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カエサルの左腕 ~ 外傷外科医だった俺は、古代ローマで軍医参謀になった  作者: 東雲 諒杏
第四章 六百歩先の陣地

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第78話 父の契約


軍団病院の二棟目が完成する前に、父ガイウスは新しい契約書を持ってきた。

木材。

布。

薬草。

葡萄酒。

蜂蜜。

油。

寝台。

食器。

洗濯。

死者の埋葬。

病院で必要となる物資と業務のほとんどが、契約へまとめられている。

「包括契約だ」

父は言った。

「病院側は一つの窓口へ頼めばよい」

管理は楽になる。

供給責任も明確になる。

「価格は」

「ここだ」

総額は高い。

個別に購入するより二割近く上乗せされている。

「高すぎます」

「安定供給の費用だ」

「競争入札を行います」

「緊急時に、知らない商人を集めるのか」

「複数の候補があります」

「彼らは、軍団が移動しても物資を届ける?」

「契約条件にします」

「敵地まで?」

「必要なら」

父が笑った。

「書けば荷車が動くと思っている」

「違います」

「契約書へ責任を書いても、死んだ牛は歩かない」

「だから複数業者を使います」

「責任が分散する」

「供給停止の危険も分散します」

一社へまとめる利点。

複数へ分ける利点。

効率と冗長性。

また同じ問題。

「父上の契約では、アエリウス商会が供給を止めれば病院が動きません」

「私が止めると思うか」

「父上が死ねば?」

言ってから、空気が変わった。

父は黙った。

俺も言い過ぎたと思った。

だが、重要な問題だった。

「父上がいなくても供給が続く仕組みが必要です」

「まだ死んでいない」

「分かっています」

「息子に死後を心配される年でもない」

「年齢の話ではありません」

父は契約書を巻いた。

「お前は、カエサルにも同じことを言うのか」

答えに詰まった。

いつか言わなければならない。

「いずれ」

「殺されるぞ」

冗談に聞こえなかった。

◇

契約を分割する案を作った。

主要物資は三者以上。

緊急時用備蓄。

価格上限。

品質基準。

納期。

代替品。

供給停止時の罰則。

監査。

「罰則が重すぎる」

父が言った。

「病院が止まります」

「戦争で道が切れた場合も罰する?」

「不可抗力は除きます」

「誰が不可抗力を決める」

「審査委員会です」

「役人が商人の危険を決めるのか」

「商人代表も入れます」

「誰を」

「父上以外です」

父の顔が険しくなる。

「私を外す?」

「契約候補ですから」

「商人を知らない者が審査するより、私がいた方がよい」

権力を持つ者は、自分の参加を能力で正当化する。

実際、父の能力は高い。

外せば審査の質が落ちる可能性もある。

「議決権なしの助言者として参加してください」

「口は出せるが決められない?」

「はい」

「馬鹿にしているのか」

「誰が何を決めたか、後から追えるようにするためです」

「また新しい言葉だな」

父は机へ身を乗り出した。

「ルキウス」

「はい」

「お前の役所は、信用の代わりに記録を置こうとしている」

「記録が信用を支えます」

「違う」

父は言った。

「信用とは、契約を破れば次から誰も取引しないと知っていることだ」

評判。

継続取引。

人間関係。

非公式な制裁。

「木板がなくても商売は動いてきた」

「身内と既知の商人の間では」

「それで十分だ」

「軍団病院は、父上の知り合いだけで永遠に動かせません」

「永遠?」

「少なくとも私や父上がいなくても」

父は鼻で笑った。

「お前は、何でも永遠に残したがる」

「残す必要があります」

「なぜ」

答えは分かっている。

前の人生で、自分が死んだ後も病院は動いた。

患者は別の医師が診た。

手術予定は変更され、研究記録も引き継がれた。

俺一人が消えても、組織は残った。

それが普通だと思っていた。

この時代では、個人の死が組織を壊す。

「人は死ぬからです」

俺は答えた。

父は黙った。

◇

入札には五つの商人団が参加した。

父のアエリウス商会。

ウェソンティオの商人組合。

アエドゥイ族の穀物商。

ローマ人請負業者二組。

価格。

供給量。

納期。

担保。

過去実績。

木板へ並べる。

最安値は、ローマ人請負業者の一つ。

だが過去に納期遅延がある。

父は二番目に高い。

実績と供給網は最も強い。

「最安値を選ぶのですか」

ティロが尋ねる。

「価格だけでは決めません」

「では、点数を付けますか」

価格四十。

品質二十。

供給能力二十。

実績十。

緊急対応十。

作ろうとして、手を止めた。

点数配分を決めるのは俺である。

数字にした瞬間、主観が客観に見える。

白い石と同じ形をしていた。

「点数は参考にします」

「最終判断は?」

「審査者の合議です」

「また主観が入ります」

「入ります」

「では点数の意味は」

「判断理由を見えるようにするためです」

答えを出す機械ではない。

議論の土台。

◇

結果は、分割契約となった。

木材と建設補修。

父の商会。

穀物と食料。

アエドゥイ族商人。

布と洗濯。

ウェソンティオ組合。

薬草と蜂蜜。

複数の小規模業者。

緊急輸送。

父の商会とローマ請負業者の共同。

「私が全部取るより安いのか」

父が尋ねた。

「少しだけ」

「管理費は増える」

「供給停止の危険は下がります」

「商人同士で責任を押しつける」

「契約に分担を書きます」

「木板が荷物を運ぶか」

「人が運びます」

同じやり取り。

父は契約書を受け取った。

「不満ですか」

「当然だ」

「断りますか」

「断れば、他の商人が利益を取る」

商人らしい答え。

「だが」

父は続けた。

「お前の方式で本当に動くか見てやる」

「協力していただけるのですか」

「失敗した時に、私が正しかったと言うためだ」

それでもよい。

◇

契約開始から一週間。

最初の問題が起きた。

洗濯用の布が届かない。

ウェソンティオ組合は、木材荷車が道を塞いだと主張。

父の商会は、洗濯業者の荷車が遅れただけだと反論。

責任の押しつけ。

予想通りだった。

「共同調整者が必要です」

ティロが言う。

「誰にします」

父がこちらを見る。

「役所を一つ増やすか」

悔しいが、必要だった。

「病院側に置きます」

「人件費が増える」

「包括契約よりは、誰が何をしたか追えます」

「追える赤字になるな」

父の言葉。

制度の理想だけでは供給は動かない。

だが父の信用だけへ頼れば、父がいなくなった時に壊れる。

双方の中間を作る。

それが俺の役割だった。

◇

その夜。

カエサルの天幕から書記が来た。

明日、ローマから三人が到着する。

元老院と政務官の意向を受けた、支出と運用の確認者。

数えに来るのではない。

俺たちの数え方を、調べに来る。


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