先延ばしの理由は 2
アデレードは心臓の鼓動がはね上がるのを感じた。何も悪いことをしていないのに、木の陰に隠れる。
騎士たちは全く気づいていないようすで、話を続けている。
「所詮政略結婚だから、できるだけ先延ばしにしたいってさ」
「俺も聞いた。結婚なんて、どうせ人生の墓場だもんな」
「そうそう。結婚したってろくなことないのは、俺たちでも団長みたいな金持ちでも同じってこと」
ナイフを持っている手が震えそうになる。堂々と出て行くか、戻ってしまえばいい、とわかっていても、足が動かない。
「それに団長、酒場の女をもう少しで落とせそうなんだろ? 囲える家を探してるって言ってたし」
「あー、ミミって女か。気が強いのが難点だけど、美人でいいよな」
「酒場の主と話をしてるけど、売れっ子だから、かなりの金がいるらしい」
愛人を囲うのは、政略結婚ではよくあることだ。だが結婚する前から、それも酒場の女を愛人にしておくなど、聞いたことがない。
「団長は、礼儀作法がなってなくてもいいから、気楽な女がいいんだと」
「あの婚約者も美人だけれど、高位貴族のお嬢様って感じで、ちょっと息が詰まりそうだよな」
「雑な女が好き、ってところが、いかにも団長らしいな」
騎士たちは好き勝手に話を続けている。中年の騎士がやってきて、大声を張り上げた。
「お前たち、いつまで休んでいるんだ。訓練を再開するぞ」
騎士たちは「わかりました!」と返事をして、訓練場に戻っていった。アデレードはようやく木の陰から出て行って、井戸でナイフを洗った。
「痛っ……」
人差し指の先を、ナイフで浅く切ってしまった。綺麗な水を汲みなおして、傷口を洗う。
(直接、ブレントから聞いたわけではないわ)
自分に言い聞かせる。噂話というのは、どこでも無責任なものだ。騎士たちが話していたからと言って、真実だとは限らない。
アデレードは傷口を乾かしながら、ナイフを持って訓練場に戻った。ブレントは剣を持って、模擬試合をしている。
(お母様に相談しよう)
軽くなったバスケットを提げて、訓練場を出た。人差し指の傷だけが、じくじくと痛み続けていた。
◇◇◇
「ブレントの部下が?」
館へ戻ってすぐ、アデレードは母のロバータに全てを打ち明けた。ロバータは深いため息をつき、窓の外を見やった。貴族院の建物が、遠くに見える。
「結婚から逃げ回っていると思ったら、酒場の女と懇ろになっていたなんて」
「お母様、ただの噂かもしれませんわ」
「そういった噂が出ること自体が、不名誉です」
ロバータは一刀両断すると、さらに付け加えた。
「それに、下級貴族の騎士が、第二騎士団長について興味本位で噂するなど、騎士道に反した行いです。あってはならないことですよ」
確かに第二騎士団は、上下関係がゆるんでいるように感じることがある。アデレードに馴れ馴れしく話しかける騎士もいるし、差し入れを当たり前のように食べて礼を言わない騎士もいる。今日も、アデレードがナイフを洗いに行こうとした時に、誰も代わろうとしなかった。
「とにかく一度、ブレントを呼びましょう。さっきヘンリーが来て『いい加減、結婚式の日取りを決めてもらわないと困る』と言っていたのよ」
ヘンリーはアデレードの父方のいとこで、三十三歳だが貴族院議員として大きな影響力を持っている。アデレードとブレントの縁談をとりまとめたのはヘンリーの父だったが、二人が婚約してすぐに病に倒れ、爵位も貴族院の議席もヘンリーが継いだ。ブレントが結婚しようとしないために「第二騎士団嫌いの貴族院を抑えるのに苦労している」と聞くたび、アデレードは申し訳ない気持ちになっていた。
机に向かい、ロバータは明日の夕食への招待状をしたためた。ブレント宛ではなく、両親のへレンズ伯爵夫妻宛となっているところに、ロバータの真剣さが見てとれた。
ベルを鳴らして家令を呼ぶ。へレンズ伯爵家へ届けるように伝えた後「ヘンリーにも来てもらえるよう頼んでちょうだい」と告げた。
家令が下がると、入れ替わりに父のサイモンが部屋に入ってきた。
「ブレントとへレンズ伯爵夫妻を夕食に招くそうだが、何かあったのか」
サイモンとロバータの間には、アデレード以外に子はいない。領地だけはアデレードが継げるが、爵位は女が継げない決まりになっていたため、国王の許可を得てブレントがストックポート伯爵位を継ぐことになっていた。
アデレードがロバータに説明したことを繰り返すと、サイモンは絶句した。
「結婚を延期している理由として、酒場の女が原因であると言われるだけでも、十分不名誉なことだ。ブレントにはっきりと否定してもらわねばならん」
「もちろんです。そもそも、もう結婚はこれ以上延期できないところまで来ているのですから」
両親が話し合っているのを、アデレードははらはらしながら見守っていた。人差し指の傷が、また痛みはじめた。




