106.影武者大作戦
「え、えええっと、主様!? その、これは!?」
日も沈み夕飯時から時間も経った夜更けのこと。
僕は居間へと入るなり、ソファーに座っていたハナの腰元へと抱きついた。
「あ、主様! みなさんが見ています! お気を確かに!」
食卓には今もアズやナクアが座っており、こちらの様子をじーっと見つめていた。
我ながら恥も外聞もない突然の行動だという自覚はある。
しかし――。
「つ――」
「……つ?」
「――疲れた……!」
僕はそう言ってソファーに体を投げ出す。
僕には今、指先すらも動かす気力は無くなっていた。
「朝から遠方の商人やお偉方を出迎えて、夜になってからは財務に資料整理に……」
ロージナでは、港町の地下遺跡から発掘した歴史資料を図書資料館としてまとめようと、保管性の高い建物の建設を進めている。
他にも事業の一端としては、エルフのジェニーは新たな馬車に代わる陸上輸送機の開発を進めていて、予算や周囲の交通網に対しての調整も必要になっていた。
他にもムジャンの鉄鋼業やミズチの工芸品が村の外でも評価され有名になってきた影響で、周辺の町の鍛冶・工芸ギルドや商人たちからは苦情も来ていた。
町の農業は依然発展し続けており、開拓も盛んで、気をつけなければモンスターの領域に踏み入れてしまう可能性もある。
僕がやらなくてはいけない判断や仕事は、加速度的に増えてきていた。
「もうやだ……。ぼくハナの膝の上で暮らす……」
「……あらあら」
ハナは僕の頭を優しく撫でながら、子供をあやすように口を開いた。
「皆さん、主様のことを評価していらっしゃいますから。主様の判断を仰ぎたいのですよ」
「……うう。でも、こんなのはもう無理だ……」
もともと僕は実家では遊んで暮らしていたのだ。
実際に食べ物が無くて命の危機に陥っていた当初の村の生活に比べればマシとは言え、それでも一片の暇もない今の生活は辛かった。
こんな生活、いっそ逃げ出したい。
ハナを連れてどこかへ旅立つのもいいな……。
「南国もいいな……。東も見てみたい……」
南の国は暖かいと聞く。
東の海を越えた先には、草原を移動し続け暮らすケンタウロスの移動国家というものもあるらしい。
以前、カシャに変形してもらった移動家屋モードならハナを連れて旅行にも行けるだろう。
「あ、あるじさま……。大丈夫ですか……?」
現実逃避に彼女の膝の上で笑い出す僕に、ハナは心配そうに声をかけた。
「……お可哀想に。わたしが代わってさしあげることができればいいんですけれど」
ハナは僕の頭を撫でながらそう言ってくれる。
優しいなぁハナは……。
しかし僕を名指しで訪ねてくれる中央の貴族なんかも増えてきた。
別の人に代わってもらうわけにも、僕の容貌はそこそこ知れ渡って来ているし、どうしても僕が会わなきゃいけないときに「前回と別人になってる!」なんてことがあったら失礼なんてもんじゃないし……。
「――ハッ」
……そうだ。その手があった。
僕は顔を上げる。
「代わってもらえばいいんだ」
「……へ?」
ハナが首を傾げるのを前に、僕は立ち上がって自室へと走った。
そして契約の本を持って、居間へと戻る。
「身代わりを、召喚しよう」
「身代わり?」
首を傾げるハナの横で、僕は該当のページを開く。
そこに書かれているのは、一人の妖怪の名だ。
「……その方は」
「危険は無さそうだよね……?」
僕の言葉にハナは頷く。
もし危険があったとしても、この場にはアズもナクアもいる。
それは人々を驚かせることに特化した妖怪。
……でもその驚かし方には、今の僕を助けてくれる力があると思うのだ。
「――彼の地より出でよ」
本の隙間から、魔力の光が溢れた。
「『のっぺらぼう』!」
僕の声とともに、本のページから漆黒の泥が溢れる。
それはまるでクラーケンの足のように触手のようなを形を作りつつ、僕の前へと這い出た。
そして徐々に人型を形成して、黒い塊となる。
人型となった暗黒の頭部には、模様のない黒一色の仮面が付けられていた。
「――おお」
仮面から低い声が漏れる。
短く切り込まれた髪に、褐色の肌。
司祭が着るような服に酷似した、黒の祭事服のような衣装。
全身を黒に包んだ男は、こちらに深々と一礼をした。
「これはこれは! お喚び頂き光栄の極み。私、名をニールと申します。以後、お見知りおきを」
ニールと名乗ったその男は、まるで舞台の上に立つ役者のような大仰な言い回しでそう言った。
僕は彼の雰囲気にやや気圧されるのを感じつつ、笑みを作る。
「ど、どうも、ニール。僕はセーム――」
僕がそう言いかけたところで、彼は僕の手をがっちりと両手で握り、その仮面を近付けた。
「おお! セーム、良い名前です! そしてその振る舞い、物腰、さぞかし聡明な方なのでしょう! その一挙一投足から、あなたのお人柄が伺えます!」
「ち、近い」
まるで口づけするかのような距離まで迫られて、思わず僕は背中を反らせる。
「おや、これは失礼を! ついつい善き主に出会えた為、舞い上がってしまいました!」
そう言って彼は僕の手を離し、一歩後ろへと下がった。
……うん。もうだいたいわかってきたけど、妖怪は各自が個性的だな……。
頭の中にこれまで召喚した妖怪たちの姿を思い浮かべる。
そんな僕の横では、ハナが「そうですともそうですとも。主様は素晴らしいんです」と頷きながら胸を張っていた。
……まあ少なくとも、ニールは友好的な妖怪のようで良かった。
イセなんて召喚した瞬間に襲いかかって来たからな……。
「……君には頼みたいお願いがあって召喚したんだ。『契約』を結んでくれるかな……?」
契約。
それは妖怪と結ぶ主従契約のことだ。魔術的な束縛を与える代わりに、僕から魔力が自動供給されるような仕組み……らしい。
しかしそう言った僕の言葉に、ニールは首を振った。
「そんなそんな! この地へと召喚していただいたあなた様に従うのは、眷属たる我らの義務でありましょう! 是非にこの身、存分にお使いくださいませ!」
彼はそう言うと、額に手を当ててその前髪をかきあげた。
仮面により表情は見えないが、その声色からしておそらく笑っているのだろう。
……とにかく、言うことを聞いてくれるというなら話は早いか。
「それじゃあ、早速だけどお願いが」
「ええ! どのような指示であれ、喜んでお受けさせていただきますとも! さあ! ご命令を!」
僕は彼の言葉に頷き、手に持った契約の本を向けた。
「――君の存在を定義しよう」
「――ほう!」
僕の言葉に、ニールは自身の体に腕を回して、まるで彫像家が彫った神像でもするようなポーズを取った。
僕は言葉を続ける。
「のっぺらぼうは顔の無い妖怪だ。それは人を化かし、驚かせる」
「なるほど、まさしくそれは自明の理! 私はそう定義された存在です!」
彼は僕の言葉を肯定してくれる。
その怪しげな姿からは想像もできないほどに、素直に受け入れてくれた。
僕は彼の言葉に頷く。
「――君は顔の無い、幻の姿を持つ。ならばそれは、自在に変化することができるということ」
「ええ、その通りですとも! 我が姿は変幻自在! その姿は百を越え、無限の可能性を持つ!」
彼の言葉に従って、その体がぐにょりと歪んだ。
彼が妖怪だと、改めて認識する。
まるでスライムのような不定形の姿を見せる彼に、僕は命じた。
「のっぺらぼう。僕の姿を、写し取って欲しい」
僕の言葉に、彼は両手を広げる。
仮面の奥の彼は、笑っているような気がした。
「……お安い御用です! さあご覧あれ! 我が力の一端を!」
彼は叫び、その姿を大きく変える。
僕より少し高かったその身長は同じぐらいまで縮んで、その髪の色が金色に染まり、長さが揃えられる。
服装だけは変わらぬまま、彼はその仮面を外した。
「――さあ、お望みの姿です。あなた様のご期待に、応えられましたでしょうか」
仮面の奥にあったのは、僕に瓜二つの顔だった。
想像以上の出来栄えに、僕は本を置いて手を叩く。
「すごい! これなら僕の代わりになっても誰にもバレないよ!」
「おお……。これは見分けるのが難しいかも……」
隣ではハナが感心するように、ニールの変身した姿を見つめていた。
ニールは「あー、あー」と音程を変えながら声を出す。
「――ええ、これでどうでしょう。声の方は完璧な模倣は無理のようです。多少は寄せられると良いのですが」
聞けば確かに、その声は僕のものとは違っていた。
ハナに視線を送ると、彼女は首を振る。
「主様の声かどうかは、聞けばわかりますね」
ハナの言葉に、ニールは眉をひそめる。
「私は”顔”の妖怪。声帯模写まではその力に含まれないのでしょう。男性の声の雰囲気として似せることはできても、個人にそっくりとまではいかない様子……。どうやら影武者をお望みと見受けられますが、お力になれず申し訳ありません」
「いやいや! 全然構わないよ! 十分過ぎる!」
そもそも彼に身代わりを頼むとしても、よく知らない相手だとか、その場をちょっとやり過ごせば良いだけの相手をしてもらうだけだ。
僕とニールが交互に会うときなどは、風邪を引いたことにでもしておけば問題ないだろう。
そうして僕は、頼みたい町長代理の仕事について彼に説明をする。
わからないことがあったらその場で返答はしなくていいし、だいたいにして理不尽な苦情だとかが大半なので聞き流してくれればそれでいい。
「――なるほど。事情はわかりました」
僕の説明を聞き終わって、ニールは頷いてくれた。
「ですが、それをいきなりやるのではリアリティを損なってしまいます。この町のことについて、私はまったくわかりませんので。おそらく会話の節々に不都合が生じることでしょう」
「言われてみれば、そうだよね……。簡単なことだけでも代わってくれると助かるんだけど」
苦情とかは聞いてあげることで解消することも多いし、その点だけでも代わってくれれば……。
そんなことを考えている僕に、彼は人差し指を立てて片眉を上げた。
「では私を一週間ほど、あなた様の横に置いてみるというのはどうでしょう? その間に、あなた様の所作を完璧に覚えてみせますとも」
「……たしかにそうしておいた方がいいか」
彼の提案に、僕は実際に代わってもらったときに起こる弊害を考える。
判断に迷ったとき、お客さんが予想外の反応見せたとき……うん。彼の言うとおり、いきなり任せるよりも、僕の普段の対応を見てトレースしてもらった方が安全だろう。
「それじゃあ、さっそく明日からよろしく頼むね。ニール」
僕がそう言って手を差し出すと、彼はその手をしっかりと握りしめる。
「ええ。……お任せください。この私めに」
そう言って彼は、薄目を開けてにっこりと笑うのだった。





