13 凶変
禍々しい気配を感じて主膳は目を覚ました。
人を殺している妖の気配だ。
即座に跳ね起き、身構える。
禍々しい気配がするほうを見ると、アクドポッカリがいた。頼りない月明かりしかないのに、大きく開けた口が不思議とよく見える。口の中には、鋭い歯が生えていた。
如川の屋敷で噛まれた時には、こんな歯ではなかった。今の鋭い歯で噛まれたら、肉を抉られそうだ。
アクドポッカリは、じっと主膳を見ている。いつ飛びかかってくるか読めない。
丹弥が寝ている辺りに目を走らせる。
主膳は丹弥を守るため、丹弥とアクドポッカリの間に立ち、身構えた。
人を一度でも殺した妖は、必ず、また人を殺す。だから早めに殺さねばならない。将監から何度も聞いた言葉が頭を過る。
まだ力が弱いうちに殺すべきだ。将監の目としての判断が先に浮かんだ。心は殺したくないと叫び続けている。
「アクドポッカリ、夜の間に何があった」
「わからない、わからない。何か変わっている気がする。変えられている気がする。怖い。わからない、わからない」
喚き叫ぶアクドポッカリに驚いて、山囃子が跳ね起きた。
「アクドポッカリ、どうしたの。違う妖みたいだよ」
「お前が噛まれたら、アクドポッカリも俺も悲しくなるから、隠れていてね」
山囃子が困った顔でアクドポッカリを見ていた。だが、何もできないと悟ったのだろう。主膳の背後へと走り去った。
アクドポッカリは、まだ口を開けたままじっとしている。だが、遅かれ早かれ噛み殺そうと飛びかかってくるだろう。
やはり、アクドポッカリを殺さないといけないのだろうか。
実のところ、妖を殺す術は使うなと将監に命令されていた。幸い、将監が優秀だったため、命令に背いてまで妖を殺す術を使う機会はなかった。
主膳が将監に命令されて使っていたのは、妖の動きを封じる術か、結界に関する術くらいだ。
ひとまず、アクドポッカリの動きを封じようと思ったが、手が止まる。
そういえば、術を掛けられた妖たちは、苦痛を感じているようだった。妖たちの苦しげな声を思い出して躊躇う。
「どうした。何かあったのか」
背後から丹弥の声がした。どうやら目を覚ましたらしい。
早く動きを封じないと、アクドポッカリが丹弥を傷付けるかもしれない。咄嗟に両手でアクドポッカリを捕まえた。
口の近くに来たものは噛む癖があるのだろうか。主膳の手を噛もうと首を伸ばしている。
「怖いよお。噛みたくないよお。殺したくないよお」
アクドポッカリは泣き暴れながらも噛もうとしてくる。主膳は逃げられないようにしっかりと体を掴んだ。気のせいか、また体が少し大きくなっているように感じる。
アクドポッカリを捕まえたまま、丹弥のほうを向き、後ろに一歩、下がった。
「アクドポッカリの姿や、纏っている気配が変わっているんです」
「詳しく言うと、どこが違うんだ」
落ち着いた声で問いながら、丹弥が行燈の火を灯す。
「まず気配なのですが、人を殺す妖と同じ、禍々しい気配になっています。それに合わせて、姿も変わっています。口に鋭い歯が生えたんです。噛まれるかもしれないので、近寄らないでくださいね」
アクドポッカリは、主膳を噛もうと手の中で暴れている。
「手が小さくなって、口が大きくなったのは師匠の所でも聞いた。だが、歯に関しては何も言っていなかったよな」
「眠る前までは、ただ口が大きいだけの、もぐらみたいな見た目でしたよ。鋭い歯は、ありませんでした」
主膳の手の中で暴れるアクドポッカリは、ぼたりぼたりと泣きながら主膳を噛もうとしている。本当に別の妖になったみたいだ。
「丹弥さん、アクドポッカリを救いたかったのに、人を殺す妖になってしまいました。もう、殺すしか道はないのでしょうか」
丹弥が首の後ろに手を添えて目を伏せた。
「そもそもアクドポッカリは真実、人を殺したのか」
「人を殺した妖と同じ気配を纏っています」
丹弥の迷うような口振りの問い掛けに、はっきりと答えを返す。丹弥は、安堵したように表情を和らげ、主膳を見た。
「人を殺したところは見ていねえんだよな」
丹弥の念押しに頷く。確かに見ていない。だが、数多くの妖を見て得た知見だ。この禍々しい気配を纏う妖は、すべて人を殺していた。
「俺は、まったく何も感じねえから聞くんだが、今、主膳が感じている気配と似た気配を纏う人間は、いなかったのか」
「誰かを呪っている人たちも、似た気配を纏っていました」
五兵衛も似た気配だとすぐに浮かんだが、口には出さなかった。
「それなら、人を殺した妖の気配という捉え方自体が間違っているのかもしれねえぞ。人を殺した妖の気配ではなく、悪意の気配だと考えてみたら、どうだ。人を殺した妖も、誰かを呪っている人も、人を害そうと強い悪意を持っている。主膳が感じているのは、その悪意かもしれねえぞ」
この禍々しさは悪意の気配だったのだろうか。確かに悪意の気配だと考えても、おかしくはないと気付く。
今まで正しいと信じていたものが崩された。丹弥の仮説に放心して、危うくアクドポッカリを放しそうになる。
「ひとまず、主膳の感じている気配を悪意の気配だと考える。彼岸花って知っているか」
立ち上がった丹弥が、部屋の奥に散らばった紙を探り始めた。
「真っ赤な炎みたいな花ですよね」
目的の絵はすぐに見付かったらしい。一枚の絵を持って戻ってきた。
「そうだ。別名を曼珠沙華とも言う。天上に咲く花という意味だ」
主膳の両手が塞がっていると、わかったのだろうか。丹弥が主膳の眼前に絵を広げて見せた。
一輪の彼岸花の絵だ。花弁の曲がり方が絶妙で、優美さを醸し出している。
「他にも色々、異名があるが、そのうちの一つに死人花がある」
「墓の近くによく植えられているからですかね。それとも、毒があるからでしょうか」
将監の力になればと毒に関する本を読み漁った時がある。
彼岸花についても、毒としての使い方や、摂取したらどうなるか、毒の抜き方など本から学んだ。
「俺は毒には詳しくねえから、わからねえが、こんな綺麗な花なのに、いったい今まで何人の人を殺してきたやら。花の名が死人花だと強く思いながら見た時、どう感じる」
死人花だと強く思いながら見れば、美しさの中に凄味を感じる。
「名前が違っただけで、何だか恐ろしさが加わりますね」
「同じ花なのに、名前を変えただけで見た時の感じ方が違うよな。伝え方次第で、その物に対する感じ方は変わってくるはずだ」
「曼珠沙華と聞けば、優美だと感じ、死人花と聞けば、どこか恐ろしさを感じる。名前を変えて伝えただけでも彼岸花に対する感じ方は変わりますね」
激しく身を捩って逃げようとするアクドポッカリを、しっかりと抱え直す。
纏う悪意の気配が、また一段と強くなった気がした。
「アクドポッカリについても同じことが言えるだろう。五兵衛さんの妖の話は結構、人気があって聞きたがる人は多い。俺には手短に伝えていたが、他の人には面白おかしく大袈裟に話をしているはずだ。さて、五兵衛さんは、どう大袈裟に伝えていると思う」
「人々を怖がらせるために、人を殺す妖だと大袈裟に伝えているのでしょうか」
「もし、そうならば、聞いた人たちは、アクドポッカリが人を殺す悪い妖だと想像するだろうな」
アクドポッカリを改めてよく見る。確かに今の見た目は人を傷付ける妖そのものだ。この姿が人々に望まれた形なのだろうか。
「アクドポッカリは人を殺す悪い妖だ。人々が、そう感じ、想像したから、アクドポッカリの纏う気配が変わったのかもしれませんね。如川様の話を聞いただけで姿が変わったくらいですから」
「人々の想像次第で姿や纏う気配が変わるなら、アクドポッカリが人を殺していねえことも有り得るだろう」
アクドポッカリは人を殺していないかもしれないと希望が湧く。安堵して、手が緩みそうになった。
暴れ続けるアクドポッカリが逃げないよう苦心している間に、丹弥が言葉を続ける。
「今、アクドポッカリは人々の想像に合わせて、人を殺そうとしているのかもしれないな。人間だって悪い人間だと言われ続けたら、悪い人間になる事例もあるくらいだから、それと似たようなもんか」
「人々の想像次第で姿形も気配も変わるなら、元の悪意のない妖に戻すこともできますよね」
アクドポッカリは、とうとう人語を解さない獣のように唸り出した。気のせいか、アクドポッカリが一回り大きくなったように感じる。
「恐らく、できるだろう。ただ、アクドポッカリがここまで凶暴になったのは、何か他に理由があるのかもしれねえ。日が昇ったら、一度、五兵衛さんに聞きに行くぞ」
あと何刻で夜が明けるのだろう。もう人の言葉を話せそうにないアクドポッカリが、主膳を噛もうと、さらに激しく暴れ出した。




