第79話 ローマから来た監察官
監察官は三人だった。
正式な官職としてのケンソルではない。
元老院議員や政務官の意向を受け、カエサル軍の支出と運用を確認するために派遣された者たち。
筆頭はマルクス・カルプルニウス。
五十歳前後。
痩せた顔。
整えられた髭。
軍人というより法廷の人間に見えた。
「ルキウス・アエリウス殿」
彼は俺の木札を見る。
「軍医幕僚。生存局創設者。軍医規程起草者。軍団病院責任者」
肩書を並べる。
正式なものと便宜的なものが混ざっている。
並べられると、自分でも多いと思った。
「一人で、ずいぶん多くの仕事を持っている」
「役割を分担しています」
「最終報告は、あなたへ集まる」
「現在は」
「権力は、現在だけを見ればよいのかな」
最初から敵意がある。
「病院をご覧になりますか」
「そのために来た」
◇
カルプルニウスは、病院の患者より帳簿を先に見た。
建設費。
食料。
薬品。
給与。
衛生兵教育費。
傷痍兵雇用費。
契約業者。
「医療へ、これほどの金を使う必要があるのか」
彼が尋ねた。
「兵士の生存と復帰に必要です」
「以前の軍団は、この病院なしでも戦った」
「多くが死にました」
「兵士は死ぬものだ」
感情のない声。
「減らせる死は減らすべきです」
「共和国の費用で?」
「共和国の軍団です」
「カエサル個人の軍団ではない」
本題。
病院は誰のためにあるか。
兵士。
軍団。
カエサル。
共和国。
「規程は、カエサル様の指揮下だけで有効だそうだな」
「現在は」
「他の総督や執政官の軍団には適用されない」
「権限がありません」
「つまり、カエサルだけが使える制度だ」
「公開できます」
「ローマへ提出したか」
していない。
改訂中。
実戦で試行している。
「まだです」
カルプルニウスが小さく笑う。
「なぜ」
「不完全だからです」
「不完全な制度を兵士へ使う?」
「改善しながら使っています」
「元老院の承認なく?」
軍事指揮権の範囲内。
カエサルが命令した。
法的にどこまで問題か、俺には判断できない。
「総督の軍事運用です」
「医療だけか」
生存局。
村の再建。
債務契約。
市場管理。
住民登録。
軍団病院。
民政へ踏み込んでいる。
「ローマの法律ではなく、カエサルの規程がガリアで使われている」
カルプルニウスは言った。
「これは、小さな国家ではないか」
胸が冷えた。
俺は人を救う仕組みを作った。
だが外から見れば、カエサル独自の行政機構。
元老院を通さず。
税と戦利品を使い。
商人と契約し。
兵士を教育し。
負傷兵を雇用する。
「目的は医療と復興です」
「目的で権力の性質が変わる?」
支援という名の鎖。
ヘルウェティイ族の穀物契約で、父を追い詰めるために俺が使った言葉である。
今度は、同じ形の言葉を向けられている。
◇
監察官は衛生兵へ質問した。
「誰へ忠誠を誓う」
「ローマへ」
衛生兵が答える。
「カエサルではなく?」
「総督閣下はローマの指揮官です」
「軍医幕僚の命令と百人隊長の命令が違えば?」
衛生兵が困る。
「戦闘中は百人隊長です」
俺が横から答えた。
「本人に聞いている」
カルプルニウスが遮る。
「救護所では、医師です」
衛生兵が答えた。
「では、軍団に二つの指揮系統がある」
「役割ごとです」
「指揮系統の分裂では?」
「工兵にも騎兵にも専門命令があります」
「医師が兵士を戦列から外せる?」
「医療上必要なら」
「指揮官が戦えると言っても?」
「最終的には軍事指揮官です」
口にすると、カルプルニウスが記録させた。
医療判断より軍事命令が優先。
「なら病院は、兵士を救う場所ではなく、再び戦わせる場所か」
どちらへ答えても罠になる。
「両方です」
俺は言った。
「命を救い、可能なら任務へ戻す」
「戦えない者は」
「別職務か退役」
「その者たちへ給与を払う」
「働きます」
「カエサルの官僚として?」
「共和国の兵士としてです」
「誰が任命する」
「カエサル様の命令です」
また、カエサルへ戻る。
制度を作るたび、権限の根は彼一人に集中している。
俺がいなくても動く組織。
そう考えてきた。
だが法的には、カエサルがいなくなれば正当性を失う。
「答えられないようだな」
カルプルニウスが言った。
「問題を理解しました」
「問題?」
「制度の所有者が曖昧です」
「所有者は共和国だ」
「なら元老院が引き継ぐのですか」
「必要なら」
「カエサル様が反対しても?」
カルプルニウスの目が細くなる。
「お前は、どちらに忠誠を持つ」
今度は俺が問われた。
カエサル。
共和国。
患者。
制度。
「ローマです」
「カエサルではない?」
「カエサル様はローマのために戦っています」
「答えになっていない」
本当にそうかもしれない。
◇
監察の最終日。
カルプルニウスは、クラッススの病室へ入った。
「若きクラッスス殿」
「監察官殿」
クラッススはまだ寝台の上。
熱は下がり始めている。
脚も残せる可能性が高まった。
「この病院がなければ、どうなっていたと思う」
監察官が尋ねる。
「別の天幕で治療されたでしょう」
「助かった?」
クラッススは俺を見る。
「分かりません」
正直な答え。
「では、病院の効果は証明できない」
カルプルニウスが言う。
「私一人では」
クラッススは答えた。
「他の患者と比較すべきです」
俺の言葉を使っている。
「外科医殿に教えられたか」
「学びました」
「この病院は必要か」
「必要です」
「なぜ」
「予備だからです」
カルプルニウスが眉を上げる。
「予備?」
「戦いが終わった後も、兵士を戻す選択肢を残す」
クラッススは自分の脚を見る。
「天幕だけなら、軍団が進めば置いていかれる。ここなら治療を続けられる」
「カエサルの軍事力が高まる」
「ローマの軍事力です」
「本当に?」
クラッススは笑った。
「それを疑うのが、あなたの仕事でしょう」
若いが、政治家の息子。
監察官の問いを正面から受け止める。
◇
監察報告の草案が、非公式に届いた。
問題点。
一、支出が大きい。
二、権限が軍医幕僚へ集中。
三、カエサル独自の規程。
四、軍事と民政の境界が曖昧。
五、商人との契約にアエリウス家の影響。
六、傷痍兵雇用が私兵的官僚組織となる危険。
厳しい。
だが、多くは事実だった。
「反論書を書きますか」
ティロが尋ねる。
「書きます」
「すべて否定しますか」
「否定できない部分は認めます」
権限集中。
利益相反。
法的位置づけ。
改善が必要。
「認めれば、制度を止められます」
「隠して後で発覚すれば、すべて失います」
内部記録と公表を分ける。
しかし監察に嘘をつけば、制度の信頼は壊れる。
「軍医規程を、元老院と他軍団へ公開する案を出します」
「カエサル様が許しますか」
分からない。
彼の軍事的優位を作る制度。
公開すれば他の指揮官も使える。
「公開しなければ、カエサル個人の仕組みと見られます」
「実際、そうでは?」
「今は」
だが俺が作りたいのは、英雄個人の武器ではない。
ローマ全体へ残る制度。
そのためには、カエサルの独占から離す必要がある。
それは彼にとって、裏切りにも見えるかもしれない。
◇
監察官は去る前に言った。
「ルキウス・アエリウス」
「はい」
「お前は医師の顔をして、国家を作っている」
「そのつもりはありません」
「最も危険なのは、そのつもりのない者だ」
彼はローマへ戻った。
報告書とともに。
翌朝、総督の天幕へ来るよう命じられた。
呼びに来たのは伝令ではなく、ラビエヌスだった。




