後編
ルティアは、兄の手によって、カミュール家の自室へと戻されていた。
「ねえ、アンジュ。もう、私、命を狙われる危険はないのでしょう?
どうしてお兄様はあんなに、お怒りになるの?」
黒い髪、青い瞳の女神は、首を傾けて自らの侍女に問うた。
「ルティア様、私の留守に、危険です。王都は、街は危険なんですよ!!
せめて私か、護衛のビオンを連れてくださるように、何度も申し上げているでしょう?」
「だって、ビオンは休暇中だし、アンジュは用事で出ていたでしょう。
ちょっと、教会に行くだけなのに。」
あれだけ、兄にも侍女にも怒られているのに反省していない。きっ、と怒った表情をした侍女に対して、あわててルティアは言った。
「あの、でも、ごめんなさい。心配かけたことは、反省しています。」
揺れる青い瞳。うつむいて翳る、美しい横顔。それは、主人至上主義のアンジュを慌てさせるには、十分な威力を持っていた。
「あぁぁ、ル、ルティア様。次からでいいのです。決して、独りで危険なことをなされませんようにぃい。」
「そうだよ、ルティア。」
優しい声が、後ろから聞こえて、ルティアは振り返る。
「お兄様。」
「私に心配をかけさせないでおくれ。お姫さま。
私には、ルティアしか居ないのだから。」
この世で二人だけの兄妹、唯一の肉親であるルティア。それを失っては、生きていけないと、いつも言っているではないか。と、ルティアを抱き上げる。
「お兄、さま。」
そんな兄を、自分を溺愛する兄の頭をぎゅっと、ルティアは抱きしめた。
この心配は本物。私は、お兄さまを一人にはできない。
ルティアは、自らの行いを反省した。
「あっ、あのぅ、ルティア様はご在宅でございましょうか?ぼ、ぼく、わっ私は、しゅべるつ・・・。」
「シュベルツ・イル・マセルティ様、大変、申し訳ないのですが、ルティアお嬢様は体調を崩されて伏せ入っておりますので、お会いに成れません。」
そのころ、カミュール家のベルを鳴らした現市長の息子は、ルティアの兄・ラディシルに命じられるまま、執事に追い返されていた。
赤獅子と呼ばれる軍神、王太子、休暇中の元傭兵の護衛、双子の片割れの神父、王都一の癒し手、司祭様、そして現市長の息子、これで執事が追い返したのは7人目であった。そして、みんな一束ずつ白木蓮の花束を、置いていったのだった。
翌日のこと。
「なんだか、今日は木蓮の花が、たくさん生けてあるのね。」
部屋中の花瓶には、どこも白木蓮が生けられている。ルティアの一番好きな花であり、うれしいのだが、未だかつてこのように沢山生けられたことはない。
「時期だからでございましょう。ルティア様。」
さらっと、そう言う侍女も共犯者であった。
「木蓮を見ると、お父様を思い出すわ。」
そう言った、ルティアをぎょっとした顔で見る、侍女アンジュ。
しかし、心配するまでもなく、ルティアは穏やかに木蓮の匂いを楽しんでいる。
ああ、よかった。ルティアの表情は、穏やかだ。
「あっ、あの、ルティア様はご在宅でございましょうか?わっ私は、しゅべるつ・・・。」
「シュベルツ・イル・マセルティ様。今日はどういったご用件でございましょうか。」
カミュール家を訪ねたシュベルツを、昨日と同じように執事が対応した。
ルティアの忘れ物である、日傘と籠と届けながら、花を贈ろうと思っていたのだが、昨日はすっかり舞い上がってしまい、花だけしか届けられなかったのであった。あのあと、子供たちが気を利かせて、シュベルツの屋敷まで日傘と籠を届けてくれたのだ。シュベルツが花と一緒に、届けたほうが良いだろうと。
なんと、できた子供たちだろう。拙い字でそれぞれ書いた、お礼の手紙も付いている。これを見たら、きっと、女神様の体調もよくなるだろうと、シュベルツは思った。そして、また木蓮の花束を買って日傘と籠と子供たちの手紙を持って、来たというわけである。
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。マセルティ様」
執事が、頭を下げた。昨日は、カミュール家当主、ラディシルの命により訪問客は全て退けたが、本日はなにも主人より仰せつかっていない。
「あっ、いいんです。ルティア様に渡していただければ。あの、体調が、・・・。」
「まあ、シュベルツ様。
ごきげんよう、シュベルツ様。昨日は大変、失礼いたしました。」
ちょうど、庭に出ようとしたルティアが、踊り場へと顔を出し、訪問したシュベルツと鉢合わせたのだった。
「るっ、るてぃあさま、ごきげんよろし、く。ほんじつも、うるわしく、ぞんじあげます。」
「ルティアお嬢様、マセルティ様は、昨日お嬢様がお忘れになった日傘と籠をお届けになってくださったのです。お嬢様がお好きな木蓮のお花もいただいております。」
執事が、シュベルツを代弁して訪問の趣旨を話してくれた。
「まあ、そうですの?ありがとう存じ上げます、シュベルツ様。」
白いドレスに身を包んだルティアが、満面の笑みでシュベルツに微笑みかけた。青い瞳がシュベルツへと向けられる。その威力は、破壊的であった。
感極まったシュベルツは、倒れそうになったが、そこは気合で持ち直した。が、それがいけなかった。
「あっ、あのシュベルツ様、鼻から血が・・・。大丈夫でございますか?」
どうしましょう。どうしましょう。と、慌てふためくルティアであったが、そこは、熟練の執事。そっとルティアにハンカチを差し出した。
「そうよね、拭かなきゃ。ありがとう。」
執事に、お礼を言うと、ルティアはシュベルツの鼻血をハンカチで拭こうとした。が、顔を真っ赤にして、鼻と口元を押さえているシュベルツは、そんなことに耐えられる免疫は皆無に等しかった。
ルティアが鼻血を拭こうと一歩進むと、シュベルツも一歩二歩後退した。
そして、また緊張と、歓喜と羞恥のあまり足のもつれたシュベルツは、後ろへ転倒して、頭を打ち、意識を失った。
ごとっ。
「大丈夫ですかっっ?
お医者様を。どうしましょう。アンジュ。アンジュ来てー。」
「シュベルツ様?シュベルツ様!!」
シュベルツ・イル・マセルティ。王都エル・セル・ラルトの現市長の息子。
くすんだ金髪と茶色い瞳。いまひとつ冴えない青年。それなりに、誠実で優秀だが、ルティアを女神としてあがめている。そのため、ルティアに会うと、緊張のため、話し方と行動が挙動不審になる。
シュベルツは、今日も、今日とて幸せだった。
例え、木蓮の花の匂いに包まれて、気を失ったとしても・・・。




