第4話 再開の朝-1
夜通し馬を走らせた末に、
ヴァルカとエリシアがたどり着いた場所。
――首都レグリア。
グランドール大陸中央部に位置する、
ベルステラ最大級の都市である。
巨大な城門を抜けると、
まず目に飛び込んでくるのは、
美しい彫像が施された大噴水。
透き通った水が陽光を反射し、
きらきらと輝いている。
大通りの両脇には数えきれないほどの店が軒を連ね、
活気に満ちた城下町が広がっていた。
楽しそうに談笑する人々
広場で音楽を奏でる楽団
その音色に合わせて舞う踊り子達
街角からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
誰もが笑い、誰もが今日という日を楽しんでいた。
――けれど。
ヴァルカはそんな街の賑わいに、
一切目を向けなかった。
噴水も。
音楽も。
楽しそうに笑い合う人々も。
今のヴァルカには、どうでもよかった。
⚔ 「……」
ただ前だけを見て歩く。
その腕の中にはぐったりとしたエリシア。
大噴水から東へ進むことしばらく。
ひときわ大きな建物が姿を現した。
白を基調とした壮麗な外観。
高くそびえる尖塔。
陽光を受けたステンドグラスが、
色とりどりの光を地面へ落としている。
首都レグリア大教会。
ベルステラ各地から人々が訪れる、
国内有数の大教会だった。
バァンッ――!!
朝の静寂が、荒々しく開かれた扉の音によって破られた。
聖堂内で祈りを捧げていた信徒達が一斉に振り返る。
⚔「誰かいるか!!」
その声には、切羽詰まった焦りが滲んでいた。
信徒「あ、あの……どうされ――」
⚔「妹を助けてくれ!!」
腕の中には、ぐったりとしたエリシア。
その姿を見て教会内がざわめく。
⚔「頼む……!」
⚔「妹を……!」
祈るような声だった。
その時。
✟「落ち着きなさい」
低く。
けれど不思議とよく通る声が響く。
ざわめきが止まる。
信徒達が自然と道を開いた。
奥から一人の男性が歩いてくる。
長く美しい銀髪。
翡翠色の瞳。
整った顔立ちと、
高い背丈。
そして何より。
その場にいるだけで、
人の心を静めるような穏やかな空気を纏っていた。
✟「まずはその子を見せてください」
男性は静かにそう言った。
ヴァルカははっと我に返る。
そしてエリシアを抱いたまま、
銀髪の男性へ駆け寄った。
⚔「教会には光魔法を扱える者がいると聞いた!」
息も絶え絶えに叫ぶ。
⚔「治してくれ……!」
⚔「頼む!!」
今にも泣き出しそうな声だった。
銀髪の男性は、エリシアの顔を見る。
痩せ細った身体
失われた生気
赤く残る手首の痕
数秒。
静かに様子を確認すると、
男性は小さく頷いた。
✟「……とても衰弱していますね」
そして。
✟「分かりました」
✟「すぐに治療を行いましょう」
ヴァルカの瞳が大きく開く。
✟「準備を」
銀髪の男性が手を上げる。
その瞬間。
信徒達が一斉に動き出した。
「治療室を開けて!」
「治癒術式の準備を!」
「清潔なタオルと温水も!」
教会内が慌ただしくなる。
そしてエリシアは信徒達によって、静かに運ばれていった。
⚔「っ……!」
ヴァルカは咄嗟に後を追おうとする。
だが。
✟「お待ちなさい」
すっと差し出された腕がその行く手を遮った。
⚔「なっ!?」
思わず声を上げる。
しかし男性は落ち着いたまま言った。
✟「大丈夫です」
そして初めて柔らかな笑みを浮かべる。
✟「私はこの教会の牧師」
✟「ルシアスと申します」
翡翠色の瞳が真っ直ぐヴァルカを見る。
⚔「……ヴァルカだ」
✟「ヴァルカさん」
ルシアスは諭すように続ける。
✟「あなたも酷い疲労と怪我をされていますね」
✟「治療が必要です」
⚔「そんなもの、必要ない」
即答だった。
✟「いいえ」
ルシアスも即座に返す。
その声音は穏やかだった。
だが、一歩も譲る気配はない。
✟「必要です」
ルシアスは静かに続けた。
✟「彼女が目を覚ました時」
✟「あなたの姿を見たら、どう思われるでしょうか」
⚔「……」
ヴァルカは息を呑む。
そして初めて自分の姿を見下ろした。
ところどころ破れた服
包帯だらけの身体
滲んだ血痕
そして。
何日も休まず戦い続けた末の、やつれた身体。
⚔「…………」
言葉が出なかった。
✟「信じてください」
ルシアスの声は穏やかだった。
✟「私はこの街で最も強い光魔法を扱う治療師です」
翡翠色の瞳が真っ直ぐヴァルカを見つめる。
その瞳には、偽りも打算も無かった。
⚔「……」
しばらくの沈黙。
そして。
⚔「……分かった」
ゆっくりと頷く。
⚔「妹を……頼む」
その言葉にルシアスは柔らかく微笑んだ。
✟「ええ」
✟「お任せください」
そう言うと。
✟「こちらの方にも治療を」
信徒達へ指示を出す。
すぐに数人の信徒が駆け寄ってきた。
「こちらへ」
⚔「……ああ」
ヴァルカは珍しく素直に従う。
信徒達に導かれながら歩き出す。
だがどうしても気になって振り返った。
その瞳に映ったのは、長く美しい銀髪。
ルシアスが治療室へ入る姿だった。
そして。
ルシアスは胸の前で左手を軽く握り静かに祈る。
✟「どうか――」
✟「女神の御加護を」
――パタン。
目の前で治療室の扉が閉じられた。
⚔「……」
ヴァルカはしばらくその扉を見つめる。
だが、やがて信徒達に促され
別室へ案内された。
「こちらへ」
⚔「……ああ」
ベッドへ腰を下ろす。
その瞬間。
今まで張り詰めていたものが、
少しだけ緩んだ気がした。
信徒達が手際よく治療を始める。
柔らかな光がヴァルカの身体を包み込んだ。
治癒魔法。
暖かい光が傷付いた身体へ染み渡っていく。
信徒「……ひどい傷だ」
信徒「こんな状態でここまで来たのか……?」
信徒達の声が聞こえる。
だが、どこか遠い。
まるで水の中にいるようだった。
⚔「……エリシア……」
小さく呟く。
意識が霞む。
重くなった瞼が、
ゆっくりと閉じていく。
信徒達の声も
治癒魔法の光も
次第に遠ざかっていった。
そして――
ヴァルカは深い眠りへ落ちた。
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翌朝――
窓から差し込む朝日が、
ヴァルカの瞼を優しく照らしていた。
⚔「……」
重たい瞼がゆっくりと開く。
見慣れない天井。
柔らかな寝具。
そして身体を包む心地良い温もり。
⚔「……?」
ヴァルカはゆっくりと身を起こした。
ぼんやりとした意識。
数秒。
昨夜の出来事を思い返す。
教会
ルシアス
そして――
エリシア
⚔「……!」
次の瞬間。
ヴァルカは勢いよく立ち上がった。
急いで服を整える。
⚔「エリシア……!」
眠気など一瞬で吹き飛んでいた。
扉へ向かう。
そして勢いよく治療室のドアを開け、
そのまま駆け出した。
聖堂へ駆け込んだヴァルカの視線の先。
そこにいたのは、昨日見た長い銀髪だった。
朝日を受けて輝くその髪。
ルシアスはゆっくりと振り返る。
✟「……お目覚めですか」
穏やかな声。
⚔「エリシアは!?」
息を切らしながら問い掛ける。
⚔「妹はっ!?」
ルシアスは驚く様子もなく、
小さく頷いた。
✟「ええ」
✟「お待ちしておりました」
その言葉に、ヴァルカの強張っていた表情が
ほんの少しだけ緩む。
✟「こちらです」
ルシアスは歩き出した。
ヴァルカもすぐ後を追う。
やがて。
2人は治療室の前へ辿り着く。
ルシアスは扉へ手を掛けた。
✟「幸い体の傷や打撲のほとんどは治療できました」
ヴァルカへ視線を向ける。
✟「ご安心ください」
⚔「……っ」
ヴァルカは無意識に拳を握る。
祈るような気持ちだった。
ルシアスは静かに扉を開いた。
ガチャ――
小さな音を立てて、
治療室の扉が開いた。
その先には、
窓から差し込む眩しい朝日。
柔らかな風。
そして。
その風に揺れる、淡い金色の髪。
⚔「……!」
ヴァルカの呼吸が止まる。
窓辺に立つエリシアが、
ゆっくりと振り返った。
その頬には少しだけ血色が戻っている。
虚ろだった瞳にも、確かな光が宿っていた。
☀「……お兄ちゃん?」
⚔「っ!!」
ヴァルカは駆け出していた。
勢いのまま、エリシアを抱き締める。
☀「わっ……!」
⚔「エリシア……!」
震える声。
4年間。
ずっと言いたかった言葉。
⚔「ごめん……!」
抱き締める腕に力が入る。
⚔「本当に……!」
⚔「俺……!」
⚔「守ってやれなくて……!」
溢れ出す言葉。
止まらない。
後悔も
悔しさも
罪悪感も
全部。
4年間分、胸の奥へ押し込めてきたものだった。
⚔「ごめん……!」
⚔「ごめんな……!」
ヴァルカの声が震え、目に涙が滲む。
やっと。
やっと助けられた。
そう思った。
だけど。
☀「お兄ちゃん?」
⚔「……?」
☀「どうしたの?」
不思議そうな顔。
首を傾げるエリシア。
☀「そんなに泣きそうになって」
⚔「…………」
違和感。
胸の奥がざわつく。
そして。
☀「ねぇ」
☀「ママとパパは?」
⚔「―――っ」
☀「今日はお買い物に行く約束でしょ?」
世界が止まる。
⚔「……」
呼吸が浅くなる。
エリシアは笑っている。
昔と同じように。
何も変わらない笑顔で。
☀「お兄ちゃん?」
⚔「……」
ヴァルカはゆっくりと体を離した。
目の前にいるのは、
間違いなくエリシアだった。
だけどどこか違う。
いや。
違うのではない。
――戻ってしまっている。
あの日より前へ。
まるで。
9年間という時間だけが、
綺麗に失われてしまったかのように。
⚔「な……」
喉が張り付く。
⚔「何を……言ってるんだ……?」
☀「……?」
エリシアはきょとんとする。
そしてこてん、と首を傾げた。
☀「……あっ!」
何かに気付いたように目を輝かせる。
☀「分かった!」
☀「お兄ちゃん、忘れてたんでしょー!」
昔と変わらない、無邪気な笑顔。
⚔「……」
ヴァルカの背筋が冷える。
☀「今日はね!」
☀「パパがクレインヒルまで連れて行ってくれるって約束した日なんだよ!」
嬉しそうに話すエリシア。
本当に今日がその日であるかのように。
⚔「エリシア……」
震える声。
⚔「そんなの……」
⚔「そんな、昔のこと……」
☀「……?」
エリシアは不思議そうな顔をする。
話が噛み合わない。
フェルム村でのこと
父と母のこと
エリシアのこと
✟「……」
翡翠色の瞳が細められる。
✟「ヴァルカさん」
静かな声。
⚔「……!」
✟「エリシアさんには、まだ休養が必要です」
一拍置く。
✟「一度、外へ出ましょう」
⚔「いや、でも……」
エリシアから目を離せない。
今にも何かを聞きたかった。
確かめたかった。
けれど。
✟「……」
ルシアスは何も言わない。
ただ静かにヴァルカを見つめていた。
その視線だけで十分だった。
⚔「……っ」
ヴァルカは唇を噛む。
⚔「……わかった」
小さく頷いた。
ゆっくりとエリシアへ歩み寄る。
ベッドの傍へ腰を下ろす。
そしてそっと額へ口付けた。
⚔「おやすみ」
優しい声だった。
☀「……?」
エリシアはぱちぱちと瞬きをする。
それから昔と変わらない笑顔を浮かべた。
☀「うん!」
☀「おやすみ、お兄ちゃん!」
⚔「……」
胸が痛む。
それでも、ヴァルカは微笑んだ。
そして立ち上がる。
ガチャリ――
治療室の扉が開き、静かな廊下へ出る二人。
扉が閉まる直前。
ヴァルカはもう一度だけ振り返った。
窓辺で手を振るエリシア。
その姿は、あの頃の無垢な7歳のままだった。
パタン――
お互い無言のまま2人は中庭へ移動した。
朝日が降り注ぐ庭園
小鳥のさえずり
風に揺れる花壇の花々
遠くでは信徒達が忙しそうに行き交っている。
穏やかな朝だった。
けれど。
ヴァルカの胸の中だけは、
嵐のように荒れていた。
✟「……」
ルシアスは何も言わない。
急かしもしない。問いただしもしない。
ただ静かに隣のベンチへ腰を下ろした。
⚔「……」
しばらく沈黙が続く。
やがて。
⚔「……フェルム村っていう」
ヴァルカがぽつりと口を開いた。
⚔「小さな村があったんだ」
それが始まりだった。
魔物の襲撃
燃えていく故郷
逃げ続けた日
クレインヒル
ロレント
そして――
エリシアを取り戻すためだけに戦い続けたこと。
ヴァルカは少しずつ、言葉を紡いでいった。
✟「……」
ヴァルカが話し終えると、ルシアスはそっと目を閉じた。
✟「….そうだったのですね」
短い言葉。
けれど、その声にはヴァルカの9年間を受け止めるような静かな重みがあった。
⚔「….俺の、せいだ」
ヴァルカが拳を強く握りしめる。
⚔「俺が、遅かったから….!」
⚔「無力だったから….!」
声が震える。
⚔「結局…..あいつの言うとおりだ….」
脳裏によみがえる。
あの日。
エリシアを奪われた夜。
無表情に自分を見下ろしていたロレントの姿。
『…..せいぜい、その力の無さを悔やむといい』
⚔「何も….できなかった….」
うつむくヴァルカ。
ルシアスはその姿を静かに見つめていた。
そしてゆっくりと首を横に振る。
✟「それは違います」
ヴァルカが顔を上げる。
ルシアスはその瞳を真っ直ぐ見つめ、
ためらうことなく言った。
✟「あなたは、エリシアさんを連れてここまで来ました」
✟「決して諦めず、壊れそうになりながらも」
✟「たった1人で、戦い続けた」
⚔「……」
ヴァルカの拳が、ほんの少しだけ緩む。
✟「もし本当に“何もできなかった人”なら」
ルシアスは静かに続ける。
✟「エリシアさんは、今ここにいません」
⚔「…..っ」
その言葉が胸の奥に落ちる。
9年間。
自分を責め続けてきた。
守れなかったものばかり数えてきた。
けれど。
今、エリシアは生きている。
✟「あなたは何もできなかったのではありません」
✟「あなたは、必死にここまでたどり着いたのです」
その言葉を聞いた瞬間。
こらえていたものが、堰を切ったようにあふれ出した。
⚔「っ…..」
ヴァルカの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
声にならない声。
ヴァルカは、静かに泣いた。
肩を震わせながら。
9年間。
ずっと押し殺してきた感情を吐き出すように。
ルシアスもそんなヴァルカに寄り添い、
何も言わずただ隣にいた。
慰めの言葉も
励ましの言葉も
今は必要ないと分かっていたから。
小鳥のさえずりが聞こえる。
風が吹き抜け、
花壇の花々を優しく揺らした。
――エリシアが、生きている。
その事実だけで。
ヴァルカは、ほんの少しだけ救われた気がした。




