一足早い夏(二)
「えっ? あれっ?」
次に気が付いたとき、俺は自分の部屋にいた。
古びた和室だ。
破れた障子、ボロボロの柱、色の抜けた畳――。そこにテーブルを置いただけの部屋。セットの缶ビールが置かれている。
おそらく繁華街で飲んだあと、スーパーで大量のビールを買い込み、そして自宅で酔いつぶれた、という感じだろうか?
記憶がない。
廊下から、風呂上がりの女が部屋に入ってきた。
「あら、目が覚めたのね」
イリンクスだ。勝手にシャワーを浴びていたらしい。いや、勝手ではなく、俺が許可を出したのか?
「ちょっと待ってくれよ……」
状況はなんとなく理解できた。
イリンクスが能力を使ったのだ。お得意の神経毒で、俺の思考能力を奪ったのだろう。しかもこいつは能力をコントロールしないから、居酒屋の店員や客も巻き込んだはずだ。
なぜ彼女がまだ処刑されていないのか、理解できない。
だが、そうなると?
キッチンでトントンと音を立てて料理しているのは……?
「サノバ、いますぐその女を通報したほうがいいぞ」
「なんで君までいるんだよ」
フェニックスだ。
俺の自宅にあがり込んでなにをしている?
イリンクスの笑顔がひきつったところを見ると、彼女が招き入れたわけではないようだ。
フェニックスは溜め息をついた。
「その言い方はなんだ。私がお前を助けたんだぞ」
「助けた?」
「お前がその女に引きずられているのを見かけてな。念のためついてきたんだ」
「ああ、それは……ありがとう。けど、なぜ料理を?」
「私もスーパーで食材を買った帰りだったからな。言っておくが、いま作っているのは私の分だけだ。お前たちの分はない」
手慣れた包丁さばきだ。
いつも料理しているのだろう。
イリンクスはまったく意に介さない様子で、隣に腰をおろしてきた。
「あなたもシャワー浴びたら? それとも、浴びないタイプ?」
「君を家から追い出すタイプかな」
「それってDVじゃない?」
「いや、そもそもドメスティックじゃない。普通に不法侵入だ。通報したら、君は処刑されるんだぞ?」
「ひどい」
ひどいのはどっちだよ。
ただでさえ面倒なのに、キッチンからも苦情が飛んできた。
「おい、サノバ。醤油はどこだ? 塩は? 砂糖は? お前、料理してないのか?」
「してないんだよ。でも醤油はあるよ。下の棚に」
「なんだこの小さな醤油は……。お前、本当に日本人なのか?」
「おそらくな」
というか、醤油の保有量で国籍を決めないで欲しい。
フェニックスは不満そうな顔で、コンロに火をつけた。
プシッとイリンクスがビールを開けた。
「ね、続き、しよ?」
「なんの続きだよ……」
「なにって、再会できたお祝い。二人きりのパーティーだよ?」
「君には、キッチンにいる中国人女性が見えていないのか?」
「この世界には、私とあなたしかいない。でしょ?」
通報すべきは警察ではなく、病院のほうだったか。
だが、もし本当に通報すれば、イリンクスは死ぬ。
決してストーカー被害を矮小化すべきではないが……。この女は、友達がいなくて寂しがっているだけなのだ。強く言えば帰宅する。たぶん。
命を奪うほどのことではない。
俺は袋からピーナッツをつかんでむさぼった。
「居酒屋の人に迷惑かけてないだろうな?」
「かけてない。眠らせたのはあなただけ」
「そんな繊細なコントロールできるのか?」
「できるように頑張ったの。あなたに迷惑かけたくないから」
「……」
いや、もしそうなら、俺だけに迷惑がかかっているのだが?
認知のゆがみも甚だしいのだが?
キッチンでは、凄まじい火力で、煙を出しながらフェニックスがフライパンを振っている。炎まであがっている。
俺の部屋、中華料理屋だったのか?
イリンクスはこちらを凝視しながらビールを飲んでいる。
飲むのはいいから、こっちを見ないで欲しい。
「ん、ふぅ……。酔っちゃったかも……」
「ならもう帰っていいぞ」
「えっ?」
「えっ、じゃなくて」
「はい?」
「はい、じゃなくて」
なんでこんな子供みたいな無垢な顔をできるのか?
性格さえまともならモテただろうに。
たぶん。
「サノバガン、あなただけよ。私を受け入れてくれるのは」
「受け入れてない。いま退去を命じたばかりだよね?」
「私、優しい人って好き」
「俺は性格のまともな人が好きかな」
「じゃ、相思相愛だね」
違うね。
頭がどうにかなりそうだね。
料理を終えたフェニックスが、皿を持ってこちらへ来た。本当に一人分しか作っていない。チャーハンと回鍋肉と、あとはなんだか分からない油まみれのスープ。いいにおいだ。肉は分かりやすくうまそうだが、火の通った野菜から発せられるほのかにあまいかおりも食欲をそそる。
イリンクスが俺の視界をさえぎるように身を乗り出してきた。
「そういえば、ひとつ聞いていい?」
「なんだよ……」
「本部ビルの地下に、なにがあるの?」
「えっ? はいっ? なんで?」
この女、なぜそれを?
俺の意識を混濁させて、情報を引き出そうとしたのか?
割り箸を使い、食事を始めたばかりのフェニックスも、「聞かせろ」と手を止めた。
なんだこの状況……。
口を滑らせれば、俺まで処刑されかねない。
なぜなら、俺の情報源はスターゲイザーなのだ。チヨダらが警戒していた相手だ。そんなのと接触していたことがバレたら、俺の身も危うくなる。
フェニックスは静かにスープをすすった。
「なんだ? 言いたくないのか? なら、誰に聞けばいいんだ?」
「待ってくれ。なんでそんな危険な橋を渡ろうとするんだ? こんなこと、誰も知る必要がない」
「誰も知る必要がない情報を、なぜお前は持っている?」
理詰めで来たか。
ごまかすのも限界があるな。フェニックスは、性格はアレだが頭はいい。矛盾があると、すぐにそこをついてくる。容赦もしない。
「スターゲイザーと話したときに、ぽろっと聞いたんだよ。あそこになにかあるって」
「なにがあるんだ?」
「そこまでは聞いてない。だいたい、俺はあの人の仲間じゃないんだ。部外者だ。そんな相手に、秘密を暴露するわけないだろ」
するとイリンクスが、じっとこちらを見つめてきた。
「実際に見たのって、きっとアイアンメイデンでしょ?」
「うっ……」
なんだ?
なぜ分かった?
直感だけでいきなり事実に?
「地下は立入禁止よね? そこになにがあるかを知ることができるのは、アイアンメイデンしかいない。そしてそのアイアンメイデンは、東京に行ったまま戻ってこない。死んだという話も聞かない。つまり、まだどこかで生きていて、身を隠していると予想できる。情報源はそこよ。違う?」
「違わない。たぶん」
彼女はスターゲイザーの組織にいるらしい。
透明の超人の出現まで見通していた。
まだ生きていると判断していい。
本部ビルの地下にあるもの。
スターゲイザーは、それを「一連の騒動の根幹にかかわる情報」と言っていた。
一連というのがどこからなのかは不明だが。状況証拠から考えるに、ゼノスに関するものだと推定できる。
フェニックスはもさもさと食事を始めた。
イリンクスはこちらを凝視したままビールを飲んでいる。
え、この話、終わり?
それとも俺の言葉を待っているのか?
「まあとにかく、詳しいことは俺も知らないんだ。でもみんなだって、あの地下は怪しいと思ってたでしょ? 立入禁止なんだし」
「……」
なぜ二人とも返事をしない?
俺に喋らせてボロを出させるつもりか?
「俺も気にならないと言ったらウソになるけどさ……。でも余計なことをするつもりはないよ。自分の命を縮めるだけだし」
「……」
「中に入っても、なにもできることはないんだ。スターゲイザーもそう言ってた」
「……」
「えーと、だから……みんなも、興味を持たないように……。うん」
「……」
クソ。
圧に負けて余計なことを口走った気がする。
チャーハンをかき込んでいたフェニックスが、皿を置いた。
「なるほど。では、中身を確認するには、直接乗り込むか、アイアンメイデンから聞き出す必要があるな」
「俺の話、聞いてた?」
「聞いていた。理解もしている」
理解はしてないだろ。
危ないって言ってんのに。
イリンクスの手がぷるぷる震えた。
「もしかして、私の能力の出番じゃない?」
目が血走っている。
こいつ、毒で他人を眠らせることに悦びをおぼえているのか?
やっぱり処刑したほうがいいぞ。
フェニックスはしかし鼻で笑った。
「どんなプランなんだ?」
「ビルの人間をみんな眠らせるのよ。そしたら地下に入り放題じゃない?」
「監視カメラはどうする? あれをどうにかしない限り、我々の無事は保障されないぞ」
「じゃあ、アイアンメイデンに聞くしかないじゃない」
「一理ある」
よかった。
強行突破はやめてくれたか。
どう考えてもうまくいくはずがない。リターンとリスクのバランスも悪すぎる。リターンは、中になにがあるか分かるだけ。その代わり、リスクとして死の可能性を得る。まともな頭があればやらない。
フェニックスは、しかし話をやめなかった。
「だが、方法はもうひとつあるぞ」
ふざけるな。
この危険な行動を、さらに実行可能にするんじゃない。
もうなにも思いつくな。
俺はつい顔をしかめた。
「方法って?」
「おそらく地下を管理しているのはダージャー博士だ。超人に関する研究は、あの男が取り仕切っているのだからな。あいつから直接聞き出す、というのもひとつ」
「おいおい」
「または、直接聞きださなくてもいい。あの男のPCに入るんだ。きっとデータが見つかるだろう」
「入る? ハッキングってこと?」
俺がそう尋ねると、フェニックスはあきれたように顔をしかめた。
「そんなことをしたらログが残る」
「じゃあ、どうやって?」
「部屋に行って直接操作するんだ。廊下には監視カメラがあるが、あの部屋にはない。ファイルの操作も記録されていない。普通のPCを使っているようだからな。外部のセキュリティの強さを過信して、内部が手薄になっている」
だんだんこいつが怖くなってきた。
でこっぱちのちびにしか見えないのに。
「確かに、あの部屋に入るのは簡単だけど……」
「だけど? だけど、なんだ? 入るのが簡単なら、もうやることは決まっている」
「俺、イヤだぜ。地下室を覗くために命をかけるなんて」
「安心しろ。最初からお前には期待してない。イリンクス、やれるか?」
最悪だ。
なにが最悪って、この先の展開を読めるからなおさらだ。
イリンクスはコクコクとうなずいた。
「やる。やらせて。サノバガン、私、あなたのために命をかけるね」
「やめてくれマジで」
フェニックスのやつ、絶対に断らないヤツに仕事を振りやがって。
本当にこざかしい。
「では決まりだな。私がプランをまとめる。それまでは誰も動くな。私は食器を洗ったら帰る」
フェニックスは、話は終わったとばかりに立ち上がった。
本気で「やる」のか?
ちゃんとリスクとリターンを比較したのか?
もしかして正気を失っているんじゃないのか?
イリンクスがにぃと不気味な笑みを浮かべた。
「なに? 怖いの? 大丈夫よ。失敗しても死ぬだけなんだし」
「だけってなんだよ。命の問題なのに」
すると彼女は笑顔のまま、俺を憐れむような目を見せた。
「そうね。命の問題。だからこそやるんじゃない。だってこのまま言われた通りに生きてたって、最後はどうなるか分からないんだし」
最後――。
S級になって、どこかへ消える。
イリンクスの言う通りだ。
俺たちは、ただ死を先送りにしているに過ぎない。
(続く)




