105.森の恩恵
「な、なんだいこれ」
「へへ……舐めてみてくれ」
僕が酒場でエリックに差し出されたのは、袋いっぱいに詰められた白い粉だった。
怪しい薬かなにかに見える。
僕は怪しみつつも、やや黄色みがかったそれを指先に付けて少しだけ舐めてみた。
「……苦い!」
舌の先に苦味が走る。
そんな僕の言葉を聞いて、エリックはその顔に笑みを浮かべた。
「だろ? まあ単体で舐めるもんじゃないが」
「なんで舐めさせたのさ……」
そんな僕の様子をエリックの横で見ていたメアリーが笑った。
「それは重曹ですよ。お菓子を作ったりお掃除に使ったりしますが、それ単体で食べたりはしませんね」
「重曹……? どうしたの、こんなに」
僕の言葉にエリックは頷いた。
「この前、森での事件があったろ。聞いた話だと、地下にはドワーフの王様がいたそうじゃねぇか。それでムジャンが是非弔いたいって話でよ」
崩れ落ちた大樹。
その地下には、ドワーフの王だった成れの果ての存在が今は眠っている。
「だからアズちゃんや冒険者に協力してもらって、その地下通路とやらを探してみたんだよ。森の地下に知らない通路があるってのも、恐ろしいもんだしな。魔族にでも利用されて奇襲……なんてのもありえない話じゃない」
たしかに、悪用しようと思えばロージナを襲う道になる可能性があるだろう。
逆に何かが起こった際は、森から地下通路を利用して逃げることができるかもしれない。
そう考えるとエリックが気にしたのも当然だ。
「で、地下を調べた結果、あの湖の地下に鉱脈があってな。それを砕いたのがこれってわけさ」
「へえ……あの森の地下、重曹が取れるんだ」
「ああ、かなりの量が埋蔵しているらしい。ちょっとした特産品になるかもな」
重曹を普通に手に入れようとすると錬金術師から買い付けるしかない。
しかしそれは決して安いものではないので、気軽に使うことはできなかった。
でも大量にあるというなら、結構自由に使えるようになるのかもしれない。
「……ほう、重曹ですか」
「アズ」
僕が重曹の使いみちに思いを巡らせていると、いつの間にか隣にいたアズがその粉を手に取っていた。
「こいつを米ぬかと合わせることで石鹸を作ったりもできるです」
アズはそう言って手の中で粉の感触を確かめるようにすり合わせていた。
さすがあずき洗い。その名前通り、洗うことに関してはプロフェッショナルなのかもしれない。
メアリーがアズの言葉に頷く。
「石灰を焼成させて混ぜると強い塩基性を持つので、効率的に紙を作ったりするのにも有用ですよ」
メアリーの言葉に僕は首を傾げる。
「メアリーって錬金術もできるの……?」
「え? あ、まあ……そんなところです。人並み程度ですけど」
人並みの錬金術ってどういうことなんだろうか。
もしかしたらメアリーを喚び出した先の世界では、錬金術が発達して一般教養になってたりするのかな。
そんなことを考えていると、アズが首を振った。
「しかしそう……重曹の秘めたる力はそんなもんじゃねーです」
アズは重曹を握りしめると、その拳を掲げる。
「これぞ……革命を引き起こす力です!」
天高く拳を突き上げるアズに、メアリーは隣でパチパチと手を叩いた。
☆
「くくく……。多少材料はアレンジするですが、最高のものを作ってやるです」
いつもはハナが立っている屋敷の厨房。
今はそこに、エプロンをしたアズが立っていた。
「今日は何を作るの?」
「それは伝統かつあらゆる概念を吸収する度量を持つ、器の大きな和菓子です……! 主には今日、存分にその味を堪能してもらうです」
アズはいつも以上のやる気で、台所へと向かう。
まだ晩御飯には早いし、おやつを作るつもりなのかもしれない。
「まずはケーキを作るように、卵を泡立てるです」
カッカッカッ、と音を立てつつアズはそれを泡立てていく。
その一心不乱な様子に、声をかけるのがためらわれる。
「そして! ここに甜菜糖と重曹、そして花の蜜を少々投入!」
しばらく混ぜて泡立てた容器に、他の材料を更に入れて混ぜ合わせる。
花の蜜はイスカーチェさんに分けてもらったものだ。
「そしてこれを熱したフライパンで焼く……! 大胆かつ慎重に……!」
アズがそう言いながらフライパンに生地を流し込むと、生地に火が通っていき甘い香りが辺りに立ち込めた。
生地の表面にぽつぽつと泡が出来ていく。
「おー、パンケーキだね」
僕の言葉に、アズは人差し指を立てて「チッチッチッ」と指を振った。
そしてもう一枚分、生地をフライパンに流し込みながらアズは言葉を続ける。
「主は甘いです。この生地よりも甘々です」
アズは生地をひっくり返すと、戸棚からツボを取り出した。
「ここに用意したるは……!」
アズはフタを開ける。
同時に、小豆の香りが広がった。
「あんこ! そう、甘い麦の生地とあんこの合体! それはまさしく奇跡のシンフォニー!」
アズは焼きあがった生地をフライパンから皿に移して、その上にあんこをかける。
そしてもう一枚の生地で、それを挟み込んだ。
「パンケーキのあんこサンド……!」
僕の言葉に、アズは満足げに胸を張った。
「これぞ至高の和菓子……どら焼きです!」
「どら焼き……!?」
「さあ……食べるがいいです、主!」
アズに促されるまま、僕はそれを手に取る。
生地の甘い香りが鼻孔をくすぐった。
焼き立てでまだ熱いその生地を、僕は手掴みで口へと運ぶ。
「はふ……。おお、これは……!」
一口かじりつくと、香ばしい臭いとともに、ふんわりとした食感が口の中に広がる。
重曹が膨らまし粉としての役目を果たした結果だろうか、甘くてふわふわの生地は口内を幸せな感触で覆い尽くしてくれた。
花の蜜の香りが広がり、そして甘い生地の奥からは餡子がとろりと出てきて、更に強い甘味があとからやってくる。
「うわ……。甘さが二重になってて美味しいし、何よりふんわりとしたこの食感がすごく気持ちいいね」
「ふふふ、当然です。どら焼きは旨味を凝縮させた生地とあんこの贅沢過ぎるコラボレーション! これが美味しくないわけがねーです!」
「うんうん。美味しいねぇ」
引き続きアズの作ったどら焼きを堪能する僕に、後ろから声がかけられた。
「――ちょっと待った!」
「この声は……ユキ!」
僕が振り返ると、そこにはユキがいた。
「たしかにどら焼きと言えばあんこ。……でも、そこにあえて新たな革命を引き起こす!」
「なにぃ!? 革命返しですとー!?」
アズの言葉に、ユキはその手に持っていたツボを差し出した。
「次はこれよ! アズちゃん! さあ生地をどんどん焼いて!」
「くっ……あんこは最強のはずです……! どんな食材が相手であろうと、君臨するのはあんこ!! その挑戦、受けて立ってやるです!」
アズはそう言いながら再びどら焼きの生地を焼き上げていく。
それが焼きあがると、ユキは持ってきた食材をそれに挟み込んだ。
「完成、あずきアイスどら焼きー!」
「な、なんとー!?」
ユキが半解凍されたあずきアイスを生地に挟み込み、それをアズに差し出した。
アズは体を震わせながら、それをゆっくりと口に入れる。
「ぐうぅぅ! 冷たいあずきアイスが暖かい生地に挟まれた、熱と冷気の混ざり合うなんとも背徳的な甘さ! これは認めざるをえねーです!」
アズはそう言って、涙を流しつつ床に倒れ込んだ。
「ふふ……わたしの勝ちね、アズちゃん」
そう言ってユキはアズに手を差し伸べる。
「……次は負けねーですよ……っていうか、同じあんこなのでノーゲームです」
アズはユキの手を取って、立ち上がった。
……楽しそうだなぁ。
僕はそんな二人の即興劇を眺めつつ、どら焼きに舌鼓を打つのだった。
――うん、美味しい。
☆
「こちら生クリームどら焼き。こっちはお餅で。そしてこっちはチョコレートです!」
「ぐわー! ハナが! ハナが多様な食材で殴りかかってくるです! どら焼きはあんこのベストパートナーだったはずなのに、今やその牙城が崩されかねねー勢いです!」
アズとユキがどら焼きを作っているところに他の妖怪たちもやってきて、さまざまな食材をその生地に挟み始めていた。
「どれも美味しい……さすがハナ大先生ね」
感心しながらどら焼きたちを小さく切り分けつつ口に運ぶユキに、ハナは苦笑した。
「どら焼きは和菓子ですが、生地は洋菓子に似ているところがあります。ですから、この辺で採れるいろんな食材と組み合わせても美味しくなりそうなんです。果物と組み合わせるのもよさそうですねー」
楽しそうに笑うハナの横で、ミズチはいくつものどら焼きを平らげていく。
「うーん、本当にどれも美味しいのでありますなぁ。それにいろいろなものが入っているというのは、食べていてとっても楽しいのであります。ここは一つ、自分もどら焼き作りを――」
「きゅうりはダメ」
「えっ」
ミズチの話を遮って、ユキが口を挟んだ。
僕もそれに続く。
「ピクルスを挟んだら、ハンバーガーになっちゃうからね」
「えっえっ」
ミズチは僕たちの顔を交互に見つめながら、困惑した表情を浮かべた。
「二人とも……その発想は、なんて悪魔的発想……! さっそく作ってみるのでありますよ!」
立ち上がるミズチに、ユキと僕は苦笑する。
「やめろって言ってんでしょ」
「ミズチは作るよりも食べてもらう方に専念してもらったほうがいいね」
「えー!? どうしてでありますかー!?」
そんな彼女の声を聞きつつ、僕たちはどら焼きパーティを続けるのだった。





