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カエサルの左腕 ~ 外傷外科医だった俺は、古代ローマで軍医参謀になった  作者: 東雲 諒杏
第四章 六百歩先の陣地

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第47話 アエドゥイ族の秘密

軍団が向かったのは、アエドゥイ族の中心地だった。

アリオウィストゥスと戦うには、まずガリア側の事情を理解する必要がある。

誰が敵なのか。

誰が味方なのか。

誰が、どちらにもなり得るのか。

ヘルウェティイ族との戦いより複雑だった。

総督の天幕には、ディウィキアクスをはじめ、複数のアエドゥイ族有力者が集められていた。

ドゥムノリクスの姿もある。

穀物輸送の遅延。

騎兵戦での敗走。

どちらにも関与を疑われながら、処罰されていない男。

実際に見るドゥムノリクスは、想像より若かった。

三十代半ば。

堂々とした体格。

明るい笑顔。

周囲の者へ気軽に声をかけ、身分の低い者にも親しげに接する。

天幕へ入る途中、給仕の少年の名を呼んでいた。

民衆から人気があるという話が、それだけで理解できる。

「あなたが、病と穀物を数えるローマ人か」

彼は俺を見るなり言った。

「その呼び方が広がりすぎています」

「悪い名ではない」

「あなたは、穀物を止める男と呼ばれていますか」

周囲の空気が凍った。

ディウィキアクスが目を閉じる。

ラビエヌスは露骨に不快そうな顔をした。

ドゥムノリクスだけが笑った。

「面白い」

「否定しないのですか」

「何を否定する」

「ローマ軍への穀物輸送を妨害したことです」

「証拠はあるのか」

「ありません」

「なら、なぜ聞く」

「本人の答えも情報だからです」

ドゥムノリクスは俺を観察した。

「私は穀物を止めていない」

「荷車所有者と会いましたね」

「会った」

「何を話しました」

「価格だ」

「軍への供給を遅らせるよう求めた?」

「高すぎる価格で売るなと言った」

予想外だった。

「なぜ」

「ローマ軍が高値で買えば、民が食べる穀物がなくなる」

筋は通っている。

戦争で価格が上がり、軍が大量購入すれば、地元住民が買えなくなる。

「では、ローマ軍への供給量を減らそうとした」

「民を飢えさせないためだ」

「軍が飢えれば、村から奪います」

「カエサルは軍紀を守らせるのだろう」

「完全には無理です」

「それはローマの問題だ」

立場が違う。

ローマ軍を維持する俺。

アエドゥイ族の住民を守るドゥムノリクス。

同じ穀物を見て、優先する相手が違う。

「事前に交渉できたはずです」

俺は言った。

「誰と」

「カエサル様と」

ドゥムノリクスの笑みが薄くなる。

「ローマへ許可を求めろと?」

「同盟軍への供給契約です」

「我々の穀物だ」

「ローマ軍は、あなた方の救援要請で動きました」

「兄が求めた」

ディウィキアクスの表情が痛む。

「民全体が求めたわけではない」

兄弟の亀裂が、はっきりと見えた。

兄はローマと協力し、外敵からアエドゥイ族を守ろうとする。

弟は、ローマの影響力が強まること自体を危険視する。

「ヘルウェティイ族を通したのも、同じ理由ですか」

俺は尋ねた。

「ガリアの民が、ガリアを通ることに、なぜローマの許可が必要だ」

「結果として、アエドゥイ領が略奪されました」

「彼らが約束を破った」

「予測できませんでしたか」

ドゥムノリクスの目から笑みが消えた。

「予測できたと言えば、満足か」

「事実を知りたいだけです」

「お前たちローマ人は、結果が悪ければ、最初から分かっていたはずだと言う」

父に言われたことと似ている。

結果を知った後なら、誰でも正しかったと言える。

「私は、ヘルウェティイ族が速やかに通過すると考えた」

ドゥムノリクスは言った。

「セクアニ族と人質を交換し、略奪を禁じた。彼らは新しい土地へ急いでいた」

「アエドゥイ族への誓約はなかった」

「必要なら、その時に結べばよいと思った」

「遅すぎました」

「そうだ」

彼は認めた。

「私の判断は誤った」

周囲が静まり返る。

ラビエヌスも意外そうだった。

「だが」

ドゥムノリクスは続ける。

「それでローマが正しかったことにはならない」

「どういう意味です」

「ローマは、我々を助けた」

「はい」

「その代わり、軍団を我々の土地へ入れ、穀物を買い、政治へ口を出し、誰が裏切り者かを決めようとしている」

俺の生存局も同じだ。

支援。

契約。

監査。

記録。

ローマの制度が、他民族の内部へ入り込む。

「お前たちは、問題が起きるたびに役人を増やす」

ドゥムノリクスは俺を見た。

「そして最後には、ローマなしでは何もできないと言う」

反論しにくかった。

十日前、俺はその役所へ、ローマ人だけの名簿を作ったところである。

◇

「では、アリオウィストゥスへどう対応するつもりです」

俺は尋ねた。

「ガリア人が解決する」

「すでに多くの土地を奪われています」

「ローマを呼び込めば、残った土地まで失う」

「戦って勝てますか」

「勝てないから、従うしかないと思わせることが、ローマのやり方だ」

ドゥムノリクスはカエサルを見た。

「違うか、総督」

カエサルは静かに笑った。

「勝てるなら、私を呼ぶ必要はない」

挑発でも自慢でもない。

事実として言っている。

ディウィキアクスが口を開いた。

「弟よ。アリオウィストゥスは我々の人質を取り、土地の三分の一を奪った」

「知っている」

「さらに別の土地を求めている」

「知っている」

「なら、どうする」

「ガリア諸部族をまとめる」

「誰が」

兄の問いに、弟は答えなかった。

自分が、と言いたいのだろう。

だが、まだその力はない。

「アリオウィストゥスは、ローマから王と認められた」

ドゥムノリクスが言った。

カエサルの表情がわずかに硬くなる。

事実である。

アリオウィストゥスは過去に元老院から「ローマ人民の友」と認められている。

今、カエサルはその男と戦おうとしている。

「昨日の友を、今日は敵と呼ぶのか」

「昨日の約束を、今日破る者なら」

カエサルが答えた。

「ローマに都合が悪くなったからでは?」

「アエドゥイ族の人質を返し、追加のゲルマン人を呼び込まず、土地を奪わないなら、戦う必要はない」

「従わないだろう」

「なら戦う」

単純で、強い。

◇

ドゥムノリクスは俺へ視線を戻した。

「数字の男」

「はい」

「アリオウィストゥスとローマ。どちらがガリア人を多く支配すると思う」

「分かりません」

「逃げるな」

「支配を人数だけで測れません」

土地。

人質。

税。

契約。

法律。

軍事駐留。

文化。

依存。

支配には複数の形がある。

「だから、記録するのか」

「はい」

「記録すれば、止められる?」

「少なくとも、起きていないふりはできません」

ドゥムノリクスは笑った。

「兄が、お前を気に入る理由が分かった」

「気に入ってはいない」

ディウィキアクスが言った。

「信用できるかもしれないと思っているだけだ」

「違いがありますか」

「大きい」

◇

会談は続いた。

アリオウィストゥスの兵力。

ゲルマン人移住者。

奪われた土地。

人質。

部族間の対立。

報告は一致しない。

ある者は十二万人のゲルマン人がいると言う。

別の者は七万人。

さらに増援が来ているという噂もある。

「数字が大きすぎます」

俺は言った。

「嘘だと言うのか」

アエドゥイ族の一人が反発する。

「確認が必要だと言っています」

「村が奪われている!」

「被害を否定していません」

「なら信じろ!」

恐怖が、数字を膨らませる。

被害を受けた者にとって、敵は実数以上に巨大に見える。

同時に、支援を得るため意図的に大きく伝える者もいる。

ヘルウェティイ族の名簿と、同じ構造だった。

「兵力だけでは足りません」

俺は言った。

「彼らがどこに住み、何を食べ、どの道から増援が来るかを調べます」

ドゥムノリクスが鼻で笑う。

「また穀物か」

「兵士も食べます」

「ローマ人は、どの戦争も最後は食料の話になるな」

「飢えた者は戦えません」

「飢えた民は戦うしかなくなることもある」

その言葉を木板へ記した。

◇

天幕を出たのは、夜も更けてからだった。

宿営地を歩いて自分の天幕へ戻る途中、まだ灯りの点いた幕がある。

こんな時刻に何を書いているのか。

何気なく覗き込んで、後悔した。

書いていたのは、若い従者だった。

蝋板の上に、家族の名前が並んでいる。

遺言だった。


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