(3)
一人部屋に残されると、改めて広さを実感する。大学の近くで一人暮らしをしている部屋を全て合わせても、断然ここの方が広い。
ソファが完全に乾いているのを確かめると、滅多に座れないような豪華なソファをようやく堪能できた。
その後すぐにメイドさんたちがお茶とお菓子の用意までしてくれ、恐る恐る味わっていると、ミレイさんの旦那さんが来たと告げられた。
異世界の文化に触れ、少し浮かれていた気持ちが一瞬にして現実に引き戻される。
紅茶をいただいていたというのに喉はカラカラで、手にはじわりと汗が滲んだ。
「遅くなって申し訳ありません」
そう言って入ってきたのは長身の男の人だった。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
記憶の中よりも声は低く、私の方が高かった身長も見上げる程大きくなっている。
それでも、目や鼻には面影が残っていた。
笑った時に目がなくるなるのも、変わっていない。
(逢えた――)
瞬きをしたら涙が溢れてしまいそうで、目を見開いたまま声を出すこともできなかった。
彼は反応のない私に気分を害した様子もなく、向かい側のソファに座って脚を組んだ。
執事のような人がすぐにお茶の準備を始める。
「今まで何の音沙汰もなかったというのに今朝突然"湖に集合!"とだけ頭に響きましてね。それきり反応もなくどうするか迷ったのですが、妻が行くと張り切っていたので任せてしまって。まずは入れ違いにならずに済んでほっとしました」
十四年ぶり、彼からしたら十六年ぶりに逢ったというのに、あまりにも普通に、というか他人行儀な反応で、心に黒い霧でも発生したかのような騒めきを感じる。
鼓動もどんどん速くなっていき、脳が壊れたみたいに頭の中で"嘘だ"と繰り返す。
きっと、成長して分からないだけ。名前を言えばきっと――
「私はリュート・クロスフォードと申します。本当の名前はリヒトなのですが、此方の世界では発音が難しいようでリュートと名乗っています」
名前が違うことに一瞬ドキリとしたが、本名が一致したことで知らず止めていた息を吐いた。
「……っ、ぁ……」
自己紹介をしなくてはいけないのに、喉の奥が張り付いて上手く言葉が出ない。
握りしめた拳には汗が凄いのに、指先は冷え切ってしまっている。
「……わ、たしは、……綾川、な、つみ、と申します……」
一瞬の沈黙が、永遠に感じられる。
詰まりながらも告げた名前を聞いて、彼は昔と同じ笑顔を浮かべた。
「――り」
「この世界はいいですよ。神の遣いっていうだけで優遇されますし、何と言っても魔力があります。ナツミ殿も練習すれば魔道具だけでなく魔法も使えるようになりますよ」
一瞬の喜びの後、脳みそを直接殴られたかのような衝撃に襲われた。
血の気が引き、目の前が暗くなっていく。
耳鳴りがして、楽しそうに魔力や魔法の説明をする声も遠くに聞こえた。
(……う、……うそだ。……嘘だ嘘だ嘘だ!)
どうにか否定をしてほしくて、必死に言葉を紡ぐ。
「あ、の……、あなたは、何故、この世界に……?」
「私ですか? 私は当時六歳でしたので、正直理由はよく覚えていないのですよ。神様の事ははっきり覚えているのですが。神様とはナツミ殿も会っていますよね?」
覚えていないことを叩きつけられ、頭の中が真っ白になった。
彼にとって私は、それほど重要な存在ではなかったのだ。忘れるくらいの、その程度の軽い気持ちで誓おうとしてただけ。恨まれてすらいない。
私だけが、いつまでも引きずって――
「ナツミ殿?」
瞬いた反動で、涙が零れ落ちた。
「あ……」
「ナツミ殿!? 何処か痛みますか!?」
「あ……、いや、ちがっ……」
泣くつもりなどなかったのに、溢れてしまった涙はなかなか止まってくれない。
「ミレイと医者を呼んでくれ!」
「はっ」
そうこうしている内に、指示を受けた執事っぽい人が部屋を出て行ってしまった。
「わたし、ここ…、出ます。ごめん、なさい……っ」
もう、何も考えられなくて、考えたくなくて、ここにはいたくなくて、とにかくここを出ることを優先させた。
頭を下げ、彼が混乱している間に部屋を出る。
途中、メイドさんたちから不思議そうな視線を向けられながらも、止められることはなかった。
玄関を出ると、湖に向かって走った。
その間も、涙が止まらず溢れ出す。
彼がこの世界で楽しく暮らせていたのなら、よかったではないか。
この世界に来るきっかけは私だったのかもしれないけれど、大したことではないのだ。覚えていないのだから。
それで、よかったではないか――
「よくない! なんで、なんで覚えてないの……!」
湖に向かって思いの限り叫んだ。
六歳でも、私は覚えていたのに。
私の所為だって、ずっと自分を責めていたのに。
彼が今不幸なら、私がなんとかしなきゃって思っていたのに。
そのために、向こうを捨ててここに来たのに――
彼が今幸せなのなら、私はいらない。
心配だと口では言っていても、結局、私は彼に不幸でいてほしかったのだ。
だって、彼が不幸ならあの時の償いができる。覚えていたのなら、謝ることができる。
自分が楽になりたいが為に、彼が不幸な方が都合が良かった。
自分でも気づいていなかった本音が顔を出し、涙は止まった。
「……最低じゃん、私……」
湖の前にしゃがみ、水面に映った自分の顔を手で払った。




