一足早い夏(三)
夏の日差しは厳しくなる一方だ。
あれから数日、俺は緊張しながらフェニックスの連絡を待った。
だというのに、そのフェニックスは、ビルで会ってもクソみたいな世間話しかしてくれない。俺も自分からは話を持ち出さなかった。ビルでそんな話をするわけにはいかない。
二週間は経っただろうか。
特に予定もなかった俺は、昼頃に起きて、居間へ向かった。
古いアパートだ。全六部屋。そのすべてを俺が借りている。使っているのはこの部屋だけだが。見知らぬ老人が住んでいた部屋を、ほぼそのまま使っている。
雑に顔を洗ってから、昨日のうちに買っておいた弁当を電子レンジであたためる。
その途中、インターフォンが鳴った。
「はい?」
「開けて。私」
ドアの向こうからイリンクスの声がした。
まるで開けてもらって当然みたいな口調なのが怖い。
「いや、あの……。なんの用?」
俺の問いに、別の声が返ってきた。
「いいから開けろ」
この横柄な物言い。
間違いなくフェニックスだ。
*
二人を招き入れ、俺はテーブルに弁当を置いた。
いちおう麦茶は出してやった。
「なぜ日本人はつめたい茶ばかり飲むのだ」
「イヤなら飲まなくていいぞ」
「ふん」
カラカラと氷の音を立てながら、フェニックスは半分ほど飲んだ。
半袖と短パンという、島のガキみたいな格好だ。本当にこいつは人に文句を言って、ゼノスにジャンプキックする以外、なにも興味がないのかもしれない。
一方、イリンクスは今日も喪服みたいな黒の服を着ている。
「もしかして私、初めて合法的にあなたの部屋に入ったかも」
「できれば次回も合法的に頼むよ」
「うふふ」
笑ってごまかすな。
フェニックスは服装に似合わぬビジネス用の鞄を開いて、中からノートパソコンを取り出した。
「見ろ、サノバ。これが博士から奪ったデータだ」
「えっ?」
見ろというが、古いノートパソコンらしく、起動していなかった。
HDDだろうか。カリカリ音を立てながらOSが起動している。
ていうか、博士から奪ったデータ?
俺は弁当を一口やり、麦茶で流し込んだ。
「え、奪ったって言った?」
「まあ待て」
「起動しないんだけど。フリーズしてない?」
「してない。待て」
待てはいいけど、長すぎるのだが。
俺はイリンクスに話を振った。
「やったの?」
「ええ」
「いや、どうやって? 能力使ったの?」
「そうよ。ぐっすりだったわ」
満足げな笑み。
いや、あんなところで能力を使ったら、問題になるのでは?
フェニックスが「ふん」と鼻を鳴らした。
「なにも不思議なことはない。この女は、いままでも無意味に他人を眠らせてきた。気まぐれにな。博士が眠らされたのも、今回が初めてではない。いつものことなのだ」
「……」
驚いた。
確かに、この女は歩く害悪と言っていい。軽くちょっかいをかけるくらいの気軽さで人を気絶させてくる。いつものことだ。つまり、今回の作戦に適した人材だったということだ。
フェニックスのヤツ、そこまで読んで……。
ノートPCが起動した。
フェニックスはトラックボールでマウスを操作し、画像ファイルを開く。
「見ろ、サノバ。これが地下の映像だ」
「うん……。うん?」
なんだこれ?
水族館か?
大きな水槽に、ダイオウイカみたいなものが入れられている。
まさかとは思うが、これ、ゼノスか?
「サノバ、どう思う?」
「ゼノスに見える」
「おそらくそうだろう。私にはイカにしか見えないがな」
まあ俺にもイカにしか見えないが。
わざわざビルの地下でイカを飼っているとは思えないから、ゼノスだろう。そうじゃなかったら、立入禁止にする必要がない。
「つまり、あのビルの地下でゼノスを生産してるかもしれないってことか?」
「そういう推測もできるな」
歯切れが悪いな。
フェニックスは、あれをゼノスだと思っていないのか?
イカにしか見えないのは確かだが。しかし、立入禁止のエリアで、評議会がイカを飼う動機が見当たらない。おそらくゼノスだろう。逆に、そうじゃなかったらなんなんだ?
「ほかに画像はないのか?」
俺の問いに、フェニックスは肩をすくめた。
「地下の画像はそれだけだ」
「本当に? それだけ?」
一枚だけ?
フェニックスは遠慮もなく溜め息をついた。
「私だって陰謀を見つけようと努力した。だが、本当にこれだけだ」
「たとえばアゴ……じゃなくてロドリゲスが、ここに幽閉されているとかは? あの男に限らず、S級の超人がここに閉じ込められていて、ゼノスに変えられてる可能性は?」
「可能性は否定しない。だが、証拠がないのだ。分かっているのは、そのイカが飼育されているという一点だけ」
イカだけ……。
しかもこのイカがゼノスという保証もない。おそらくカラー写真だが、色が単調なこともあり、情報量が少なすぎる。気になるのは、地下なのに明るすぎるということか。そんなに強烈なライトでイカを照らさなくてもいいと思うが。
*
結局のところ、死というリスクをおかして手に入ったものは、イカの写真一枚だった。
だからやらないほうがよかったのだ。
翌日、俺は博士に呼び出された。
バレたのかもしれない。
博士を眠らせた超人が、別の超人と一緒に俺の家に来たのだ。誰かに目撃されていたなら、俺が共犯だと思われても仕方がない。
バックレようとも思ったが、そんなことをしたら確実に問題になる。
だから俺は、素直に本部ビルへ向かった。
*
「座りなさい」
「はい」
いつ見ても病院の診察室みたいだ。
つるつるの頭の博士が、俺を出迎えてくれる。
まあこのまま俺をこの世から葬り去るつもりかもしれないが。
俺は緊張がバレないように、静かに呼吸をした。
自律神経を整えるには、呼吸をコントロールするのが大事だ。
「なにを緊張しているんだ?」
「き、緊張してませんけど? 普通です、普通。それより、ご用というのはなんですか? 俺、死ぬんですか?」
「WHAT?」
ネイティヴな返事を頂戴してしまった。
博士は俺を無視して、PCを操作した。
ディスプレイには謎の線グラフが表示された。
「見てくれ。これは東京から送られてきたデータだ。これは君がスターゲイザーと同じ場所にいたという証拠になっている。超人には、それぞれ固有の波形があってな。これが君の波形。これがスターゲイザーの波形。そしてもうひとつが、謎の超人の波形だ」
「はぁ」
謎の超人?
管理下にない人物ということか。
博士はこちらを見た。
「驚かないな」
「たぶんこの情報の意味が分かってないだけです。で、この情報から、俺はなにを判断すれば……」
「君の判断には期待してない」
「はい……」
お、なんだ?
ハラスメントか?
「このデータが加速されたのは、ほんの一瞬。ここから推測されるのは、彼らが高速で君の近くを通過したか、あるいは時間を停止して君に接近したか」
「……」
ちゃんとバレてるじゃねーか。
すごいな科学技術ってのは。
博士は溜め息をついた。
「時間を止める超人がいるというのは、にわかには信じがたいが。しかし超人の能力というのは、本来そういうものなのだ。しばしば物理法則を無視して発現する。仮説では、空間に備わったエネルギーを、ある種の信号で引き出している、と考えられている」
うん?
もしかして時間が止まったとき、俺の動きも止まっていたと思っているのか? スターゲイザーのほかに、俺も動けていたことに気づいてない?
「とにかく、スターゲイザーのほかに、もう一人の超人が君を狙っている可能性があるということだ。気を付けたまえ」
「はい……」
怖いことは怖いが。
もしそれがスターゲイザーが連れ着てきた人物なら、俺の敵ではないだろう。
怖いのは、スターゲイザーさえ知らないヤツだった場合だが……。しかしスターゲイザーが時間を止めているのに、それを無視して自由に動き回れるヤツがいるということになる。そんなの、俺にはどうしようもない。
「ところで博士、あのアゴ……ロドリゲスさん、どこに行ったんですか?」
俺がそう尋ねると、博士は露骨に顔をしかめた。
「またその話か。やめてくれ。S級の超人は、私の管轄外だ」
「管轄外?」
本当に?
なら、ここの地下にはいないということか?
どう考えればいい?
もし話の話が事実なら、地下で飼われているイカは、S級の超人ではないということになる。なんならあいつがゼノスかどうかも怪しくなってきた。
じゃあ、本当にただのイカを?
なぜ?
おそらくなにも知らなくても予想できそうな範囲で、俺は尋ねてみた。
「地下に立入禁止のエリアがありますよね? あそこに幽閉されてるとか?」
博士はバカにするように鼻で笑った。
「なにを言い出すかと思えば……。バカな妄想はやめるんだ。もちろん研究していいならいくらでもする。しかし研究だけなら、S級になる前にできるのだ。ここにはそのための機材も揃ってる」
かと思うと、博士はPCを操作して画像を開いた。
例のイカだ。
「本来、見せるべきではないのだが。これが地下にあるものだ」
「えっ……」
なんで?
普通に見せてくれたのだが……?
「なにに見える?」
「イカですか? それともゼノス、とか?」
「フフ。まあ好きに理解してくれ。少なくとも、S級の超人ではない」
「S級の超人がゼノスになっているという噂もありますが……」
「そうだな。君も東京で見たんだろう。超人がゼノスになる瞬間を。しかし、あれは三流の超人でしか観察されていない現象だ。正規の手段で超人になった人間がゼノスになった例は報告されていない」
じゃあこのイカはなんなんだよ?
これ以上聞くのは、さすがにしつこいか?
いや、イリンクスも命を張ったのだ。
俺も少しくらい踏み込んでみるか。
「えーと、じゃあ、このイカは……?」
「すでに必要以上の情報を与えたと思うがね」
「仰る通りです」
「イカではない、とだけ言っておこう」
イカじゃない?
ならゼノスってことか?
でもS級の超人ではない、と?
なるほど。
もしかすると、東京で見つけた三流の超人を、地下でゼノスにして研究しているのか? もしそうなら人体実験をしていることになる。バレたら世界中から叩かれる。だから秘密にしている、ということかもしれない。
まあ超人の研究というのは、人体実験と表裏一体だ。
倫理観を守っていたら研究はできない。
やるとしたらバレないようにひっそりと。
つまり博士は、S級の超人を実験していたのではない。
三流の超人をゼノスに変えて実験していたことになる。
博士はふてくされたような笑みを浮かべた。
「私だって、S級の超人を手に置いておきたいのだ。しかし政府が持っていくんだから仕方がない。その後のことは私にも分からんよ」
「はぁ」
「それより、君を狙っている人物に気を付けるんだぞ。スターゲイザー以外にもう一人いる可能性がある」
「はい」
そうだった。
本題はそっちだった。
まあ、そいつの存在も気になるっちゃ気になるのだが。
しかしあのイカについては、どう受け止めれば……。
博士が簡単に見せてくれたのだから、意外とたいしたネタではないのかもしれない。スターゲイザーも、あそこに行ってもなにもすることはないと言っていたし。無視していいのか。
(続く)




