国際問題
部屋に戻った俺は、飲みかけのビールを口にした。
いつものことだが、炭酸が抜けてぬるくなっている。それでも捨てるという選択肢はない。ピーナッツがある限り、ビールもまた永遠に不滅なのだ。いや不滅ではない。
俺はぼうっとしながらテレビを観た。
チヨダが言った通りなのか、ニュース番組では、例の法案に絡めて、超人の人権について特集されていた。当事者と思われる議員も「こんな隔離政策、普通の国ではありえないですよ」と正義ヅラしている。もし本気で言っているのなら、なぜ超人があの離島に隔離されたのか聞きたい。あの隔離政策は、賛成多数で通ったのに。
テレビを消して、俺はピーナッツとビールに集中した。
遠くで救急車の音が聞こえる。
数分に一度、電車の走り去る音もする。
都会では、ずっとなにかの音がしている。
秋の虫は鳴かない。
*
『オリジン、なにを計算しているのか教えてくれ』
することがなくなった俺は、自力でオリジンと更新していた。
会話だけなら、たぶんそんなにエネルギーを消耗しない。
回答はこうだ。
いまは言えない。
『いいけど、その秘密主義のせいで、いま人類はあんたを殺す流れになってるぜ』
それはオリジンも認識しているようだった。
飽小路が根拠もなく勝手なことを言っているとも教えてくれた。
ただ、これも事実かどうか分からない。どちらが本当のことを言っているやら。
『人ってのはな、根拠のない情報を与えられると、趣味で好きなほうを選んじまうんだよ。そんなのに命を左右されていいのか?』
回答ナシ。
いろいろ釈明してくれたらそこから突っ込めるんだが。
これでは取り付く島もない。
『たぶんあんたは、人間より高度な知性体なんだろう。なんだか脳がいくつもあるような感じがするし。だから俺を同等の存在とは見てないのかもしれない。けど、それでもなぁ……。あんたは単に、俺を利用しているだけなのか? ネクターもこの先どうなるか分からないし。そうなったらスティレットも助からない。俺は自分の家族を犠牲にしてまで、あんたに付き合うべきか分からない』
回答は、映像で来た。
スティレットとフェニックスが街でショッピングをしている映像だ。
これはいつの映像だろうか? この先起こることなのか?
俺の両親も自宅でテレビを見ている。
ネクターも……母親と一緒にいる? いや、待て。死んだはずだろう?
『なんだいまのは? ありえない映像で俺を安心させるつもりか? 甘い夢だけ見せて、そうやってスターゲイザーのことも操ったのか?』
オリジンは、俺の質問には答えなかった。
その代わり、こう教えてくれた。
自分は全員を救いたいのだ、と。
そしてそれを実行するためには、思念の超人と、犠牲の超人の力が必要になるらしい。
こうも言った。
助けて欲しい、と。
『それは悪かったよ。あんたも助けを求めてたんだな。そりゃそうだ。見知らぬ星で地下に閉じ込められて……。ただ、こっちもかなりの賭けになる。協力し合いたいのは山々だが……』
オリジンとしても俺に手を貸したいが、しかし特異点が邪魔になってどうしても難しいらしい。
『殺すしかないのか? たとえば、どこか遠くに移動させるとか……』
日本の裏側は、じつはブラジルではない。
大西洋だ。
さすがにそこへ連れて行くことはできないが。
オリジンの回答はこうだ。
国外であればそれも可能かもしれない。
しかしどの国も特異点を受け入れないだろうということだ。出国は不可能と考えていい。
街を破壊しまくっているニュースが世界中に流れている。どこもまともに彼女を受け入れないだろう。
『悪いが、自分たちの都合で、あの子を犠牲にする気にはなれない。彼女が悪人ならともかく……』
確かに仲間を殺されてはいるが。先に攻撃を仕掛けたのはこちらなのだ。
彼女は生き延びようとしただけ。
どう考えても悪いのは俺たちのほうだ。
オリジンからの回答はナシ。
これ以上は、平行線だろう。
*
問題はなにも解決していない。
猶予は三日。
その三日のうちに、飽小路を事故死に見せかけて殺すことができれば、いくつかの問題は消える。最大の問題は、それを実行する力が俺に存在しないということだ。
ピーナッツをつまみにビールを飲むことしかできない。
*
翌日、また見回りの仕事が回ってきた。
俺の貴重な時間をムダにしやがって……とは思わない。おそらく三日フルに使っても、打開策は思いつけないだろう。
「真田くん」
ん?
見回りの最中、俺は誰かに呼ばれた気がして振り返った。
だが、誰もいない。
アスファルトの道路を、街灯が照らしているだけ。
幻聴か?
「なんザマス? 急に立ち止まったりして」
「いや、いま誰かに呼ばれたような」
「誰に?」
「気のせいかも……」
誰もいないのだ。
気のせいでしかない。
イリンクスも「大丈夫? 寝てないの?」と心配そうに声をかけてくれる。
「ありがとう。大丈夫」
「うん……」
寂しそうな表情。
きっと彼女も、家族の件で脅されて不安なのだろう。
悩んでいるのは俺だけではないのだ。
俺は仕事中だとは思いながらも、どうしても言葉を止められなかった。
「みんな、例の件、どうするつもり?」
「……」
しばらく沈黙が流れた。
イリンクスはしゅんとした表情。きっと家族を助けたいんだろう。
ゼロは、しかし違った。
「覚悟はできてるザマス。とはいえ、私の覚悟をみんなに強要するつもりもないザマス。一人でも家族を助けたいという意見があるなら、こちらも合わせるつもりでいるザマス」
ちょっと常人とは違う価値観だな。
イリンクスが言い出しづらそうだったので、先に俺が意見を述べることにした。
「俺は家族を守るよ。さすがに家族まで賭けられない」
「賢明な判断ザマス」
ここで苦情を言ってこないのがゼロのいいところだ。
イリンクスも「ごめん、私も」とようやく応じた。
俺は誰にともなく言った。
「けど、あくまで表向き従うだけですよ。心まで売り渡すつもりはない」
「そうザマス。それでいいんザマス。別に今回の件ですべてが決まるわけではないザマスから」
とはいえ、あいつの仲間になった途端、えげつない汚れ仕事をさせられる可能性がある。
あの手の連中は、加入儀礼として新人にクソ仕事をさせる。俺たちが「やっぱりやめた」とならないように。手を汚させて、引き返せないようにするのだ。
歩いていると、道端に不審な男がいるのに気づいた。
スーツの男だ。
雑居ビルの間に立って、じっとこちらを見ている。
無視すべきか、呼び止めるべきか。
いや、見回りをしている以上、声をかけないという選択肢はない。
それが自爆テロの犯人だとしても。
近くを通りかかると、男は両手をひらいた。
「敵意はありません。少し、話をしませんか?」
武器などは持っていないようだ。
歳は三十代だろうか。顔立ちの整った背の高い男だ。
ゼロが小声で告げた。
「私が対応するザマス。二人は距離をとって」
「えっ?」
「ボスからの命令ザマス」
もし罠だった場合に備えて、俺たちを下がらせるってのか?
彼女は俺たちの返事も待たずに行ってしまった。
俺は言われた通りに距離をとった。
二人がなにを話しているのかは分からない。
俺とイリンクスは、ガードレールにもたれかかってゼロを待つことにした。
人通りはない。
遠くで電車が通り過ぎる音がする。
暦の上では秋だというのに、まだ暑い。暑いが、夏ほど異様ではない。最近、秋らしい秋を実感できた試しがない。このまま夏と冬だけの世界になってしまうのだろうか。
「ねえ、サノバガン。ゼロ、大丈夫だよね?」
イリンクスが、弱々しい態度でこちらを見つめてきた。
最近ずっと元気がない。
以前はかなり好き勝手やってきたのだが。
「大丈夫だよ。争ってる様子もないし。たぶん普通に話してるだけだと思う」
「相手の人、誰だと思う?」
「あきらかに俺たちを待ち伏せしてたから、政府の人間かもしれない。見回りのルートを知ってたわけだから」
もし彼が飽小路の手下なら、こんな小細工はしないはずだ。
いつでも事務所に来ればいい。本人でなくともいいのだ。おそらくチヨダが丁重に対応する。
となると、それ以外の政府の人材ということになる。
ゼロが戻ってきた。
「名乗らなかったザマスけど、たぶん外務省の人間ザマスね」
「外務省?」
なんだ?
もしかして、特異点を海外に逃がす手伝いでもしてくれるのか?
「飽小路を支援している国があるそうなんザマス」
「は、はい? 支援? どこです?」
「国名は言わなかったザマス。とにかく、いま飽小路とトラブルになると、その国との関係もこじれかねないので、迂闊な行動はしないようにとのことザマス」
「なんですかそれ……」
非常にめんどくさい。
いま表立って飽小路と対立すると、日本政府だけでなく、その謎の国まで敵に回すことになるのか。やはり事故死に偽装して始末しなくてはなるまい。
「ゼロさん、もう事故死のネタないんですか?」
俺がそう尋ねると、ゼロは肩をすくめた。
「サノバガン、そんなうまいネタ、そうそうあるもんじゃないザマス。一発逆転を狙うんではなく、地道にコツコツやるしかないんザマス」
「急にまともなこと言わないでくださいよ」
「私はいつもまともザマス」
メタ認知が壊れているとしか思えない。
いや、いいのだ。
人には得手不得手がある。
「それにしても、なんも事件起きませんね」
「それが普通ザマス」
このところ治安が悪かったから、なにも起きないことに違和感をおぼえてしまった。
でもまあ、ゼロの言う通りだ。
そうそう毎日事件が起きていてはたまらない。
(続く)




