第54話 二人の支配者
会談場所は、両軍の中間にある小高い丘だった。
周囲は開けている。
伏兵を置きにくい。
遠くから双方の動きを確認できる。
カエサル側は、第十軍団の兵士を馬へ乗せた即席騎兵。
アリオウィストゥス側は、実戦経験のあるゲルマン騎兵。
見た目だけなら、差は明らかだった。
ゲルマン騎兵は馬上で自然に身体を動かす。
手綱を持たない者もいる。
第十軍団の兵士は、手綱へ力が入り、姿勢が硬い。
「笑うなよ」
クィントゥスが兵士たちへ言った。
「敵にではなく、味方に言っているのですか」
「お前も笑うな」
「笑っていません」
「顔が笑っている」
恐怖と緊張で、表情がおかしくなっているだけだった。
「医療班はここで待機します」
会談地点から一定距離。
双方が連れていける護衛数は限られている。
俺はカエサルの近くまで行けない。
「異常があれば角笛を」
「どの合図です」
「短く三度」
「敵の攻撃なら?」
「長く一度、短く二度」
「カエサル様が負傷した場合は?」
ラビエヌスが俺を見る。
「その時は合図を待たずに来い」
簡単に言うが、敵騎兵の中へ突入することになる。
「護衛を付けてください」
「第十軍団がいる」
「馬から降りなければ戦えません」
「降りる」
「その間に」
「心配しすぎだ」
軍人と外科医の危険評価は違う。
俺は最悪の状況を考える。
ラビエヌスは、最悪を考えながらも動く。
◇
カエサルとアリオウィストゥスが、丘の中央で向かい合った。
遠く、声までは聞こえない。
だが身振りは見える。
アリオウィストゥスは大柄だった。
長い髪。
厚い外套。
王を名乗るにふさわしい堂々とした姿。
カエサルは細身で、身体の大きさでは劣る。
それでも、引いているようには見えない。
二人とも、自分がこの土地の未来を決める資格があると信じている。
通訳を介し、話が続く。
「何を話していると思う」
クィントゥスが尋ねた。
「カエサル様の要求です」
「アリオウィストゥスは断る」
「でしょうね」
「なら、会う意味は」
「互いを見ることです」
兵力報告。
噂。
使者。
書簡。
それだけでは分からない。
話す速度。
怒り方。
沈黙。
護衛の反応。
「患者の診察と同じか」
「少し似ています」
問診だけでなく、顔色や呼吸を見る。
指導者も、言葉以外の情報を出す。
会談が長くなる。
アリオウィストゥスが大きく腕を動かした。
通訳が何度も言葉を返す。
「怒っています」
俺が言うと、クィントゥスは鼻を鳴らした。
「遠くからでも分かる」
「怒りを見せているのか、本当に怒っているのかは分かりません」
「違いがあるのか」
「意図的なら、相手を動かすためです」
「本当に怒っていれば?」
「判断を誤る可能性があります」
カエサルは、ほとんど動かない。
アリオウィストゥスの感情を受け止めながら、こちらは感情を見せない。
医師と患者のようではない。
交渉者と交渉者。
支配者と支配者。
◇
「動きがあります!」
兵士が叫んだ。
アリオウィストゥス側の騎兵が、じりじりと丘へ近づいている。
合意した距離を越え始めた。
第十軍団もざわつく。
馬が兵士の緊張を感じ、落ち着きを失う。
「隊列を維持しろ!」
百人隊長が叫ぶ。
敵騎兵から、石と投槍が飛んできた。
距離がある。
本格攻撃ではない。
挑発。
「応戦するな!」
ラビエヌスの命令が響く。
第十軍団の兵士が盾を上げようとして姿勢を崩す。
一人が落馬。
別の馬が暴れる。
「医療班、待機!」
今飛び出せば、攻撃と誤認される。
落馬した兵士は自力で動いている。
白か黄。
生命の危険は低い。
会談中央では、カエサルがアリオウィストゥスへ何かを言った。
アリオウィストゥスは騎兵を止めない。
合意違反。
「退却合図!」
角笛が鳴った。
カエサルが馬を返す。
第十軍団の即席騎兵も、ゆっくり後退する。
敵騎兵は追わない。
石と槍だけが飛ぶ。
第十軍団の一人が肩へ投槍を受けた。
馬から落ちる。
「今です!」
俺は医療班を出した。
盾を持つ兵士が前へ。
担架班が負傷者へ走る。
敵との距離はまだある。
「肩を貫通!」
大血管は外れているように見える。
出血は多いが、圧迫で対応できる。
「槍を抜くな。固定して戻せ!」
別の落馬者。
頭部打撲。
意識あり。
右手首変形。
「黄!」
会談は、戦闘にならずに終わった。
だが和平にもならなかった。
◇
帰還後。
カエサルは、会談内容を幕僚へ説明した。
アリオウィストゥスは主張した。
自分はガリア人の要請で来た。
戦争に勝った。
土地と人質を得る権利がある。
自分のゲルマン人がガリアへ住むことへ、ローマが口を出す理由はない。
カエサルが軍を退かなければ戦う。
「彼は、自分をローマと同等の征服者と考えています」
俺は言った。
「間違ってはいない」
カエサルが答えた。
天幕内が静まる。
「総督閣下」
ラビエヌスが言う。
「同じではありません」
「勝った者が土地と人質を得る。その論理は同じだ」
「ローマには法と同盟があります」
「彼にも部族の誓約と勝利がある」
カエサルは冷静だった。
自分と相手の共通点を理解している。
その上で戦う。
「では、なぜアリオウィストゥスは許されないのです」
俺が尋ねた。
「増え続けるからだ」
「ゲルマン人が?」
「土地を得れば、新たな集団を呼ぶ。ガリア諸部族を従わせ、さらに西へ進む」
「ローマも勢力を広げています」
「だから競争になる」
道徳ではなく、勢力。
どちらの支配が正しいかではない。
どちらが勝つか。
「アエドゥイ族を守るためでは?」
「それも理由だ」
カエサルは隠さない。
複数の目的。
同盟者救援。
属州防衛。
個人の名誉。
政治的利益。
ガリア支配。
一つだけではない。
「会談は失敗ですか」
「目的による」
「和平は成立しませんでした」
「彼が退かないことは確認できた」
「それだけですか」
「彼の騎兵が命令に従うこと。約束を破っても攻撃を拡大しないこと。私をその場で殺す覚悟まではないことも分かった」
会談中の挑発そのものを、敵の情報として見ている。
「こちらの弱点も見られました」
俺は言った。
「第十軍団の乗馬能力です」
ラビエヌスが苦い顔をする。
「戦えば下馬する」
「敵は、こちらの騎兵が不足していると知りました」
「すでに知っているだろう」
「確信したはずです」
カエサルは頷いた。
「だから、次は騎兵を避けて戦う」
「可能ですか」
「地形を選ぶ」
また、敵の強みを正面から相手にしない。
◇
「ルキウス」
「はい」
「負傷者は」
「重傷一。骨折三。軽傷十二。死亡なしです」
「会談の費用としては安い」
人間を費用として数える言葉。
以前なら強く反発したかもしれない。
今も不快感はある。
だが、完全には否定できない。
一つの会談で、敵の意図と能力を確認した。
「彼は、どのような男でしたか」
俺は尋ねた。
「アリオウィストゥスか」
「はい」
カエサルは少し考えた。
「私に似ている」
天幕の誰も口を開かなかった。
「ただし」
カエサルは地図上のゲルマン陣営を指した。
「彼の制度は、勝利と恐怖だけでできている」
「ローマは違う?」
「ローマには、私が死んでも残るものがある」
元老院。
法。
軍団。
道路。
属州制度。
税。
市民権。
共和国。
少なくともカエサルは、そう考えている。
俺は未来を知っている。
カエサルの死後もローマは残る。
だが共和国は形を変える。
そして今のカエサル軍も、彼個人に強く依存している。
「本当に、総督閣下がいなくてもこの軍団は動きますか」
口にすると、ラビエヌスが俺を睨んだ。
カエサルは笑わなかった。
「試してみるか」
冗談なのか。
脅しなのか。
その答えを聞く前に、伝令が入ってきた。
「アリオウィストゥス軍が移動を開始しました!」
「どちらへ」
「東です」
俺は地図へ目を落とした。
東。
ウェソンティオへ続く街道である。




