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第12話 :深海に沈む無線機と、9頭の群れ(パック)、そして730日目の王の晩餐

いつも温かいブックマークと評価で応援してくださり、本当にありがとうございます!

いよいよ【第1章(無人島要塞化&アーク壊滅編)】のクライマックスとなる第12話です!


この第12話では、溶岩洞窟を利用した「自家製熟成チーズと12ヶ月熟成の生ハム」作り、クロとハナの間に生まれた『4匹の新しい命(9頭の群れへ)』、そしてパンデミックから丸2年となる『730日目』に軍用無線機から聞こえてきた「人間たちの滑稽な放送」を前に主人公が下す決断をお届けします!(※そして物語はここから、さらなる巨大な新章へと続きます!)

【600日目〜729日目:溶岩洞窟の熟成庫と、4つの新しい命】




 二度目の冬は、ただの一発の銃声も響くことなく静かに過ぎ去り、春が訪れる頃には、俺たちの島の自給自足システムは、旧世界のどんな大富豪が金を積んでも買えなかったほどの「究極の豊かさ」へと到達していた。




 俺は島の東側の断崖にある深い溶岩洞窟――一年を通して気温が摂氏十二度前後、湿度が八十パーセントに保たれている天然の冷暗所――に頑丈な鉄格子の扉を取り付け、伝統的なヨーロッパの農家に匹敵する『天然の地下熟成庫(カーヴ)』へと作り変えた。




 毎朝、揚陸バージで連れ帰った四頭の白い乳用ヤギから搾り取る、バケツいっぱいの濃厚で甘い新鮮なミルク。


 俺は書店の実用書にあった『伝統的チーズ製造と乳製品保存の技術書』のページを忠実に再現した。


 銅鍋に入れた生乳を薪の火で正確に摂氏三十六度まで温め、若い野生イノシシの乾燥させた第四胃袋から抽出した「天然のレンネット(凝乳酵素)」と島ミカンの果汁を加えてカードを固め、穴を開けた木枠に入れて重石で水分を抜き、岩場の塩田で作ったミネラル豊富な天然の海塩を表面に擦り込む。


 今や、溶岩洞窟の石棚の上には、四ヶ月から八ヶ月間じっくりと熟成され、表面をラードとオリーブオイルで磨かれた黄金色の『自家製ハード・シェーブルチーズ(ヤギ乳の熟成チーズ)』の丸い塊が四十個以上もずらりと並び、その横には木製のバターチャーンで練り上げた黄色い発酵バターの塊が眠っていた。




 さらに、そのチーズの棚の上の天井の梁(はり)からS字フックで吊るされているのは、俺がこの一年間で仕込んだ最高傑作――『野生イノシシの骨付き後ろ脚を丸ごと塩漬けにして乾燥させた、十二ヶ月熟成の本格プロシュート(長期熟成生ハム)』が十二本!


 海塩と黒胡椒、野生のローズマリーと杜松(ジュニパー)の実を擦り込んで低温で塩蔵したあと、肉の断面が乾きすぎないよう「米粉と白いラードを練り合わせたパテ」で丁寧に塗り固め、洞窟を抜ける涼しい潮風の中で十ヶ月以上かけてじっくりと酵素熟成させたものだ。




 俺の島では、命のどの部分も1グラムたりともゴミにはならなかった。


 イノシシの血は腸詰めのブラッドソーセージや畑の窒素肥料になり、太い骨は十二時間煮込んで犬たちのためのコラーゲンたっぷりのボーンブロス(骨髄スープ)を取ったあと、焚き火で白くなるまで焼いて砕き、トマト畑のカルシウム肥料と、二十羽のニワトリたちの飼料に混ぜ込んだ。そのおかげで、ニワトリたちは毎日欠かさず、殻が石のように硬く、黄身が夕日のように濃いオレンジ色をした新鮮な卵を十八個から二十個も産み落としてくれた。




 だが――その春、この島で起きた最大の奇跡は、畑でも熟成庫でもなかった。


 六百二十一日目、四月の穏やかな朝。


 バンカーの最も暖かく静かな奥の部屋に敷き詰めた、清潔な毛布と乾いた干し草の寝床の上で、その奇跡は生まれた。




 アークの埠頭で救い出したあの日から、一時たりともクロの隣から離れようとしなかった雌のジャーマン・シェパード――『ハナ』が、クロとの間に『四匹の元気な子犬』を出産したのだ!




 父親であるクロに生き写しの、漆黒の毛並みを持った雄の子犬が三匹。


 そして母親のハナと同じ、美しい銀灰色の毛並みを持った雌の子犬が一匹。




 出産の夜、俺は一睡もせずにハナの横に付き添い、温かい肉とレバーのスープと真水を飲ませてやりながら、生まれたばかりの子犬たちのへその緒を消毒した糸で結んで清潔なタオルで拭いてやった。


 すぐ横では、クロが心配そうにハナの頭を自分の大きな顎で優しく撫で続け、四匹の小さな命が力強く最初の母乳を吸い始めた瞬間、部屋の入り口から静かに顔を覗かせていたゴウ、ジン、リクの三頭も、まるで新しい王子の誕生を祝う騎士のように深く頭を垂れた。




 そこからの三ヶ月間で、俺はイヌ科の動物が持つ「遺伝子の力」と「群れの社会的模倣」の凄まじさを目の当たりにした。




 俺が『カゲ(影)』『テツ(鉄)』『ライデン(雷電)』、そして雌の『ユキ(雪)』と名付けたその四匹の子犬たちは、旧世界の人間の暴力も、狭い檻も、電気ショックの恐怖も何ひとつ知らずに育った、生粋の「島の子供たち」だった。


 彼らにとって、目が開いた最初の日の朝から自分たちを抱き上げてミルクと肉を与えてくれる「俺」は絶対的な親であり、クロ、ハナ、ゴウ、ジン、リクの五頭は完璧な手本(教師)だった。




 生後二ヶ月になる頃には、四匹の子犬たちはただの一度も「キャン」とすら無駄吠えをしなくなっていた。群れの大人たちが誰一人として声を出さずに目線と耳の動きだけで会話しているのを見て、「無音こそがこの群れのルールである」と本能で理解したのだ。


 そして生後三ヶ月を迎えた七月には、四匹はすでに小さなケブラー胸当てを着けてジンやリクの後ろを一列になって走り、俺が2万2000ヘルツの超音波ドッグホイッスルを吹いた瞬間に、大人たちとまったく同じタイミングで草むらにピタリと伏せ、音もなく獲物の背後へ回り込む動きを完璧にコピーしていた。




 俺の群れ(パック)は、今や『九頭』になった。


 イノシシの赤身肉と骨髄、新鮮な生卵、そしてヤギのミルクを飲んで鋼鉄のように逞しく育っていく九頭の精鋭たち。


 たとえ十年後、十二年後にクロやハナが老いる日が来たとしても、カゲやテツたちが次のアルファを継ぎ、その子供たちがまた群れを受け継いで、この島の「無音の絶対防衛網」はこれから何十年先までも永遠に途切れることはない。






【730日目・午後5時30分:北の断崖と、最後の『人間の声』】




 そして――『七百三十日目』がやって来た。


 旧世界が崩壊し、人間たちが『カテゴリーA』と『カテゴリーD』に分かれて殺し合いを始めてから、今日でちょうど丸二年(二十四ヶ月・七百三十日)だ。




 七月の澄み切った夕暮れ前だった。


 太平洋の上に広がる空はどこまでも深く青く、西へ傾き始めた太陽が海面を黄金色に染め、松林の間を吹き抜ける心地よい潮風が熟れた島ミカンの香りを運んでくる。




 バンカーのテラスで今夜の「2周年記念の晩餐」の仕込みを終えた俺は、クロとハナ、そしてすっかり足取りのしっかりした四匹の子犬たちを連れて、島の北端にある最も高い場所――海面から垂直に六十メートルそびえ立つ『北の黒玄武岩の断崖』の頂上へと登った。




 俺の左脇には、四角くて重いオリーブグリーンの鉄の箱が抱えられていた。


 十ヶ月前、東京湾の要塞『アーク』から持ち帰り、ずっと倉庫の棚の奥に電源を切って放置していた『軍用広帯域・長距離無線機』だ。




 なぜ、二年目の記念日である今日、わざわざこの無線機を北の断崖まで持ってきたのか?


 誰かの助けを求めていたからではない。逆だ。


 あの死の都市を去ってから十ヶ月が過ぎ、丸二年が経過した今、あの海の向こうの本土にまだ「人間」という生き物が残っているのか、そしてもし残っているとしたら奴らが今どうなっているのかを、最後に一度だけ確認して、完全にケジメをつけるためだった。




 俺は高さ六十メートルの断崖絶壁の縁にある平らな岩の上に腰を下ろした。


 俺の右隣にはクロが、左隣にはハナが座り、足元のブーツの周りには四匹の子犬たちがピタリと寄り添って海を見つめている。




 俺は無線機の長さ二メートルのロッドアンテナを最後まで伸ばし、満充電のリチウムバッテリーのケーブルを繋いで、電源のメインスイッチを「ON」に入れた。


 そしてアナログの周波数ダイヤルを指でゆっくりと回し、旧政府の緊急防災チャンネルから軍用無線、短波、中波まで、順番にスキャンしていった。




 ――ザァァァァァ……ピィィィ……ザザッ……。




 一つ目の周波数。宇宙からの背景放射と潮風のノイズだけが響く。


 二つ目の周波数――一年目の二百十日目に、安全群島の臨時政府コロニーが「労働者が足りない、戻ってきてくれ」と泣きついていたあの周波数。完全なる沈黙。墓場のような無音だった。


 三つ目の周波数――東京湾の黒崎将軍の要塞『アーク』が使っていた港湾軍事チャンネル。こちらも、ただの一文字の信号すら存在しない。




 俺はダイヤルを一番奥――海岸から百五十キロ以上離れた、本土の内陸山岳地帯から山を越えて届く「長距離中波帯」へと合わせた。


 その時、ジジッ、というノイズの奥で、受信インジケーターの赤いランプが微かに点滅した。




 スピーカーから流れてきたのは、五分おきに自動で繰り返されるようにセットされた、磁気テープの録音音声だった。


 鼻にかかった、いかにも旧世界の省庁の役人らしい、尊大で形式ばった男の声だった。




『……こちらは、旧首都圏より北西百四十キロの中央山岳地帯に設置された【内陸中央安全保護区・臨時統治委員会】である。現在も沿岸部および旧市街地周辺に留まっているすべての未登録生存者へ、特別放送を繰り返す……』




 俺は膝の上に肘をつき、潮風がクロの黒い首筋の毛を揺らすのを見ながら、無言でその声に耳を傾けた。




『……当・地下複合施設には、稼働中の地熱発電設備と清潔な地下水、および今後五年間委員会を維持できるだけの「軍用乾パンおよび缶詰食料」の備蓄が存在する。しかしながら現在、新国家の農業開拓およびインフラ復旧計画を推進するため、委員会は「健康な肉体労働力」を緊急に必要としている……』




『……よって当委員会は、特別恩赦令に基づき、かつて【カテゴリーD(不要不急人員)】として分類・除外された元市民であっても、農業、土木建築、機械整備、あるいは食肉解体等の「実務スキル」を有する者が自発的に当施設のゲートへ出頭した場合、これを受け入れることを決定した……』




『……当委員会の武装警備隊の監督のもと、指定された外部農地において一日十二時間の誠実な労働奉仕を行うことを条件に、委員会は各労働者に対し「一日二回の規定量の乾パンの配給」と「共同宿舎の簡易ベッド」を保証し、さらに二年間無事故で労働ノルマを達成した暁(あかつき)には、特別に【カテゴリーC(准労働市民)】への階級昇格を認めるものとする……。繰り返す、これは諸君らが自らの社会的地位を回復し、人類文明の再建に奉仕するための唯一にして最大の機会である……』




 プツン、という磁気テープの終端音が鳴り、三秒間のノイズのあと、再び最初からまったく同じ声が再生され始めた。


 『……こちらは、旧首都圏より北西百四十キロの……』




 俺は断崖の岩の上に座ったまま、十秒間、目の前の無限に広がる青い太平洋に向かって一人で喋り続けているその緑色の鉄の箱を見つめた。


 そして、俺の胸の奥底から、ふっと笑い声がこみ上げてきた。




 苦笑いでもなければ、怒りの笑いでもなかった。


 あまりにも滑稽で、あまりにも呆れ果てた、澄み切った青空へ吸い込まれていくような乾いた笑い声だった。




 世界が終わってから、七百三十日が経ったのだ。


 七十億の人間が生ける屍に変わり、大都市は赤錆と雑草の森に還り、コンビニの床では一万円札が泥靴に踏まれ、将軍は金塊を抱えたままゾンビの餌になった。


 それなのに――ここから百四十キロ離れた山奥の暗いコンクリートの穴の中に閉じこもっている最後の人間たちは、二年経った今でもまだ、自分たちの手の中に『カテゴリーのゴム印』を握りしめていたのだ!




 奴らはジャガイモの植え方も知らなければ、斧の振り方も知らず、外の太陽の下へ出る勇気すらない。


 ただ古い乾パンの箱の上に胡坐(あぐら)をかき、「俺たちのために銃口の下で毎日十二時間畑を耕せば、お前たちに一日二回の乾パンと、二年後には『カテゴリーC』という新しい首輪を恵んでやるぞ」と、大真面目にマイクに向かって演説しているのだ。




 もし二年前のあの日――まだ暗いコンビニのシャッターの裏で膝を抱えて震えていた頃の俺が、この放送を聞いていたらどうしただろう?


 きっと涙を流して喜び、底の抜けたスニーカーで百四十キロの山道を這ってでもそのゲートへ行き、ぺこぺこと頭を下げて「どうか私をカテゴリーCにしてください、何でも働きます」と命乞いをしていたに違いない。




 俺はゆっくりと立ち上がった。


 無線機の電源スイッチは、あえて切らなかった。バッテリーが切れるまで、好きなだけ喋らせておけばいい。




 俺は海面から高さ六十メートルの垂直な断崖絶壁の縁――その真下を、深さ千メートルの太平洋の海溝へと向かう黒潮の本流がごうごうと渦巻いて流れている場所――へと歩み寄った。


 右手で軍用無線機の鋼鉄の持ち手をしっかりと掴み、一年間と三百六十五日、石を積み、薪を割り、オールを漕いで鍛え上げた肩と背中の筋肉を大きくしならせ――掛け声ひとつなく、その無線機を断崖の彼方の大空へ向かって全力で投げ飛ばした!




 ――ブォンッ!!




 緑色の無線機は、夕日に染まる黄金色の空に美しい放物線を描いて飛んでいった。


 空中で回転しながら、スピーカーからはまだ『……カテゴリーCへの階級昇格を……』という役人の声が小さく漏れていたが、次の瞬間、六十メートルの高さを落下した鉄の箱は、遥か眼下の深い群青色の海面へと激突し、白い水しぶきを上げた。




 ――ザパァンッ……!!




 分厚い海水がスピーカーを飲み込み、マイクを塞ぎ、人間という種がこの世に残した「最後の言葉」を永久に遮断して、光の届かない深海の底へと真っ直ぐに沈めていった。


 深海の魚たちなら、きっとあの役人たちの素晴らしい演説を喜んで聞いてくれるだろう。




 俺は両方の手のひらをパンパンと軽く叩いて埃を払い、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。


「……よし。これで地球上のノイズは全部消えたぞ、クロ」


 俺は隣で断崖の下を見下ろしていたクロの黒い頭を撫でて笑った。「腹が減ったな。俺たちの晩飯にしようぜ」






【730日目・午後6時30分:孤高の王と、9頭の家族の晩餐】




 午後六時三十分。


 七月の太陽が西の水平線へとゆっくりと沈み始め、空と海を燃えるような茜(あかね)色と黄金色に染め上げる中、バンカーの広い石造りの展望テラスに据えた玄武岩のテーブルの上には、二年目の記念日を祝う『王の晩餐』が並んでいた。




 そこには、カビ臭い軍用乾パンも、添加物まみれのコンビニの廃棄弁当もなかった。




 熱々に焼けた鋳鉄のスキレットの上でジュウジュウと香ばしい音を立てているのは、厚さ四センチに切り出した『野生イノシシの熟成ロース肉の極厚ステーキ』だ。


 島ミカンの剪定枝で軽く燻製したあと、自家製のヤギの発酵バターと潰したニンニク、そして野生のローズマリーで表面をカリッと黄金色に焼き上げ、ナイフを入れると中からロゼ色の肉汁がルビーのように溢れ出す。




 その横の樫の木のカッティングボードの上には、溶岩洞窟の熟成庫から出したばかりの二つの宝物が並んでいた。


 一つは、向こうが透けるほど薄くスライスした『十二ヶ月熟成・イノシシの生ハム(プロシュート)』。皿の上に置いただけで、室温で純白の脂身がとろりと溶け出し、熟成されたアミノ酸の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。


 もう一つは、八ヶ月間洞窟で寝かせた『自家製ハード・シェーブルチーズ(ヤギ乳の熟成チーズ)』の分厚い塊と、今朝採れたばかりの巨大な『新鮮な卵を二つ使った、半熟の目玉焼き』。


 そして、耐火煉瓦の石窯で焼き上げたばかりの湯気の立つ『ジャガイモ粉と全粒粉の丸パン』に、段々畑で太陽をいっぱいに浴びて完熟した『真っ赤なトマトとキュウリ、甘いタマネギのサラダ』。




 さらに、俺のテーブルをぐるりと取り囲むように、テラスの温かい石畳の上には『九つの大きなステンレスボウル』が整然と並べられていた。


 それぞれのボウルの中には、山盛りのイノシシの赤身肉のボイル、栄養満点のレバーとハツ、濃厚な骨髄スープで炊いた玄米リゾット、ヤギのチーズを作った際に出る栄養豊富なホエイ(乳清)、そして割ったばかりの新鮮な生卵がトッピングされ、仕上げに食後のデザートとして「巨大なイノシシの大腿骨」が一本ずつ添えられている。




 その九つのボウルの前には、背筋をピンと伸ばし、俺の「よし」の合図だけを待って目を輝かせている、俺のすべての家族が並んでいた。




 中央に座るのは、黒曜石のように艶やかな毛並みを持つ、俺の命の恩人にして群れの絶対的王(アルファ)――『クロ』。


 そのすぐ左には、クロの最高の伴侶である優しき母――『ハナ』。


 右翼を固めるのは、体重五十キロの頼もしき守護神『ゴウ』と、断崖を駆ける双子の風『ジン』と『リク』。


 そして前列の真ん中には、大きな耳をピンと立て、小さな尻尾を我慢できずにプルプルと震わせながら俺の顔を見上げている、この島で生まれた四匹の小さな戦士たち――『カゲ』『テツ』『ライデン』、そして『ユキ』。




 クロがハナの首筋に自分の鼻先を優しく擦りつけ、ハナが愛おしそうに目を細めてクロの頬を舐め返す。その足元で四匹の子犬たちがじゃれ合う穏やかな光景を見つめながら、俺はテーブルに頬杖をつき、ふと小さなため息を漏らした。




「……しかし、お前は俺よりずっと甲斐性があるよな、クロ」


 俺は苦笑いを浮かべて、自分のグラスの中のミカン水を見つめた。




 もし自分の胸に手を当てて、この二十六年間の人生で「たった一つだけ心残りがあるか?」と問われたら、俺は正直にこう答えるだろう。


 ――俺は生まれてから一度も、『彼女(恋人)』というものができたことがなかった。それが人生で唯一の後悔だ、と。




 世界が崩壊する前の俺は、二十四歳になるまでずっと、時給九百円のコンビニの夜勤と、六畳一間の暗いアパートのパソコン画面の間だけを往復して青春のすべてをドブに捨てていた。


 「現実の人間関係なんて面倒くさいだけだ」と自分に言い訳をしながら、実はただ、金も自信もない自分が女性に拒絶されるのが怖くて、三千四百時間もの途方もない時間をサバイバルゲームの中の仮想世界に逃げ込むことだけに費やしてしまったのだ。




 春の桜並木の下で好きな女性の手を握ったこともなければ、仕事から帰った時に誰かに「おかえり」と抱きしめられたこともない。誰かを愛し、誰かに愛されるという人間として当たり前の温もりを一度も知らぬまま、世界は終わってしまった。


 そして皮肉なことに、俺がこうして鋼のような肉体を手に入れ、自分の手で城を築き、最高のご馳走を作れる一人前の男になった時には――この地上にはもう、ビスケットの一箱や金の腕時計のために背中から撃ってこないような「信じられる人間の女」など、ただの一人も残ってはいなかったのだ。




「……ま、今さら考えても詮(せん)ないことだけどな」


 俺は小さく頭を振って笑い、俺の登山ブーツの上に短い前足を乗せて甘えてきた末っ子の雌の子犬・ユキの柔らかい耳の後ろを優しく掻いてやった。




「もし旧世界のあの頃の俺に彼女がいたとしても、どうせパンデミックの初日に俺なんか見捨てて、谷口みたいな『カテゴリーA』の金持ちのクルーザーに乗り換えていただろうさ。それなら、あの三千四百時間をゲームの攻略データに費やして、今日お前たちと一緒に生き延びる知恵に変えられた方が、よっぽどマシだったってことだよ」




 俺には今、見返りなど何ひとつ求めず、俺がどんな人間であろうと命がけで愛してくれる九頭の家族がいる。


 下手な人間の恋人などより、クロとハナがこうして寄り添い、その子供たちが俺の足元で温かい体温を伝えてくれるこの時間の方が、俺の心を何百倍も満たしてくれていた。




 俺は木の椅子に深く腰を下ろし、冷たい湧き水に島ミカンの果汁を絞ったグラスを片手に持ち上げて、夕日に輝く自分たちの王国を見渡した。




 入り江の入り口では、海面下に沈めた鋼鉄の軍艦が永遠の防波堤となって白い波を砕いている。


 段々畑には緑の作物が実り、防弾鋼板と玄武岩のバンカーの屋根では二十枚のソーラーパネルが夕日を浴びて静かに電力を蓄えている。


 ここにはもう、俺に頭を下げさせる客もいなければ、人間をアルファベットでランク付けする役人も、仲間の背中を撃つ将軍も、恩人の船を盗む裏切り者もいない。




 かつて、時給九百円の蛍光灯の檻の中で「自分は生きている価値のない廃棄物だ」と思い込まされていた男は、七百三十日前のあの夜に死んだ。


 今ここにいるのは、自分の頭で学び、自分の両手で石を積み、嘘も裏切りも知らない九頭の最高の家族とともに、この地球上でただ一つの「本物の楽園」を築き上げた一人の自由な男だ。




「二周年おめでとう、お前たち。――いつも俺の背中を守ってくれて、ありがとうな」




 俺は夕焼けの潮風の中で穏やかに微笑み、彼らが待ち望んでいた一言を告げた。




「――よし、食え!」




 九本の尻尾が一斉に歓喜に揺れ、九頭の犬たちが夢中になって温かい肉のボウルへと顔を埋めた。


 俺はグラスの冷たいミカン水を一口飲み干し、ナイフで分厚いイノシシのステーキを切り分けて、半熟の卵の黄身をたっぷりと絡めて口へと運んだ。




 噛み締めた瞬間、野生の肉の力強い旨味と燻製の香り、そして自分で育てた命の味が口いっぱいに広がった。


 俺は足元にすり寄ってきたクロの大きな黒い頭を左手で優しく撫でながら、人間たちの世界が沈んだ水平線の向こうへ、真っ赤な太陽が静かに溶けていくのをいつまでも眺めていた。




(第13話・特別編『カテゴリーS+誕生の秘密と、死都・東京突破編』へ続く)


第12話までお読みいただき、本当にありがとうございます!

すでに2,000人以上もの皆様に本作をお読みいただいており、感謝の気持ちでいっぱいです!

無線機を太平洋の底へ投げ捨て、9頭の家族と共に「王の晩餐」を味わう第1章の結末、いかがでしたでしょうか?


もしここまで読んで「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ【感想欄】にて、ここまでのご感想や「一番好きだったシーン」「お気に入りの忠犬」などを一言でも教えていただけると、作者として飛び上がるほど嬉しいです!


ですが――物語はここでは終わりません!

(※本作は【最終第40話まですべて執筆完了&予約投稿セット済み】です!毎日18時に最終話まで確実に自動更新されますので、どうぞご安心ください!)


・なぜ、人間を食い尽くす感染者たちは『クロたち軍用犬』を完全に無視するのか?

・ベストに刻まれた『カテゴリーS+』とは一体何なのか?そして誰があの最強の犬たちを育て上げたのか?

・さらに、主人公が無線機で聞いた山奥の『臨時統治委員会』が、この直後に島と9頭の犬たちを狙って仕掛けてくる恐るべき「睡眠罠」とは……!?


続く【第13話〜第17話】の数話だけは、物語の裏側の真実を明かすため一時的に視点が変わりますが、すべて主人公と9頭の忠犬たちに直結する「一つの同じ物語」です!

まず【第13話・第14話(特別編:K9シン&ブリッツ編)】にて、パンデミック6週間前に隠された人工ウイルス『X-09』の闇と、東京に残されたもう一頭の最強の兄犬『ブリッツ』の死闘が明かされ、続く【第15話】から『知事令嬢・葵と絶海の天然要塞・青ヶ島大開拓編(第2章)』が開幕し、すぐに主人公とクロたちの熱い戦いへと合流します!


それでは、ぜひ感想欄で皆様の声をお聞かせいただきつつ、そのまま次の第13話へお進みください!


―――――――――――――――

【連載から読み始めた皆様へ!始まりの短編版(第1部)&最新短編のご案内】


・(1)【未読の方はぜひ!】始まりの短編版(第1部):

もしこの連載版から読み始めて、まだ『始まりの短編版(最初の365日間の無人島開拓と、カテゴリーAの上級国民たちが食料を乞いに来る第1部)』をお読みでない方がいらっしゃいましたら、ぜひ以下のURLからご覧ください!

『『カテゴリーD(廃棄物)』と切り捨てられたコンビニ店員のリアル・ゾンビサバイバル 〜ゲーム脳を捨てて無人島を開拓したら、俺を見捨てた『カテゴリーA』の上級国民たちが食料を乞いに来たけれど、もう遅い〜』

https://ncode.syosetu.com/n8187mw/


・(2)【最新SF×ゾンビ短編!カテゴリーDの逆転劇!】

父が遺した試作AIが8歳の息子を守るためゾンビ地獄をARゲームに偽装し、避難所の『カテゴリーD』の作業員たちと手を組んで傲慢な『カテゴリーA』の上級国民を42℃の熱源おとりにする最新短編(一気読み完結)です!

『『パパの秘密ミッションをクリアしたら新作ゲームを解禁します!』〜父が遺した試作AIは8歳の息子を守るためゾンビ地獄をARゲームに偽装し、少年を奴隷にした避難所の上級国民を『42℃の熱源餌』にする〜』

https://ncode.syosetu.com/n1777mz/


・(3)【最新パニック短編!】

ある漫画からインスピレーションを受け、日本の民俗学や都市伝説・怪異伝承について独自にリサーチを重ねて執筆した新作パニック短編です!人間の悪意と古の怪異が激突し、悪党たちが夜明けまで徹底的に処刑されるスリル満点の逆転劇(約1万字・一気読み完結)をぜひあわせてお楽しみください!

『深夜の廃神社で『百キロ婆』の心霊撮影をしていた女子大生4人、ガチの犯罪者に監禁される〜本殿から現れた最恐の怪異は、私たちを全力で逃がして悪党だけを夜明けまで処刑しました〜』

https://ncode.syosetu.com/n1113mz/


―――――――――――――――

応援よろしくお願いいたします!グラッツェ!!


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