107.化かしの美学
「あの……主様」
「え……? なに……?」
僕が居間のソファーでイセの前にボールを投げて遊んでいると、ハナがお皿の上にお菓子を持ってやってきた。
「……ああ、カステラだね。しかも今日のはチョコレートの香りがする」
皿の上に乗っていたのは黄金色に輝くふわふわのパンケーキのようなお菓子だった。
砂糖がまぶしてあり、甘くてふんわりとした食感が癖になる。
甘さを予感させる香ばしい匂いが漂っており、涎を押さえきれない……。
「……そうではなくてっ!」
ハナはその語気を荒げた。
「いけません主様! 最近、自堕落が過ぎています!」
「え……そ、そうかな。いつも通りのような気もするけど……」
のっぺらぼうのニールを召喚して一ヶ月。
ニールは、完璧に僕の代わりをこなしていた。
だから僕は町の業務から離れてゆっくりとしていたのだが……。
「……主様が最後にお屋敷を出たのはいつですか!」
「えっと……先週……だっけ?」
「二週間前です! たしかに主様にはしばらく休んで欲しいとは言いましたが、まさかここまで引きこもってしまうとは……せめてピクニックとか、お外に遊びにいきましょうよー!」
ハナのこちらを心配するような表情に、僕はゆっくりと上半身を起こす。
……どちらかというと、最後の方がハナの本心なのかもしれなかった。
そういえば、最近はずっと家でゴロゴロしていた。
どうやら長かった忙しさが原因で、疲れが溜まっていたらしい。
そんなにあくせく働くのは好みではないが、かといってハナを心配させるのも本意ではない。
「……わかったよ、ハナ。今日は久々にやる気を出すかぁ」
「主様……!」
伸びをする僕に、ハナは瞳を輝かせた。
寝間着姿のままだった僕は、自室へと戻って身支度を整える。
……そういえば、最後にニールから判断について確認したのはいつだったっけな。
そろそろ彼のもとにも仕事が溜まっているかもしれない。
そう思った僕は準備を終え、久しぶりに外へ出る。
僕が太陽の眩しさを感じていると、そこには既に彼が待ち構えていた。
「やあどうもどうもー! そろそろ出ていらっしゃる頃かと思い、こちらから馳せ参じさせていただきました!」
そう言って僕を出迎えたのは、僕の姿をしたニールだ。
ちなみに見分けが付きやすいよう、服までは取り替えていない。
彼は懐から真っ黒な仮面を取り出したと思うと、それを顔に付ける。
そしてまたすぐに外すと、そこには褐色肌の目鼻立ちの整った男性の顔が現れた。
一瞬で姿を変化させたらしい。
「おっと……お初にお目にかかります。これが私の素顔です。驚かれましたか?」
「あ、いや、驚いたというか……。あるんだね、顔」
僕の言葉に、彼は深々と頷く。
「ええ、もちろん。その方が便利ですので。……さて、ではまずは役場へと向かいましょう。いつもの仕事場へと」
そう言って彼は、薄目を開けてにっこりと笑った。
☆
彼とともに、役所として使っている建物へと辿りつく。
そこは元々マリーの酒場として使っていた建物だ。
その中を歩きつつ、ニールは口を開いた。
「あなた様の仕事振りに感銘を受けた私は、全力でその仕事を代行していたつもりです」
ぼ、僕そんなに頑張ってたかな……?
首を傾げる僕に、ニールは歩きながら言葉を続けた。
「しかしその結果、一つの問題が生じてしまいました」
そう言って彼は溜め息をついた。
……なんだか嫌な予感がする。
もしや任せていた事業が、軒並みヤバイことになっているのでは……?
最悪のパターンをいくつか考える僕をよそに、彼は事務室として使っていた部屋の扉を開けた。
「このような状況になってしまって、いったいどうしたらいいものか。……入りきらないのです」
入りきらない。
僕は彼が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
そしてその部屋の中に広がる光景を見て、ようやく理解する。
「これは……ど、どうしたの!? こんなお金……!」
床に積まれていたのは、金貨の山だった。
「はい……。持てる知識と力を存分に振るった結果……資産が増えすぎてしまいまして!」
「増えすぎたって……いったいいくらあるの……!?」
「ざっと一万枚ほど!」
「一万……!?」
たしかにそんなにあったら、ムジャンに作ってもらった小さな鉄の金庫には入りきらならないことだろう。
そんな大金、一生遊んで暮らせる金額だ。
「どうやってこんなに……!?」
僕の言葉に、ニールは眉をひそめた。
「投機を少々。失礼にもあなた様のこの村から暴利を貪ろうとする、商人やギルドの連中を利用させていただきました。……人を化かすのは、私の在り方ですので」
のっぺらぼうは人を化かし、惑わす妖怪だ。
僕はおそるおそる彼に尋ねる。
「化かすって……幻術とか……?」
もしも魔法を使って操ったとなれば、なりきられていた僕が犯罪者として賞金首になってしまう。
しかし彼は、首を横に振った。
「いえいえまさか! 妖力を使うまでもありません。言葉さえあれば、あのような輩を化かすぐらいは赤子の手をひねるよりも簡単というもの!」
ニールは肩をすくめて笑う。
「不要な時期に不要な物を買い付け、それを欲する者に売っただけです。むしろ彼らは、未だに損をしたとは微塵も思わず、私に感謝すらしていることでしょう。……多少、相場の操作ぐらいはさせていただきましたが」
彼の言葉に、僕は腕を組む。
どうやら悪いことはしていない……のだと思う。
「詐欺とかじゃないんだよね……?」
「もちろんですとも! 誰の恨みを買うこともなく、化かしてみせました! それに元々、原資としてはこの町の貯蓄資産です。つまりこの成果はすべて、あなた様の功績と言っても過言ではない!」
「さすがにそれは違うと思うけど……」
何はともあれ、町で使えるお金が十倍以上に増えているというのは凄い。
ニールは商売の天才なのかもしれない。
僕がひとしきり感心しているのを見ながら、彼は言葉を続ける。
「そしてこの資金だけではなく、もちろん他の事業も進めております。特筆すべきはエルフの技術者! 少々入れ知恵はさせていただきましたが、新たなアイデアが固まった様子。……来月にはおそらく、港町への蒸気機関車が走り出します」
「……キカンシャ?」
初めて聞く単語だ。
聞き返す僕に、彼は高らかに言葉を言い放つ。
「そうです! 私は蒸気機関車の知識も持っております……ゆえに、私がサポートするジェニー技師の発明に失敗はないと思っていただきたい! カシャさんと同程度の速度の車を馬も使わず人の手で動かすことができる……そんな鉄の道が通るのです!」
大仰にそう言い放つ彼に、最近悩み続けていたジェニーの姿を思い浮かべた。
「ジェニー、アイデアがまとまったんだね……! 良かった」
僕の言葉にニールは頷く。
「ええ。それにしても、彼は私の介入があったのを差し引いても天才です。さすがあなた様が見込んだだけの方。同時にその慧眼、まさしく感服いたします」
「僕じゃなくて、ジェニーが凄いんだよ」
苦笑する僕に、彼は首を横に振った。
「違いますとも。言うならば私はあくまでも時計の針を進めただけ。投機の元手となる資金も、優秀な人材の確保も、すでに港町まで通っていた馬車鉄道のレールも、そしてこの町の住人たちからの信頼も! 全てあなた様が事前に用意していたもの!」
彼はそう言い切ると、僕の手を握ってその顔を近付けた。
「あなた様の手腕にこのニール、脱帽であります!」
「近い近い近い」
僕の言葉にニールは「失礼」と行って、手を放した。
「……そこで一つ、提案なのですが」
彼は静かにそう切り出す。
「この町にも余裕ができ、ここの資金も、半分もあれば町には十分でしょう」
ここにある金額だけでも、この町は一年以上安泰だ。
ニールは言葉を続ける。
「……ですから、この町を私にお任せになってはいかがですか?」
「……町を?」
聞き返す僕に、彼は頷いた。
「もちろん、町を乗っ取りたいなどという下心はありませんとも。私のことを信頼できぬというのであれば何らかの対策を考えてもよいですし、信頼できる者の下で私がサポートという形にもできます」
彼はまっすぐに僕の瞳を見つめ、語りかける。
「あなた様は、町の長としての重荷と負荷に疲れ果てて私をお喚びした様子。お金も自由も、あなたは手にする権利がある。それだけの報酬を受け取る、実績と功績を上げているのです」
彼は薄目を開けて、にっこりと笑った。
「町のことは一端忘れ、長期休暇を取ってはいかがですか? ハナさんと一緒に旅行なども良いでしょう。もちろんまた町を治めたくなれば、戻ってくれば良いのです」
「え、ええっと……」
ハ、ハネムーン……!
いやいや、落ち着け。
……これはつまり、彼は僕に「もっと休め」と言ってくれているのか。
もう十分、お前は働いたと。
「……そうだなぁ。この村に来てから、なんだかんだ働き詰めだったしなぁ」
もちろん僕は体力がないので、休み休みのんびりだったけれども。
それでも、毎日が忙しかったように思える。
「……ハナにも、恩返しがしたいな」
ナクアにも約束したことだけども。
ハナを幸せにしたい。
……それにしても、ハネムーンとは……。
二人きりの旅行……。
……南の国にでも行って、一日中誰の目を気にするでもなく、イチャイチャ……うむ、ありだな。
妄想を膨らませる僕に、彼はコクコクと頷く。
「そうでしょう、そうでしょう! もっとあなた様は自分に正直になっても良いのです!」
「……そうだね」
彼の言葉に僕も頷いた。
その提案はとても甘美で魅力的なものだ。
「――でも、大丈夫」
だけど、僕にはもっとしたいことがあった。
「僕はこの町から離れないし、もうしばらくはまた元通りの立場でいようかと思うよ」
「ほう?」
僕の言葉に、ニールは眉をひそめた。
「それはまたどうして? あなた様はすでに手にしたのですよ。お金も、名誉も、愛する人も。それともまだ足りないと言うのですか?」
彼の言葉に僕は首を横に振る。
「ううん。違うよ。それにたしかに、別段働くのが好きってわけでもない。――だけど」
僕は窓から見える、町の景色に目を向けた。
「僕は、この町の風景を見たいんだ」
僕が来たときに比べると、人も建物も随分と多くなった。
整備された町並みには、今ではカシャが整備した石畳も並んでいる。
ハナたちや、エリックたちとともに目指した未来が、そこにはあった。
「僕はこの町の行く末を見たい。未来が見たい。その景色が見たい。……今ここで途中下車したら、とっても勿体無い」
これは僕のわがままかもしれない。
ニールの方が町の首長としてはふさわしいと思うし、彼に任せた方が町は発展するのだろう。
でも僕は。
「みんなと一緒に、この町を見ていたいんだ」
それがロージナで暮らしてきた、今の僕の望みだ。
「――ふ、ふふ」
ニールは、小さく笑った。
そして大きく拍手する。
「――素晴らしい! それでこそ、百鬼夜行の主にふさわしき答え! 目先の小銭にも目をくれず、その極上の景色を、自身の紡いだ歴史の先を見たいと言う! なんと欲深いことか! そして素晴らしきことか!」
彼はそう言うと、パチン、と指を鳴らした。
すると部屋に積んであった金貨は、煙のように消えてしまう。
「――へ!?」
「ああ、ご安心を。金貨は幻ですが、資産としてはきちんと儲けています。約束手形というやつです。嘘は一つも申しておりません。……誰も大量の金貨を、この辺境の地まで運びませんよ」
「ど、どうしてそんなことを……?」
僕の言葉にニールはクク、と笑う。
「いえ、これも私の化かし術の一つと申しますか。視覚に訴えかけるのは強いですからね。あなた様の判断を伺いたかったのです。試すような真似をして申し訳ない」
ど、どうやら化かされるところだったらしい。
とはいえ、資金は本当に稼いでいるということで……んんん?
騙されていた……というわけでは、ないのかな。
僕が首を傾げていると、彼はいつものようにニッコリと笑って薄目を開けた。
「……これだから、人間は面白い」
彼は独り言のように、そう呟いた。
僕はどう反応していいかわからず、眉をひそめる。
「……ありがとう?」
僕の言葉に、彼は吹き出すように笑った。
「いえいえいえいえ! こちらこそありがとうございます! 再確認させていただきまして!」
そう言って、彼は再び僕の手を握る。
「……さあ! それではあなた様が復帰した以上、私はサポートに徹しますのでお仕事を再開しましょう! いろいろと事業が進んでいるので、以前より仕事量は倍増しておりますよ!」
「……えええ!? いや、たしかに戻るとは言ったけど……倍!? なんでひどくなってるの!?」
「私基準での仕事量ですので! なぁに、私がサポートしますので、一緒に頑張りましょう! ――この世界の、未来の為に!」
僕は町長としての仕事に戻されるべく、ニールに引きづられるようにして引っ張られる。
鼻歌を歌う彼の様子は、本心から喜んでいるように見えた。





