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第3話 月光の中で

クレインヒルへ戻ったヴァルカは、

その後もしばらく町中を転々としながら暮らしていた。


屋敷の使用人として働いていた経験を活かし、

- 荷運び

- 清掃

- 雑務

など、様々な仕事を請け負って日銭を稼ぐ。


だが、ヴァルカの頭にあるのは

常に一つだけだった。


☀『お兄ちゃん……』


鉄格子越しに見た、泣き腫らしたエリシアの顔。


⚔(……強くならないと)


あの日の光景は、今も焼き付いて離れない。


そして――

ヴァルカが18歳を迎えた日。

彼は、ある場所へ足を運んでいた。


⚔「……」


見上げた先にあるのは、

大きな剣と盾の紋章。


冒険者ギルド。

クレインヒルでも多くの冒険者達が集う場所だった。


⚔(確か、冒険者ギルドは18歳から登録できるはず)


ヴァルカは深く息を吸う。


⚔(悠長にしてる暇はない)


拳を握り締める。


⚔(最速で……強くならないと)


そして。


チリンッ――


扉を開けた瞬間。

熱気と喧騒が、一気に押し寄せた。


「この依頼の報酬はどうなってる!?」

「おい!町はずれの魔物どもは片付けてきたぞ!」

「いってぇ……油断して噛まれちまった……」

「次はどこの遺跡へ行く?」


屈強な戦士達。

威圧感のある魔導士。

武器と酒の匂いが混ざる、荒々しい空間。


⚔「……」


ヴァルカは、その様子を静かに見つめる。


そしてふと、

壁に貼られた依頼書の一つに視線が止まった。


【魔物討伐依頼】


⚔(魔物討伐……)


脳裏をよぎる、あの日の魔物達。


⚔(……それだ)


ヴァルカは、真っ直ぐ受付へ向かった。


⚔「あの、登録をお願いします」


受付嬢「はい!ようこそ冒険者ギルドへ!」


明るい声で受付嬢が笑顔を向ける。


受付嬢「それではこちらへ、

お名前と年齢をご記入ください!」


ヴァルカは無言で頷き、淡々と手続きを進めていく。


しかし――

契約書へ目を通していたその時。

ある一文で視線が止まった。


---------------------------


――当ギルドは、

依頼遂行中に発生した怪我・病気、

及び後遺症・死亡等の一切について、

責任を負いません。


【同意する】


署名_______


---------------------------


⚔「……」


怪我

後遺症

──死亡。


そこに並ぶ言葉はどれも重かった。

普通なら、怖気づいてもおかしくない。


けれど。

ヴァルカの脳裏に浮かぶのは、ただ一人。

鉄格子の向こうで、

泣きながら助けを求めていたエリシアの姿。


⚔(……関係ない)


ヴァルカは静かにペンを取る。


そして迷うことなく、

署名欄へ名前を書き記した。


⚔「……」


書き終えた契約書をそのまま受付へ差し出す。

その瞳には、一切の迷いは無かった。


受付嬢「はい、確かに受領しました!」


受付嬢は書類へ目を通しながら、

にこやかに微笑む。


受付嬢「ヴァルカさん、ですね!

それでは冒険者登録は完了です!」


受付嬢「このまま依頼も受けていかれますか?」


⚔「……はい!」


ヴァルカは即座に顔を上げた。


⚔「魔物討伐の依頼をお願いします!」


その言葉に、受付嬢がぱちりと目を瞬かせる。


受付嬢「……え?」


一瞬驚いたあと、

どこか困ったように眉を下げた。


受付嬢「申し訳ありません」


受付嬢「登録したばかりの冒険者は、

すぐに魔物討伐依頼を受けることはできないんです」


⚔「……っ」


受付嬢「危険ですので……」


⚔「構いません!!」


思わずヴァルカの声が強くなる。

周囲の冒険者達がちらりと視線を向けた。


だが。


受付嬢「いいえ」


受付嬢は、きっぱりと言い切る。


受付嬢「規則ですから」


⚔「……っ」


ヴァルカの瞳が揺れる。


焦り。苛立ち。

どうしようもない無力感。


⚔「そんな……

時間が無いんです……!」


その声は、ほとんど悲鳴に近かった。

けれど受付嬢は、

申し訳なさそうにしながらも説明を続ける。


受付嬢「魔物討伐依頼を受けるには、

まず薬草採取や荷運びなどの簡単な依頼を、

一定数こなしていただく必要があります」


受付嬢「それがギルドの決まりなんです」


⚔「…………」


ヴァルカは俯く。


拳がぎり、と震えた。

だが次の瞬間。


⚔「……分かりました」


顔を上げる。

その瞳には強い光が宿っていた。


⚔「それなら、今受けられる依頼を全部受けます」

受付嬢「……えっ!?」


思わず受付嬢が声を上げる。


⚔「それなら、規約通りですよね?」

受付嬢「そ、それは……そうですが……」


受付嬢は困惑したように、

依頼書の束へ視線を落とす。


受付嬢「ほとんど休みなく、

働き続けることになりますよ……?」


受付嬢「あまり現実的では……」

⚔「構いません」


迷いの無い声。


⚔「お願いします」


大量の依頼書を抱えたまま、

ヴァルカは冒険者ギルドを飛び出した。


---------------------------


⚔(一日でも早く強くならないと)


頭の中にあるのはそれだけだった。


薬草採取

荷運び

雑務


来る日も来る日も休む間もなく依頼をこなしていく。

そして――数日後。


⚔「……っ」


疲労で重くなった身体を引きずりながら、

ヴァルカは次の依頼先へ向かっていた。


睡眠も食事も最低限。

全身が軋むように痛む。

それでも足を止めなかった。


その時。


「うっ……うぅ……」


どこからか、すすり泣く声が聞こえた。


⚔「……?」


ヴァルカが足を止める。


「ぐすっ……ママぁ……」


声のする方へ視線を向けると、

そこには小さな女の子が一人、

不安そうに立ち尽くしていた。


涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、

必死に母親を探している。


その姿が。


あの日のエリシアと、重なった。


☀『お兄ちゃん……!』

⚔「……っ」


ヴァルカの胸が痛む。


けれど。


⚔(いや……そんな時間は……)


今は一秒でも惜しい。

立ち止まっている暇なんてない。


ヴァルカは、無理やり視線を逸らし

背を向けた。


だが。


⚔「……くそっ!」


次の瞬間には。


ヴァルカはもう、

女の子の元へ駆け寄っていた。


⚔「……大丈夫か?」

女の子「あっ……!」


突然声を掛けられ、

少女の身体がびくりと震える。


けれど。


ヴァルカの顔を見るなり、

少女は泣きながら縋りついてきた。


女の子「うっ……ママが……」

女の子「ママが、

いなくなっちゃったの……!」


⚔「……迷子か」


ヴァルカは、そっとしゃがみ込む。

そしてふっと目元を和らげ、

少女へ優しく笑いかけた。


⚔「大丈夫だ」

⚔「一緒にママを探そう」


そう言ってヴァルカは手を差し伸べる。


女の子「……うんっ!」


ヴァルカの手は、

剣の訓練や力仕事のせいで、

少し荒れていて武骨だった。


けれど。

その手を、小さくて暖かな手がぎゅっと握り返した。


──その後。


2人はほどなくして、

市場の一角で少女の母親を見つけ出した。


母親「よかった……!本当に……!」


少女を抱き締めながら、母親が涙ぐむ。


母親「ありがとうございました!」


深々と頭を下げた。


⚔「いえ」


ヴァルカは小さく首を振る。


⚔「それでは、急ぎますので」

母親「あっ……せめてお礼を……!」


しかし、引き留める間もなく

ヴァルカはもう走り出していた。

その背中を親子はしばらく、呆然と見つめる。


女の子「お兄ちゃーーん!!」


市場に元気な声が響く。


女の子「ありがとーーーー!!」

⚔「……」


その声を背に受けながら。

ヴァルカはほんの少しだけ表情を緩めた。


---------------------------


――数週間後

ヴァルカは再び冒険者ギルドを訪れていた。


受付嬢「はいっ!」


受付嬢は書類を確認すると、ぱっと顔を明るくする。


受付嬢「既定数に達しています!」

受付嬢「これで、魔物討伐依頼を受けられますよ!」

⚔「……」


その言葉を聞いた瞬間。

ヴァルカの瞳に、僅かな光が宿った。


⚔「……今ある討伐依頼を見せてください」

受付嬢「……あの」


依頼書へ手を伸ばしかけた受付嬢が、

ふと動きを止める。


受付嬢「ここ数週間、ほとんど休まず依頼をこなしてますよね……?」


心配そうな声。


受付嬢「少し、休まれては……」


⚔「必要ありません」


即答だった。


受付嬢「……っ」


そのあまりに迷いの無い返答に、

受付嬢は言葉を失う。


ヴァルカの目の下には、

濃い隈が浮かんでいた。

手にも無数の擦り傷がある。


それでも。

その瞳だけは、燃えるような光を宿していた。


受付嬢「…………」


しばらく沈黙した後。

受付嬢は小さくふぅ、と息を吐く。


受付嬢「……分かりました」


そして、1枚の依頼書を取り出した。


受付嬢「ですが規定に則り最初は下級魔物からです」

⚔「構いません」


迷いの無い返答。


受付嬢「現在受けられる討伐依頼は、

こちらの一件のみです」


依頼書を差し出しながら、

受付嬢は真っ直ぐヴァルカを見る。


受付嬢「……ご無理はせず」

受付嬢「危険だと感じたら、すぐ撤退してください」


⚔「…………はい」


ヴァルカは短く答え依頼書を受け取った。


けれど。


その返事が守られることはないのではと。

受付嬢はどこか感じ取っていた。


---------------------------


――ブラッド・ボア。


イノシシに酷似した姿を持つ、下級魔物。


全身を覆う赤黒い体毛と、

血に染まったような真紅のタテガミが特徴。

さらにその口元には鋭く巨大な牙が覗いている。


主に森の中に生息しているが、

時折近隣の村や町へ現れ、畑を荒らす被害が報告されていた。

突進力が高く、油断した冒険者が重傷を負うことも少なくない。


⚔「……ブラッド・ボア」


ヴァルカは依頼書を見つめながら小さく呟く。


討伐対象は、下級魔物一体。

依頼としては決して難易度の高いものではない。


けれど――


⚔「……」


ヴァルカは、依頼書を握る手へ力を込めた。


これが自分にとって、

初めての“魔物討伐”だった。



依頼場所へ到着すると、

そこには小さな民家と畑が広がっていた。

だが畑の作物は無残に踏み荒らされ、

あちこちに食い散らかされた痕跡が残っている。


土には大きな足跡。

折れた柵。

そして、獣の臭い。


⚔「……」


ヴァルカは周囲を静かに見回した。


依頼書によれば、住民は既に避難済み。

人的被害は今のところ出ていないらしい。


⚔(ブラッド・ボアは昼下がりに出没する……)


ヴァルカは空を見上げる。

太陽はちょうど頭上付近。

そろそろ現れてもおかしくない時間だった。


⚔「……少し、待つか」


ヴァルカは腰を下ろし、

静かに周囲へ意識を張り巡らせる。

その手は無意識に剣の柄へ添えられていた。


――まもなくして。


ドドッ……

ドドッ……


森の奥から重たい地響きのような音が聞こえてきた。


⚔「……!」


ヴァルカの身体が、ぴくりと強張る。


嫌でも思い出す。


あの日。


空間の裂け目から現れた異形の魔物達。

胸の奥がざわりと騒いだ。


けれど。


ヴァルカは震えそうになる拳を強く握り締める。


⚔「……来た」


次の瞬間。

茂みを突き破るようにして、

巨大な影が飛び出した。


「ブルルルルッ!!」


⚔「……っ!」


目の前へ現れたのは――

ブラッド・ボア。


真っ赤なタテガミ。

赤黒く汚れたような体毛。


そして。

人間の身体すら容易く貫きそうな巨大な牙。


依頼書で読んでいた以上の威圧感だった。


その巨体が荒々しく地面を踏み鳴らす度に、

土埃が舞い上がる。


⚔「くっ……!」


ブラッド・ボアの威圧感に、

ヴァルカは思わず息を呑む。


全身が、警鐘を鳴らしていた。


危険だ

逃げろ

本能がそう叫んでいる。


巨大な牙

獣の臭い

地面を揺らす重い足音


そのどれもが、ヴァルカへ恐怖を叩きつけてきた。


それでも――


⚔「負けられないんだよ!!」


ヴァルカは叫ぶ。

剣を強く握り締め、そのまま前へ踏み出した。


「ブルルルルッ!!」


ブラッド・ボアは即座にヴァルカの存在へ気付いた。

真紅の瞳が獲物を捉える。


⚔「……っ」


低く唸りながら、ブラッド・ボアはゆっくり向き直る。


そして。


ドンッ!

ドンッ!


右前足を何度も地面へ叩き付けた。


土が跳ねる。

鼻息が荒くなる。


今にも飛び出してきそうだった。


⚔(まずは……)


ヴァルカは剣を構える。


⚔(一発……!)


緊張で手のひらが汗ばんでいた。

けれど。

視線だけは決して逸らさない。


⚔(当たれ……!)


ヴァルカは渾身の力で剣を振り下ろした。


だが――


「ブルンッ!!」

⚔「……っ!?」


その瞬間。


ブラッド・ボアは、

信じられない速度で身体を捻った。


空振る剣。


そして。


大きく空いた腹部へ――

鈍い衝撃が突き刺さる。


ドゴッ!!


⚔「がっ……!!」


ブラッド・ボアの頭突きが、まともに直撃した。


身体が宙に浮く。

次の瞬間、地面へ叩き付けられる。


⚔「かはっ……!!」


肺の空気が一気に吐き出される。

呼吸ができない。

視界が大きく揺れた。


間髪入れずに

ブラッド・ボアが再び地面を蹴った。


「ブルルルルッ!!」


⚔(まずい!!)


全身の毛が逆立つ。


考えるより先に身体が動いた。

ヴァルカは地面を転がるようにして横へ飛ぶ。


次の瞬間。


ドゴォォォンッ!!


⚔「……っ!!」


ブラッド・ボアは、ヴァルカがいた場所を通過し、

そのまま畑を囲う木柵へ激突した。

だが勢いは止まらない。


バキバキバキッ!!


木柵を容易く突き破り、

さらにその先の民家へ激突した。


ガァァァンッ!!


壁が大きくひしゃげる。


ガラララッ……


崩れ落ちた木材が、土煙を巻き上げた。


⚔「……っ!」


ヴァルカの喉が鳴る。


⚔(あんなの……)


崩れた民家を見る。


砕けた壁

折れた柱

吹き飛んだ木材──


⚔(まともに食らったら……)


言葉の続きを考えるまでもなかった。


──死ぬ。


ヴァルカは咄嗟に地面へ剣を突き立てる。


⚔「っ……!」


震える足へ力を込め無理やり立ち上がった。

まだ腹部が痛む。

呼吸も苦しい。


だが、立たなければ終わりだった。


立ち込める土煙の中から、

ブラッド・ボアの姿が現れる。


「ブルルッ……!」


巨体を揺らしながら、

首を大きく左右へ振っていた。

まるで、激突の衝撃を振り払うように。


⚔「……?」


ヴァルカの瞳が細まる。


ブラッド・ボアは、すぐには動かない。

数秒。

ほんの数秒だが確かに動きが鈍っていた。


⚔(……もしかして)


ヴァルカは息を整える。


⚔(突進した後、隙ができるのか……?)


脳裏で先ほどの動きを反芻する。


⚔(それなら……)


剣を握る手に力が入る。


⚔(次の一撃を避けて――)


だが、考えをまとめるより早く。


「ブルルルルッ!!」


ブラッド・ボアが再び地面を掻いた。


ドンッ!

ドンッ!

ドンッ!


右前足が苛立つように土を蹴る。


そして次の瞬間。

ブラッド・ボアは再び猛烈な勢いで突進してきた。


⚔(来る……!)


ブラッド・ボアが地面を蹴る。

そのまま巨体が一直線に迫ってきた。


⚔「っ!!」


ヴァルカは息を止める。


限界まで引き付け――

横へ飛んだ。


だが。


ギィンッ!


⚔「……ッ!」


鋭い牙が、ヴァルカの腕を掠める。


皮膚が裂ける感触。

熱い痛みが走った。


ポタッ……

ポタッ……


地面へ赤い血が落ちる。


それでも

ヴァルカは傷を見ることすらしなかった。


⚔「……!」


すぐさま振り返る視線の先。

突進したブラッド・ボアが、

そのまま切り株へ激突していた。


ドゴォォォン!!


木片が飛び散る。


「ブルルルッ!!」


巨体が揺れる。

首を左右へ振る。


⚔(今だ!!)


ヴァルカの足が地面を蹴った。


一直線。

迷いなく。

ブラッド・ボアの背後へ飛び込む。


⚔「うおおおおおぉぉぉ!!」


渾身の力で剣を振り下ろした。


ザシュッ!!


「ギャオオオオォォォォ!!」


耳をつんざくような咆哮が辺りへ響き渡る。


⚔(やったか!?)


確かな手応え。

剣は確かに届いた。


初めて魔物へ傷を与えた。


だが――次の瞬間。


ドゴォッ!!


⚔「うぐっ!?」


凄まじい衝撃。

ヴァルカの身体が横へ吹き飛ばされる。


⚔「なっ……!?」


何が起きたのか、理解するより早かった。


ブラッド・ボアの後ろ脚。

蹴り上げるような一撃が脇腹へ直撃したのだ。


⚔「かはっ……!!」


肺から空気が吐き出される。


地面を転がる。

視界が揺れる。

脇腹が焼けるように痛んだ。


⚔(まだ……!?)


ブラッド・ボアは、

苦しそうに唸りながらも立っている。


そして。


真紅の瞳で、再びヴァルカを睨み付けた。


「ブルルルッ!!」


ブラッド・ボアが低く唸る。


ドンッ!

ドンッ!

ドンッ!


巨体がよろめく。

だがそれでも倒れない。


傷口から血を流しながら再び前足で地面を掻く。

真紅のタテガミは、

流れた血によってさらに赤黒く染まっていた。


⚔「はぁ……っ」


ヴァルカの呼吸は乱れている。


脇腹が痛い。

肺が焼けるようだ。


それでも。


目だけは、ブラッド・ボアから逸らさない。


「ブルルルルルッ!!」


次の瞬間。

ブラッド・ボアが地面を蹴った。


再び始まる突進。

一直線に迫る巨体。


⚔(くっ……!)


ヴァルカは剣を握り締める。


⚔(苦しい……)


呼吸が追い付かない。

足にも力が入らない。


⚔(でも……!)


眼前まで迫る牙。


土煙。

殺気。


⚔(いちかばちか!!)


ヴァルカは咄嗟に剣を横へ構えた。


そして。


迫り来るブラッド・ボアの突進に合わせ、

身体を大きく捻る。


次の瞬間。


ザシュッ!!


「ギャオオオォォォッ!!」


⚔「っ!」


剣が走る。

決して深くはない。


だが。


刃は確かに、ブラッド・ボアの左目を切り裂いた。


突然奪われた視界。

激痛。

ブラッド・ボアは悲鳴を上げながら、

その場で暴れ始める。


土が舞う。

木々が揺れる。


だが。


⚔「……!」


ヴァルカは逃げなかった。

むしろ、剣を握り直し真っ直ぐ前へ踏み込む。


⚔「……これで!」


脇腹が痛む。

腕から血が流れる。

呼吸も苦しい。


それでも。


⚔「決める!!」


渾身の力を込めてヴァルカは剣を突き出した。


グサッ――!!


刃が。

ブラッド・ボアの頭部へ深く突き刺さる。


「ギャオオオォォ……」


巨体が揺れる。


「……ォォ……」


その声は、徐々に小さくなり。


やがて。


ドサリ――


ブラッド・ボアは力なく地面へ倒れ伏した。


静寂。

風が吹く。


⚔「……はぁ…..はぁ….」


ヴァルカはその場に立ち尽くす。


まだ信じられなかった。

自分の手で。

初めて魔物を倒したのだ。



カランッ――


ヴァルカの手から剣が滑り落ちる。


⚔「……」


荒い呼吸。

震える指先。


今になってようやく、

自分の身体が小刻みに震えていることに気付いた。


⚔「……くそっ」


唇を噛む。


地面には倒れ伏したブラッド・ボア。


確かに倒した。

自分の力で。

初めて魔物を倒した。


それなのに。


⚔「……っ」


胸の奥に湧き上がったのは、

達成感ではなかった。


たった一体。

それも下級魔物。

それだけの相手に。


自分は恐怖で震え、

傷だらけになり、命を落としかけた。


⚔(俺は……)


握り締めた拳が震える。

脳裏に浮かぶのは、

鉄格子の向こうで泣いていたエリシア。


⚔(俺は……っ)


ロレントの冷たい瞳。

閉ざされた扉。


⚔(まだこんなにも……)


悔しさで、歯が軋む。


⚔(弱い……!)


ズキッ――


⚔「っ……!」


全身に激痛が走る。


脇腹は熱を持ち、

腕からは今も血が滴り落ちていた。

呼吸をするたびに胸が痛む。

足取りもおぼつかない。


今にも倒れそうだった。


それでも――


⚔「……こんなところで」


ヴァルカは倒れたブラッド・ボアへ視線を向ける。

たった一体の下級魔物。

その討伐だけで自分はここまで追い詰められた。


⚔「こんなところで止まっていられない」


その瞳に宿るのは諦めではなく執念だった。


ゆっくりと身を屈める。

そして地面へ落ちていた剣を拾い上げた。


カチャリ――


握り締めた柄から、

確かな重みが伝わってくる。


⚔「……待ってろ」


誰に聞かせるでもない呟き。


脳裏に浮かぶのは、

たった一人。


鉄格子の向こうで、

自分を信じて待ち続ける妹の姿。


⚔「必ず……」


剣を支えに立ち上がる。


ふらつく足。

傷だらけの身体。


それでも。


ヴァルカは一歩踏み出した。

さらに強くなるために。


傷だらけの体を引きずりながら、

冒険者ギルドへの帰路についた。


---------------------------


――数日後。


ヴァルカは再び冒険者ギルドを訪れていた。

その姿は目を背けたくなるほど痛々しかった。

服は裂け、包帯は血で滲み。

腕には応急処置の跡が残っている。


冒険者「お、おい……」

冒険者「なんだあいつ……酷い怪我じゃねぇか……」

冒険者「血だらけだぞ」

冒険者「確か登録したばっかの新人だったよな?」

冒険者「なんであんな必死なんだ……?」


ざわめきが広がる。

けれど。


⚔「……」


ヴァルカは誰の顔も見ない。

誰の言葉も聞いていない。

ただ真っ直ぐ受付へ向かって歩いていく。


一歩。

また一歩。


今にも倒れそうな足取りで。

そして、受付へ辿り着くと。


⚔「……依頼」


掠れた声。


⚔「達成しました」


受付嬢「……はい」


受付嬢は書類を確認する。

そしてどこか複雑そうな表情を浮かべながら頷いた。


受付嬢「確かに、討伐達成を確認いたしました」


ジャラッ――


受付台へ報酬袋が置かれる。

決して少なくない額。

新人なら喜ぶはずの報酬だった。


だが。


⚔「次の依頼を」


ヴァルカは一瞥もしなかった。


受付嬢「……っ」


思わず言葉を失う。


受付嬢「せめて……怪我が治ってからにしてください」

⚔「そんな規約は無いはずです」


即答だった。


受付嬢「それは……そうですが……」

⚔「大丈夫です」


静かな声。

だが、そこには異様なまでの確信があった。


⚔「俺は死にません」

受付嬢「……」

⚔「絶対に、死ねませんから」


その瞳は、まるで何かに取り憑かれたようだった。


受付嬢はしばらく黙り込む。

そして小さく息を吐いた。


受付嬢「……分かりました」


引き出しを開ける。

そして一本の瓶を差し出した。


受付嬢「でも、これを飲んでからです」

⚔「……?」

受付嬢「上級ポーションです」

受付嬢「報酬の一部だと思って、受け取ってください」

⚔「……」


ヴァルカは瓶を見る。

それからほんの僅かに目を伏せた。


⚔「……ありがとうございます」


ヴァルカは受け取ったポーションの栓を抜く。

そして躊躇なく一気に飲み干した。


⚔「……っ」


体の奥へ温かな感覚が広がっていく。

腕の傷が塞がり始める。

裂けた皮膚がゆっくりと繋がり、

痛みも幾分和らいだ。


受付嬢は、そんな様子を見ながら静かに口を開く。


受付嬢「ポーションも、治癒魔法も万能ではありません」


依頼書へ目を落としたまま言葉を続ける。


受付嬢「治ったように見えても、

深い傷は時間をかけて自然に治さなければなりません」


⚔「……」

受付嬢「それから――」


そこで初めて受付嬢はヴァルカを見た。

その表情は、どこか悲しげだった。


受付嬢「疲労や、精神的な傷については……」

受付嬢「癒すことはできないんですよ」

⚔「…………」


ヴァルカは何も答えない。

ただ静かに、その言葉を聞いていた。


受付嬢「くれぐれも、お気をつけてください」


そう言って受付嬢は一枚の依頼書を差し出した。

ヴァルカはそれを受け取る。


⚔「……はい」


短い返事。


⚔「分かっています」


けれど。


その言葉にどこまで本心が含まれているのか。

受付嬢には分からなかった。


ヴァルカは依頼書を握り締めると、

そのまま踵を返す。


そして再び冒険者ギルドを後にした。


---------------------------


それからのヴァルカは止まらなかった。


魔物を倒す。

傷付く。

依頼を達成する。


そしてまた魔物を倒す。


何度も。


何度も。


何度も。


死にかけながら帰還しては、

応急処置だけで傷を塞ぐ。

ポーションを飲み干し、包帯を巻く。

そして休む間もなく、再び討伐へ向かった。


周囲が呆れるほどに。

周囲が心配するほどに。


ただひたすら前へ進み続けた。

その結果、ヴァルカは着実に力を付けていった。


下級魔物

中級魔物


そして――

上級魔物


やがて、

1人で上級魔物を討伐できるほどになった頃には、

その名は冒険者達の間で広く知られるようになっていた。


---------------------------


3年後――

クレインヒル冒険者ギルド


チリンッ――


扉が開く。

その音に何人もの冒険者が顔を上げた。


「おっ!」

「ヴァルカじゃねぇか!」


振り返った先に立っていたのはかつての少年ではない。

高く伸びた背丈。

鍛え上げられた肉体。


そして。

数え切れない死線を越えてきた者だけが持つ、静かな風格。


21歳になったヴァルカだった。


「この前は助かったぜ!」

「お前が来なかったら、俺ら全滅してたぞ!」

「ヴァルカー!俺たちのパーティに入ってくれよ!」

「今日も討伐かー?」


⚔「……おう」


短い返事。

けれどそれだけで周囲が笑う。

今やヴァルカはギルドでも一目置かれる存在になっていた。

そして少し離れた場所では。


「あれがヴァルカさんよ……!」

「今日もかっこいい……」

「分かるわぁ!」

「あの憂いのある瞳が素敵なのよね!」

「金髪も綺麗よねぇ……」


ひそひそと盛り上がる女性冒険者達。


しかし。


⚔「……」


一向に気づかないヴァルカ。

依頼書を受け取り、内容を確認しそのまま踵を返す。


そして何事も無かったかのように、

討伐へ向かって歩き出した。



──その日の晩

ヴァルカは宿屋の一室にいた。

部屋の中には暖炉の火が静かに揺れている。


カシュッ……

カシュッ……


砥石が剣を滑る音だけが響く。


⚔「……よし」


ヴァルカは剣を持ち上げた。

窓から差し込む月明かりへ向ける。


ギラリ――

磨き上げられた刃が鋭く光を反射した。


⚔(明日……)


その瞳が細まる。


⚔(必ず救い出す)


4年間。


ただひたすら強さだけを求め続けた。

全てはたった一人のため。


ヴァルカは机の上へ視線を落とす。

そこには何枚もの紙が広げられていた。


屋敷の見取り図

警備の巡回経路

使用人時代に覚えた構造


そして。


⚔「……エリシアの部屋」


指先が、2階の一角をなぞる。


⚔「正面は無理だな……」

⚔「裏手から侵入して……」

⚔「ここを抜けて……」


独り言のように呟く。


暖炉の炎が揺れ、月光が机を照らす。

ヴァルカの青い瞳には、

静かな決意だけが宿っていた。


---------------------------


そして――

いよいよ、その日が来た。


夜。


雲に隠れた月が町を薄暗く照らしている。

闇夜に紛れ、1つの影が静かにロレント邸へ近付いていた。


⚔「……」


足音は無い。

呼吸音すら抑え込む。

影の正体は、もちろんヴァルカだった。


かつて無力なまま追い出された場所。

4年間、何度も夢に見た場所。

その屋敷を今再び見上げる。


⚔(計画通りだ)


視線の先には巡回する警備兵達。

だが誰一人として、

ヴァルカの存在には気付かない。


⚔(裏手の扉から入る)


使用人だった頃に知った情報。


警備の癖。

屋敷の構造。


全て頭に入っている。


ヴァルカは塀を越えると、

影から影へ移るように進んだ。


無駄の無い足運び。

静かな呼吸。

3年間の実戦で磨かれた身のこなしだった。


⚔(エリシア……)


胸の奥で心臓が強く脈打つ。


⚔(使用人達の動きから考えて……)


ヴァルカは静かに廊下を進む。


⚔(エリシアはまだ生きている可能性が高い)


ここまで集めてきた情報。

使用人達の会話

屋敷への出入り

全てを照らし合わせれば、

その可能性は十分あった。


だが――


⚔(もし……)


足が止まりそうになる。


⚔(もし、間に合わなかったら……?)


4年間....あまりにも長い時間だった。


⚔(手遅れだったら……?)


胸の奥が締め付けられる。


脳裏に浮かぶのは、鉄格子越しに見た、

あの泣き腫らしたエリシアの顔。


☀『お兄ちゃん……』

⚔「……っ」


自然と拳に力が入る。

爪が掌へ食い込む。


それでも。

ヴァルカは首を振った。


そんなことを考えるために、

ここまで来たわけじゃない。


⚔(エリシア……)


青い瞳が揺れる。


⚔(頼む……!)


その願いは、祈りにも似ていた。


そして――

ついに。


その扉の前へ辿り着いた。


⚔「……」


ヴァルカは一度だけ深呼吸をする。

心臓がうるさいほど鳴っていた。


震える手でそっと扉を押し開ける。


ギィ……


静かな音を立てて開いた部屋。


そして

その目に映ったのは――


紛れもなく、エリシアだった。


⚔「……!」


見間違えるはずがない。


毎日思い続けた。

何度も夢に見た。

たった一人の妹。


だが――


⚔「……っ」


言葉を失う。


エリシアは痩せ細っていた。

かつて艶やかだった髪は輝きを失い、

目の下には深い隈が刻まれている。


細い手首には、何かで縛られていたような赤い痕。

その姿はあまりにも痛々しかった。


⚔「エリ……シア……?」


掠れた声で名を呼ぶ。

エリシアはゆっくりと顔を上げた。


☀「…………」


その瞳は虚ろだった。


まるで

信じることをやめてしまったかのように。


⚔「エリシア……!俺だ!」


必死に声をかける。

だが。


☀「…………」


エリシアは反応しない。

虚ろな瞳のまま、ただヴァルカを見つめている。


⚔「……っ!」


胸が締め付けられる。

助けに来ると約束したのに。

こんな姿になるまで、一人で耐えさせてしまった。


⚔「……帰ろう」


震える声で呟く。


⚔「エリシア」


そっと手を伸ばす。


エリシアは抵抗しなかった。

ヴァルカはその細い身体を抱き上げる。

あまりにも軽かった。

胸が痛むほどに。


⚔「帰ろう……」


もう一度だけそう呟くと、

ヴァルカはエリシアを抱えたまま、

静かにロレント邸を後にした。


☀「……」


馬上でも、エリシアは何も言わなかった。

月明かりに照らされた横顔は、あまりにも儚い。

ヴァルカは唇を噛む。


⚔「すまない….エリシア….」


そう言って手綱を握ったその時だった。


☀「….おに….ちゃん…..」


⚔「….!」


時間が止まる。


聞き間違いじゃない。


今。確かに。

エリシアが自分の名を呼んだ。


ヴァルカ「….大丈夫だ。絶対に助けてやる」


ヴァルカは手綱を握り直しゆっくりと馬を走らせ始めた。


──その2人の姿を、月光だけが照らしていた。

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