領地での暮らし 1
いつもとは違う朝日に、朝早く目が覚めた。
王都の屋敷にいる、と錯覚したアデレードは(今日は何をするんだったかしら)と考えてから「自分がいるのは領地で、何も予定はない」ということを思い出した。
苦笑いをしながら、ベッドから起き上がる。すぐにメイドがやってきて、着替えを手伝ってくれた。動きやすくデザインされているドレスだった。
ほんの数日前までは、起きるとすぐ「ブレントのところへ行くかどうか」を考え、お茶会の前に食事を持っていったり、夜会の前にワインとつまみを差し入れたりしていたのだが、何も考える必要はなくなった。真っ白な予定を前に、何をするべきなのかと考え込んでしまう。
「おはよう。よく眠れた?」
食堂に降りていくと、ロバータがすぐにやってきた。朝食が供される。かりっと焼かれたパンに、生みたての卵で作られたオムレツを添えて食べると、眠気が吹き飛ぶほどおいしかった。
「さっそくだけれど、私は代官のところへ行って帳簿を調べるつもりなの。アデレードはここにいてもいいし、私と一緒に来てもいいけれど、どうしたいかしら?」
「お母様と一緒に行きます」
アデレードは即答した。昨日のセオドアの姿が、まぶたの裏に焼きついていた。この領地をいずれひとりで切り盛りしなければいけないのだから、少しでも早く慣れておきたい。
「そう、よかったわ。それなら、二人で行きましょう」
ロバータは紅茶を置いて、にっこりと笑った。母にも習うことは多くある。ブレントの顔色をうかがう生活を脱したのだから、自分で決断できるようにならなくては、と、アデレードも紅茶を飲み干した。
二人で馬車に乗り込み、代官の館を目指す。屋敷からさほど遠くない場所に、一人目の代官、ノックスが住んでいた。
「これはこれは、奥様にお嬢様、ようこそお越しくださいました」
人のよさそうな笑みを浮かべて、ノックスと妻、息子夫婦と孫たちが迎えてくれた。ノックス家は代々ストックポート伯爵家に仕えてくれていて、ずいぶん前に亡くなったノックスの父や祖父も代官だった。
「帳簿をご覧になりますか?」
ロバータが口を開く前に、ノックスは何十冊もある帳簿を自ら運んできた。
「昨年は雨が少なかったのですが、小麦の収穫には幸い影響がありませんでした。旦那様が水路を開いてくださったおかげだ、と、皆が申しております」
「あの水路ね。役に立って何よりだわ」
「水路があるのですか?」
「お嬢様は水路をご存じないですか。息子に案内させましょうか」
「そうね、お願い」
王都でも見ることができる帳簿より、水路や畑を実際に見たかった。アデレードはノックス家の馬車に乗り換えて、水路を目指した。土を丁寧に盛った土手にはクローバーが生い茂り、陽の光をきらめかせながら水がゆったりと流れている。周囲には小麦畑が青々と広がっていた。
「旦那様……伯爵様が、水路を切り開くお金を下さったのが十年ほど前でした。難しい工事でしたが、王都から水路工事の専門家まで呼んでくださったおかげで、多少の日照りではびくともしないものができたんです。ここまで豊かな水路は、この国広しといえども、そうそうありませんよ」
ノックスの息子は胸を張る。アデレードは、父が水路の工事に取り組んだことも知らずにいた。ブレントのことで頭がいっぱいだった自分が、恥ずかしくなった。
「おっ、ノックスさんじゃないか。別嬪さんを連れているなあ。奥さんに怒られるぞ」
牛を連れた農夫が、ノックスの息子を冷やかした。息子は苦笑して、農夫をたしなめる。
「領主様のお嬢様、アデレード様だぞ」
「えっ、それは大変な失礼を申し上げました!」
驚いて詫びる農夫に、アデレードは「いいのよ」と笑って手を振った。
「困っていることはない?」
「困っているなど、とんでもない。この水路のおかげで、皆が助かっております」
牛が肯定するように「もう」と鳴く。アデレードはくすりと笑った。




