婚約解消、そして領地へ 4
「近々お屋敷にお邪魔するよ」
「ええ、待っているわ」
セオドアと別れて、再び馬車に乗り込んだ。ベリーの甘酸っぱい香りが身体を包んでいるようで、とても心地よい。
「セオドアも苦労したでしょうけれど、立派になっていてよかったわ」
ロバータが呟く。何か大きなことをなしとげた人物特有の余裕と優しさが、セオドアからは感じられた。ブレントも含め、王都で出会った貴族の男性からは感じたことのないものだった。
馬車は街道を走り続け、日が沈む前に領地の屋敷に到着した。屋敷の管理を任せているジョンが、半分白くなった髪をきちんと撫でつけて出迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
玄関ホールは王都の屋敷よりも広く、手入れも行き届いている。アデレードたちを迎えるために、花瓶にたっぷりと飾られた花が、長旅で疲れた身体を癒してくれた。
なだらかな丘を眺められる部屋に入り、夕陽が沈んでいくのを眺めながら熱い紅茶をゆっくりと飲んだ。牧草の香りを帯びた空気が室内にも満ちていて、呼吸するたびに優しい湿度が喉と肺を潤す。
「やっぱり、領地はいいわね」
アデレードはひとりごちた。あらためて、自分がどれほど傷ついていたのかよくわかった。ブレントの態度に、「いつ結婚するのだろうね」という社交界の噂に、そしてとどめを刺すような「酒場の女」の存在に。
王都から距離を置いて、まずは心を癒す。そしてセオドアのように領地をしっかり経営できる女主人になる。一生独身を貫くためにも、代官たちから馬鹿にされない知識と度胸をつけなくてはいけない。
「お夕食の準備が整いました」
ジョンが呼びに来てくれた。鴨のローストが主菜で、他の料理にも新鮮な野菜やハーブがたっぷりと使われている。昼をしっかりと食べているのに、どれも胃にすんなりと収まってしまった。デザートには、クリームをかけたベリーが出た。
(セオドアの摘んでくれたベリー、とてもおいしかったわ)
昼からずっと、セオドアのことを考えていることに気づいた。
(久しぶりに幼なじみに会ったからよ。理由はないわ)
アデレードは意味もなく赤くなりながら、ベリーを口に運んだ。甘酸っぱくおいしいのは昼食と変わらない。けれど、なぜだかセオドアの摘んでくれたベリーの方がおいしく感じられた。
食事を済ませて、少し早いが眠る準備をする。髪をほどいて寝間着に着替えると、全身の筋肉がどっとゆるんで疲れが吹き出した。ベッドに横たわる。
「ふう」
小さなため息が漏れた。最後に騎士団の詰め所に行ってから一週間経っていないというのに、あまりにいろいろなことがありすぎた。騎士たちの話を聞いてしまって、そして晩餐会をすっぽかされ、婚約解消――領地で暮らすことになるなど、想像すらしていなかった。
これでよかったのだ、と思う。ブレントと結婚した後に、酒場の女とも暮らす家がある、と知ったら、ひどいショックを受けていただろうし、結婚を先延ばししてアデレードをないがしろにした理由をあとから知るよりは、先に知って婚約を解消できたことは幸せだった。いずれにせよブレントは、自分に利のある結婚を渋って別の女を優先するような、愚かで享楽的な人物だったのだ。
(……私も、馬鹿だったのだけれど)
この四年、ブレントを疑ったことはなかった。結婚を先延ばしにされているのは、自分に非があるからだと思い込んでいた。社交界で噂になっていたのは、アデレードがブレントを信じ込んでいることに対する嘲笑と憐憫のせいだろう。これから婚約解消の話が広まれば、さらにアデレードは好奇と冷笑に晒されることとなる。母はそれを予想して「荷物は後から」というあわただしさでも、領地暮らしを提案してくれたのだろう。心から感謝した。
窓から見える夜空には、王都よりもずっと多い星がまたたいている。星座を探しているうちに、いつのまにかアデレードは眠りに落ちていた。




