第74話 軍医規程
軍医規程の草案は、木板三十七枚になった。
カエサルは最初の五枚を読んだところで、机へ置いた。
「長い」
「必要事項です」
「兵士は読まん」
「医療責任者用です」
「医師も読まん」
ディオニュシオスが横で頷いた。
「なぜ、あなたまで同意するのです」
「長いからだ」
「削れ」
カエサルが命じた。
「どこを」
「重要でない部分だ」
「全部重要です」
「なら重要度をつけろ」
最優先。
原則。
推奨。
参考。
四段階に分ける。
また分類が増える。
「最優先だけを一枚にしろ」
「一枚?」
「戦場で三十七枚を運ぶつもりか」
現場用と管理者用を分ける必要がある。
◇
最優先事項。
一、大出血を最初に止める。
二、呼吸できない者を確認する。
三、歩けない者を搬送する。
四、汚れた傷は洗う。
五、飲料水と便所を分ける。
六、患者と処置を記録する。
七、状態が変われば再評価する。
「七つです」
俺が示すと、カエサルが言った。
「多い」
「これ以上は削れません」
「兵士が覚えられるのは三つだ」
ディオニュシオスにも同じことを言われた。
権力者と老医師が、同じ数字を言う。
たぶん、それが人間の限界なのだろう。
「戦場用は三つにします」
血を止める。息を見ろ。歩けなければ運べ。
「それだけ?」
「最初の行動です」
「傷を洗うのは」
「救護所で」
「記録は」
「後で」
「再評価は」
「医療班が」
役割ごとに必要な項目を分ける。
全員へすべてを教えようとしていた。
それでは誰も覚えない。
◇
軍医規程は三層構造となった。
第一。
全兵士が知る三原則。
第二。
衛生兵が使う十項目。
第三。
医師・責任者が使う詳細規程。
「軍団ごとの方法はどこまで残す」
ラビエヌスが尋ねる。
「規程に反しない範囲で残します」
「誰が反していると判断する」
「軍医幕僚団です」
「幕僚団?」
今は俺と数人の医師、書記だけである。
正式な組織ではない。
「人を増やします」
「また増やすのか」
◇
規程施行の初日。
第十一軍団が便所位置を守らなかった。
「敵騎兵が来る方向です」
現地責任者が説明する。
「規程では下流です」
「下流は森で、伏兵が隠れられます」
正当な理由。
「例外とします」
「初日から?」
ティロが呆れる。
「理由を記録します」
敵襲危険。
代替水源あり。
便所周囲へ排水溝。
使用期間を三日以内に限定。
「他軍団も例外を求めます」
「理由を確認します」
「すべて現地を見るのですか」
不可能。
「現場責任者に判断させます」
「規程を作った意味は」
「原則を共有し、例外の理由を残すためです」
規程は、例外をなくすものではない。
例外を無意識に使わせないもの。
◇
夜。
カエサルから呼ばれた。
「規程初日に破ったそうだな」
「例外適用です」
「言葉を変えたか」
「軍事上の危険が高かったためです」
「ならよい」
「よいのですか」
「目的は兵を生かすことだろう」
「はい」
「規則を守って死なせれば、本末転倒だ」
簡単な答え。
だが、現場が全員その判断を正しくできるとは限らない。
「規程は必要です」
俺は言った。
「だが規程より目的が上だ」
カエサルは答えた。
その言葉を、規程の冒頭へ入れた。
本規程の目的は、規程を守ることではなく、兵士と患者を生かすことである。
美しい言葉。
だが誰もが、自分の違反を「患者を生かすため」と説明できる危険もある。
制度は、文章だけでは動かない。
判断できる人間が必要だった。
「衛生兵を、各軍団へ百人置きます」
俺が言うと、ラビエヌスが木板から顔を上げた。
「百人」
「はい」
「一個軍団の、六十分の一だ」




