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カエサルの左腕 ~ 外傷外科医だった俺は、古代ローマで軍医参謀になった  作者: 東雲 諒杏
第3章 追う者も飢える

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第28話 勝利の数え方

第28話 勝利の数え方


戦いは終わりました。


ローマ軍は勝利しました。


しかし、勝利とは何を数えれば分かるのでしょうか。


敵の死者数か。


捕虜の数か。


味方の損害の少なさか。


それとも、生き残った者たちがこの後どうなるかまで含めるべきなのか。


主人公は、戦場に残された死者と負傷者を前に、「勝利の数字」と向き合います。


どうぞお楽しみください。

死体の数え方で、最初の口論が起きた。

戦闘の翌朝である。

カエサルは損害報告を求めた。

敵の死者。

捕虜。

逃走者。

鹵獲した荷車。

家畜。

武器。

ローマ側の死傷者。

通常の軍事報告である。

だが、数字は混乱していた。

同じ死体を複数の部隊が数えている。

川へ流された者は不明。

捕虜として連れてこられた後、逃げた者もいる。

負傷者の中には、夜間に死亡した者がいる。

「敵の死者は一万以上です」

一人の百人隊長が報告した。

「根拠は」

俺が尋ねる。

「戦場を見れば分かる」

「数えたのですか」

「おおよそだ」

別の指揮官が言った。

「二万はいる」

「同じ範囲を見ましたか」

「私の部隊の前だけで数千だ」

誇張が混じっている。

勝利した部隊は、自分たちの戦果を大きく報告したい。

昇進。

褒賞。

名誉。

数字には動機がある。

「区画を分けて数えるべきです」

俺は提案した。

「戦場を複数に区切り、各区画を一つの担当班だけが数える。すでに数えた遺体へ印を付ける」

「敵の死体を一つずつ数えるのか」

ラビエヌスが尋ねた。

「正確さが必要なら」

「兵士をそんなことに使うのか」

「何のための数字かによります」

「勝利を報告するためだ」

「なら、誇張のない数字の方が信用されます」

カエサルが俺を見る。

「ローマでは、大きな勝利ほど歓迎される」

「大きく見せるために増やすのですか」

天幕内の空気が冷えた。

カエサルは怒らなかった。

「報告は政治でもある」

「事実ではなく?」

「事実の伝え方だ」

それは現代でも同じだった。

死亡率が一〇%減った。

生存率が九〇%から九一%へ上がった。

相対値と絶対値。

期間の切り取り方。

比較対象。

同じ結果でも、表現で印象は変わる。

「嘘ではない範囲で、意味を選ぶ」

カエサルは言った。

「お前も、赤痢患者が減った時に、最も分かりやすい数字を示しただろう」

否定できない。

俺は新規発症者数を並べた。

死亡率ではなく、目に見えて減った数字を使った。

相手を説得するためである。

三度書き直した木板は、説得のための道具だった。

「では、敵の死者を大きく報告するのですか」

「まだ決めていない」

カエサルは机上の報告を見た。

「まず、知りたい」

公表する数字と、意思決定に使う数字は別。

その意味を理解した。

内部では正確さが必要。

外部への報告では、政治的効果が考慮される。

だが二つが混ざれば、組織は自分の宣伝を事実と信じ始める。

「内部記録と公表記録を分けるべきです」

俺は言った。

「二つの真実を作るのか」

ラビエヌスが尋ねた。

「違います。目的を分けます」

「どう違う」

「内部記録は、次の行動を改善するためのものです。推計方法、誤差、確認できない人数も残す」

「公表は?」

カエサルが聞く。

「総督閣下が決めることです」

逃げたような答えだった。

だが、政治宣伝に関する最終責任はカエサルにある。

「ただし」

俺は続けた。

「内部記録を、公表する数字へ合わせて書き換えるべきではありません」

「なぜだ」

「次の戦いで、敵兵力を誤認するからです」

敵を三万人倒したと発表する。

その数字を本当に信じれば、残存戦力を過小評価する。

政治的成功が、軍事的失敗を生む。

カエサルはしばらく黙っていた。

「二つ作れ」

「はい」

「一つは、確認可能な損害報告。もう一つは、元老院と民衆へ送る戦勝報告だ」

「公表内容も私が?」

「草案だけだ。言葉は私が選ぶ」

背筋が冷えた。

俺が書いた数字が、二千年後の人々に史実として読まれるかもしれない。

そして未来の高瀬真一が、その数字を学ぶ。

時間が輪になったような感覚だった。

「敵側の非戦闘員死者も記録します」

俺は言った。

ラビエヌスの顔が険しくなる。

「必要か」

「全体の損失を知るためです」

「戦力ではない」

「移住集団の規模と、残りの食料消費へ影響します」

軍事的理由を示す。

それだけではなかった。

名前も分からず死んだ人々が、戦士の数からも除外されれば、本当に何も残らない。

「記録しろ」

カエサルが言った。

「ただし、その数字は公表しない可能性がある」

「承知しました」

天幕を出ると、ディウィキアクスが待っていた。

アエドゥイ族の代表として戦後状況を確認しに来たらしい。

「勝利したそうだな」

「はい」

「何人死んだ」

「まだ分かりません」

「ローマ人にしては珍しい。勝った数をすぐ言わない」

皮肉ではなく、疲れた声だった。

「あなた方の敵も減りました」

俺が言うと、ディウィキアクスは川岸を見た。

「敵か」

「違うのですか」

「我々の村を襲った。民を殺した。穀物を奪った」

「なら敵です」

「だが同じガリア人でもある」

彼は静かに言った。

「ローマ人には理解しにくいだろう」

「ローマ人同士も争います」

未来の内戦を思い浮かべる。

カエサルとポンペイウス。

ラビエヌスの離反。

同じ軍団で戦った者たちが殺し合う。

「そうだったな」

ディウィキアクスは微笑んだ。

「勝利の数え方を考えていると聞いた」

「誰からです」

「カエサルの天幕は、壁ほど秘密を守らない」

耳が早い。

「あなたなら、どう数えますか」

「我々の村へ戻った家族の数を数える」

予想外だった。

「敵の死者ではなく?」

「死者が多くても、村が戻らなければ敗北だ」

成果指標が違う。

カエサルは敵軍の撃破を数える。

アエドゥイ族は村の回復を数える。

俺は救えた患者を数える。

同じ戦争でも、勝利の定義は立場によって変わる。

そして誰も、自分の定義が偏っているとは思っていない。

俺は戦場へ向かった。

区画を分ける。

担当を決める。

印を付ける。

敵の死者。

味方の死者。

捕虜。

負傷者。

失われた荷車。

生き残った家族。

数え終える頃には、日が傾いていた。

ディウィキアクスは、まだ川岸にいた。

俺の木板を見て、それから俺を見た。

「お前は、何を数える」

答えられなかった。

患者の生存。

軍団の戦力。

戦争の短縮。

非戦闘員の被害。

制度の改善。

どれを一番上の行へ書くか、まだ決められない。

決めた瞬間に、何かを下へ落とすことになる。

「分からない顔だ」

「はい」

俺はそのまま、日が沈むまで川岸に立っていた。


第28話をお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、戦闘後の損害集計と「勝利の数え方」がテーマでした。


戦争では、勝利を示すために数字が使われます。


敵を何人倒したのか。


何人捕虜にしたのか。


どれだけの武器や荷車を得たのか。


しかし、その数字は常に正確とは限りません。


同じ死体を複数の部隊が数えることもあります。


戦果を大きく見せたい者もいます。


逆に、都合の悪い数字を隠したい者もいます。


主人公はここで、内部記録と公表記録を分ける必要を感じます。


内部記録は、次の判断を誤らないためのもの。


公表記録は、政治的に使われるもの。


この二つが混ざると、組織は自分の宣伝を事実だと思い込んでしまいます。


また、ディウィキアクスの言葉も重要でした。


敵の死者ではなく、村へ戻った家族の数を数える。


立場が違えば、勝利の定義も変わります。


次回、第29話。


対岸から、ヘルウェティイ族の使者ディウィコが現れます。


【ローマ豆知識㉖ 戦果報告と政治】


古代ローマでは、将軍の戦果は政治的な意味を持ちました。


大きな勝利を収めた将軍は、ローマ本国で名声を高め、政敵に対して優位に立つことができます。


そのため、戦果報告は単なる事務記録ではありませんでした。


敵を何人倒したか。


どれだけの捕虜を得たか。


どれほど危険な敵に勝ったのか。


それらは、将軍の評価に直結します。


カエサルの『ガリア戦記』も、軍事記録であると同時に、ローマ市民や元老院へ向けた政治的な文章でした。


本作では、主人公が内部記録と公表記録の違いに気づくことで、「数字」と「権力」の関係を描いていきます。

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