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カエサルの左腕 ~ 外傷外科医だった俺は、古代ローマで軍医参謀になった  作者: 東雲 諒杏
第四章 六百歩先の陣地

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第75話 衛生兵百人


「多すぎる」

ラビエヌスは即座に反対した。

「六千人規模の軍団です」

「百人を戦列から外すのか」

「常時外すわけではありません」

「衛生兵として訓練すれば、戦闘中も患者へ向かう」

「必要時だけです」

「必要を誰が決める」

「百人隊長と衛生班長です」

「指揮系統が増える」

軍事組織では、命令系統の明確さが重要。

百人隊長。

副官。

軍医。

衛生班長。

複数の指示が出れば混乱する。

「衛生兵は百人隊所属のままにします」

俺は説明した。

「医療技術は軍医幕僚団が教える。行動命令は百人隊長が出す」

「医師が負傷者を運べと言い、百人隊長が戦えと言ったら?」

「戦闘中は百人隊長を優先します」

口にするのが苦い。

「ただし救護所内では医療責任者」

場所と状況で権限を分ける。

「境界で争うぞ」

「起きます」

「分かっていて作るのか」

「現在も、誰が負傷者を運ぶか曖昧です」

制度が問題を作る。

だが、問題が存在しないわけではない。

見えなかった対立を明文化するだけでもある。

「百人の根拠は」

各百人隊に二人。

軍団全体で約百人前後。

「一人が負傷しても、もう一人が残ります」

「二人とも戦う」

「だから二人です」

予備。

冗長性。

クラッススが騎兵を分けた日に学んだことである。

「一人では駄目か」

「一人が患者を運べません」

「他の兵士を呼べ」

「その場で選ぶと遅れます」

「百人隊から二人を固定すれば、その二人ばかり負担する」

「交代制にします」

「固定ではないのか」

「中核二人と、補助要員を置く」

さらに人数が増える。

ラビエヌスが額を押さえた。

「百人で済まないではないか」

「正式衛生兵が百人です」

「言葉遊びだ」

◇

カエサルは人数より費用を尋ねた。

「給与は」

「一般兵より少し上げます」

「なぜ」

「訓練と責任が増えます」

「戦闘兵より高くする?」

「同額以上です」

「敵を倒す者より、傷を縛る者へ払うのか」

「戦闘兵を戻す仕事です」

「戦場で臆病者が衛生兵を希望する」

予想される問題。

前線を避けるための応募。

「選抜制にします」

「誰が選ぶ」

「百人隊長、医療担当者、同僚兵士」

「同僚?」

「仲間から信頼されている者が必要です」

「人気投票か」

「候補者の推薦だけです」

条件。

血を見ても動ける。

命令を理解できる。

水や布を管理できる。

仲間を落ち着かせられる。

可能なら文字や数字を理解する。

「文字を読める者は書記へ取られる」

「記号だけでも構いません」

「体力は」

「必要です」

「優秀な兵士を医療へ取るのか」

「劣る兵士だけで医療を作れば、負傷者が死にます」

どの部門も優秀な人材を欲しがる。

戦闘。

工兵。

騎兵。

書記。

補給。

医療。

「百人すべてを一度に増やしません」

俺は譲歩した。

「各軍団二十人から開始。訓練後に拡大します」

「最初からそう言え」

カエサルは許可した。

「三十日で結果を出せ」

「何をもって結果とします」

「負傷者の搬送時間。救護所到着前の死亡。感染。戦列復帰」

明確。

だが、戦闘規模や傷の種類で変わる。

「比較対象が必要です」

「過去の戦闘と比べろ」

条件が違う。

完全ではない。

それでも、何もないよりよい。

「承知しました」

◇

候補者選びは、想像以上に難しかった。

百人隊長が推薦する者。

軽傷が多く、前線能力が低い兵士。

問題行動のある者。

高齢兵。

「不要な兵を送っているだけではありませんか」

俺が尋ねると、百人隊長は答えた。

「必要な兵を渡せるか」

軍事側の本音。

「この者は酒で問題を起こしています」

「血を見ても平気だ」

「酔っていれば、何を見ても平気でしょう」

候補者を戻す。

別の百人隊では、最も信頼される副官級の兵士を出してきた。

「よいのですか」

「仲間を見捨てない男だ」

「戦力が落ちます」

「負傷者を連れ戻せば戻る」

理解している指揮官もいる。

軍団ごとの差。

◇

最初の訓練には、百四十二人が集まった。

正式候補。

補欠。

見学者。

「衛生兵とは何をする者か」

俺は尋ねた。

「死体を運ぶ」

誰かが答えた。

笑い。

「違います」

「包帯を巻く」

「医師を呼ぶ」

「水を運ぶ」

「逃げた兵士を後ろへ送る」

認識がばらばら。

「衛生兵は、兵士を生きたまま医師へ届ける者です」

完全ではない。

水管理や疾病予防も行う。

だが最初の役割として分かりやすい。

「医師ではありません」

俺は続けた。

「診断や大きな手術はしない」

「切断は?」

「しません」

「矢を抜く?」

「原則、抜きません」

「なぜ」

「抜いた瞬間に出血する場合があります」

「刺さったまま運ぶのか」

「固定します」

兵士たちは不安そうだ。

何かをする方が助けていると感じる。

何もしない判断は難しい。

「最初に覚えるのは三つです」

血を止める。

息を見る。

歩けなければ運ぶ。

規程の三原則である。

「血はどう止める」

布で圧迫。

手で押す。

上から布を重ねる。

最初の布を外さない。

「染みた布は汚い」

「外せば再出血します」

実習。

豚肉と袋を使い、血に見立てた水を流す。

圧迫位置。

力。

時間。

「いつ離す」

「医療担当者が確認するまで」

「腕が疲れる」

「交代してください。ただし圧迫を途切れさせない」

簡単な技術。

だが正しく続けるのは難しい。

◇

呼吸確認。

胸部の開いた傷。

湿らせた布。

完全に四辺を閉じない。

「なぜ三辺だけ」

「吸う時に空気が入りにくく、吐く時に外へ出やすくするためです」

理解は完全でなくてよい。

行動を覚える。

骨折固定。

担架。

盾を使った搬送。

二人搬送。

四人搬送。

患者を落とさない。

「敵兵も運ぶのか」

候補者が尋ねた。

「戦闘中は命令に従います。戦闘後は、武器を持たず、救命可能なら」

「仲間が待っていても?」

「味方を優先する場合があります」

「場合?」

「資源と重症度で決めます」

曖昧な答え。

だが現実も曖昧である。

「迷ったら、班長へ」

判断を一人へ集中させすぎない。

◇

三日目。

一人の候補者が辞退した。

「血が怖い」

初日の実習で顔色を失い、嘔吐した。

「恥ではありません」

俺は言った。

「百人隊へ戻れば、臆病者と呼ばれる」

「別の役割を探します」

「何がある」

「水場管理、記録、物資」

「衛生兵ではない?」

「衛生兵にも複数の役割があります」

全員が出血処置をする必要はない。

血が苦手でも、水場や便所管理ができる。

「逃げたと思われる」

「私から百人隊長へ説明します」

「外科医殿が守る?」

「役割を変えただけです」

人の弱点を排除するのではなく、別の場所へ配置する。

ただし戦場では、血を避けられない場合もある。

「緊急時には患者へ触れられますか」

彼は長く黙った。

「分からない」

正直。

「なら、まず水場担当です」

無理に勇敢と答えさせない。

白い石の失敗を繰り返さない。

◇

訓練最終日。

模擬戦闘を行った。

負傷役。

出血。

胸部創。

骨折。

意識障害。

敵の接近を知らせる角笛。

衛生兵候補が走る。

最初は混乱。

患者役を全員運ぼうとする。

軽傷者へ担架を使う。

大出血者が後回しになる。

「止めます!」

俺は訓練を中断した。

「なぜ、この患者を先に運びました」

「叫んでいたからです」

大声の患者は注目される。

静かな患者ほど重症の場合がある。

「叫べる者は、少なくとも息をしています」

「では静かな者から?」

「呼吸と出血を確認します」

単純な原則。

再開。

二度目。

改善。

三度目。

一人の候補者が、患者役の胸部創を見逃した。

「布を当てました」

「傷の上ではありません」

暗闇。

血。

衣服。

実戦ではさらに難しい。

「衣服を切ります」

「冬なら?」

「必要な範囲だけ」

「患者が女性なら?」

質問に場が静まる。

敵側の女性。

補助兵。

従軍者。

患者は男性だけではない。

「命を優先します。ただし、周囲を布で隠し、必要以上に露出させない」

この時代の羞恥と身分。

医療だけでは決められない。

「女性衛生担当者も必要です」

俺はつぶやいた。

「軍団に女を入れるのか」

反発が起きる。

正式兵士でなくても、従軍者や捕虜、現地治療師がいる。

生存局には、すでに一人いる。

まだ、この場で名は出さない。

◇

最初の衛生兵百四十二人のうち、正式認定は九十六人。

保留二十八人。

別任務十八人。

「百人に足りません」

ティロが言った。

「数を合わせるために、能力不足を認定しません」

「計画名は衛生兵百人です」

「九十六人で始めます」

「見栄えが悪い」

「患者は見栄えでは助かりません」

カエサルへ報告すると、彼は言った。

「四人くらい足せ」

「足しません」

「珍しく逆らうな」

「基準を下げれば、制度全体の信用を失います」

「四人で?」

「最初の四人です」

最初の例外は、次の例外を呼ぶ。

カエサルは少し笑った。

「よい。九十六人で始めろ」

◇

こうして最初の正式衛生兵が生まれた。

医師ではない。

将校でもない。

戦闘兵でありながら、仲間を生きたまま救護所へ届ける訓練を受けた者たち。

まだ少ない。

技術も不十分。

軍団によって受け入れ方も違う。

だが、俺が一人で傷を縫っていた時代から、確実に変わっていた。

医療は、医師だけの仕事ではなくなり始めていた。

認定の翌日、九十六人の名簿を作った。

氏名。

出身。

年齢。

所属百人隊。

一枚目を書き終えて、手が止まった。

保留になった二十八人と、別任務へ回した十八人を書く欄がない。

落ちた四十六人を数える欄を、俺はまた作っていなかった。


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― 新着の感想 ―
第一次大戦の担架兵は、最も勇敢に死地に飛込み自分達を救う存在(実際死亡率も高かった様です)と尊敬を集めていたそうです。 実戦でその存在を示せば価値を認められるのは間違い無いでしょう。 ただ、この時代の…
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