第77話 軍団病院
「病院を作ります」
俺が言うと、バルブスは地面へ広げた設計図を見た。
「今ある治療所と何が違う」
「移動しません」
「軍団は移動する」
「だから後方拠点へ置きます」
ウェソンティオ。
城壁。
井戸。
倉庫。
街道。
負傷者を集める条件がそろっている。
「軍団が遠くへ進めば、搬送できない」
「重症急性期は前方救護所。安定後に後送します」
前線。
前方救護所。
主救護所。
軍団病院。
段階的な搬送。
「患者を何度も動かすのか」
ディオニュシオスが言った。
「動かせる状態を確認してからです」
「途中で悪化する」
「前線に残せば、軍団移動のたび動かします」
常設施設なら、患者は治癒まで同じ場所にいられる。
傷の再処置。
感染管理。
栄養。
機能訓練。
職務転換判定。
「収容人数は」
カエサルが尋ねた。
「最初は三百床」
「三百?」
「六個以上の軍団を支えるには少ないです」
「建物一つに三百人を集めれば、病気が広がる」
正しい。
「複数棟に分けます」
外傷。
発熱・下痢。
回復期。
隔離。
手術。
「さらに建物が増える」
バルブスが言う。
「木材も人手も必要だ」
「既存の倉庫と家屋を使います」
ウェソンティオの住民から接収することになる。
「住民の家を奪うのか」
マトゥゲヌスが反発した。
市場管理で協力した町の商人である。
「空き倉庫を借ります」
「軍団が入ったせいで、空いている倉庫などない」
「代金を払います」
「金を食べられないと、以前言ったはずだ」
覚えている。
軍団が町を食べる。
金があっても物資がなければ意味がない。
「修繕と井戸整備をローマ軍が行います」
「軍が去った後、町へ残す?」
「はい」
「病人がいた建物を誰が使う」
感染への恐怖。
「清掃と燻蒸を行います」
「病気が残る」
「発熱患者棟は町の外へ置きます」
「外傷患者も血を流す」
「床を石か砂利にします」
交渉は続く。
病院建設は医療だけではない。
土地。
所有権。
住民感情。
費用。
軍事。
◇
最終的に、町の城壁外側にある旧家畜市場を使うことになった。
川へ近いが、氾濫地ではない。
街道からも接続できる。
町の中心から離れ、感染への住民不安を減らせる。
「患者を町から追い出す場所に見えます」
フィロンが言った。
「そう見えるでしょう」
病人を隔離する。
同時に、社会から遠ざける。
「面会は認めます」
「軍団兵の家族が、ここまで来ますか」
ガリア遠征中の兵士には、近くに家族がいない者が多い。
従軍者。
同郷者。
仲間。
「同じ百人隊の者が面会できるようにします」
「任務があります」
「週に一度、交代で」
「軍事側が認めますか」
交渉が必要。
病人の回復に、仲間とのつながりは重要。
だが、それを証明する数字はない。
「士気と復帰へ影響すると説明します」
「また軍事利益ですか」
「それだけではありません」
「なら、最初に人として必要だと言えばよい」
フィロンの言葉。
最近、若い医師から教えられることが増えた。
◇
病院の構造を決める。
入口。
分類場所。
手術区画。
病室。
隔離棟。
炊事場。
水場。
便所。
洗濯。
死者安置所。
回復訓練場。
記録室。
倉庫。
「死者安置所を入口から遠ざけます」
ティロが言った。
「患者が不安になります」
「搬出路は別にします」
患者の入る道。
物資の道。
死者を出す道。
交差させない。
ビブラクテの丘で、救護所の入口を二つに分けた経験が生きる。
あの時は天幕の布を切っただけだった。
今度は、最初から壁を建てられる。
「手術室は井戸の近く」
「便所は最も下流」
「隔離棟は風下」
「炊事場から離す」
規程が、建物へ変わる。
「窓を増やします」
「冬に寒い」
「閉じられる構造に」
「布や木板が必要です」
「費用は」
また費用。
◇
父ガイウスが建設見積もりを持ってきた。
「高すぎます」
俺が言うと、父は平然と答えた。
「常設の建物だ。安いはずがない」
「木材価格が市場の倍です」
「軍団が大量に買う」
「供給業者は父上の関係者です」
「信頼できる者を使うのは当然だ」
利益相反。
父の商業網は便利。
同時に、制度が父の利益を増やす。
「競争入札にします」
「何だ、それは」
「複数の商人から価格と条件を出させます」
「最も安い者へ任せる?」
「価格だけではありません。品質、納期、過去実績も見ます」
「お前が決める?」
「審査者を複数にします」
「商人を信用しない役所だな」
「信用するために比較します」
父は不快そうだった。
「材料規格も決めます」
木材の寸法。
乾燥状態。
石材。
布。
納品数。
「そこまで決めれば、職人が動けない」
「最低限です」
「お前の最低限は多い」
否定できない。
◇
工事開始から二十日。
最初の病棟が完成した。
収容六十人。
大きな一棟ではなく、二十人ずつ三室。
患者間隔を取る。
窓。
排水。
洗浄しやすい床。
寝台の間へ物を置かない。
「広すぎる」
補給担当者が言った。
「もっと寝台を置けます」
「感染時に隔離できません」
「今は外傷患者だけだ」
「今後、増えます」
「空いた場所は無駄だ」
「予備です」
クラッススが騎兵を二つへ割いた日の言葉。
使われなかった予備が、未来の選択肢になる。
「稼働率が低いと、カエサル様へ報告されます」
「空床は失敗ではありません」
「患者が少ない病院は役に立っていない」
「患者が多い方がよいのですか」
「費用に対する成果の話だ」
病院経営。
前の人生でも繰り返された議論。
空床は損失。
満床は効率的。
だが満床では急変へ対応できない。
「通常時八割以下を目標にします」
「なぜ八割」
「急患用の余裕です」
「根拠は」
経験則。
この時代の記録はない。
「試行です」
便利な言葉になってきた。
◇
最初の入院患者は、クラッススだった。
高熱は続いている。
傷の感染は完全には収まっていない。
だが脚の血流は保たれている。
「私が最初か」
彼が寝台へ運ばれながら言った。
「名誉です」
「病院の最初の患者が、歩けない指揮官?」
「適切です」
「縁起が悪い」
「生きて退院すればよい縁起になります」
クラッススは新しい病室を見回した。
「広い」
「感染を減らすためです」
「兵士なら、倍入れられると言う」
「言われました」
「父なら、寝台ごとに金を取る」
「父上とは後で話します」
「何を」
「建設費です」
クラッススが笑った。
「脚より痛い話だ」
◇
病院は建物だけでは動かない。
医師。
衛生兵。
炊事。
洗濯。
薬品。
記録。
警備。
費用。
そして、この施設を誰が所有するのか。
カエサルの軍団か。
ウェソンティオの町か。
ローマ共和国か。
父の商業組織か。
その夜、俺は最初の入院台帳を作った。
一番。
プブリウス・リキニウス・クラッスス。
右大腿骨開放骨折。
二番目の欄は、まだ空だった。
三百床ある。
二百九十九の欄が、埋まるのを待っている。




