第6話:取扱説明書の外科処置と、12発の鋼鉄針、そして夜明けの『奴隷狩り部隊』
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第6話では、無人島で読み込んだ救急医療マニュアルの知識を活かした「医療用スキンステープラー(12発の鋼鉄針)」による片手縫合と、スタジアムの1万体を動かすための特殊機材の回収、そして夜明けの倉庫に現れたアーク兵士たちへの逆襲をお届けします!
【406日目・午前3時25分:取扱説明書と、12発の鋼鉄針】
コンビニから回収した目覚まし時計のベルが二百メートル先の袋小路で鳴り響き、高架下を埋め尽くしていた五百体の感染者がすべて横転した路線バスへと殺到している隙に、俺とクロは無人の広場を全力で駆け抜けた。
俺はリュックサックから、権藤の船の倉庫で見つけた大型の油圧カッターを取り出し、『県立医療・化学物流センター』の通用門の錆びた鉄鎖に刃を噛ませて、両腕の力でレバーを強く押し込んだ。
――バチンッ!!
太い鉄の輪が呆気なく切断された。俺とクロは敷地内へと滑り込み、内側から重い鉄の門扉を閉めて鉄パイプのかんぬきを掛けた。
目の前にそびえ立つ巨大な近代倉庫は、二つの区画に分かれていた。
西棟は、県内の大病院へ医薬品や外科器材を供給する『緊急医療備蓄倉庫』。そして東棟は、大規模災害時に出動する『県防災局の特殊工作車ガレージおよび産業資材庫』だった。
俺は赤いフィルターをつけた小型ペンライトを点灯させ、荷捌き用の搬入口から西棟の医療倉庫へと足を踏み入れた。
権藤の自動小銃に砕かれた玄武岩の破片を浴びた俺の左肩の裂傷――長さ七センチ、深さ一センチを超える傷口は、今や焼けた鉄を押し当てられているかのようにズキズキと熱を持って脈打っていた。応急処置のガーゼの下で皮膚が腫れ上がり、化膿が始まりかけているのが分かる。
俺は高さ四メートルのスチール棚の陰にあるプラスチックコンテナの上に腰を下ろし、黒い防弾チョッキとジャケットを脱いで、血で張り付いたガーゼを剥がした。
腕をわずかに動かすだけでパックリと赤い口を開く深い傷口を見た瞬間、背筋を冷たい汗が伝った。
これほど深い裂傷は、ただ軟膏を塗って包帯を巻くだけでは絶対に塞がらない。今すぐ縫合して傷口を閉じなければ、一年前に七十キロを歩いた時の両膝と同じように重度の化膿を起こし、敗血症で死ぬ。
だが、今の俺がまともに動かせるのは『右手』だけだ。曲がった医療用の針とナイロン糸を使い、片手だけで自分の肩の肉を縫うことなど、物理的に不可能だった。
(……落ち着け。思い出すんだ、あの本に何が書いてあったか……!)
俺は二秒間だけ目を閉じ、自分の脳内の記憶の棚を必死に検索した。
俺は天才でもなければ、元医者や特殊部隊員でもない。
旧世界にいた頃の俺は、自分が時給九百円の負け組だという現実から逃げるためだけに、三千四百時間もゲームの攻略Wikiやアイテムの合成表、武器のステータス数値を丸暗記していたただのオタクだった。
だが――あの無人島へ渡り、愚かなゲーム脳を海に捨てたあの日から、俺はその「異常なまでの暗記力と執着心」のすべてを、『現実を生き抜くための勉強』へと注ぎ込んだのだ。
テレビもインターネットもない無人島の長い冬の夜。
俺は毎晩三時間、獣脂のロウソクが燃え尽きるまで、二十七日目に黒潮の町の書店とホームセンターから台車に積んで持ち帰った何十冊もの本――『大学病院・救急医療マニュアル』や『日曜大工と農村建築の実践雑誌』『防災・サバイバル機材カタログ』の隅の小さな文字や図解まで、ページが擦り切れるほど繰り返し読み込み続けた。
その『救急医療マニュアル』の「外傷・裂傷処置」のページに載っていた一枚の写真が、俺の脳裏に鮮明に蘇った。
――『医療用スキンステープラー(皮膚縫合器)』だ。
戦場や救急外来の医師が、針と糸を使わずに「片手でハンドルを握るだけ」で、医療用ステンレスのコの字型の針を皮膚に打ち込んで一瞬で深い傷口を閉じるための器具だ!
俺は立ち上がり、ペンライトの赤い光で棚の分類プレートを次々と照らし出し、『04:外科処置・縫合器材』と書かれた棚へと駆け寄った。
段ボール箱をナイフで切り開く。その中には、白いプラスチックと金属でできたホッチキスのような器具が、透明な滅菌パックに二十個も入って並んでいた。
俺は医者じゃない。実物を手にするのは、生まれて初めてだった。
俺は震える右手で一つ目の滅菌パックを破り、器具と一緒に同封されていた『四つ折りの取扱説明書(添付文書)』を引っ張り出すと、膝の上に広げてペンライトの光を近づけ、そこに描かれた三つの図解と注意書きを食い入るように読み込んだ。
『1.創部(傷口)を生理食塩水および消毒液で十分に洗浄し、異物を完全に除去すること』
『2.皮膚の断面を隙間なく密着させ、本器の先端にある黒い矢印(▲)を傷の中心線に対して垂直に強く押し当てること』
『3.レバーをカチリと音がするまで最後まで強く握り込み、完全に力を抜いてレバーを戻してから、真上に引き抜くこと』
俺は図解の角度を頭に叩き込むと、隣の麻酔薬の棚へと走った。
注射器のアンプルには手を出さなかった。素人の俺が暗闇で片手で注射を打てば、誤って血管に麻酔薬を入れて心臓を止める危険があるからだ。その代わり、棚の奥にあった『外科表面麻酔用・高濃度リドカインスプレー(10%)』を三本と、五百ミリリットルの『滅菌生理食塩水』、そして最強クラスの経口抗生物質『クラブラン酸・アモキシシリン配合錠(1000mg)』の箱を掴み取った。
俺はコンテナの上に座り直し、まず生理食塩水とヨード液を左肩の傷口へボトルごとドボドボと浴びせかけ、中に入り込んでいた微細な石の粉を完全に洗い流した。
続けて、赤い生肉が露出した傷口めがけて、リドカイン麻酔スプレーを至近距離からたっぷりと噴射した。
二分待つ。焼けつくような痛みが、やがて氷を当てられたような鈍い痺れへと変わった。だが、スプレーの麻酔が効くのは表面の数ミリだけだ。奥の肉に鋼鉄の針が突き刺さる激痛までは消せない。
俺はサバイバルナイフの分厚い革の鞘を抜き取り、自分の奥歯で力いっぱい噛み締めた。
左肩をスチール棚の鉄柱に強く押しつけて開いた皮膚の断面をピタリと合わせると、右手に持ったスキンステープラーの先端の『黒い矢印(▲)』を、取扱説明書の図解通りに傷口の上端へ垂直に押し当て――ためらうことなく、レバーを最後まで一気に握り込んだ!
――ガチンッ!!
医療用ステンレスの鋭い二本の針が俺の皮膚と筋肉を貫通し、内側で四角く折り曲がって傷口の上端をガッチリと縫い止めた!
「んぐぅぅっ……!!」
目玉の裏で白い火花が散るほどの激痛が走り、俺は革の鞘を噛み千切らんばかりに顎に力を込めながら、額から噴き出す脂汗に目を瞬かせた。
だが、手は止めなかった。
説明書に書いてあった通り、五ミリ下へ先端をずらし、再びレバーを握り込む。
――ガチンッ!
――ガチンッ!
――ガチンッ!
合計十二発。
十二個の鋼鉄の針が一直線に並び、パックリと開いていた七センチの深い裂傷は、金属のジッパーで閉じたかのように完全に密着して塞がった。
俺は口から革の鞘を吐き出し、肩で荒い息をつきながら、水で1000mgの抗生物質の錠剤を飲み込み、縫合した傷口の上から大型の防水滅菌パッドを貼り付けた。
恐る恐る左腕を動かしてみる。皮膚が突っ張る感覚はあったが、出血はピタリと止まり、左手で自動小銃のハンドガードを支える力が完全に戻っていた!
俺は大型の軍用ダッフルバッグを二つ広げ、棚にある抗生物質三十箱、鎮痛剤、予備のスキンステープラー十個、抜鉤器(針を外す専用ペンチ)、消毒薬、そして大量のビタミン剤を隙間なく詰め込んだ。これだけあれば、島に戻ってから二十年間はどんな大怪我や病気にも対応できる。
【406日目・午前4時30分:災害救助工作車と、『1万体』を動かす仕掛け】
処置を終えた俺とクロは、分厚い防火扉を通って東棟――『県防災局の特殊工作車ガレージおよび産業資材庫』へと移動した。
薄暗いガレージの中央、閉ざされた大型シャッターの前に駐車されていた一台の車両を見た瞬間、俺の目が輝いた。
自治体の防災部隊が震災や暴動時に使用する、四輪駆動の小型装甲トラック――『災害対策用・高機動救助工作車』だった。
車体前面には瓦礫を押し退けるための分厚い鋼鉄製のバンパー(排土板)が装備され、フロントガラスやサイドウィンドウには投石や噛みつきを防ぐ頑丈な鉄格子が溶接されている。
運転席のドアを開けると、緊急出動用にイグニッションキーが差さったままで、燃料計は二つの軽油タンクが満タンであることを示していた。
「よし、足は手に入ったぞ、クロ。あとは『あのスタジアムの門』をこじ開けて、一万体の群れをアークの橋へ誘導するための道具だ」
権藤の海図と都市マップによれば、ここから南へ一キロ下った場所に、一年前のパンデミック初期に自衛隊が『一万体以上の感染者』を中に閉じ込めて外から封鎖した『湾岸総合スタジアム』がある。
そして、そのスタジアムの大ゲートから、黒崎将軍たちの要塞『アーク』へ繋がる唯一の連絡橋までは、直線距離でわずか八百メートルの大通りで直結していたのだ!
もしスタジアムの封鎖を解き放ち、その一万体の感染者の群れをそっくりそのままアークの連絡橋へとぶつければ、六十人の兵士と重機関銃のバリケードなど、十分も経たずに踏み潰される。
だが、問題は二つあった。
一つ目は、スタジアムの門を封鎖している『極太の焼き入れ鋼チェーンと南京錠』をどうやって音を立てずに切るか。
俺には軍用のプラスチック爆弾などないし、映画の主人公のように見様見真似で不安定な化学薬品を混ぜ合わせて即席爆弾を作ろうとすれば、門を壊す前に自分の両手を吹き飛ばすのがオチだ。
しかし俺には、島のロウソクの下で読み漁った『防災・建設機械カタログ』の知識があった。
俺はガレージの壁際に並ぶオレンジ色の機材ロッカーを開け、そこから重さ十五キロほどの電動工具――消防の特別救助隊(レスキュー隊)が使用する『充電式・超高圧油圧カッター&スプレッダー(通称:命の顎)』を引っ張り出した!
リチウムイオンバッテリーで駆動し、先端の特殊鋼ブレードに『七百気圧(約三十トン)』もの油圧をかけて、爆発音ひとつ立てずに自動車のピラーや直径三センチの船舶用鋼鉄チェーンすらバターのように噛み切る怪物工具だ。
俺はケースの裏蓋に貼り付けられていたカラー図解付きの『緊急操作マニュアル』を五分間かけて熟読し、バッテリー残量インジケーターの点灯手順と、油圧リリースバルブの回し方を完全に頭に入れてから、試しに床に落ちていた太さ二センチの建築用鉄筋を挟んでスイッチを引いた。
ウィィィン……バツンッ!
静かなモーター音とともに、二センチの鉄の塊がわずか三秒で真っ二つに切断された。予備の満充電バッテリーも四個ある。これなら、スタジアムのどんな封鎖チェーンでも無音で切り裂ける!
そして二つ目の問題は、『解放した一万体の感染者を、どうやって散らばらせずにアークの連絡橋のバリケードへと一直線に走らせるか』だ。
俺は隣の産業・農業資材庫へと足を踏み入れ、二つの完璧な「餌」を見つけ出した。
一つは、高速道路の工事現場で使われるバッテリー式の『120デシベル・超高音圧電子サイレン(タイマー機能付き)』を四台。
そしてもう一つ、農業用資材のパレットの上に積まれていた白い二十キロ入りの密閉ポリタンク二十本――『有機農業・養殖用 濃縮動物性血粉およびアミノ酸発酵液』だった!
屠畜場で集めた家畜の血液と内臓エキスを高濃度に濃縮・発酵させた液体だ。これを熱湯と少量のアンモニア水で割って撒き散らせば、一キロ四方の感染者の嗅覚を狂わせる「巨大な生きた獲物の血の匂い」の道標になる!
俺は医薬品バッグ、油圧カッター、四台の電子サイレン、そして六本の濃縮血液タンクを、高機動救助工作車の荷台へとすべて積み込んだ。
腕時計を見る。時刻は『午前五時三十五分』。
ガレージの高い位置にある明かり取りの窓の向こうで、漆黒だった都市の空が、鉛のような鈍い灰色へと白み始めていた。
夜明けだ。
そしてまさにその瞬間、俺は夜の間、なぜ外の大通りにあれほど感染者の姿が少なかったのか――その本当の理由を知ることになった。
【406日目・午前5時40分:夜明けの『暗い巣』と、奴隷狩り部隊】
ガレージと隣の『第2大型集荷倉庫(幅百メートルの窓のない暗い倉庫)』を隔てる分厚い強化ガラスの覗き窓から向こうを見た俺は、思わず息を止めた。
隣の巨大倉庫の、半分だけ開いた外向きのシャッターの下から、何十という黒い人影がゆっくりと足を引きずりながら倉庫の暗闇の中へと「帰宅」してきていたのだ。
太陽が昇って気温が上がると、腐敗した肉体の水分が蒸発して動けなくなるため、夜間に街を徘徊していた感染者たちは、夜明けとともにこうした窓のない真っ暗で涼しい巨大倉庫の奥へと集まり、木製パレットの間でコウモリのように密集して「昼間の休眠状態」に入る習性があったのだ!
わずか十分足らずのうちに、ガラスの向こう側の真っ暗な第2倉庫の中には、少なくとも『六十体以上の感染者』がすし詰めになって立ち並び、静かに首を垂れて眠りにつき始めていた。
俺とクロがいるガレージはコンクリートの壁と鉄の防火扉で完全に仕切られているため、裏口のシャッターを開ければそのままトラックで安全に脱出できる。
だが、俺が裏口の手動チェーンに手をかけた、その時だった。
隣にいたクロが、俺の登山ブーツの甲の上に左の前足をトンと乗せ、ピンと立てた耳を正面の広場の方角へと向けた。
――ブロロロロロロッ!! キキィィィッ!!
夜明けの静寂を引き裂いて、マフラーを改造した二台の大型ディーゼル車が猛スピードで正面広場へドリフトしながら乗り入れてくる音が響いた。
俺はクロと一緒に、ガレージの壁際にある高さ四メートルの点検用キャットウォーク(鉄製の空中通路)へと音もなく駆け上がり、汚れた高窓から正面広場を見下ろした。
二時間前まで五百体の感染者がたむろしていた正面広場に停まったのは、ドアに白いスプレーで『ARK』の紋章が描かれ、荷台のロールバーに軽機関銃を据え付けた『二台の黒い装甲ピックアップトラック』だった。
ドアが開き、自動小銃と家畜用の高圧スタンバトン(電気ショック棒)を手にした六人のアークの兵士たちが笑いながら降りてきた。
だが、車に乗っていたのは彼らだけではなかった。
二台目のトラックの鉄格子付きの荷台から、兵士たちが鎖を引っ張って地面へ引きずり下ろしたのは――首に番号入りの分厚い『鉄の首輪』をはめられ、両手首をプラスチックの結束バンドで前に縛られた『三人の若い生存者(二十代前半の痩せた男二人と、足首に包帯を巻いた若い女一人)』だった!
「さっさと歩け、カテゴリーDのゴミども!」
黒いベレー帽を被り、ショットガンを手にした小太りの分隊長が、地面に転んだ若い男の背中を銃床で乱暴に蹴り飛ばした。
「権藤大尉の第3徴発艇が明日には無人島から米を積んで戻ってくるんだ! 黒崎将軍から、朝食前にこの医療倉庫から新鮮な抗生物質を二十箱回収してこいと命令が出ている!」
「ま、待ってください隊長……!」
地面に蹴り倒された若い男が、半分開いたまま真っ暗な口を開けている『第2集荷倉庫』のシャッターを見て、恐怖に声を震わせた。
「あ、あの中は真っ暗です! 夜明けの時間帯は、外にいた化け物どもがみんな暗い倉庫の奥へ戻って眠っているんです! 懐中電灯もなしに、手を縛られたままあんな中へ入ったら、俺たち生きたまま食い殺されます!!」
「だから俺たちが入る代わりに、お前らを連れてきたんだろうが、バカ野郎!」
分隊長が下品な笑い声を上げ、後ろの五人の兵士たちもトラックのボンネットに寄りかかってタバコに火をつけながらゲラゲラと笑った。
「5.56mmのライフル弾は一発たりとも無駄にできねぇが、お前らカテゴリーDの奴隷なら運河のゴミ溜めでいくらでも補充できるからな! いいか、お前ら三人は今からあの暗い倉庫の奥まで大声を上げながら全力で走れ! 中にゾンビがいなけりゃ良し。もしゾンビがいたら、そいつらがお前ら三人の内臓を夢中で貪り食っている隙に、俺たちが横から入って安全に薬の箱を回収する! ほら、さっさと入れ!」
兵士の一人が、バチバチッ!と青い火花を散らす高圧スタンバトンを若い女の背中に突きつけ、泣き叫ぶ三人を無理やり第2倉庫の半開きのシャッターの下へと押し込んだ。
その暗い倉庫のわずか十メートル奥には、六十体以上の感染者が立ったまま眠っているというのに!
高さ四メートルのキャットウォークの上から、強化ガラス越しにその光景を見下ろしていた俺の右手の中で、89式自動小銃のグリップがミシリと音を立てた。
俺は正義のヒーローなんかじゃない。自分の島に赤の他人を連れて帰るつもりも、誰かの面倒を見るつもりも毛頭なかった。
だが――腹を満たした六人の寄生虫どもが、自分たちの軍服を汚したくないというだけの理由で、鎖に繋いだ三人の若者を「生きた肉壁(ゾンビの餌)」として笑いながら暗い穴へ突き落とすその姿を見た瞬間、俺の左肩の12発の鋼鉄針が弾け飛ぶほどの猛烈な吐き気と怒りが喉元までせり上がってきた。
(……弾を節約するために、感染者を罠に使いたいんだな?)
俺の瞳に、絶対零度の光が宿った。(だったら、本物のプロがどうやって感染者を使うのか、お前らの体で教えてやるよ)
暗い第2倉庫の入り口へ押し込まれた三人の若者は、震えながら三歩前へ進んだ。六十体の感染者が眠るパレットの列まで、残りわずか六メートル。
六人のアークの兵士たちは、シャッターのすぐ内側の安全な場所に横一列に並び、ライトも点けずに自動小銃を腰だめに構えて、「早く奥へ走って鳴けよ」とクスクス笑っている。
俺はキャットウォークの階段を音もなく滑り降り、俺のいるガレージと第2倉庫を繋ぐ『鉄製の防火扉』――兵士たちの視界の死角になっている、三人の若者のすぐ左横三メートルの壁にある扉――を内側から十センチだけそっと引き開けた。
そして舌先で「チッ」と一度だけ極めて小さな音を鳴らし、隙間から突き出したペンライトの赤い光を、足元の『非常口』の緑のプレートへと当てた。
暗闇の中で泣いていた三人の若者が、ハッと横を向き、コンクリートの柱の陰から「静かにしろ、こっちへ来い!」と手招きしている俺の黒い革手袋の手を見た。
死の淵に立たされた人間の判断は速かった。三人は前のパレットへ進む代わりに、足音を完全に殺して左の柱の陰へと滑り込み、俺が開けた防火扉の隙間からこちら側のガレージへと一気に転がり込んできた!
「息を止めろ。声を一文字でも出したら殺す」
俺は驚愕に目を見開く三人の前にしゃがみ込み、サバイバルナイフの刃で彼らの手首の結束バンドをスパッと切り落とすと、ガレージの反対側にある裏口の路地を指差した。「三十秒後に裏口から外へ出ろ」
俺は再び防火扉の隙間から、暗い第2倉庫の中を覗き込んだ。
入り口に立っていた分隊長が、眉をひそめて暗闇の奥を睨んでいた。
「……おい、あの三匹のネズミども、どこへ消えた? なんで悲鳴が聞こえねぇんだ? おいお前ら、銃のライトはまだ点けるな、そのまま五メートル前へ出て様子を見ろ!」
六人の兵士たちが、警戒しながら暗い倉庫の中へ五歩踏み出し、高い木製パレットの列の間へと入った。
奴らはまだ、三人の奴隷が横の扉から消えたことにも、自分たちのわずか四メートル目の前の闇の中に『六十体の感染者』が立ち並んでいることにも気づいていない。
俺はしゃがみ込み、隣に控えるクロの首筋に手を置いた。
防弾チョッキのポーチから、権藤の船から持ってきた『軍用の強光発煙筒(マグネシウム閃光・発煙弾)』を一本取り出す。安全キャップを外し、着火用の赤い紐の輪を、犬が地面で歯で引っ張るだけで抜けるように細工すると、表面の俺の皮脂の匂いを床の泥と油で完全に擦り消した。
「クロ」
俺はクロの耳元に口を寄せ、十五メートル先の暗闇の中で背中を向けている六人の兵士の足元――六十体の感染者の群れとの境界線を指差した。
「これをあの六人の軍靴の真後ろに置いて、赤い紐を歯で引き抜いてから、全力で俺のところへ戻ってこい」
クロは金属の筒を静かに咥え、開いた防火扉の隙間から真っ暗な第2倉庫へと滑り出た。
漆黒のビロードの幽霊のように、クロは眠っている感染者たちの腐った脚の間を音もなくすり抜け――前方を睨みつけている六人の兵士たちの『かかとのわずか一メートル後ろ』の暗闇へと回り込んだ。
クロは前足で筒をコンクリートの床に押さえつけ、鋭い犬歯で赤い着火紐を「ブチッ!」と一気に引き抜くと、弾丸のような速度で俺のいる防火扉へと駆け戻ってきた!
――シュボォォォォッ!! カァァァァァッ!!
六人の兵士たちの足元のど真ん中で、マグネシウム着火剤が鋭い摩擦音を立てて炸裂し、一万カンデラの強烈な白い閃光が真っ暗だった巨大倉庫の内部を真昼のように照らし出した!
「うわあっ!? な、なんだこの光は!? 誰だ発煙筒を焚いたバカは!?」
突然足元で炸裂した白い閃光に目が眩み、六人の兵士たちがパニックになって叫んだ。
そして彼らが白い光の中で顔を上げた瞬間――自分たちの鼻先『わずか八十センチ』の場所に並んでいるものを見た。
六十体の、感染者だった。
足元の炸裂音と強烈な閃光によって休眠状態から一斉に叩き起こされ、わずか一メートル目の前にいる「六人の生きた人間の熱い脂汗の匂い」を嗅ぎつけた、六十体の飢えた死者の群れだ!
『『『『『グギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!』』』』』
「ば、化け物だァァッ!! 目の前に何十体もいるぞ!! 撃て、撃てぇぇぇっ!!」
――ダダダダダッ!! ズガァン!
「ぎゃあああああっ!! 首が、俺の首がぁぁっ!! 隊長、助けてくれぇぇっ!!」
「放せ、こっちへ来るな、うわあああああああっ!!」
俺は飛び込んできたクロを迎え入れると同時に、分厚い鉄の防火扉をバタン!と力任せに閉め切り、外側から鋼鉄のかんぬきを完全にロックした。
鉄扉の向こう側から、生きたまま六十体の感染者の山の下敷きにされた六人の『奴隷狩り部隊』の断末魔の絶叫と、骨が噛み砕かれる音がくぐもって響いてくる。
ガレージの中では、首輪をつけられた三人の若者が、まるで死神そのものを見るかのような目で俺とクロを見上げて震えていた。
俺は作業台の上にあった小型のボルトカッター(鉄線鋏)と、事務室で見つけた非常用ビスケットの箱を二つ、彼らの足元へ無言で放り投げた。
「そのカッターを使えば、お互いの首輪の留め金を切れる」
俺は彼らを振り返りもせず、安全な裏路地へ続く後部シャッターを押し開け、クロを助手席に乗せて『災害対策用・高機動救助工作車』の運転席へと乗り込んだ。
「港の方へは行くな。西の丘陵地帯へ逃げろ。……それと、絶対に俺の後をついてくるなよ」
「あ、あの……ありがとうございます! あんた、一体何者なんですか!?」
若い男がボルトカッターを握りしめたまま、俺のトラックの窓に向かって叫んだ。「たった一人と一匹で、その装甲トラックでどこへ行く気なんですか!?」
俺はディーゼルエンジンを始動させ、鉄格子のついた防弾ウィンドウを二センチだけ下げて答えた。
「お前たちに首輪をつけた『将軍様』を、クビにしに行くんだよ」
俺はアクセルを強く踏み込み、夜明けのアスファルトを蹴って『一万体の感染者が眠るスタジアム』へと舵を切った。
(第7話へ続く)
第6話をお読みいただき、ありがとうございます!
説明書を読みながら片手で自分の肩に12発の針を打ち込む精神力、そして「弾の節約のために奴隷をゾンビの餌にしようとした6人の兵士たち」の足元へクロに閃光弾を運ばせ、60体の感染者のど真ん中で逆に餌にしてしまう処刑劇、いかがでしたでしょうか?
続く【第7話】では、逃がしてやったはずの「カテゴリーDの若者たち」がバックミラーの中で見せた人間の醜い本性と、埠頭の檻に閉じ込められた『4頭の新たな使役犬』の発見、そしてついに『1万体の感染者が眠るスタジアムの大門』をこじ開ける決死の作戦が始まります!




