第42話 帰還の道
帰還者の列は、ローマ軍の行軍より長く、遅かった。
戦士だけなら、一日に二十ローマ里以上進める。
だが今、歩いているのは民族全体である。
老人。
子供。
負傷者。
牛。
羊。
壊れかけた荷車。
失われた家財の代わりに、ローマ軍から渡された穀物袋。
列の先頭が丘を越えても、最後尾はまだ前の谷にいる。二十万近い人間が三十万で出発し、その差が、そのまま道の上に空いた穴として残っていた。
一日の移動距離は、最も遅い者によって決まる。
「この速度では冬に間に合いません」
帰還計画を担当する書記が言った。
「現在は夏です」
「家を建て、畑を整え、冬の食料を準備する時間が必要です」
その通りだった。
ただ故郷へ着けばよいわけではない。
到着後に暮らせなければ、再び移動する。移動する民族が生まれる仕組みを、俺たちは今また作りかけている。
「集団を分けます」
俺は地図を広げた。
「歩ける成人と荷車の少ない村は先行する。故郷で井戸、仮住居、食料倉庫を準備させます」
「家族を分けるのですか」
ティロが尋ねる。
ディウィコに問われたことを思い出した。
お前の家族を、三つの土地へ分けられるか。
あの老人の声は、まだ耳に残っている。
「同じ土地へ向かう一時的な分離です」
「それでも嫌がるでしょう」
「希望者だけにします」
「希望者がいなければ?」
「報酬を示します」
先行隊へは追加の食料。
道具。
帰還後の土地割り当てで優先権。
「土地をローマが与えるのですか」
「元の村の土地です」
「誰がどこを所有していたか、記録が残っていますか」
また問題が出る。
焼かれた村。
失われた境界。
死亡した家族。
相続。
土地争いが必ず起きる。
境界石も、証文も、それを覚えている老人も、この三か月で焼けるか死ぬかしている。
「村の記憶に頼ります」
「有力者が広い土地を自分のものだと言えば?」
「複数の家族から証言を取ります」
「全員が嘘をつけば?」
「完全には防げません」
ティロは、もう驚かなかった。
「それでも進めるのですね」
「進めなければ、全員が野外で冬を迎えます」
不完全な決定。
それでも決める。
カエサルから学んだことだった。学びたくて学んだわけではない。
◇
先行隊の募集には、予想以上の者が集まった。
自分の村を早く見たい者。
家族のために家を準備したい者。
追加食料を求める者。
ローマ軍の監視から少しでも離れたい者。
動機は一つではない。同じ列に並んでいても、並ぶ理由は一人ずつ違う。それを一つの数字にまとめる作業を、俺は毎日している。
「武器は持たせません」
ラビエヌスが言った。
「狼や盗賊に襲われます」
「護衛を付ける」
「何人」
「ローマ兵百人」
「数千人の先行隊に百人ですか」
「多くすれば本隊の戦力が減る」
「ヘルウェティイ族の中から護衛を選びます」
ラビエヌスの顔が険しくなる。
「武装させるつもりか」
「限定した数だけです」
「昨日降伏した者だぞ」
「故郷への道を知っているのは彼らです」
「逃げる」
「家族を本隊へ残します」
人質に近い。
自分で提案しながら、不快感がある。昨日、将校の人質案に反射的に顔を上げた自分は、どこへ行ったのか。
「彼らを信用するのではありません」
俺は言った。
「逃げにくい条件と、戻る利益を作ります」
「ずいぶん軍人らしくなった」
ラビエヌスの言葉は、褒め言葉に聞こえなかった。
「必要な範囲です」
「必要という言葉は便利だ」
胸に刺さる。
手術でも戦争でも、必要という言葉で多くを正当化できる。前の人生で、俺は「必要な処置です」と言って何度も家族を黙らせた。あれは説明ではなく、説明の打ち切りだった。
「武器は弓と狩猟槍のみ。人数を登録し、毎日確認します」
「剣は?」
「持たせません」
「盾は?」
「簡単なものだけ」
「反乱したら?」
「ローマ兵が対応します」
「百人で数千人を?」
「先行隊へ参加できるのは、村ごとに選ばれた者だけです。家族を残し、追加配給を受け、帰還準備の責任を負う」
反乱する利益を減らす。
秩序を守る利益を増やす。
完全な安全ではない。
「カエサル様の許可を取れ」
ラビエヌスは言った。
◇
カエサルは地図を見るより先に尋ねた。
「何人へ武器を返す」
「一村五人から十人。全体で五百人以内です」
「多い」
「先行隊は数千人です」
「二百」
「足りません」
「三百」
「四百」
カエサルが俺を見る。
「交渉するようになったな」
「必要数です」
「三百五十」
「承知しました」
決まった。
「誰を選ぶ」
「村の代表とローマ側担当者の双方が認めた者です」
「元戦士ばかりになる」
「狩猟経験が必要です」
「反乱経験もある」
「家族を残します」
カエサルの目が冷たくなる。
「家族を人質と呼ばないのか」
「本人たちへは、そのように説明しません」
「言葉を変えても事実は変わらん」
「分かっています」
「本当に?」
答えられなかった。
カエサルは許可を出した。
「先行隊を使え。ただし、毎日の人数報告を欠かすな」
「はい」
「一人でも武器を持って逃げれば?」
「その村の武装者を解除します」
「家族への食料は?」
「減らしません」
「甘いな」
「逃亡者の家族を罰しても、本人は戻りません」
「他の者への警告にはなる」
「恨みも残ります」
カエサルは少し笑った。
「お前は、恨みを数字にできるか」
「できません」
「なら、どれほど残るか分からん」
「分からなくても、存在はします」
「よい」
カエサルは許可証へ印を押した。
「試してみろ」
◇
先行隊の名簿を作っている時、ティロが妙な報告を持ってきた。
「アエドゥイ族の女が、先行隊へ加わりたいと言っています」
「治療師のことですか」
「ご存じでしたか」
昨夜の天幕を思い出した。黒に近い蜂蜜と、包帯を巻く速い手。
「なぜ先行隊へ」
「焼けた村には薬草がない、と」
俺は名簿を置いて、彼女を探した。
アリアは荷車の横で、乾いた草を束ねていた。俺が近づくと、手も止めずに言った。
「断るなら早くして。荷造りをやり直すから」
「なぜヘルウェティイの村へ行くのです」
「行かないと、そこで人が死ぬから」
「あなたの部族ではありません」
「ええ」
「彼らはアエドゥイの畑を踏んで通った。家畜も奪われたはずです」
アリアの手が止まった。
「奪ったのは彼らだけ?」
俺は答えなかった。
ローマ軍も、この三か月アエドゥイ族から穀物を取り立て続けている。同盟部族という名の、無償に近い供給源として。
「あなたたちは同盟者から取る。彼らは通り道で取る」
アリアは草の束を荷車へ載せた。
「取られた側から見れば、どちらも同じ」
「同じではありません。ローマは対価を払います」
「払われた家を知ってる?」
言葉に詰まった。
俺の作った兵站表には、アエドゥイ族から受領した穀物の量が書いてある。支払われた対価の欄はない。作らなかった。誰も作れと言わなかった。
「……調べます」
「調べる前に、村が冬を迎える」
彼女は初めてこちらを向いた。
「あなた、患者を待たせるの」
反論できなかった。
「先行隊への同行を認めます」
「ありがとう、とは言わない」
「結構です」
「一つ条件がある」
来た、と思った。この土地の人間は、ローマ人よりよほど交渉が上手い。
「私はヘルウェティイも、アエドゥイも、ローマ兵も診る」
「当然です」
即答したつもりだった。
だがアリアは、そこで初めて、わずかに眉を動かした。
「即答したわね」
「医療に敵味方はありません」
「では聞くけれど」
彼女は俺の後ろ、赤い外套の兵士たちを見た。
「その言葉、あなたの総督の前でも同じ速さで言える?」
言えなかった。
戦場でローマ兵の治療を後回しにすれば、俺の制度そのものが止まる。俺は毎日、敵の負傷者を後回しにする規程を運用している。それを書いたのは俺自身だ。
「……状況によります」
「正直ね」
アリアは荷車の縄を締めた。
「嫌いじゃない。信用もしないけど」
◇
先行隊が出発した。
ローマ兵。
ヘルウェティイ族の案内人。
村の代表。
大工。
井戸を掘れる者。
負傷して戦列へ戻れないローマ兵の書記。
そして、格子縞の外套を着た若い治療師が一人。
その中に、脚を切断した少年の母親もいた。
少年は医療用荷車で本隊と進む。
母親は先に村へ戻り、住む場所を準備することを選んだ。
「息子と離れるのが怖いと言っています」
通訳が伝えた。
「私たちが診ます」
「ローマ人を信じろと?」
母親の目は冷たい。
息子の命を救った。
それでも、信頼されたわけではない。
当然だ。
俺は彼女の民族を追い、戦争を支え、降伏後の制度を作っている。救った手と、追った手は同じ手である。
「信じなくて構いません」
俺は答えた。
「毎日、傷の状態を記録します。先行隊へ届く報告にも入れます」
「数字を見れば安心すると思うの?」
「いいえ」
ナンメイウスの言葉を思い出す。
子供の泣き声は、木板へ書けるか。
「ですが、嘘をついたかは確かめられます」
母親は長く俺を見た。
「息子を生かして」
「最善を尽くします」
「その言葉は嫌い」
「なぜです」
「助からなくても、自分は悪くないと言える言葉だから」
胸を突かれた。
医師が使う最善という言葉。
誠実さでもあり、逃げでもある。前の人生では、それが定型句だと誰も指摘しなかった。指摘されないうちに、俺はそれを何百回も使っていた。
「生かします」
俺は言い直した。
保証できない。
それでも彼女が求めているのは、医学的に正しい説明ではない。
覚悟だ。
母親は頷かなかった。
ただ息子の額へ口づけし、先行隊へ加わった。
列が動き始める。
帰還の道。
故郷へ近づく道。
同時に、ローマの監視と制度が彼らの生活へ入り込む道でもある。
俺は先行隊の後ろ姿を見ながら、木板へ数字を書いた。
先行隊、二千百人。
武装を許した者、三百五十人。
家族を本隊へ残した者、三百五十人。
下の二行は、同じ人間を数えている。
一行目を書いた時、俺はそれを許可と呼んだ。
二行目を書いた時、別の名前が付いた。




