」

「監察官殿」

クラッススはまだ寝台の上。

熱は下がり始めている。

脚も残せる可能性が高まった。

「この病院がなければ、どうなっていたと思う」

監察官が尋ねる。

「別の天幕で治療されたでしょう」

「助かった?」

クラッススは俺を見る。

「分かりません」

正直な答え。

「では、病院の効果は証明できない」

カルプルニウスが言う。

「私一人では」

クラッススは答えた。

「他の患者と比較すべきです」

俺の言葉を使っている。

「外科医殿に教えられたか」

「学びました」

「この病院は必要か」

「必要です」

「なぜ」

「予備だからです」

カルプルニウスが眉を上げる。

「予備?」

「戦いが終わった後も、兵士を戻す選択肢を残す」

クラッススは自分の脚を見る。

「天幕だけなら、軍団が進めば置いていかれる。ここなら治療を続けられる」

「カエサルの軍事力が高まる」

「ローマの軍事力です」

「本当に?」

クラッススは笑った。

「それを疑うのが、あなたの仕事でしょう」

若いが、政治家の息子。

監察官の問いを正面から受け止める。

◇

監察報告の草案が、非公式に届いた。

問題点。

一、支出が大きい。

二、権限が軍医幕僚へ集中。

三、カエサル独自の規程。

四、軍事と民政の境界が曖昧。

五、商人との契約にアエリウス家の影響。

六、傷痍兵雇用が私兵的官僚組織となる危険。

厳しい。

だが、多くは事実だった。

「反論書を書きますか」

ティロが尋ねる。

「書きます」

「すべて否定しますか」

「否定できない部分は認めます」

権限集中。

利益相反。

法的位置づけ。

改善が必要。

「認めれば、制度を止められます」

「隠して後で発覚すれば、すべて失います」

内部記録と公表を分ける。

しかし監察に嘘をつけば、制度の信頼は壊れる。

「軍医規程を、元老院と他軍団へ公開する案を出します」

「カエサル様が許しますか」

分からない。

彼の軍事的優位を作る制度。

公開すれば他の指揮官も使える。

「公開しなければ、カエサル個人の仕組みと見られます」

「実際、そうでは?」

「今は」

だが俺が作りたいのは、英雄個人の武器ではない。

ローマ全体へ残る制度。

そのためには、カエサルの独占から離す必要がある。

それは彼にとって、裏切りにも見えるかもしれない。

◇

監察官は去る前に言った。

「ルキウス・アエリウス」

「はい」

「お前は医師の顔をして、国家を作っている」

「そのつもりはありません」

「最も危険なのは、そのつもりのない者だ」

彼はローマへ戻った。

報告書とともに。

翌朝、総督の天幕へ来るよう命じられた。

呼びに来たのは伝令ではなく、ラビエヌスだった。


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