嵐の前 1
アデレードは、何回目かのため息をついた。ノックスの屋敷まで戻ってきたら、どっと疲れが出たような気がした。
マイクとの対峙は覚悟していたが、まさかブレントがこんな近くにいるとは思わなかった。自分には全く知らされていなかった、第二騎士団長の罷免――婚約解消をしたことで、貴族院はブレントに見切りをつけたのだろうけれど、ブレント自身が自分に非がないと思い込んでいることには、ただ呆れるばかりだった。酒場の女に入れあげてアデレードをないがしろにする、あげくの果てにその酒場は間諜が経営するものだった、という状態なのに。
「お嬢様、どうぞ」
ノックスの妻が、紅茶と一緒に手製のケーキを運んできてくれた。はちみつをたっぷり使った、素朴なケーキだ。
「ありがとう」
ケーキを口に入れると、優しい甘さが疲れにしみわたった。セオドアがじっとアデレードを見つめていることに、ようやく気づいた。
「大丈夫かい?」
「さすがに、疲れてしまって……」
「そうだろうね。君の元婚約者が現れるなんて、想定外だった」
「お母様は、第二騎士団長の罷免のことをご存じでしたの?」
ロバータに問うと、ゆっくりと首を横に振った。
「知らなかったけれど、自明の理でしょう。婚約解消だけでも地位が危うくなるのに、まさか間諜に気づかなかったとはね」
母も、自分と同じことを考えているらしい。セオドアは腕組みをして「あの男」と呟いた。
「素直に領地から出て行ったならいいけれど、どこかに隠れていると面倒だな」
ノックスが入ってきて「それなんですが」と告げた。手に紙を持っている。
「今、お屋敷から執事さんがいらっしゃって、王都から手配状が来たとのことでした。あの方は、憲兵隊の取り調べを振り切って逃げたんだそうで。王都を探したけれど見つからないから、どこかの領地に逃げ込んでいないかというお尋ねがあったんだそうで」
「捕まえて、憲兵隊に突き出してやればよかったわね」
ロバータが真顔で言う。この母ならばやりかねない、と、アデレードは苦笑した。
「息子が、各村の代表に手配状を配りに行きました。もうどこにも隠れることはできませんよ」
「マイクが庇ったりはしないだろうか?」
セオドアが質問すると、ノックスは豪快に笑った。
「マイクは金を持っているというだけで、代表じゃないんですよ。だからこっそり匿っていようもんなら、こっちの思うつぼです。代表と一緒に行って、引きずり出すことも可能になります」
ノックスの妻が紅茶のおかわりを淹れてくれて、ようやく人心地ついたような気がした。
「領地経営のために来たのに、かえって厄介事を持ち込んでしまったようで、申し訳ないわね」
「お嬢様がこちらにいらっしゃらなくても、どこかには逃げ込んでいたのでしょう? それなら、いっそこの領地に逃げ込んでくれたほうが、捕まえやすくてよかったってものですよ。マイクの奴と一緒に、一網打尽にしてやれればいいんですがね」
「いっそ、マイクがブレントを匿っていればいいのよ。まとめて憲兵隊に突き出して、一石二鳥じゃないの」
「その通りですな」
ノックスとロバータが頷き合う。ノックスがストックポート伯爵家で重宝されている理由が分かった気がして、アデレードは今度こそ声を立てて笑ってしまった。
「そんなにうまくいかないでしょうから、マイクのことを考えなくてはいけないわね。領主のお父様に無断で高利貸しをしていたことを、罪に問えないかしら?」
「借金の証文を見てみないと何とも言えませんが、どちらも難しいでしょうな。あいつは頭が切れる。必ず抜け道を作って、違法なことは証拠を残していないと思います」
ノックスが紅茶をかき回しながら、いまいましそうに言う。セオドアも難しい顔をした。
「代官からの貸し付けに関する嘘も、証拠が残っていないしな。とすると、あとは報奨金の独占か」
「そうなるわね」
アデレードは静かに、しかし力強く頷いた。




