なんなんだよマジでよぉ(六)
「ま、待って待って! 違うんすよ! 殺さないで!」
ファットマンは、ついに壁際まで追い込まれた。
声は地下駐車場に反響して、表まで届きそうにない。泣こうが叫ぼうが誰に耳にも届かないのだ。なんならスマホの電波も届いていないかもしれない。手元にないので確認できないが。
手を伸ばして「来ないで」のポーズをしているファットマンに、ゼロとオルガンが近づいてゆく。微塵の容赦も躊躇もなく。もしかしてこいつら、今回の「処刑」が初めてではないのでは?
ふと、オルガンが身を伏せた。
その後ろにいた俺は、飛んできたなにかを顔面で受け止めてしまった。痛い……。いや痛くない。なんだろう? 手? 誰の?
ファットマンが「ひっ」とうなって自分の手を見た。
「な、なんすかいまの? 俺の腕、すっごい伸びて……」
いま俺の顔面を押したのは、こいつの手か?
腕だけが伸びて、俺の顔面を押したのか?
しかも自分の力に自分で驚いている。能力が発動したのは初めてなのだろうか?
ファットマンは泣きそうになりながらも、ニッと笑みを浮かべた。
「ほ、ほら! いま見ましたよね! ゴムみたいに伸びて! 俺、超人なんすよ? それ以上近づいたらあぎゃあっ!」
喋っているのも構わず、オルガンが手を振るった。直後、ファットマンの手が縦に裂けた。
痛そう。
いや痛いなんてもんじゃないだろう。
「なんで! なんでこんなことするんすかぁ!? え、チクったの誰? ケン坊? ジュリ?」
誰かに裏切られたと考えているのだろうか。
可哀相に、もう動かなくなった腕を抱えて、ちぢこまってしまった。
勝敗は決したかもしれない。
俺も溜まっているエネルギーを解放しようか。このままじゃ手がバカになる。
「おごぉっ」
まだ誰も攻撃していないのに、突然、ファットマンがのけぞった。いや、もうファットマンの姿をしていない。肉体が膨張して、服があらゆるところから裂けた。触手の生えた肉団子のようになって……。
は?
なんだこれ……。
ゼノス……なのか?
みっちりとした肉団子が、地下駐車場の天井まで盛り上がっていた。
もうどこが胴体でどこが顔面かは分からないが、不規則に並んだ二つの眼球が未練がましくこちらを見つめていた。球体には短い手足がぶらさがっている。いや、その手足も肉の中に引っ込んで、球体になってしまった。
「……」
俺たちは、互いにかける言葉もなかった。
特に俺は……スターゲイザーの言葉を思い出し、なんとも言えない気分になっていた。彼はこれをデモンストレーションだと言っていた。だからこれは予測不能な事故なんかじゃない。人為的に引き起こされた現象だ。
球体が、ゆっくりと傾き始めた。
いや、転がり始めた、というべきか。
「後退しろ!」
俺はできるだけ声を張った。
おそらくあの肉は、俺たちを潰す気だ。
みちみちと肉の音を立てて、そいつは次第に加速していった。自動車に乗り上げて押しつぶし、柱にぶつかって方向を変え、無軌道に転がり回った。
あんなのに巻き込まれたら死んでしまう。
俺たちは慌てて通路に入って、そのまま地上を目指した。
だが、待ち構えていたのは目を疑うような光景だった。
シャッターが下りている。
金属の、分厚いシャッターが……。
どういうことだ?
まさか、罠だったのか?
それとも外へは出ずに、あくまでこの地下駐車場であいつを始末しろと?
肉団子はいまのところ駐車スペースでのたうち回っている。
しかしいつ通路に入ってくるか分からない。余裕をもった二車線ほどの幅がある。あの肉でも入ってくることは可能だろう。
「じつに不愉快ザマス……」
「やるしかない」
ゼロが溜め息をつくと、オルガンが簡潔な言葉で反論した。
スティレットはずっと思いつめた顔をしている。
俺は……だいぶ手が痛い。痛いというか、早くエネルギーを解放しないと肘くらいまで消滅してしまいそうだ。とにかくぶっ放さなくては。
そのとき、視界の端になにかが見えた。
いや、「なにか」なんて曖昧なものじゃない。転がり回る肉だ。通路のすぐそこまで来ている。というかたぶん、どう転がれば通路に入れるか思案しながら転がっている。まだあの体になったばかりで、自由にコントロールできないのだろう。
幸いなのは、通路に傾斜があるということだ。こちらが高い。肉団子の勢いは、いくらか相殺されることになる。助かるかどうかは別の話だが。
「いざ、参る」
まだ話がまとまっていないのに、オルガンが駆け出した。
彼は確かに強い。人間が相手なら、いくらでも急所を切り裂けるだろう。だが、あんなに分厚い相手はどうだろう。
「まぁーったく。本当に人の話を聞かないザマスねぇ……」
ゼロもやむなしといった様子で向こうへ行ってしまった。
二人とも、この通路の傾斜を利用しないつもりか。
まあ助かる保証もないしな。
逃げ場もない。
広いスペースで戦うほうがマシと判断したのかもしれない。
俺も行こうとすると、スティレットに腕をつかまれた。
「待って。ねえ、あれってゼノスだよね?」
「そう見えた」
「でも、人間だよ?」
「予想はしてただろ」
あんなの、自然界には存在しないのだ。
なんらかの実験の成果と予想するのが妥当。
もとの生物が存在する。それが今回は人間だったという話だ。いや、過去のもずっとそうだったのかもしれない。分からない。データがない。
「サノバは、それでもいいの?」
「俺たちに選択肢があれば考えるよ。けど、残念ながらそうじゃないんだ。いまは生き延びることを優先しよう。あれを放っておいたら、もっと大きな被害が出る」
「それは……そうかもだけど……」
優しい子だな。
できれば彼女みたいな子が、哀しむことのない世界ならよかったが。
俺も慎重に歩を進めた。
オルガンはザバザバと表面を切り裂いているが、ゼロはほとんど能力を使っていなかった。攻めあぐねている様子。
「ご覧なさい、サノバガン。オルガンの攻撃がほとんど通じていないザマス」
オルガン野郎がハッスルして頑張っているところ申し訳ないが、本当に通じていなかった。
確かに肉団子の表面から出血はある。だがその傷口は、すぐにふさがってしまうようだった。
いくら超人でも無限のエネルギーを有しているとは思えないから、いつかは修復が追い付かなくなるはずだが。問題は、その「いつか」が分からないことだ。もし三年くらいもつのだとしたら、どう考えても俺たちが先に力尽きる。俺は晩飯までに帰りたい。
「あなた、なにか作戦とかないんザマス?」
俺はできるだけ冷静にこう応じた。
「いま腕がアレであんまり頭が回らない」
「まぁーたそれザマスの? そこらの車からガソリンが漏れてるから、火がついたら終わりザマスよ」
ガソリンが揮発して、もし配線の熱かなんかで発火したら、間違いなく全滅する。
「ガソリンは、ゼロの力でどうにかできないの?」
「試したけど凍らなかったんザマス」
まあそうか。
なんとなく、零度になればあらゆるものが凍るような気がしてしまうが。
ガソリンの沸点や融点は水とは違う。
たとえばウォッカですら冷凍庫では凍らない。
さて、あまり時間をかけられない。
ダメージも通らない。
「え、もうお手上げザマス?」
「いま考えてる」
オルガンはヒット・アンド・アウェイで戦っている。一撃離脱だ。切っては引き、切っては引き。肉団子はそれに翻弄されている。傷口がふさがるとはいえ、痛いのだろう。だからムカついてオルガンを追い回している。
「手の調子は?」
「ヤバいよ……」
集中したいんだから話しかけないで欲しい。
シビレを切らせたゼロは、「もういいザマス」と行ってしまった。
自分で話を振っておいて、すぐこれだ。
そんなすぐ妙案が思いつくなら苦労しないというのに。
「凍りなさぁい!」
ゼロは冷気を放つが、表面をなんとか凍らせて終わり。肉団子はすぐに転がってしまうから、連続して同じ場所を狙えない。
まあゼロが凍らせて再生を止めて、俺とオルガンで攻撃するのがベストなんだろうとは思う。
理論上はそう。
あの肉団子は、難なく車を乗り越えてしまう。だが、この地下駐車場を支える鉄筋コンクリートの柱は倒せない。移動ルートは限られてくる。つまり、軌道の予測は、ある程度までは可能。
問題は、どうやって回転を止めるのか。
分からない。
使えそうな道具もない。
スティレットが近づいてきた。
「サノバ、あれ見てよ。消防用のホースがあるよ」
「えっ?」
「もしあの近くに誘導してくれたら、私のスピードを利用して巻きつけるけど」
「それだ」
奥の壁には、消防用の赤いケースがあった。
消防ホースは頑丈だ。肉団子くらいなら止められるだろう。少なくとも何秒かは。長さは無限ではないから、彼女の言う通りケースの近くまで誘導したほうがいい。
ま、そういうことなら準備はできている。
「いまから撃ってそこへ寄せる。君はホースの準備をしてくれ」
「分かった」
言葉が終わったときには、すでに彼女の姿はなかった。
速いなんてもんじゃない。
俺は震える指を肉団子へ向けて、狙いを定めた。
エネルギーはすでに十分過ぎるほど高まっている。あとは発射するだけ。
光が走った。
同時に、腕からイヤなものがスッと抜けていく感覚。
光弾は肉団子に命中し、ばぁんと派手な音を立てた。威力が高すぎて、貫通してしまったが。肉塊を壁際まで転がすことはできた。
かと思うと、すぐにホースがグルグルと巻きつけられた。
「まあ、七十点ザマスね……」
苦しそうに蠢く肉塊の前に、ゼロが立ちふさがった。
駐車場全体の温度がさがったような感覚。
それから肉団子の表面が、みるみる凍り付いていった。まだ表面だが。すぐに深いところまで到達する。
「ギ……ギ……」
ファットマンは、軋みとも悲鳴ともつかない音を立てた。
「カーッ!」
余計な奇声をあげて、オルガンがその氷を叩き斬る。
本当に、手を振っただけで、付近のものを一気に切り裂いてしまう。
まあ今回は……出血もなく、砕かれた氷が散っただけみたいな光景になったが……。この氷が解ければ、あとは肉片になる。早く片付けないと、ネズミを繁殖させることになるだろう。
「ちょっとオルガン。まだ途中ザマス」
「時間がない」
「あなたは待つということをおぼえたほうがいいザマス」
「……」
会話は成立している。
たぶん。
俺はもう撃ちたくない。
あんまりやると手が消し飛ぶ。
実際に消し飛んだことはないが。エネルギーを溜めすぎていると、そういう錯覚に襲われるのだ。終わったあともしばらく続く。使い方がよくないのかもしれない。かといってマニュアルもないし。自分の体と相談しながらやるしかない。
球体にホースをかけるのは難しい。
肉団子が体をゆすった拍子に、ゆるんだホースが上から外れてしまった。だが、危機には発展しなかった。二人の攻撃が功を奏し、完全に勢いを殺していたからだ。肉団子はもう、こちらへ転がってはこなかった。
「サノバガン、なにぼうっと見学してるザマス?」
「ちょっと手が……」
「はぁー」
盛大な溜め息。
いや、生き延びるために仕事をしているのに、仕事のために命を落とすなんて、あまりオススメできないと俺は思うんだよなぁ。目的を達成できるんだからいいじゃんよ。
とはいえ、俺は力を溜めず、光だけ飛ばすことにした。
人を傷つけるダメージさえないが、攻撃しているというアリバイだけは作れる。
典型的なブルシット・ジョブだ。
こういう小賢しい大人にはなりたくなかったよ。
(続く)




