-Episode40-
「え、な、何? 急に。今日の朔君は変わってるなぁ」
僕の一言に、怜は戸惑ってぎこちない笑みを浮かべる。シクラメンのようなどこか遠慮の入った笑みに、僕はいたたまれなくなる。普段の彼女はそんな風には笑っていなかった。僕は、彼女と会ってまだ数週間しか経っていない。普通ならそんな表情の変化なんて分かるはずないのかもしれない。けれど、そんな僕でさえ分かってしまう程に――彼女が無理をしていることが分かった。そしてその原因が僕のせいであることもなんとなく分かっていた。
「ごめん」
僕はもう一度頭を下げて、謝る。もっといい言葉はあったかもしれない。けれどそんな言葉で着飾るよりは、自分の思いを素直に伝えたほうがいいと思った。
「……朔君……」
怜はそう一言呟いて、うつむいてしまった。迅は腰を下ろしたまま町を見つめている。彼が何も言わないことに、僕は感謝した。
「今日の夕方のことは……悪かったよ。あのときは本当に怒ってたわけじゃないんだ。ただ、迅と楓さんに迷惑をかけてるのが気がかりで……なのに怜が全く気にしてなかったって言うのがちょっと癪で……うん。今考えたらすごく身勝手な理由だね。僕が勝手にみんなの気持ちを想像して、勝手に不機嫌になってただけなんだから」
僕は自分から話を切り出して、怜に謝っていく。
「すぐ謝れば済む話なのに、意固地になってて……置いて行っちゃって。その結果怜を危険な目に合わせるし……怜は僕が危険な目に遭ってほしくないって言って、実際そうしてくれているのに、僕は真逆で……本当に、ごめん」
僕は唇を噛みしめる。どうして僕が涙を流すんだ。僕が泣いていい筈がない。今の僕に泣く権利なんて、無い――。
「――ありがとう」
ふと、流れる涙を誰かが拭った。いつの間にかうつむいていた顔を上げると、空色の髪が、さらりと揺れた。
「そんな風に思ってたなんて、私知らなかったよ。私の方こそごめんね。もしかしたら姿が見えないからって自分勝手になりすぎてたのかもしれない。その結果朔君に必要以上に気を遣わせてたのかもね。……だから、そんなことはやめようって、朔君に気を使わせるような、ことはしないって、思ったん、だけど」
知らない間に、怜も目から涙を流していた。
「駄目だったよ……。私、一人でこの広場にいるとき、気付いた。やっぱり朔君がいないと、私さみしいよ。でも、迷惑かけるわけにはいかなくて――」
僕はそんな怜の頭に、ぽんと手を置く。病院で怜が見せてくれた、慈愛に満ちた笑みを、僕なりに再現して、怜に見せる。
「う、うぅ……ぁぅ……」
僕は優しく、ゆっくりと、もたれかかってくる怜を受け止めた。怜はぽろぽろと涙を流し続ける。――そんな彼女を見つめていたとき、突然に頭痛が僕を襲う。割れるような痛みだ。僕はよろけ、壁にもたれかかる。
「さ、朔君っ……!?」
怜は驚いて、僕に駆け寄ってくる。しかしそんな彼女にうめき声しか返すことは出来なかった。代わりに、僕の頭の中に何かの映像が流れてくる。
山の中、満点の星空。夏にしては涼しげな夜。僕は空を見上げていた。決して見晴しが良かったわけじゃない。むしろ空は夏の大三角さえ見えるか分からない程木で覆われていた。それでも僕は、笑顔でその空を眺めていた。僕はこの空で満足していた。ふと、視界が揺れ、隣にいる誰か――少女の横顔が映る。その姿はぼやけ過ぎていて、どんな表情をしているかも、どんな姿をしているのかも分からなかった。ただ、彼女が嬉しそうであることは分かった。なぜなら、僕は彼女が嬉しそうであると僕も嬉しくなるから。逆説ではあるが、僕が嬉しそうにしているのだから、彼女も嬉しそうなのだ。ふと、視界にノイズが走る。何かが終わろうとしている。それはこの映像か。映像――おそらくこれは、記憶だ。僕はこんな山の中に言った覚えはないが、なんとなくこれは記憶だと分かった。この映像に、僕はどこか見覚えがあると感じたからだ。ノイズが激しくなる。駄目だ。これ以上はこの映像を見ていられない。……そう思ったとき、目の前の少女の姿がまるで霧が晴れたかのように鮮明になった。すぐに目についたのは、空色。表情はノイズのせいで見えない。けれど空色の少女は、確かに口を開いて、言った。
「……君……好きだよ……」
それ以上の声は聞き取れなかったし、ノイズ混じりの声のせいでどんなトーンで話しているかも分からなかった。ただ、僕はその言葉に頷いていた。その映像を皮切りに、視界がブラックアウトする。
ふっと、頭痛が止まる。映像も消えている。目の前には心配そうに僕を見つめる怜と迅。
「もう……大丈夫」
僕はそう言って立ち上がる。二人とも心配そうに僕を見ていたが、何も言うことはなかった。……ふと、僕は怜に語りかける。
「怜……僕たちって、どこかで会ったことがあるの?」
その言葉に、怜は頷くとも首を振るともとれる仕草をした。




