第44話 人を救う役所
アウレンナ村の再建から十日後。
カエサルが視察へ来た。
護衛を伴い、馬で焼けた村へ入る。
村人たちは作業を止めた。
敬意ではない。
警戒である。
自分たちを破った将軍。
帰還を命じた支配者。
食料を与える者。
一人の人間に、複数の顔がある。どの顔を見るかは、見る側の立場で決まる。
カエサルは再建された井戸を見た。
共同炊事場。
仮住居。
病人用天幕。
村ごとの人口表。
「病人は」
「下痢患者は十一人から三人へ減りました。新規発症は昨日ゼロです」
「死亡者は」
「二人です」
「再建家屋は」
「仮住居を含め二十八。冬前に必要なのは最低六十です」
「間に合うか」
「現在の速度なら、ぎりぎりです」
「何が不足している」
「木材を加工する道具。牛。大工。屋根材」
「食料ではないのか」
「食料も不足します。ただし、建築が遅れれば冬に凍死者が出ます」
カエサルは村を見回した。
焼けた柱の間で、女たちが屋根材の葦を束ねている。子供が井戸から水を運んでいる。十日前まで、ここには腐敗した牛と十七体の遺体があった。
「一つの村で、これだけ必要か」
「すべての村が同じではありません」
「焼かれた村は数百ある」
「はい」
沈黙。
一つずつ俺が管理することはできない。
「ルキウス」
カエサルが言った。
「お前は何人に増えるつもりだ」
「増えません」
「なら、この方法は広がらない」
七日間の試験を受けた時から、繰り返される問題である。
俺が必要な制度では駄目だ。
「標準手順を作ります」
「また木板か」
「村の再建順序をまとめます」
安全な水。
遺体処理。
仮住居。
共同炊事。
病人隔離。
家屋再建。
種まき。
「各村へ一枚ずつ渡します」
「読めない者は?」
「絵を使います」
「誰が確認する」
「帰還責任者と、ローマ側の巡回担当者です」
「巡回担当者は何人必要だ」
計算する。
数百の村。
一人で五から十村を担当するとしても、数十人必要。
「最低四十人」
「軍団から出せと?」
「戦列復帰できない兵士を使います」
カエサルが俺を見る。
「そのための職務転換か」
「はい」
「文字を読めない者もいる」
「数字と記号を教えます」
「足を失った者は巡回できない」
「集積所で記録をまとめる役割へ」
「片腕の者は?」
「書ける手が残っていれば書記。難しければ倉庫管理や口頭報告の確認」
「目が見えない者は?」
答えに詰まった。
「すべての者へ役割を作れるとは限りません」
「なら、役に立たない者はどうする」
カエサルの問いは冷たい。
だが現実だった。この男は残酷なのではない。残酷な質問を先に自分でしておく人間なのだ。
「扶助します」
「誰が金を出す」
「ローマ軍、戦利品、属州税、本人が所属した軍団」
「一生か」
「重度障害なら」
「高くつく」
「兵士を使い捨てにすれば、徴募と訓練にも費用がかかります」
「比較したか」
「まだです」
「なら感情で話すな」
胸に刺さる。
扶助は人道的に正しい。
だがカエサルを動かすには、費用と効果も必要。正しさは、この天幕では通貨として使えない。
「計算します」
「期限は」
「十日ください」
「五日だ」
「七日」
「六日」
「承知しました」
カエサルが笑った。
「ラビエヌスとの交渉で学んだな」
◇
村の中央へ戻ると、カエサルは木板の一枚を手に取った。
そこには人口、食料、病人、再建状況が記されている。
その一番下に、俺が三日前に足した欄があった。
出産数。
生存した母。
生存した子。
「これは何だ」
カエサルが指す。
「出産の記録です」
「軍と関係ない」
「村の人口が回復するかどうかを決めます」
「誰が記録している」
答える前に、少し離れた場所から声がした。
「私」
アリアだった。
血の匂いのする手を洗い終えたばかりの、格子縞の外套の女が、ローマの総督の前へ普通に立っていた。護衛が半歩前へ出る。カエサルが手で制した。
「名は」
「アリア」
「部族は」
「アエドゥイ」
「同盟部族の者が、なぜここにいる」
「病人がいるから」
短い答えだった。
カエサルはしばらくその顔を見ていた。値踏みしている時の目である。俺が最初にこの目で見られた時、背中に汗が流れた。
「ローマは、お前の部族の友人だ」
「そう聞いています」
「不満か」
「友人は、麦の代金を払うものだと思っていました」
天幕の外の空気が、はっきりと止まった。
ティロが青くなり、通訳が言い直そうとした。アリアはそれを片手で止めた。
俺は口を開きかけた。
だが、その前にカエサルが言った。
「払っていないのか」
「私の村では」
「量は」
「三度。二度目からは、書き付けもありません」
カエサルは書記を振り返った。
「アエドゥイ族からの受領記録を出せ。支払い済みと未払いを分けろ」
「……分ける欄がございません」
「作れ」
それだけだった。
謝罪はなかった。同情もなかった。この男は、目の前に指摘された欠陥をその場で直す。それが誠実さなのか、単に有能なだけなのか、俺には今も分からない。
カエサルはアリアへ視線を戻した。
「お前は数を数えるか」
「数え方を教わっているところです」
「誰に」
アリアは俺を見た。
「この人に。代わりに、こちらの作法を教えています」
「取引か」
「ええ」
「よい取引だ」
カエサルは初めて、わずかに口の端を上げた。
「続けろ」
◇
カエサルは井戸の縁へ手を置いた。
「これを全村で集めるのか」
「はい」
「誰がまとめる」
「中央の集積所です」
「誰が見る」
「帰還支援の責任者」
「誰だ」
また答えがない。
今は俺が見ている。
だが、俺は軍団とともに次の戦いへ行く。
「役職を作る必要があります」
「軍医幕僚の次は、村役人か」
「公衆衛生と再建の担当です」
「公衆衛生?」
この時代のラテン語で完全に対応する言葉はない。
俺は説明した。
「一人の患者ではなく、村や都市全体の健康を守る仕事です」
「医師か」
「医師だけではありません。水、便所、食料、住居、病人の記録を扱います」
「工兵と書記と医師を混ぜたようなものか」
「その通りです」
カエサルは村の井戸を見る。
「軍には置ける」
「民間にも必要です」
「ローマのすべての町へ置くつもりか」
「将来的には」
「お前の将来は、ずいぶん忙しいな」
「私一人では行いません」
「なら誰が」
「育てます」
医師。
衛生担当。
書記。
工兵。
商人。
一つの専門家ではなく、複数の知識を持つ実務者。
「学校でも作るか」
カエサルの冗談のような言葉に、胸が動いた。
学校。
医学校。
衛生担当者の教育。
記録者の訓練。
今はまだ遠い。
だが、制度を残すには教育が必要である。
「いずれは」
俺は答えた。
カエサルの笑みが消えた。
「本気か」
「はい」
「戦争中だぞ」
「戦争中だから必要です」
負傷者。
感染症。
避難民。
焼けた村。
平時より必要性は高い。
「誰を入れる」
「学びたい者を」
「ローマ市民でなくとも」
俺は答える前に、少し離れた井戸のほうを見た。
血に汚れた手を桶で洗っていた女が、こちらを見ずに水を替えている。
「はい」
カエサルは何も言わなかった。
否定もしなかった。
それが、この日の最も重要な出来事だったと、俺は後になって理解する。
◇
「まず、この帰還支援を仕組みにしろ」
カエサルは言った。
「名前は?」
「まだありません」
「名前のない役所へ、人は従わん」
少し考える。
「再建・衛生局」
「長い」
「帰還管理所」
「弱い」
「民生医務所」
「医務だけではないのだろう」
確かに。
カエサルは木板へ目を落とした。人口。食料。病人。出産数。生存した母。生存した子。
「生存局」
「何ですか、それは」
「お前は生き残った者を数えるのだろう」
冗談半分に聞こえる。
だが、悪くない。
「正式な名称は後で考えます」
「では、仮に生存局と呼べ」
「総督閣下が命名したことになります」
「嫌なら別の名を出せ」
思いつかない。
「生存局で構いません」
こうして、ローマ史上おそらく初めての、戦後復興と公衆衛生を兼ねた臨時組織が生まれた。
正式な法令もない。
建物もない。
予算も曖昧。
職員は負傷兵と書記、衛生担当者、そして数人の現地治療師。
責任者は俺。
「また私ですか」
「今、他に誰がいる」
いつもと同じ答えだった。
「補佐が必要です」
「選べ」
「権限は」
「必要な範囲で与える」
「必要な範囲とは」
「問題が起きた時に決める」
曖昧すぎる。
「文書にしてください」
カエサルが眉を上げた。
「私に命令書を書けと?」
「現場で説明するためです」
「私の口頭命令では足りないか」
「総督閣下がいない場所では、疑われます」
カエサルは書記を呼んだ。
短い命令書を作らせる。
帰還者の食料。
衛生。
村の再建。
人口記録。
負傷兵の職務転換。
これらを調整する臨時担当として、ルキウス・アエリウスを置く。
「満足か」
「組織図も必要です」
「調子に乗るな」
それでも、カエサルは笑っていた。
人を救う役所。
まだ、木板一枚から始まったばかりである。
◇
その夜、俺は生存局の最初の記録を作った。
一枚目の表題は、カエサルが名付けたとおりにした。
生存局。
二枚目に、担当する者の名を並べる。
書記が二人。
負傷して戦列を離れた兵士が六人。
倉庫番が一人。
医師が一人。
俺。
十一人。
書き終えて、しばらく板を見ていた。
十一人とも、ローマ人だった。
この局が扱うのは、十万人以上のヘルウェティイ族である。




