第59話 白い石の嘘
前進陣地を築いてから、八日が過ぎた。
兵士の疲労は明らかだった。
毎日の戦列。
小規模な騎兵戦。
夜間警戒。
築城。
補給路防衛。
休息は断続的。
睡眠時間は短い。
だが、士気調査では白が増えていた。
白。
戦える。
黄。
不安がある。
赤。
戦いたくない。
第八軍団、白七割。
第九軍団、白六割。
第十軍団、白九割。
新設軍団でも、白が半数を超えている。
「良い結果です」
書記が言った。
俺は木板を見つめた。
良すぎる。
数日前まで黄が多かった部隊が、急に白へ変わっている。
カエサルの挑発。
敵が出てこないこと。
新月前の予言。
ローマ兵は、勝てると考え始めたのかもしれない。
だが、疲労は減っていない。
数字が二つあって、片方だけが良くなる時は、たいてい良い方が嘘をついている。
「白を選んだ兵士に、理由を聞きましたか」
「匿名です」
「調査後に数人だけ聞いてください」
「匿名性が崩れます」
「個人の石と結びつけないで構いません」
各百人隊から無作為に選ぶ。
「無作為とは?」
「最初、中央、最後に並んだ兵士から一人ずつ」
完全な無作為ではないが、百人隊長が都合のよい兵士を選ぶことを避ける。
◇
聞き取りが始まった。
答えは、予想とは違った。
「白以外を入れると、百人隊長に見られる」
「見えないように壺へ入れています」
「誰が何色を取ったか、最初に見られる」
手が止まった。
木片は配布時に色を選ぶ。
その瞬間を見れば分かる。
匿名ではなかった。
半年、この方法を使ってきた。
一度も、配布の瞬間を自分で見に行かなかった。
「全員へ三色一組を配り、使わない二つを別の壺へ入れるべきでした」
俺は頭を抱えた。
設計ミス。
しかも、初歩の。
さらに別の兵士が言った。
「赤を選んだ者は、臆病者と呼ばれる」
「誰が」
「仲間が」
公式な処罰がなくても、社会的圧力がある。
第十軍団が白を誇る。
他軍団も負けたくない。
白い石は、状態の報告ではなく忠誠の証明になっていた。
「黄も選びにくい?」
「赤よりはましだが、戦列の後ろへ回されると思われる」
「実際に配置へ使っていません」
「兵士はそう思っている」
測定される側は、目的を推測する。
その推測が答えを変える。
◇
「白の割合は信用できません」
俺はラビエヌスへ報告した。
「どの程度」
「分かりません」
「役に立たないということか」
「現状では」
「以前は士気が上がったと報告した」
「調査方法に問題がありました」
「演説の効果も嘘か」
「少なくとも、一部は過大評価です」
自分の数字を自分で否定する。
胸が痛む。
ラビエヌスは木板を見た。
「兵士は戦えるか」
「聞き取りでは、恐怖より疲労を訴える者が増えています」
「戦いたくない?」
「早く戦って終わらせたいという者が多いです」
それは士気が高いのか。
疲労による焦りなのか。
「同じではないか」
「違います」
「戦いたいなら戦える」
「早く終わらせたい者は、無謀な突撃をするかもしれません」
「命令で止める」
「命令理解にもばらつきがあります」
ラビエヌスの顔が険しくなる。
「では、何なら分かる」
厳しい問いだった。
白い石は嘘をつく。
兵士の言葉も、期待に合わせて変わる。
百人隊長の報告も、部隊の名誉を守ろうとする。
「身体的な指標を見ます」
「何だ」
「行軍脱落者。睡眠時間。軽傷。発熱。食事摂取。命令違反。争い」
疲労や心理状態が、行動と身体へ現れる。
「数字へ戻るのか」
「自己申告以外も使います」
複数の情報を組み合わせる。
ただし、これも完全ではない。
「昨夜の睡眠は」
「前進陣地で平均四刻未満です」
「短いな」
「主宿営地でも十分ではありません」
「敵も同じだ」
「敵の方が自陣で休めています」
ローマ軍は毎日戦列へ出る。
ゲルマン軍は陣地内にいる。
挑発する側が、むしろ疲れている。
「交代で戦列へ出します」
俺は提案した。
「全軍を見せなければ、敵が弱体化と判断する」
「兵士を休ませなければ、実際に弱体化します」
「決戦が近い」
「だから必要です」
◇
ラビエヌスはカエサルへ報告した。
カエサルは短く答えた。
「明日までだ」
「何がです」
「女たちの予言では、明後日から戦えるらしい」
「情報は確かですか」
「複数の捕虜と商人が一致している」
新月。
明後日。
アリオウィストゥスは主力戦へ応じる可能性が高い。
「なら明日は休ませてください」
「逆だ」
「なぜ」
「戦いたくない最後の日だ。最大の圧力をかける」
「兵士が疲れています」
「敵も、出るか出ないかで揺れる」
「こちらが崩れれば」
「崩れないように配置しろ」
また、簡単に言う。
「士気はどうだ」
カエサルが尋ねた。
「白い石は信用できません」
「では、何を信じる」
「身体的疲労は高い。命令理解は改善しています。恐怖は以前より低いですが、敵を軽視する傾向があります」
「戦えるか」
「一部部隊は休息が必要です」
「どの部隊だ」
記録を見る。
第九軍団。
軽傷者増加。
夜間警戒回数が多い。
睡眠不足。
争いも増えている。
第十一軍団も疲労が高い。
一方、第十軍団は士気だけでなく、身体状況も比較的良い。
経験があり、交代管理も適切。
「第九と第十一を後方へ」
俺は答えた。
「明日の戦列から外す?」
「少なくとも第一列には置かないでください」
「第九軍団は前進陣地を守っている」
「交代させます」
「工事位置を理解している部隊を動かすのか」
「疲れています」
「第十二軍団と交代すれば、陣地理解が下がる」
「引き継ぎを」
「一日で?」
また時間がない。
「第九軍団の中でも、疲労の高い百人隊だけを後方へ」
「戦列が分断される」
部隊単位の一体性。
同じ軍団の中で配置を入れ替えると、指揮が複雑になる。
「では第二列へ」
「第一列は誰が」
「第十と第八」
「第十ばかり使えば疲れる」
すべてに代償がある。
「第九軍団を第一列へ残し、一部予備を厚くします」
妥協。
自分でも不安が残る。
「戦えると判断するのだな」
カエサルが確認する。
「短時間なら」
「短時間?」
「長期戦になれば崩れる危険があります」
「敵陣から出させれば、短時間では終わらん」
「なら、第一列から外すべきです」
「どちらだ」
決めなければならない。
俺は記録を見た。
白七割。
だが信用できない。
軽傷増加。
睡眠不足。
それでも、実戦経験はある。
隊列維持能力も高い。
「第二列にしてください」
最終的に答えた。
「第一列は第十、第八、第十二」
カエサルは地図上の配置を変えた。
「第九は第二列」
「はい」
「お前の判断だ」
胸が重くなる。
「はい」
責任を明確にされた。
◇
その夜。
第九軍団の百人隊長が俺の天幕へ来た。
「我々が臆病だと報告したのか」
「違います」
「第二列へ下げられた」
「疲労が高いからです」
「白い石は七割だ」
「その数字は信用できません」
百人隊長の顔が赤くなる。
「我々が嘘をついたと?」
「調査方法が悪かったのです」
「お前の方法が悪いのに、我々が下げられる?」
言い返せない。
「軽傷と睡眠不足が増えています」
「戦えば忘れる」
「判断が遅れます」
「第十軍団より弱いと思っている」
「比較していません」
「第一列は第十だ」
特別扱いへの不満。
配置変更が、軍団の誇りを傷つけている。
「第二列は重要です」
「慰めるな」
「本当に重要です」
第一列が疲弊した時に交代する。
敵の突破を止める。
「なら、カエサル様の前で言え」
「言います」
「第九軍団が必要だから第二列へ置く、と」
「分かりました」
「疲れているからではない」
「それは事実です」
百人隊長の目が冷たくなる。
「お前は、人を数字でしか見ない」
言い残して去った。
胸に残る。
数字だけではない。
そう思っている。
兵士を見た。
聞き取りもした。
だが、最終的には木板の項目で配置を変えた。
◇
翌朝。
第九軍団は第二列へ入った。
兵士たちは、こちらを見ようとしなかった。
白い石は、彼らの恐怖だけでなく、誇りも隠していた。
そして俺は、その嘘を見抜いたつもりで、別の嘘を信じていた。
疲労を測れば、崩れる部隊を予測できる。
俺はそう信じていた。
翌日の朝までは。




