見えないものを見ようとするな(一)
またしても小汚い雑居ビルへ。
出迎えたチヨダの表情は今日も死んでいる。
こいつはなにが楽しくて生きているんだろう。人生にひとつでも楽しみがあるのだろうか。仕事で成果をあげること以外、あらゆる目標を削ぎ落されているのでは? ま、そうなってしまったら、人間もう元へは戻れない。なにか言うだけ野暮なのかもしれない。
「手の調子はどうだ?」
声は後ろから聞こえてきた。
またスターゲイザーだ。時間を止めて入り込んだのだろう。リスクがないからといってやりたい放題だ。
俺は溜め息を禁じえなかった。
「ええ、おかげさまで。しかし毎度毎度、急ですね……」
「事前に通告したところで、動きづらくなるだけだからな」
「……」
正論カマしてきやがって。
そりゃそうなんだが、俺が言いたいのはもっと根本的な……。いや、いい。俺がどう思うかは関係がない。こいつのやりたいようにやらせるしかないのだ。
彼は遠慮もなくデスクに腰をおろした。
ぴくりとも動かないチヨダの目の前へ。
「前回は現場まで向かったが、今回は趣向を変えてみた。じつは危なかったんだ。君たちと一緒に閉じ込められるところだったんだからな」
「すみません」
「いや、君が謝るようなことじゃない。悪いのは上なんだからな」
それもそうだ。
閉じ込められたのは俺たちも同じ。
あの程度のシャッターなら、たとえばオルガンの斬撃か、俺のエネルギー弾で突破できたかもしれないが。いや、俺がやっても小さな穴が空くだけで、人は出られそうにないから、やはりオルガン頼みになるか。
スターゲイザーはすっとメガネを押し上げた。
「前回の件で、なにか質問は?」
「質問だらけですよ。ファットマンは、なぜターゲットにされたんです? 単に『B級だから』とは思えないんですが」
「その直感は正しい。単にB級というだけなら、行政が合法的に対処する。しかし彼は、深海に手を出していた」
人間を超人に変える薬物に、なんらかのアレンジが加わったもの、だったか。
「まあクスリが欲しいなら合法にしとくべきだとは俺も思いますけどね。でも、命を奪われるほどのことですか?」
「命を奪われるほどのことなのだよ。深海のユーザーは、能力が不安定だと言っただろう? ちょっとした刺激でゼノスになってしまうんだ」
なってしまう?
他人事みたいに言いやがる。
「あんたがなにかしたんじゃないんですか?」
俺の問いに、彼はすました顔で肩をすくめた。
「なにか? ああ、したとも。だが、こう考えてみてはどうだ? 彼が日常生活の中でゼノスに深化したら、計り知れない被害が出てしまう。ところが閉所ならどうだろう? 被害は最小限に抑えられる。私はね、この社会の治安維持に手を貸したんだ。今日もそうなる」
今日も……。
まあそうなんだろう。
だからここに集められたのだ。
「どうやって超人をゼノスに変えるんです?」
彼は不敵な笑みを浮かべた。
「しいて、いかがわしい言葉を使おう。波動だよ」
「波動?」
うさんくさい文脈でしか聞いたことのない言葉だ。
まともなのは波動関数くらいか。中身はさっぱり分からないが。
「簡単に言えば電磁波だ」
「電磁波? え、電磁波? そんなもので、超人をゼノスに?」
まあ一口に電磁波といっても、周波数によって性質はさまざまだが。
いったいどんな電磁波を……?
「安心したまえ。電磁波による深化は、三流の超人でしか起こらない。現に、あの場には電磁波が発生していたが、君たちはゼノスになっていないだろう?」
その通りだ。
俺たちは変化していない。
「その前に確認したいんですが、ゼノスって人間なんですか?」
「大抵はそうだな。人間以外でも深化する可能性はあるが、ごくまれだ」
じゃあ、離島で俺たちがぶっ殺していたゼノスは……。
頭の中で、点と点が勝手につながってしまう。
事実でなければいいが。
「スターゲイザーさん、なんでそんなに詳しいんですか?」
「もちろん調べたからだよ」
「どうやって?」
「あらゆる手段を使って」
時間を止めてでも、か。
なら、俺たちでは手に入らない情報も、好きなだけ取り放題というわけだ。
彼は仕切り直しとばかりに肩をすくめた。
「質問タイムはここまでにしよう。今日も同じことが起こる。なぜか? 君ならすでに予想を立てているだろう。言ってみたまえ」
「どうせ深海を売るとかウソをついて、上が誘導するんでしょ? で、例の電磁波を浴びせる」
「そう。典型的な囮捜査だ。君には簡単すぎたな。しかし安心していい。君たちの組織は、実際には深海をサバいてはいない。ああ、サバくなんて言葉は少し下品だったかな。ともかく、流通させているのは別の組織だ」
そこは少しほっとする点だが。
「上は、あんたらがサバいてると思ってますよ。仲間を増やすためにね」
「本気でそう思うのか?」
失望したような表情。
違うのか?
「データがなさすぎて、判断できませんよ」
「残念だな。判断材料となるデータは、すでに提示されているはずなのだが」
「たとえば?」
「考える前に答えを聞くのか?」
「もし時間を止めることが許されるなら、いまからたっぷり時間をかけて妄想しますけどね」
俺のこのジョークに、彼はすっと真顔になった。
「笑えないジョークはやめたまえ。答えを言う。それは、君だ」
「はい?」
「私がスカウトしているのは君だけ。つまり私は、能力を厳選した上で仲間に誘っているのだ。そんな私が、三流の超人を増やして喜ぶと? ちょっとつついただけでゼノスになるような超人を?」
「それは一理ありますが」
いや、一理どころか、三千理くらいある。
あるいは分母を増やした上で、俺と同じ能力者を探し出してスカウトするという手もある。しかし仮に俺と同じ能力が見つかったとして、電波でゼノスになってしまうなら、きっとスターゲイザーの採用基準を満たさないだろう。
彼はかすかに息を吐き、静かにこう告げた。
「一連の下品な仕事は、別の組織がやっていることだ」
「別の組織?」
「なんでもいい。私は、彼らの活動には興味がない。協力関係でもない。ただ利害が衝突していないから、争いになっていないだけだ。特に気にするような存在ではない。いまのところはな」
きっと本心なんだろう。
この男は、自分の目的にしか興味がなさそうだ。
だが、最後に付け加えた「いまのところは」という言葉……。いつかは気にする必要が生じるかもしれない、ということだろう。しかも個人ではなく組織。そいつは行政と対立している。違法薬物を販売しているくらいだから、反社会的存在なのは間違いない。
スターゲイザーはデスクから腰を上げた。
「そういえば、まだ本題を伝えていなかった」
「本題?」
そんなものがあるのか?
いまのところ、謎めいた言葉遊びしか聞かされていないのだが。
「この仕事、君は初参加だと思うが、じつは以前も実施されていてね」
「そんな気はしてました」
「前回はゼロとオルガン、そして君たちのボスであるロドリゲスと、もう一人が参加していた」
「誰です?」
「アイアンメイデン。痛覚の超人だ」
聞いたことのない名前だ。
じつのところ、俺は評議会に入ってからまだ一年も経っていない。以前の活動についてはまったく知らないのだ。
「痛覚の超人?」
いったいどんな才能を強化されているのだろう?
名前からするとあまりポジティブなイメージを持てないのだが。
「痛覚とはいうが、要はあらゆる感覚が鋭敏化していると考えてくれ。空気になでられただけで激痛に苦しめられる」
「それでも超人なんですか?」
「能力の拡張は、必ずしも当人にとって都合のいいものばかりとは限らないのだよ。そのことは、君だってよく理解しているだろう」
「正しく理解しているかは……」
俺は苦悩していない。
簡単にカタをつけてしまった。
痛覚と違ってコンロトール可能だし。
「とにかく、前回の作戦で、彼女は戦闘不能になってしまった。肉体的なダメージは回復したものの、精神的なダメージは回復しなかった。それで、病院でも扱いきれなくなり、我々が引き受けた」
「引き受けた? 合法的に?」
俺の問いに、彼はなんとも言えない笑みを浮かべた。
「細部については知らなくていい。とにかく、彼女はいま私たちのメンバーになっている」
「お気の毒ですが……。けど、その話が、今回の件とどんな関係が?」
本題というからには、関係があるはずだ。
スターゲイザーは乱れてもいないネクタイを整えた。
「鋭敏化しているのは痛覚だけではない。視覚、聴覚など、およそありとあらゆる感覚が人類を超越している。だから、見えるのだよ。我々には見えないものまでね」
「なにを見たんです?」
彼はもったいぶるようにふっと笑った。
「答えは教えない。だが、ヒントだけやろう。君たちが隔離されていた離島、なにかいるぞ」
「……」
いるんだろう。
頻繁にゼノスが乗り込んでくる。つまり、かつて超人だった連中が、なにか目的をもってあそこを狙っているのだ。なにもないわけがない。
「ああ、勘違いしないでくれ。仲間になってくれたら教える、なんて姑息なことは言わない。仮に仲間であっても、必要がなければ教えない。これは一連の騒動の根幹にかかわる情報だからな」
「たぶんですけど、それって本部ビルの地下にあるんじゃないですか?」
「ご明察。だが、入ることはできまい。そこは限られた人間しか入ることのできないエリアだからな」
「で、あなたはそこに入った、と?」
「いや」
即答で否定された。
どういうことだ?
入っていない?
俺が尋ねるより先に、スターゲイザーはこう続けた。
「入る必要がないのだよ。いや、入ったところでなにもすることがない、というべきか。なにがあるかは分かっているのだから、私にとってはそれで十分なのだ。君も好奇心に駆られて覗いたりしないように。あそこにはリスクしかない」
「うぇぇ」
そんなことを言われたら、余計に行きたくなるじゃないか。
答えを教えてくれないと。
「ともあれ、我々はすべて分かった上で行動している。そこらの愚昧な連中と一緒にしないでくれ」
「あなたがたは権力を欲してるだけだって、博士は言ってましたけど」
俺の問いに、彼は面食らったような顔をした。
「ふん。そう言ったのか? 彼が? 人体の改造にしか興味のない男が? 彼は確かに天才なんだろう。自分の専門分野においてはね。しかし専門外のことに関しては、そこらの小学生にも劣るレベルだ。真に受けないほうがいい」
ひどい言われようだ。
だが、まあ、俺もいくらか同意はできる。
ダージャー博士は、少なくとも倫理面においては子供レベルだ。自分の仕事ができるなら、人体をどういじってもいいと考えている。
「もちろん我々は権力を欲している。その事実は否定しない。だが、なぜ権力を欲するのかまで考えて欲しいところだな。富を得るためにやっているわけじゃない。だいたい、私の能力があれば、富の収奪など造作もないことなのだ」
もちろんそうだろう。
スターゲイザーが気分よく演説を始めたので、こちらも乗ることにした。
「では、なんのために?」
「生存だよ。超人が、少なくとも旧人類と同等のレベルで生存できる世界を作ること。そしてこの理念を徹底し、受け入れないものを罰すること。過分な要求ではないと信じているがね」
「仰る通り」
いまの俺たちの扱いもひどいものだ。
留置所に監禁されて、違法な仕事を強要されている。基本的人権さえ守られていない。人権はないのに、税金だけは以前と同じだけ取られる。露骨な冷遇だ。つらい。
となると、ここはスターゲイザーに賛同してもいいような気もするが……。しかし国家権力を敵に回すことになる。いまは時期が悪い。
彼はしかし立ち去らなかった。
「本題と言いつつ、まだ核心に触れてなかったな」
「えっ?」
「アイアンメイデンは見たのだ、本日の処刑のターゲットを。それは君たちを大いに苦しめるだろう。死なないように気を付けたまえよ」
「具体的には、どんなヤツなんですか?」
「おそらくは透明の超人だろう。しかし誤解しないでくれ。アイアンメイデンは未来を予知できるわけではない。顕在化していない情報を見通すことができるだけでな。どちらが勝利するかまでは分からない」
透明の超人――。
人間が透明になるだけでも大変なのに。それより身体能力の強化されたヤツが、透明になって襲ってくるんだとしたら、確かに危険だ。
(続く)




