第9話:崩壊する『アーク』と、人間の本性、そして5頭の群れ(パック)の誕生
第9話では、崩壊する要塞アークで剥き出しになる「カテゴリーAとカテゴリーDの変わらぬ本性」、絶対的リーダー『クロ』の統率によって一瞬で誕生する『5頭の最強の群れ(パック)』、そして金塊を抱えて逃亡を図る黒崎将軍への容赦なき鉄槌をお届けします!
【406日目・午前7時15分:地獄の埠頭と、2つの『人間のクズ』】
絶対不落を誇っていた『アーク連絡橋』の海上コンテナ壁は、もはや見る影もなかった。
幅十メートルにわたって崩落した壁の風穴から、スタジアムから解き放たれた一万体の感染者の黒い奔流が溶岩のように溢れ出し、長い連絡橋を渡って人工島の心臓部――発電所、倉庫街、そして埠頭へと三つの巨大な濁流に分かれて雪崩れ込んでいた。
俺は高機動救助工作車のハンドルを握り、感染者の本隊が走る中央車線とはガードレールで仕切られた「保守点検用の狭い側道スロープ」を通って、大群の最後尾から百五十メートル後ろを静かに追走した。
橋を渡り切ったところでアクセルを踏み込み、六トンの車体前面の鋼鉄製バンパー(排土板)で港湾税関の脇門のフェンスをそのままなぎ倒して、人工島の東側埠頭エリアへと突入した。
要塞『アーク』は、文字通り地上の地獄と化していた。
あらゆるスピーカーから緊急警報のサイレンが鳴り響き、流れ弾が引火した燃料タンクから黒煙の柱が立ち昇り、統制を失った兵士たちの乱射音と、何百という腐った手に引きずり倒されて生きたまま貪り食われる断末魔の悲鳴が港全体にこだましていた。
だが、ライトを消した装甲トラックを港湾クレーンの影に沿って走らせながら、鉄格子付きの防弾ウィンドウ越しに外の光景を見渡した俺は――自分が属していた『人間』という種に対する最後のわずかな未練すらも、完全に消え失せる二つの光景を目撃した。
俺の右手二百メートル先、メイン埠頭に横付けされた白い『豪華客船』の前だった。
そこは五十人の『カテゴリーA』の上級国民――政治家、高級官僚、裁判官、大病院の院長たち――が暮らしていた特権居住区だ。船員たちは感染者の侵入を防ぐため、すでに岸壁と船を繋ぐタラップ(乗船橋)を完全に引き上げていた。
その船の真下の岸壁では、つい五分前まであのコンテナ壁の上で上級国民たちを守るために命がけで銃を撃っていた十五人ほどの若いアークの兵士たちが、血まみれの拳で客船の白い鉄の船体を叩きながら必死に叫んでいた。
『開けてくれ!! 第2守備隊だ、もう弾が尽きたんだ!! 縄梯子を降ろしてくれ、すぐ後ろまで化け物の群れが来てるんだァァッ!!』
すると、豪華客船の 最上階デッキの手すりから、麻のジャケットや清潔な白いシャツを着た三人の男たち――カテゴリーAの管理委員たち――が身を乗り出した。
彼らは縄梯子を降ろす代わりに、護身用の自動拳銃を片手で構え――下で助けを求めている『自分たちの味方の兵士たちの背中と脚』に向かって、上から次々と銃弾を撃ち込んだのだ!
『うるさいぞ、お前たちがそこで大声を出すから化け物が船に集まってくるんだろうが! そのまま岸壁で肉の壁になって、我々の船が沖へ出るまでの時間稼ぎをしろ!』
俺は吐き気を噛み殺し、視線を左側の『大型倉庫街』へと移した。
そこは、アークに拉致された三百人以上の『カテゴリーD』の強制労働者たちが閉じ込められていた区画だ。発電所の送電トラブルで倉庫の電磁ロックが解除され、首に鉄の首輪をはめられた百人近い労働者たちが、まだ感染者が到達していない荷捌き広場へと一斉に飛び出してきていた。
俺は、彼らが互いに助け合って救命ボートへ走るか、あるいは怪我人を背負って逃げるのかと思った。
だが、違った。
脱出したカテゴリーDの労働者のうち、体格のいい二十人ほどの男たちが、入り口で死んでいた看守の兵士から自動小銃や鉈を奪い取った。
そして奴らがその銃口を向けた先は、迫り来るゾンビではなかった。『同じ首輪をつけた、自分たちより弱い仲間の労働者や女たち』だったのだ!
『おい、そこの女! 将校の車から持ち出した食料の箱と金の腕時計を全部置いていけ!!』
『嫌なら頭をぶち抜くぞ、今日からは銃を持ってる俺たちがここのカテゴリーAだァァッ!!』
首に鉄の首輪をつけた大男が、地面に転んだ老人の顔をブーツで何度も蹴りつけ、その手から米の袋を奪い取って下品な笑い声を上げていた。すぐ百メートル先まで感染者の群れが迫っているというのに、奴らは自由になった最初の1分間で、自分たちより弱い人間を殴り倒して略奪と支配を始めていたのだ。
右側では、カテゴリーAの上級国民が味方の兵士を後ろから撃ち殺している。
左側では、カテゴリーDの奴隷が自由になった瞬間に弱い仲間を殺して奪い合っている。
ハンドルを握る俺の両手は、1ミリも震えなかった。
「……やっぱり俺の思った通りだよ、クロ」
俺は冬の玄武岩のように冷たい声で呟いた。「被害者も加害者もありゃしない。もし今日、俺があの首輪をつけた連中を助けて島へ連れて帰れば、明日の朝にはあいつらが新しい『谷口』や『黒崎将軍』になるだけだ。――勝手に最後まで食い合ってろ」
【406日目・午前7時26分:4つの檻と、『アルファ』の絶対統率】
俺は人間たちが殺し合う広場に背を向け、ハンドルを左へ切って、一時間前に訓練所の屋上から双眼鏡で確認した「東埠頭の突端」へとトラックを走らせた。
倉庫から離れた岸壁の入り口に装甲トラックを横向きに停めてバリケードにし、俺は89式自動小銃を胸に下げ、片手に手動の大型ボルトカッター、もう片方の肩に「島のイノシシ肉」を詰めたリュックサックを担いで、クロと一緒に地面へ降り立った。
四十メートル先のメイン通路を、三十体ほどの感染者の群れが豪華客船の悲鳴に引き寄せられて全力で駆け抜けていった。
感染者たちは、岸壁の端に並べられた『四つの鉄格子の輸送檻』からわずか十メートルの横を通り過ぎたが、ウイルスの生物学的法則の通り、ただの一体も檻の中の犬たちを振り返ることはなかった。
俺は四つの檻の前、三メートルの位置で足を止めた。
濡れた獣の毛と、飢えと、張り詰めたアドレナリンの強烈な匂いが立ち込めていた。
水入れすら空っぽになった錆びた鉄格子の檻の中には、アークの兵士のスタンバトンで焼かれた火傷の跡を脇腹に残し、あばら骨が浮き出るほど飢えさせられた『四頭の誇り高き大型使役犬』が閉じ込められていた。
一つ目と二つ目の檻には、体重三十二キロほどの精悍な雄の『ベルジアン・シェパード・マリノア』が二頭。黒い仮面のような顔立ちの奥で、琥珀色の瞳が鋭い知性を放っている。
三つ目の檻には、クロと同じ軍用系統の毛並みを持つ、しなやかな筋肉の『ジャーマン・シェパードの雌』が一頭。
そして四つ目の檻には、岩のような巨大な頭蓋骨と港湾警備隊の革首輪を持つ、体重五十キロ近い雄の『ロットワイラー』が一頭!
俺がアークの黒い防弾チョッキを着て近づいたのを見た瞬間、四頭の犬たちは一斉に激しい唸り声を上げ、白い牙を剥き出しにして鉄格子に体当たりしてきた。俺を、毎日スタンバトンで電流を流しに来るアークの兵士の一人だと思ったのだ。
もし素人がこのまま四つの檻の扉を開ければ、極限の飢えと人間への憎悪でパニック状態にある四頭の猛犬に一斉に飛びかかられ、十秒で喉笛を食い千切られるだろう。
だが俺には、さっき警察犬訓練所で読み込んだ『リーダー犬を利用した社会的模倣・短期育成教本』の知識があった。やるべき手順は、明確に「三段階」だ。
【第一段階:敵の匂いの排除と、命を救う食料の共有】。
俺はまず、アークの兵士の匂いが染みついた防弾ヘルメットと黒い防弾チョッキを脱ぎ捨てて地面に放り投げ、俺自身の汗と島の薪の煙の匂いが染み込んだ作業シャツ一枚の姿になった。
そしてリュックサックを開け、中から重さ五百グラムずつの分厚い塊――俺が島で丹精込めて作った『野生イノシシの冷燻ベーコンと純粋なラード(豚脂)の塊』を四つ取り出し、俺の素手の匂いをたっぷりと擦り込んでから、四つの檻の鉄格子の隙間へと一つずつ投げ入れた! さらに背中の水筒の真水を、外側の給水トレイになみなみと注ぎ入れる。
四頭の犬たちの動きが、ピタリと止まった。
何週間もの間、彼らが人間から与えられてきたのは電気ショックの痛みと泥水だけだった。だが今、目の前に投げ込まれたのは、極上の煙の香りを放つ高カロリーの動物の脂と肉、そして清潔な水だ。
生存本能が警戒心を凌駕した。四頭は夢中になってイノシシの肉塊に食らいつき、わずか十秒でラードの一滴まで舐め尽くし、むさぼるように真水を飲み干した。
【第二段階:絶対的アルファ(クロ)による序列の確定】。
四頭が水を飲み終えた瞬間、俺は隣に立つクロの肩に指を二本触れて合図を送った。
クロが静かに前へ進み出て、四つの檻の扉からわずか1メートル手前の岸壁の中央に立ちはだかった。
クロは吠えもしなければ、歯も剥かなかった。
ただ、前足を肩幅にしっかりと開き、分厚い胸板を前に張り出し、頭と尻尾を高く掲げ、ピンと立てた耳と黄金のような威厳を放つ黒い瞳で四頭を上から見下ろしながら、胸の奥から地鳴りのような重低音の振動を響かせた――教本に書かれていた『アルファ(群れの絶対的リーダー)の威圧姿勢』だ!
俺は恐怖を一切見せることなく檻に歩み寄り、手動のボルトカッターで四つの南京錠を次々と噛み切ると、四つの鉄格子の扉を『同時にすべて全開』にして、クロのすぐ隣へと二歩下がった。
二頭のマリノアと、雌のジャーマン・シェパードが、ゆっくりと檻の外のコンクリートへと踏み出してきた。
彼らはまず、自分たちの鎖を断ち切って最高の肉を与えた「俺」を見上げ、次にその隣で圧倒的な風格と、実戦で人間を殺してきたばかりの血の匂いを纏って立つ「クロ」を見た。
即座に、雌のジャーマン・シェパードが耳を後ろへペタリと伏せ、頭を低く下げてクロの顎の下に自分の鼻先を擦りつけた。服従と敬意の挨拶だ。二頭のマリノアも尻尾を下げ、クロから二メートル離れた位置に行儀よく腰を下ろしてリーダーの指示を待った。
ただ一頭――四つ目の檻から出てきた『体重五十キロの巨漢ロットワイラー』だけが、背中の毛を逆立てて足を止めた。
これまで港の犬舎で最強だったプライドから、自分より十キロ軽いクロが群れの頂点に立つことを認められず、低く唸りながらクロの喉元を睨みつけて順位決定の挑発を仕掛けたのだ。
俺は銃もカナテコも動かさなかった。
教本にはこう太字で書かれていた。『アルファ犬が新しい群れのメンバーと順位を決める儀式を行う際、ハンドラーは決して暴力で介入してはならない。アルファ自身の力でねじ伏せさせることで、群れのピラミッドは一瞬で完成する』。
次の瞬間、クロが動いた。人間の動体視力では捉えきれないほどの黒い閃光だった。
ロットワイラーが前へ踏み込むよりコンマ五秒早く、クロは斜め前方へ低く飛び出し、巨漢の正面衝突を紙一重でかわすと、四十キロの筋肉の塊となった自分の右肩をロットワイラーの『左後ろ脚の付け根(重心)』へと下からすくい上げるように激突させた!
――ドンッ!!
テコの原理を完璧に使った体当たりによって、五十キロのロットワイラーの後ろ足が宙に浮き、そのままコンクリートの岸壁の上に『仰向け(腹を見せた状態)』にひっくり返った!
そしてロットワイラーが起き上がるより早く、クロはその分厚い胸板の上に前足で仁王立ちになり、大きく開いた二百キロの顎を、無防備に晒されたロットワイラーの『喉笛の真上』にガシリと被せた!
血は一滴も流さなかった。本物のアルファは、群れの戦力となる仲間を傷つけたりはしない。ただ、「俺がその気になれば一秒でお前の喉を噛み砕ける」という圧倒的な事実だけを、五センチの距離から突きつけたのだ。
一秒、二秒、三秒。
五十キロのロットワイラーは、自分の上に立つ黒い軍用犬の「格の違い」を骨の髄まで理解した。
四肢の力を完全に抜き、首を横に曲げて急所を明け渡すと、「クゥン……」と子犬のような高い声を一声だけ鳴らし、クロの口の端を舌でペロペロと二回舐めた。完全なる降伏と忠誠の証だった。
クロが静かに顎を離して胸の上から降りると、ロットワイラーは素早く立ち上がり、耳を伏せて二頭のマリノアの隣へとピタリと並んだ。その目にはもう反抗の色はなく、クロと俺に対する絶対の服従だけが宿っていた。
俺は胸元の『超音波ドッグホイッスル』を唇に当て、札で覚えた二つ目の信号――『長音1回+短音1回=【集合・脚側待機】』を吹き鳴らした。
――フーッ、フッ!
その瞬間、まるで十年間一緒に訓練を受けてきたかのように、クロの動きを即座に模倣した四頭の犬たちが音もなく駆け寄り、俺の両足を囲む完璧な『V字の護衛陣形』を組んでピタリと座った!
左前方にリーダーのクロ。右前方に雌のシェパード。左右の両翼に二頭のマリノア。そして俺の背後を守る殿に五十キロのロットワイラー。
合計二百キロを超える筋肉と牙。感染者からは完全に見えない、俺だけの『5頭の最強の群れ(パック)』が誕生した瞬間だった。
【406日目・午前7時38分:黒崎将軍の逃亡船と、5頭の牙】
『ぎゃあああああああっ!! 客船のデッキまで上がってきたぞ、もう終わりだァァァッ!!』
百メートル先の中央埠頭から、絹を裂くような絶叫が響き渡った。
見やると、数千体の感染者の群れが豪華客船の係留ロープや下に停まったトラックを踏み台にして船体へとよじ登り、ガラス張りの展望サロンを突き破って船内へとなだれ込んでいた。五分前に味方の兵士を撃って笑っていた『カテゴリーA』の政治家や官僚たちが、逃げ場のない船の上で次々と引き裂かれていく。
だが、俺の視線は豪華客船にはなかった。
俺のいる東埠頭のさらに奥――八十メートル先の重量物運搬用のスロープ岸壁に釘付けになっていた。
そこには、黒煙を吐いてすでに二基の大型船舶用エンジンを始動させている、俺の本当の標的――『大型武装揚陸バージ(全長二十五メートルの平底輸送艦)』が係留されていた!
この船こそ、明日俺の無人島を制圧してプランテーション化するために、昨夜のうちに労働者たちが「あらゆる開拓資材」を満載していた宝船だ。
広い甲板と船倉には、分厚い防弾鋼板の束、速乾性セメントの袋、工業用ソーラーパネル二十枚と大型リチウム蓄電池、海水淡水化装置、軽油のドラム缶、果樹の苗木、そして後部の柵の中には『生きた乳用ヤギが四頭と、産卵用のニワトリが二十羽』までそのまま積み込まれている!
そして今まさに、港湾司令部の裏口から飛び出してきた五人の男たちが、燃え盛る要塞を見捨てて自分たちだけ海へ逃げ出そうと、その揚陸バージの可動式タラップ(乗船スロープ)へと駆け上がっていた。
先頭を走っていたのは、金色の勲章をじゃらじゃらとぶら下げた黒い将官服の下に重装甲ベストを着込み、片手に9ミリ短機関銃、もう片方の手に銀色のジュラルミンケースを握りしめた五十代の男――『黒崎将軍』だった。
その周囲を、自動小銃を構えた四人の親衛隊の兵士が固め、最後の係留ロープをナイフで切り離そうとしている。
「早くロープを切れ、モタモタするな!!」
黒崎将軍がタラップの上で唾を飛ばして怒鳴り散らした。「客船の老いぼれ政治家どもなど見捨てておけ! この揚陸バージには半年分の食料と資材が全部積んである! このままあのカテゴリーDのコンビニ店員の無人島へ直行し、あいつを縛り首にしてそこを俺の新しい王国にするぞ!!」
俺は四十メートル手前のトラックの陰から、89式自動小銃を肩に構え、左右に『五頭の使役犬の群れ』を従えたまま、ゆっくりと岸壁の中央へと歩み出た。
「わざわざ航海する必要はないぞ、黒崎将軍」
俺の静かだがよく通る声が、岸壁のコンクリートに反響した。「島の持ち主が、直接ここまで船を受け取りに来てやったからな」
黒崎将軍と四人の親衛隊が、弾かれたようにこちらを振り返った。
「き、貴様、何者だ!? その服は権藤大尉の第3部隊の――」
黒崎が目を剥き、俺の顔と足元の黒いシェパードを見て絶叫した。「あ、あいつだ!! 無人島のコンビニ店員だ、スタジアムの門を開けたのは貴様かァァッ!! 撃て、お前たち、今すぐあの男を蜂の巣にしろォォッ!!」
四人の親衛隊が一斉に自動小銃の銃口を俺へ向けた。
同時に、黒崎の大声に引き寄せられて、横のコンテナの路地から『四十体以上の血まみれの感染者』が唸り声を上げながら俺と船の間の岸壁へと雪崩れ出てきた!
俺は即座に鋳鉄製の係船柱の陰へ身を躍らせながら、89式自動小銃を三点バーストで発砲し、タラップの上でロープを切ろうとしていた一人目の親衛隊の胸板を撃ち抜いて海へ突き落とした。
そして間髪入れず、口元の『超音波ドッグホイッスル』に息を吹き込み、札に記されていた最終コマンド――『連続短音3回=【全頭一斉突撃・武装解除】』を鳴らして、黒崎と残りの三人の親衛隊を指差した!
――フッ、フッ、フッ!!
そこからの五秒間に起きたことは、黒崎たちの軍事常識を根底から粉砕する悪夢だった。
俺と揚陸バージの間の四十メートルの岸壁には、四十体以上の感染者がひしめいていた。
三人の親衛隊は「ゾンビの壁に阻まれてあの男は近づけない!」と確信し、まず目の前に迫るゾンビに向かって銃を乱射し始めた。
だが――リーダーのクロを先頭に、雌シェパード、二頭のマリノア、そして五十キロのロットワイラーの『五頭の群れ』が、時速五十キロの黒い疾風となって地面を蹴り、『四十体の感染者の腐った脚のど真ん中』を一直線に突き抜けて走ったのだ!
感染者たちは、自分たちの股の下や真横をすり抜ける五頭の犬には目もくれない。
そして次の瞬間、ゾンビの壁のすぐ向こう側から、銃声にも臆さない『五頭の軍用犬・警察犬の群れ』が突如として親衛隊の鼻先三メートルに飛び出し、一斉に宙へと跳躍した!
「い、犬だと!? なんでゾンビの群れの中から五頭も犬が飛び出してくるんだァァッ!?」
――ガキィッ!! バキィィィッ!!
「「ぎゃあああああああああっ!!!」」
それは、完璧な群れの連携による処刑だった。
身軽な二頭のベルジアン・シェパード・マリノアが、地上二メートルの高さまで跳び上がって二人目の親衛隊の顔面と喉笛に同時に食らいつき、そのまま岸壁の端から海へと引きずり落とした!
クロと雌のジャーマン・シェパードは、阿吽の呼吸で三人目の親衛隊を上下から挟撃した。クロが銃を握る右前腕の骨を一撃で噛み砕き、雌シェパードが左膝の裏の腱を食い千切って鉄板の上に引き倒す!
そして、体重五十キロの装甲車のような『ロットワイラー』が、タラップの奥にいた『黒崎将軍』の胸板へ正面から激突し、将軍を甲板の上に仰向けに押し倒すと、その巨大な顎で黒崎が短機関銃を握る右前腕をガシリと噛み砕いたのだ!
「ぐぎゃあああああああっ!! わ、私の腕がァァッ!! 離せ、このクソ犬めぇぇっ!!」
後ろから追いついてきた四十体の感染者が、タラップの下で倒れた親衛隊の兵士たちに群がって貪り食う中、俺は岸壁の外縁を全力で駆け抜け、船腹の低い手すりを飛び越えて揚陸バージの甲板へと直接躍り込んだ!
そのまま操舵室横の油圧レバーを引き、船首の可動式タラップを地上から『一・五メートルの高さ』までウィンチで巻き上げる。これで、下の岸壁にいる感染者たちは船の中へ上がってくることはできない!
甲板の上では、右腕をロットワイラーに噛み砕かれて血を流す黒崎将軍が、必死に足をバタつかせながら、動く方の左手を脇の下のホルスターへ伸ばし、金色の装飾が施されたリボルバーを引き抜こうとしていた。
俺は犬笛を短く一回吹いて五頭の犬たちを俺の後ろへと下げ、それと同時に、背中から引き抜いた重さ六キロ・長さ一・五メートルの焼き入れ鋼製『六角カナテコ』を両手で振り上げ、銃を抜こうとした黒崎の『左手首』の真上へ、全体重を乗せて振り下ろした!
――ゴキィッ!! ガシャアァン!!
鈍い破壊音とともに黒崎の左手首の骨が甲板の鉄板の上で砕け散り、金色のリボルバーが俺のブーツの前へと転がった。
「あ、あがぁぁぁぁっ……!!」
両腕を完全に破壊された黒崎将軍は、血と脂汗にまみれて甲板の上をのたうち回り、俺の後ろにずらりと並んで白い牙を剥く五頭の猛犬を見て、恐怖に引きつった声で叫んだ。
「ま、待て!! 殺すな、私を殺すなぁっ!!」
十分前まで何百人もの命をゴミのように弄んでいた「将軍」が、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして命乞いを始めた。
「わ、私は黒崎将軍だぞ!! 大型船の操縦もできるし、政府が隠した地下備蓄庫の暗号も知っている!! ほら、そこのジュラルミンケースを見ろ、中には金塊とダイヤモンドがぎっしり詰まっているんだ! 私をその無人島へ連れていけ! お前をアークの副将軍に任命してやる、女でも奴隷でも金でも、半分すべてお前にやるからァァッ!!」
俺は一言も返さなかった。
無言のまま操舵室へと入り、海図テーブルの上に広げられていた「俺の無人島の座標が記された海図と報告書」をすべて回収すると、金属バケツの中に放り込んでライターで火をつけ、一文字も残らず黒い灰になるまで燃やし尽くした。(ここへ来る途中、岸壁に係留されていた無人の第1・第2徴発艇のエンジンと燃料パイプも、すでにライフル弾を撃ち込んで使用不能にしてある)。
俺は再び甲板へと戻り、まだ「金塊をやる、副将軍にしてやる」と喚き続けている黒崎将軍の前に立った。
そして六角カナテコを逆手に持ち、黒崎の『右膝の皿』を正確に一撃で叩き割った。二度と立ち上がって泳いだり走ったりできないようにするためだ。
「金塊に、副将軍の肩書き、か」
俺は激痛で泡を吹く黒崎の勲章だらけの襟首を片手でひっ掴み、地上1・5メートルで止めてある船首タラップの縁――すぐ下の岸壁で『三百体以上の感染者』が黒崎の悲鳴を聞いて群がり、腐った両腕を林のように突き上げている真上――へと引きずっていった。
「俺の島ではな、将軍様。金塊は食えねえし、『人間』は一匹たりとも立ち入り禁止なんだよ」
俺は氷のように静かな声で告げた。「だが安心しろ。この下の岸壁には、お前の命令を聞きたくてたまらない『一万人の忠実な市民』が集まってる。――死ぬまであいつらを統治してろ」
「や、やめろ!! 落とすな、頼むから落とさないでくれぇぇぇっーー!!」
俺は登山ブーツの裏で黒崎の腹を力任せに蹴り飛ばし、金塊の詰まったジュラルミンケースと一緒に、タラップの上から三百体の感染者が待つ岸壁のど真ん中へと突き落とした!
――ドシャアァァン!!
『ぎゃあああああああああああっ!! よ、寄るな、私は将軍だぞ、やめろぉぉぉっーー!!』
空中で弾け飛んだジュラルミンケースから、何十本もの眩い金塊とダイヤモンドの袋がゴミのようにばら撒かれ、その下で黒崎将軍の体が何百という飢えた死者の手によって瞬く間に引き裂かれていく。
俺はその最期を見届けることすらなく、油圧レバーを操作して船首の鋼鉄タラップを完全に閉鎖・ロックした。
そして、俺の後ろに静かに控える『クロ、雌シェパード、ロットワイラー、そして二頭のマリノア』の五頭の新しい家族を連れて操舵室へと入り、二基の大型ディーゼルエンジンのスロットルを『全速前進』へと倒した。
炎と黒煙に包まれて崩壊していく『カテゴリーAの最後の帝国』を背に、俺と五頭の犬たちだけを乗せた巨大な方舟は、静かに東京湾の青い海へと滑り出していった。
(第10話へ続く)
第9話をお読みいただき、ありがとうございます!
50キロの巨漢ロットワイラーを一瞬で腹を見せさせて従えるアルファ犬・クロの圧倒的な貫禄と、ゾンビの群れの中をすり抜けて飛び出した『5頭の群れ』の連携攻撃!そして金塊のケースごと300体の市民の中へ蹴り落とされた黒崎将軍の最期、いかがでしたでしょうか?
続く【第10話】では、ソーラーパネルや防弾鋼板、生きたヤギとニワトリを満載した大型揚陸バージで運河へ戻った主人公の前に、あの「ビスケットを奪って逃げた裏切り者の若者2人と脱走兵たち」が立ちはだかります!
『クロ・ハナ・ゴウ・ジン・リク』の5頭による初の戦術包囲網をぜひお楽しみください!




