第19話:黒い指令ケース、寄生虫たちの競売、そして百二十体の死者が彷徨う絶海の『青ヶ島』
【736日目・午前6時00分:鋼鉄のバンカーの朝と、銀灰色の湯たんぽ】
三百二十日ぶりに、葵は風の音に耳をそばだてることも、クロスボウの銃床を胸に抱きしめることもなく目を覚ました。
瞼を開けると、目の前にあるのは崩れかけた廃倉庫の錆びた鉄骨でもなければ、雑草の生い茂る線路の上の灰色の空でもなかった。
白く塗装された防弾鋼板と八十センチの鉄筋コンクリートに守られた頑丈な天井があり、ソーラー蓄電池から給電されるLEDランプが、朝の柔らかな光を静かに灯していた。
右の脇腹に、温かくて柔らかい重みを感じた。
石鹸と太陽の匂いがする清潔なキルティング毛布をめくって下を見ると、銀灰色の美しい毛並みを持つ小さな雌の子犬――『ユキ』が、葵のお腹にぴったりと体を丸めてくっつき、小さな顎を葵の手のひらに乗せてスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
昨夜、テラスでの晩餐が終わったあと、健二はバンカーの奥にある唯一の個室ベッドを「お前は十ヶ月間まともな布団で寝ていないんだから、ここを使え」と葵に譲り、自分自身は毛布を一枚抱えて、メインルームの鋼鉄ハッチの前でクロたちと一緒に床で眠ったのだ。
葵は小さなユキを起こさないようそっとベッドから滑り出ると、清潔な作業ズボンの上にブーツを履き、静かに個室の扉を開けた。
バンカーのメインルームには、イノシシの骨髄スープと、ヤギの発酵バターで焼いた新鮮な卵、そして挽きたてのコーヒー豆のたまらない香りが満ちていた。
薪ストーブの前では、黒いTシャツを着た健二が熱い鋳鉄のフライパンを振っていた。その広い背中の左肩には、長さ七センチにわたる分厚いピンク色の傷跡――十ヶ月前のあの夜、医療倉庫で彼が片手で十二発のステンレス針を打ち込んで塞いだ誇り高い傷跡――がはっきりと見えた。
そして健二の足元には、リーダーの『クロ』、伴侶の『ハナ』、体重五十キロの巨漢『ゴウ』、双子のマリノア『ジン』と『リク』、そして黒い三匹の子犬(『カゲ』『テツ』『ライデン』)が、一糸乱れぬ美しい一列を作って朝ご飯を待っていた。
葵が一歩部屋へ踏み出した瞬間、八本の尻尾が音もなく一斉に揺れ、クロがトコトコと歩み寄ってきて、その大きな黒い頭を葵の太ももに優しく擦りつけてきた。
「おはよう、葵」
健二がフライパンを持ったまま振り返り、穏やかに笑った。「よく眠れたか? いつもユキのやつは母親のハナの腹の下から絶対に離れないんだが、昨夜はお前を新しい枕に決めたらしいな」
「ここ二年間で、一番幸せな朝よ」
葵はクロの首筋を撫でながら微笑み返し――それからふと、部屋の隅の弾薬箱の上に置かれた「ある物」へと視線を向けた。
昨日の夜明け前、篠原少佐の遺体を黒潮の海溝へ投棄する直前に回収しておいた、強化ポリマー製の『黒い防水指令ブリーフケース』だ。
健二の顔からも笑みが消え、生き残るためにすべてを計算し尽くす狩人の鋭い目に戻った。
「まずは温かい朝飯を食おう」と健二は言い、焼きたての目玉焼きとスモークベーコン、そして白い丸パンのトーストを並べた。「腹を満たしたら、その箱を開けてお前の父親が何を企んでいたのか全部暴いてやろうぜ」
【736日目・午前7時15分:島の『競売』と、残り20日のタイムリミット】
二十分後、九頭の犬たちが朝食を平らげて犬用装甲ハッチから朝の定時パトロールへと飛び出していくと、健二は重さ五キロほどの黒い防水ブリーフケースを玄武岩のテーブルの中央に置いた。
ケースの左右には、焼き入れ真鍮製の頑丈なダイヤル式南京錠が二つ掛かっていた。
健二は暗号を探す時間すら惜しんだ。棚から、昨日葵が返してくれたばかりの長さ四十五センチの鋼鉄製『小型ボルトカッター』を手に取ると、分厚い刃先を南京錠のツルに噛ませ、鍛え上げられた両腕の筋肉を隆起させて一気に握り込んだ。
――バチンッ! バチンッ!
二つの真鍮の錠前が小枝のように弾け飛んだ。
葵が防水パッキンの蓋を開けると、緩衝材のスポンジに守られた中から、ソーラー充電式の軍用タフネスタブレットと、『極秘:内陸中央統治委員会』の赤いスタンプが押された三冊の紙のファイル、そして青いプラスチックの円筒ケースに入った大判の海図が現れた。
葵が一冊目のファイルを開き、健二が肩越しにそのページを覗き込んだ。
「……私が思っていた以上に、山岳要塞は末期状態だわ」
葵は背筋に冷たいものを感じながら呟いた。「見て、五日前に父の地下要塞の主任技師が提出した緊急報告書よ。百四十キロ先の山岳地帯にある地熱発電プラントの蒸気配管が、火山性のシリカ(ケイ酸塩)の付着で詰まり始めていて、発電出力がすでに四十パーセント以下まで落ちているわ。給水ポンプも頻繁に止まっていて、残りの軍用乾パンと缶詰の備蓄は、あと四週間で完全に底をつくって書いてある!」
健二は無言で二冊目のファイル――『イナゴ計画:沿岸資源・懸賞公示プロトコル』と題された書類を手に取り、赤線が引かれたページを読み上げた。
「……なるほどな。お前の父親は、篠原少佐の八人が自分たちの最後の直轄部隊だと分かっていたから、最初から『二重の保険』をかけていたわけだ」
健二の声は、冬の氷のように冷たく静かだった。
「ここを見ろ。もし篠原の部隊が七百三十八日目までに『九頭の軍用犬』と『島の農夫』を連れて帰還しなかった場合、委員会の連絡員が、本土の沿岸部を支配している三つの巨大な武装略奪団――『千葉港の海賊団』『木更津の武装脱走兵旅団』、そして『三浦の密輸シンジケート』の三勢力に対して、この無人島のドローン航空写真と正確な座標を一斉に引き渡す契約になっている」
葵はページの下に記された敵の戦力データを見て、息を呑んだ。
「三つの武装勢力を合わせると、総勢『百二十人以上』……。鉄板で装甲した大型底引き網漁船が六隻、口径12.7ミリの重機関銃が四丁、それに自衛隊の駐屯地から略奪した『81ミリ迫撃砲』まで四門持っているわ! 父は彼らから軽油と弾薬を買い取る代金として、この島の座標を売ったのよ。『島を落とした勢力にはバンカーと食料の半分を与える。残りの食料と、九頭の軍用犬、および生け捕りにした農夫を委員会へ引き渡せ』って……! そして黒潮の港に六隻の船が集結する総攻撃の日は――『七百五十六日目』。あと、たったの二十日後よ!」
バンカーの静寂の中で、健二はテーブルの上の地図を見下ろしたまま、静かに計算を巡らせた。
今の健二には、二年前の愚かな「ゲーム脳」は1ミリも残っていない。現実の軍事と物理の法則が誰よりもよく分かっていた。
権藤や篠原のような「七、八人の歩兵部隊」なら、地形と罠と犬たちの奇襲で完封できた。
だが、相手が『百二十人』で、しかもダイナマイトで入り江の沈没船を爆破し、浜辺や船の上から『射程三キロの81ミリ迫撃砲』を四門並べて曲射弾道で砲撃してきたらどうなるか?
バンカーの屋根のソーラーパネルは一分で粉砕され、ヤギ小屋も段々畑もクレーターだらけの焦土と化す。どれほどバンカーの壁が硬くても、換気口を塞がれて包囲されれば終わりだし、何より迫撃砲の榴弾が飛び交う狭い一キロの島では、大切な『九頭の犬たち』を守り抜くことができない。
「本土からたった四キロという距離は、近すぎたんだ」
健二は顔を上げ、一点の迷いもない目で言った。「海の向こうに飢えた略奪者が何百人もうろついている限り、こんな岸のすぐそばの岩場に居続ければ、今日百二十人を殺しても来月にはまた二百人が船でやって来る。――この島は、もう捨てる時だ」
「ええ。だからこそ、私たちが向かうべき場所がここにあるのよ、健二さん」
葵は力強く頷くと、青い円筒ケースから大判の『特殊水路図(海図)』を引き出し、テーブルの端から端まで大きく広げた。
【736日目・午前7時40分:実在する絶海の天然要塞『青ヶ島』と、120体の死者】
健二がテーブルの上の海図に視線を落とした。
葵の細い指先が、黒潮の海流のラインに沿って南の太平洋へと滑り、沿岸の島々を通り越して――本土から百八十キロ以上離れた絶海のど真ん中にぽつんと浮かぶ、実在する一つの火山島の上で止まった。
海図には、長さ三・五キロ、幅二・五キロほどの、世界に類を見ない『二重カルデラ(火口の中にさらに火口がある地形)』を持った火山島が描かれていた。
島の周囲三百六十度は、高さ五十メートルから二百メートルに達する垂直な海食崖(断崖絶壁)にぐるりと取り囲まれており、中央のカルデラ内部には、パンデミック直前に政府が秘密裏に改修した詳細な施設図面が記されていた。
島の名は――『青ヶ島――特別避難指定区画:エデン』。
「世界が崩壊する直前、父と一部の上級国民たちが、本土から遠く離れたこの絶海の『青ヶ島』に目をつけて、終末用の完全自給自足シェルターに改造させていたの」
葵は図面を指差しながら説明した。
「この島がなぜ『地上最強の天然要塞』と呼ばれているか分かる? 周囲が百メートル級の垂直な絶壁だから、海岸から上陸できる砂浜が島中どこにも一つもないのよ! 唯一の入り口は、断崖を削って造られた『三宝港』という小さな港だけで、そこから島の上へ登る道は、岩山をくり抜いた『一本のトンネル(青宝トンネル)』しか存在しないの!」
健二は海図の等高線を見つめ、思わず息を呑んだ。
「周囲が百メートルの絶壁で、入り口がトンネル一本だけだと……!? そのトンネルのゲートさえ閉めてしまえば、外からは人間も感染者も、アリ一匹すら中へ入れないじゃないか!」
「それだけじゃないわ、健二さん」
葵は二重カルデラの内側――『池之沢』と呼ばれる火口原の図面を指差した。
「この島の火口の中からは、『ひんぎゃ』と呼ばれる摂氏百度の天然の地熱蒸気が無尽蔵に噴き出しているの! 父の山岳要塞の旧式配管とは違って、燃料を1リットルも使わずに地熱蒸気だけで稼働する最新設備と、一年中作物が育つ地熱温室、さらには地熱で海水を蒸発させて天然塩を作る製塩所とサウナまで実在するわ。そして水も心配いらない。山の斜面全体を白いコンクリートで舗装して雨水を一点に集める『流し坂』という巨大な集水施設と地下貯水タンクがあるから、何千トンもの真水が自動で溜まり続けているのよ!」
健二は図面を食い入るように見つめたあと、ふと眉をひそめて顔を上げた。
「待てよ、葵。もし太平洋の上に、天然の地熱蒸気と巨大な雨水プラントと温泉があるそんな完璧な要塞島が実在するなら……なんでお前の父親や委員会の連中は、山奥の暗い穴に閉じこもって乾パンをかじってるんだ? 自分たちでその『青ヶ島』へ行けばよかったはずだろう」
葵は三冊目のファイルの最後のページを開き、一年半前に軍の偵察ヘリコプターが上空から撮影した『一枚のカラー航空写真』を健二の前に差し出した。
写真に写っていたのは、青ヶ島の二重カルデラ『池之沢』の内部にある地熱温室の前の広場だった。
三宝港の岸壁には大型の政府専用船が黒く焼け焦げて沈没しており、カルデラの緑の盆地の中には――引き裂かれた高級スーツやドレス、そして警備隊の制服を着た『百二十体ほどの人間の影』が、異様な姿勢で立ち尽くしていたのだ。
「パンデミック発生から十日目の夜、最初のグループだった『カテゴリーAの政治家と大富豪四十人』と、彼らに雇われた『警護官や医師、技術者たち八十人』――合計『百二十人』が、あの船で青ヶ島へ避難してトンネルの隔壁を閉鎖したの」
葵は静かな声で語った。
「けれど、大臣の一人がこっそり乗船させた愛人の女性が、本土を出る直前に感染者に腕を引っ掻かれていて、傷口を化粧品で隠していたのよ。外周のトンネルを完全にロックしたその日の夜、逃げ場のないカルデラの中でウイルスが爆発的に広まった。警備隊長が感染を外へ出さないために港の船を爆破して沈めたあと、わずか四十八時間で、島にいた『百二十人全員』が感染者に変わったの」
健二は航空写真の中の小さな影をじっと見つめた。
その瞳には恐怖など微塵もなく、むしろ獲物を見つけた猟師のような鋭い光が宿り始めていた。
「一ヶ月後に父たちのヘリが島の上空へ行った時、カルデラの中は百二十体の感染者が閉じ込められた巨大な檻になっていたわ」と葵は続けた。
「百メートルの断崖に囲まれているから、中の百二十体は外へは出られない。でも、父の委員会の臆病な官僚たちには、黒潮の激しい潮流と三宝港の荒波を突破して大型船を接岸させる操船技術もなければ、百二十体のゾンビが眠るカルデラへ上陸して掃除する勇気なんてこれっぽっちもなかったのよ! ……父があんなに執拗にあなたの『九頭の軍用犬』を生け捕りにしろと篠原に命じた本当の理由は、これよ。ゾンビに無視されるあなたの犬たちを使って、自分たちの代わりに青ヶ島の百二十体を掃除させるつもりだったの!」
健二は三秒間、無言で航空写真と海図を見比べた。
絶海の天然要塞・青ヶ島。無尽蔵の地熱蒸気『ひんぎゃ』と、巨大な雨水収集プラント『流し坂』。
そこにいる敵は、外から二度と増援が来ない『たった百二十体の感染者』だけ。
健二の口元が、ゆっくりと獰猛で痛快な笑みへと釣り上がった。
「……おいおい、本気かよ」
健二は喉の奥で低く笑った。「あの『カテゴリーA』の寄生虫どもは、太平洋の上に地熱と真水と温室が揃った日本最強の天然要塞があるのに……中に『たった百二十体』のゾンビがいるってだけで、二年間も指をくわえて放置してたのか?」
「ええ! 銃声でパニックを起こして仲間割れするだけの彼らにとって、閉ざされたカルデラの百二十体は恐怖そのものだもの」
葵もまた、瞳を輝かせて微笑んだ。「でも、一万体の群れでアークを沈め、冬の嵐の中で十五体を無音で処理したあなたと、風向きを計算できる私と……そして感染者からは透明に見える『九頭のカテゴリーS+の家族』がいれば……」
「三日あれば、銃弾を一発も使わずに百二十体すべて断崖から海に沈めて大掃除できるぞ!」
健二は海図の上を拳でトンと叩いた。「しかもあの青ヶ島の三宝港は、波が荒くて普通の漁船やゴムボートじゃ絶対に接岸できないことで有名な場所だ! その百二十体を片付けてトンネルの門を押さえれば、そこは俺たちと九頭の犬たちだけの、文字通り『永遠に誰にも侵略できない本物の王国』になる!」
【736日目・午前8時10分:3200馬力の『鋼鉄の怪物』と、20日間の脱出計画】
だが、健二の頭脳はすぐに冷静なエンジニアの思考へと切り替わった。
「目的地は決まった。俺はこの島の十二ヶ月熟成の生ハムも、ヤギのチーズも、ソーラーパネルも、四頭のヤギと二十羽のニワトリも、そして九頭の犬たちも、1グラムたりともここに残していくつもりはない。全部あの二十五メートルの『大型武装揚陸バージ』に積み込んで、空になったこのバンカーには篠原のC4爆薬と油と唐辛子を満載して、二十日後にやって来るお前の父親と百二十人の略奪者どもを島ごと吹き飛ばしてやる」
健二は入り江に浮かぶ平底の揚陸バージの図面を指差した。
「ただ、物理的な問題が一つだけある。『青ヶ島までの外洋航海』だ。俺たちの二十五メートルの揚陸バージは、港湾や沿岸を走るための平底船で、深い竜骨がない。自力の小さなエンジンで黒潮の本流と太平洋のうねりに突っ込めば、波に横から煽られて転覆するか、推進力を失って漂流する危険がある」
「その点も、すでに手がかりを見つけてあるわ、健二さん」
葵は房総半島南端の沿岸地図――『黒潮の集落から東へ十二キロ』離れた、海に突き出た険しい岩山の岬を指差した。
「私たちが二十五メートルのバージにすべての家財と動物たちを載せて、黒潮の荒波を安全に突破するには、何千トンもの巨大船をワイヤーで引っ張って台風の外洋を走るための『本物の海の怪物』が必要よ。――ここを見て。『館山特殊造船・海洋ドック』よ」
健二が地図のその一点に目を凝らした。
「五日前、私が線路を歩いて南へ下ってくる途中、山の尾根から双眼鏡であの造船所を観察したの」と葵は言った。「あの造船所は三方を切り立った絶壁に囲まれていて、陸路は山を貫く一本の長い道路トンネルでしか繋がっていない。でもパンデミック初日に、そのトンネルの中でタンクローリーが爆発事故を起こして天井が完全に崩落し、陸からの道が物理的に封鎖されたのよ。だから内陸の略奪団は一人もあそこへ入れていない」
「そして、その造船所のドックの中に船が残っているのか?」
「ええ! 屋根付きの大型乾ドック(ドライドック)の中に、パンデミック当日に海上保安庁とサルベージ会社へ引き渡される直前だった新造船――全長三十八メートル、総トン数四百五十トン、大型台風の外洋でも絶対に沈まない分厚い鋼鉄船体を持った『3200馬力・大型遠洋曳航タグボート【海王丸】』が、無傷のまま眠っているの! 燃料タンクには四万リットルのA重油が満タンに入っていて、船尾には直径五センチの鋼鉄ワイヤーで五十トンの船を引っ張れる巨大油圧ウインチがついているわ!」
健二の目が、カッと見開かれた。
出力3200馬力の大型遠洋サルベージ・タグボート。それは「船の皮を被った巨大なエンジン」とも呼ばれる、海上で最も頑丈で馬力のある船だ。高さ十メートルの大波を正面から砕いて進む復元力を持ち、その船尾に二十五メートルの揚陸バージを鋼鉄ワイヤーで連結して曳航すれば、バージを巨大な「浮かぶ農場トレーラー(方舟)」として引っ張り、外洋の荒波を乗り越えて青ヶ島まで安全に到達できる!
「……最高じゃないか」
健二は唇の端を上げた。「だが、海からは誰もその造船所に近づいていないのか?」
「初日にトンネルが崩落した時、造船所の敷地内にいた作業員たち四十人ほどが逃げ場を失って、そのままドックの前の広場で『四十体の感染者』に変わって徘徊しているわ」
葵は冷静に答えた。「それに昨日、私がカヤックでここへ渡る直前に見たのだけれど、さっきの書類にあった『千葉港の海賊団』の先遣隊らしい武装した男たち十人が、中型漁船で造船所の外桟橋に上陸してキャンプを張っていたわ。奴らもあのタグボートを狙っているけれど、広場の四十体のゾンビが邪魔で、水門の操作室まで近づけずに足止めされているの」
健二は防弾ガラスの窓から、朝の光の中で段々畑を元気に駆け回っている『クロ、ハナ、ゴウ、ジン、リク、そしてカゲ、テツ、ライデン、ユキ』の九頭の姿を見つめた。
それから葵の方へと向き直り、力強く頷いた。
「広場に四十体の感染者と、外桟橋に十人の海賊の先遣隊か。……十人の海賊どもには、あの四十体のゾンビをそのままプレゼントして掃除させればいい」
健二はテーブルの上のカレンダーを引き寄せ、赤いマーカーで明確なスケジュールを書き込んだ。
「よし、葵。これからの二十日間の作戦はこうだ。
第一に、今日から十日間で、お前が持ってきたワクチンと薬で九頭の犬たちの健康を完璧に固めつつ、この島のすべての資産――生ハム、チーズ、ソーラーパネル、海水淡水化装置、ミカンとリンゴの木、ヤギとニワトリ――を二十五メートルのバージへ積み込み、外洋の波に耐えられるよう防弾鋼板で船縁を高く溶接して『方舟』を完成させる。
第二に、空になったこのバンカーと熟成庫には、篠原のC4爆薬と廃油、イノシシの脂、そして三キロの激辛唐辛子を連動させた『特大の焦土トラップ』を仕掛ける。
第三に、総攻撃の三日前(七百五十三日目)の夜、俺とお前とクロたちで館山の造船所へ乗り込み、海賊の先遣隊を蹴散らして3200馬力の『海王丸』を奪取する! そして二十日後の朝、お前の父親と百二十人の略奪団がこの島で火だるまになるのを横目に、俺たちは絶海の天然要塞『青ヶ島』へ出航するぞ!」
絶望的な包囲網を、わずか三十分で「新しい楽園への完璧な引っ越し計画」へと書き換えてみせた健二の横顔を見つめながら、葵は胸の奥から熱い勇気が湧き上がるのを感じた。
もう、風下の暗闇で一人ぼっちで震えていた自分はいない。隣には、この世界で一番頼もしい相棒がいるのだ。
「了解よ、キャプテン!」
葵は海図の上に置かれた健二の大きな手の上に自分の手を重ね、晴れやかに微笑んだ。「それじゃあ早速、午前中は九頭のわんちゃんたちの予防接種と健康診断をして……今日の昼ご飯は、私が持ってきたデュラム小麦とあなたの卵で、本物の『手打ち生パスタ』を作りましょう!」
(第20話へ続く)
第19話をお読みいただき、ありがとうございます!
本土からわずか4キロの島に迫る「120人の海賊船団と81ミリ迫撃砲」の脅威!
そして新たな目的地として浮上した、周囲を高さ200メートルの垂直な黒玄武岩の絶壁に囲まれ、無尽蔵の地熱蒸気『ひんぎゃ』と巨大集水施設『流し坂』を持つ実在の絶海要塞――『青ヶ島』!
次回【第20話】では、獣医である葵による「9頭の犬たちの健康診断とフィラリア・ワクチン処置(50キロのゴウの意外な姿も!)」、シードバンクの硬質小麦で作る究極の『手打ち生パスタと野生イノシシのラグー』、そして健二の左肩に刻まれた「12針の傷跡」に葵が触れる静かな夜をお届けします!
引き続き次回もお楽しみいただけますと幸いです!
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『『カテゴリーD(廃棄物)』と切り捨てられたコンビニ店員のリアル・ゾンビサバイバル 〜ゲーム脳を捨てて無人島を開拓したら、俺を見捨てた『カテゴリーA』の上級国民たちが食料を乞いに来たけれど、もう遅い〜』
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