カーゴ信仰(六)
ドアは開かれた。
広さだけは異様であったが、内装は子供部屋のそれであった。
空を思わせるパステルカラーの壁紙。ニコニコの動物たちがプリントされている。床にはボールと……かつてボールだったもの。ダクトが剥き出しの天井は、ところどころ補修されている。よく見ると、壁もへこんだりふくらんだりしている。破壊されたあと、慌ててコンクリートで塗り固められたのだろう。
カバーの開いたカプセル状のベッドの中で、無表情な少女がひとり、膝を抱えて座っていた。
髪が長い。背丈ほどもありそうだ。
じっとこちらを見つめる目は不気味に見えなくもないが……。しかし無表情の子供というのは、こういうものだろう。子供は愛想笑いなどしないものだ。
少なくとも、都市を破壊するような存在には見えなかった。
スティレットが笑顔で近づいていった。
「おはよう。よく眠れた?」
「……」
少女は口を開くが、声が出ないようだった。長いこと誰とも会話していなかったせいだろう。
「大丈夫、大丈夫。お返事はゆっくりでいいよ」
「お姉さん、誰?」
「お友だちになりにきたの。もちろんあなたがイヤじゃなかったら、だけど」
「うん……」
どういう返事だろうか?
イエスなのか、ただの相槌か。
少女の目は、スティレットではなく、後ろの俺たちに向けられていた。あきらかに警戒されている。
「あ、後ろのおじちゃんたち、気になる? ちょっと待ってね。いま追い出すから」
追い出す……。
だが、センチネルは承諾しなかった。
「少し後退する。だが、部屋は出ない」
「えーっ。いいけど、邪魔しないでね」
「……」
彼は返事をしなかった。
ウソでもいいから、肯定できなかったのか?
俺たちが壁際まで後退すると、スティレットは笑顔で特異点に近づいていった。
「ごめんごめん。なにも怖いことないから。ねっ?」
「怖いことは、ない」
それが少女の回答だった。
そう。
おそらく自分の力に気づいている。
他者に生存を脅かされない存在だと認識している。
スティレットはしゃがみ込んで、少女に視線を合わせた。
「えーと、なにかして遊ぶ?」
「遊びたい。お外で」
「お外かぁ……」
そうだな。
子供はずっと家にはいられない。
外に出て、全力で暴れるのが子供というものだ。それはもう仕方がない。誰だってそうなのだ。もちろん内向的な子もいる。しかし永遠に部屋にいることはない。
少女はじっと上を見てから、静かに尋ねた。
「ミラージュは?」
「えーと……」
「なに?」
「うーんとね、遠くに行っちゃったんだ。だからあたしが代わりに来たの。仲良くしてくれる?」
すると少女は、返事の代わりに手を伸ばした。
やや離れた場所にボールがある。
ボール遊びがしたいのだろうか?
次の瞬間、パァンと音を立ててボールが爆ぜた。
触れてもいないのに。
少女は告げた。
「死んだんでしょ?」
「……」
「分かるよ、それくらい。次はお姉さんが代わりになるの? それって死ぬって意味?」
「ち、ちが……」
ダメか。
もしスティレットでも交渉に成功しないのだとしたら、おそらく他の誰でもムリだろう。子供と交渉できそうな人間が一人もいない。
すると少女は、こちらへ視線を向けてきた。
「あのおじさんたちが、私を殺すの?」
「違うよ! そんなことしない! 絶対にしない! 約束する! あたし、本気で仲良くなりたいの」
「うん」
「だから、怖いことは、ナシにしよう?」
「うん」
納得したのか?
それとも相槌を打っているだけか?
リアクションが薄くてよく分からない。
少女はまた手を伸ばし、スティレットの頬に触れた。
「お姉さん、なんでそんなに黒いの?」
「あ、これ? これはね、パパが黒いから」
「パパが黒いと、子供も黒くなるの?」
「そうだよ。あなたがその色なのも、親がそうだったからだよ」
子供というのは……。
いや、知らないのだから仕方あるまい。
いままで周囲に、自分と同じような人間しかいなかったのだろう。
なにを思ったのか、センチネルが近づいていった。
こいつ、マジか……。
「特異点、私とも話をしてくれるかな?」
「うん」
意外なことに、少女は素直にうなずいた。
センチネルはここのナンバー・ツーなのだ。顔見知りなのかもしれない。
せめて余計なことをしないでくれると助かるのだが。
「ミラージュが死んでしまって、状況が大きく変わってしまったんだ」
「状況……?」
「落ち着くまで、しばらくこの部屋にいてくれるかな?」
「いつまで?」
すでにじゅうぶんすぎるほどここにいたのだ。
一秒でも早くここを出たいはずだ。
「ほんの数日でいい」
「数日……?」
「三日くらいだ」
「前もそう言ってた」
「そうなのか? でも今回は違う」
「なにが違うの?」
「ミラージュがいなくなったんだ。いろいろ変える必要がある」
「ウソつき」
少女の手が、センチネルへ向けられた。
さっきはボールが犠牲になっただけで済んだが……。
空間に、黒い線のようなものが見えた。
それが次の瞬間、魔物の口のようにザバと大きく広がった。
空間が裂けているのだ。
センチネルは、とっさに光のシールドを展開。
どんな防御も通用しないという話だったが……。
センチネルも、少女も、目を見開いた。
なにが起きたのか分からないという顔。
センチネルの能力は、特異点の攻撃を耐え凌いだのだ。
ネクターがつぶやいた。
「驚かないでよ。私がエネルギーを与えてるんだから。いつもならできないことも、いまならできるよ」
スターゲイザーもうなずいた。
「では、戦闘開始といこう」
室内にあったボールやぬいぐるみ、ワゴン、モニター、カッター、ハサミなどが、浮き上がり、少女へ向けて猛スピードで集まった。天井のダクトも外れて、そこへ集結。なにを狙った攻撃かは分からないが。
スティレットはとっさに距離をとり、なんとか巻き込まれずに済んだ。
「待って! やめて! なんで攻撃するの!?」
かわいそうだが、大人たちは最初からそのつもりだったのだ。
オルガンも、ゲッコーも、それぞれ攻撃を開始してしまった。
始まってしまったからには、総攻撃をするのが正解なのかもしれない。
ネクターがじっとこちらを見つめてくる。
「お兄さんは参加しないの?」
「対話する予定だっただろう。俺は作戦外の行動はしない」
というのは建前だ。
全員が一箇所に集まっても、できることは少ない。これは戦闘以外でも言える。多人数が、同時に、最高のパフォーマンスを発揮するには、ポジションが重要となる。
相手の能力も分からないし。
ふたたび少女が空間を切り裂いたのを、センチネルが防いだ。
なるほど。
スターゲイザーがセンチネルをここへ連れてきたのは、単に交渉の相手だからだけではないようだ。彼の能力は、特異点との戦闘に役立つ。
「待って! この子をいじめないで!」
スティレットはまだ叫んでいる。
その声は誰にも届かないのに。
スターゲイザーは、周囲のものを少女にぶつけている。のみならず、強引に押し当てている。周囲から圧縮するかのように。
「ネクター、出力をあげて」
「うん」
「特異点に通常の攻撃は効かない。彼女へダメージを与える手段はただひとつ。外部から空間を圧迫すること」
機材という機材が、少女という一点に集まっている。少女はその機材を切り裂く。すると細切れになった機材が、さらに少女を押し込んでゆく。苦しそうに呼吸している。
スターゲイザーはこちらを見た。
「サノバガン、なぜ協力しない?」
「それはこっちのセリフですよ。事前のプランでは、あの子と仲良くするはずだったのに」
「欺瞞には気づいていたと思ったのだが」
「ま、それはそうなんですが……」
「ネクター! 出力をあげなさい!」
彼は珍しく声を張った。
俺の態度にイラついているのか、それとも特異点の力におびえているのかは分からない。
オルガンは天井のダクトを切断し、それをスターゲイザーに提供していた。
ゲッコーは太いケーブル類をむしっている。
とにかく大量の物質で空間を圧迫する作戦だ。
見た感じ……というか機材まみれで少女の姿は見えないが、スターゲイザーが優勢に見える。
少女の抵抗は意味をなしていない。力だけはあるが、力を応用して作戦を立て直すほどの機転はないようだ。
経験値の差が、露骨に戦況を左右している。
「止まってよ! お願いだから! 話し合おうよ!」
スティレットはまだあきらめていなかった。
そろそろ俺も、彼女の側につくべきだろうか。
ネクターが顔をしかめた。
「あの女、さっきからなんなの? ひとりでビービーさわいじゃってさ」
「戦いをやめたらすぐ静かになるよ」
「ホントに? まあでも、そうかも。死体はモノを喋れないからね」
一理ある。
戦いが始まってしまった以上、勝たなければ殺される。
ネクターに強化されたセンチネルは受けきれたが。少女の攻撃は、防御に特化した超人でなければ絶対に防げないだろう。空間それ自体が裂けるだなんて。
機材の中の少女も叫んだ。
「だからイヤなの! みんな! みんな! みんな! 私のことをいじめてばっかり! 嫌いだよ! みんな嫌い! みんな死んじゃえ!」
まるで土星の輪のように、彼女の周囲に黒い線が見えた。
その線は……少女をかばうように立っていた、スティレットにもかさなっていた。
これは……。
俺が恐れていた最悪の事態が起きた。
闇が広がって、直線上のあらゆるものを切り裂いたのだ。
スローモーションのように、スティレットが上下に分かれた。
機材の隙間から見えた少女の表情も、唖然としていた。
おそらく彼女は、スティレットを攻撃する意図はなかったのだ。
しかしなにも見えなかった。
助かろうとして攻撃を放ったら、スティレットだけが巻き込まれた。
機材がまた少女を閉じ込める。
スティレットの上半身が地面に落ちる。
「スティレット! おい! 大丈夫か!」
俺はもう戦いなど無視して駆け寄った。
「あぐっ……あっ……」
スティレットも、なにが起きたのか分かっていないようだった。
いや、分かったところで、もう言葉を発することもできないのだろう。目が、どこも見ていない。
「スティレット! スティレット!」
「あ……あ……」
「頼むから!」
「……う……」
声が、ただの音でしかなくなってしまった。
「どけ!」
スターゲイザーが駆け寄ってきた。特異点の周囲から機材が落ちたところを見ると、攻撃をキャンセルして駆け寄ってきたようだ。
まさか、この状態から救えるのか?
「えっ? 助かるんですか?」
「分からない。ただ、先延ばしにはできる」
「先延ばし?」
すると、スティレットの身体が、ほぐれたカニカマみたいにバラけた。
無数の肉の糸だ。
かと思うと、それらの糸は透明になって消えた。
大量の血液だけを残して。
「は? なにをしたんですか?」
「それは……」
続きは聞けなかった。
スターゲイザーの身体に黒い線が描かれて、すぐに左右に分断されてしまったからだ。
振り返ると、オルガンも、ゲッコーも、センチネルも、すでに肉片と化していた。
パステルカラーだった室内は、いまや鮮血で染まっていた。
陰惨な殺戮の現場そのものだ……。
少女は裸足で床を踏みながら、ゆっくりと近づいてきた。
「私をいじめなかったから、二人のことは見逃してあげる。私、もう行くから。止めないでね。バイバイ」
呼吸は荒かったものの、彼女は涙も流さず、怒りも爆発させず、なんとか自分の感情を抑えているようだった。
俺は……動けなかった。
スティレットを失ってしまった。仲間を失ってしまった。自分だけが生き延びた。
一瞬の間に、あまりにいろんなことが起きてしまった。
ネクターは溜め息だ。
「なに? ショック受けてんの? あの子、生き返るよ?」
「は? どうやって?」
「思念の超人って、エネルギーさえあればたいていのことはできるんでしょ? ねえ、ウソつきのお兄さん。自分のこと魔弾の超人とか言ってるけど、本当は思念の超人だよね? 私と手を組みなよ。もしあんたが私の言うこと聞いてくれたら、あの子を生き返らせるだけのエネルギーを与えてあげるから」
まあ、そうだな。
スターゲイザーが俺に執着していたのは、俺が思念の超人だからだ。
姪のネクターがそれを知っていても不思議ではない。
そう。
俺は魔弾の超人などではない。思念の超人だ。
政府に能力を悪用されたくなかったから、能力を偽って生きてきた。正確には、自分の能力を使って、自分の能力を制限してきた。
「分かった。やるよ」
「契約成立。お願いだから、勝手に死なないでね。あんたに死なれたら、もうほかにいないんだから」
(続く)




