先延ばしの理由は 4
「あまり癖の強くないウイスキーをくれ」
「いつもありがとうございます」
ブレントは酒場にいた。主に裕福な平民と、下級貴族を相手にしている酒場だ。上位貴族を相手にする店もあるが、この店のざっくばらんなところと、勘定の安さをブレントは気に入っていた。
おかみが酒のグラスをブレントの前に置く。同じテーブルには、ブレントが可愛がっている部下が三人一緒にいた。
「団長、いいんですか?」
部下の一人が尋ねる。ブレントは「何がだ」と、不機嫌そうに答えた。
「ご両親から使いが来ていたじゃないですか。今日晩餐会なんでしょう? 婚約者の方と」
「あらあ、婚約者と晩餐会?」
香水の匂いがぷんと立ち込める。酒場の女が四人やってきて、騎士たちの隣に座った。ブレントの隣に座ったのは、艶やかな黒髪をふんわりとカールさせた女だった。
「ミミ、遅かったじゃないか」
ブレントはミミと呼んだ女の肩に手を回し、ぐいと引き寄せた。ミミは笑顔で尋ねる。
「まずは、婚約者との晩餐会の話を聞かせてくれなきゃ、ね?」
「……そんなこと、どうだっていいじゃないか」
「どうだってよくはないわよ。うちみたいなお店にも、ブレントの婚約の話は聞こえてきてるんだから。貴族院のおえら方のお嬢様なんでしょう?」
「うるさいな」
蠅を追い払うような手つきをして、ブレントはグラスの酒をぐいと飲んだ。ミミが「あたしにも」と、酒を持ってこさせる。
「ブレントが結婚しないと、第二騎士団と貴族院が仲悪いままなんでしょう?」
「そうだ。だから仕方なく結婚してやることにしたら、早く結婚しろと皆がうるさい」
先ほど、晩餐会のことを尋ねたのとは違う部下が「結婚なんかしたら、人生終わりますよ」と煽った。
「うちも家同士のつながりで結婚したんですが、妻は浪費ばかりしているし、注意すれば『実家ではこれくらい普通だった』と……。騎士の家と商人の家では違う、と、どうしてわかってくれないんですかね?」
「うちは逆だ。もう少し華やかに装ってくれてもいいものを、古ぼけたドレスばかり着て『子供の世話をしていれば汚れる』と。乳母も使用人もいるのに、なぜ自分で子供の面倒を見る必要があるのだか」
二人は結婚生活の愚痴を言い合った。女たちは「そうそう」「へえ」と、適当な相槌を打っている。ミミは少し真面目な口調で言った。
「普通の騎士の家と、伯爵家じゃあ、だいぶん事情が違うんじゃないの?」
「違わない。結婚したら人生が終わるということに関しては同じだ」
「哲学的ねえ」
ミミは酒を飲み、苦笑した。ブレントが「それより」と話題を変えた。
「お前と暮らす家の話だが、いいところが見つかったんだ。まだ新しくて綺麗で、出かけるにも便利な場所にある。もう手付を払ってきたから、あとはお前が酒場をやめられるよう、主人と話をつけるだけなんだ」
「あらそう、残念ね。おかみさんから聞いたと思うけれど、ご主人は明後日まで旅行に出ているのよ」
「聞いた。だが前に話した時『あとはミミの意思だけ』と言っていたぞ。主人が帰ってきたら、俺と暮らすことにしたと言ってくれ」
「婚約はいいの?」
ブレントは舌打ちをして、ミミを揺さぶった。
「結婚はいずれしなくちゃいけない。だが、それとこれは話が別だ。俺が手に入れたいのはお前なんだ、ミミ」
「それはありがとう」
ミミは涼しい顔をして、さらりと答える。その心の中は、砂漠のように乾いていた。
これまで、ミミに何度も身請けの話はあった。だが気ままに暮らしたくて、全て断ってきた。ブレントの話も断るつもりでいたのに、勝手にブレントが話を進めている。一番の売れっ子だから、主人やおかみがミミを手放さないだろう、と思っていたのに、ブレントがあまりに多額の金をちらつかせるものだから、最近では「身請けさせてもいい」と言い出している。
(面倒くさいことになったわね)
ミミは長く酒場の女をやっているだけあって、ブレントの婚約がどれほど重大な意味を持っているのか、本人よりもわかっている。結婚後ならまだしも、結婚を延期してまで自分を囲うことに熱心になっているブレントに、危なっかしさしか感じていなかった。
(最悪、お金だけ貰って、田舎へ逃げるという手もあるか)
つるりとした舌触りのウイスキーを飲み干して、ミミは「おかわり貰っていい?」とブレントに尋ねた。ブレントは気を良くした様子で「いくらでも飲め」と、鷹揚に答えた。




