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石燕異聞(陰陽師の『目』として生きてきた少年が自分の人生を取り戻す話)  作者: 降部 悠良
第一章 鮮烈な光明丹

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12 踵をかじるもの

 主膳《しゅぜん》も丹弥《たんや》と共に一度、長屋に戻った。


「山囃子《やまばやし》も、如川様《じょせんさま》のところに一緒に行くよね」


 左肩に乗っている山囃子に問うと、山囃子は、びんざさらを鳴らしながら頷いた。


「如川に絵を見せたい」


「丹弥さん、山囃子が、丹弥さんの描いた山囃子の絵を如川様に見せたいと言っているのですが、よろしいでしょうか」


「いいぞ。師匠も恐らく、見たがっているだろうしな」


 荷物を手早く纏めた丹弥が先に長屋を出た。

 主膳も、左肩に山囃子を、右肩にアクドポッカリを乗せたまま、丹弥に続く。


 しばらく歩くと、画所《えどころ》に着いた。


 画所に入ると、すぐに如川が出てきた。


「もしかして、もう本を返しに来たのかな。おや、主膳殿も付いてきたんだね。朝餉は食べたかい」


 頷くと、如川が柔らかな笑みを浮かべた。


「しっかり食べているようで良かった。丹弥は寝食を忘れて絵を描くような人間だからね。主膳殿にも同じ生活をさせていたらと不安だったよ」


「師匠のお蔭で妖の絵が描けました。楽器の絵についての本も参考になりました」


 主膳と如川の会話を遮るように、丹弥が如川に本を返す。


「思ったより早く描けたんだね。また夜通し描いたのかな」


 穏やかな声だが、目付きは咎めるように鋭い。決まりが悪そうに、丹弥が如川から目を逸らした。


 先ほど丹弥が会話を遮ったのは、睡眠を疎かにするなと注意されたくなかったからかもしれない。


「夜は、しっかり寝るようにと常々言っているのに。ひとまず、上がりなさい」


 丹弥が慣れた様子で如川の後を追って廊下を歩き出す。主膳は画所に関係のない人間が入ってもいいのだろうかと惑いつつも、丹弥に続いた。


 濡れ縁に出ると、広い池を有する庭が眼前に広がった。釣殿のように足元まで迫る池を覗けば、丸々とした緋鯉が泳いでいる。


 山囃子が緋鯉を見るためか、身を乗り出した。山囃子が肩から落ちないように、手で支える。

 落ち着きのない山囃子と違って、アクドポッカリは目を閉じて、じっとしていた。


 如川が障子戸を開けて部屋に入る。丹弥の後ろから主膳もそろそろと足を踏み入れた。


 床の間がある十畳の部屋だ。床の間には、書の掛物と香炉が置かれている。それよりも目を奪われるのは、左右の襖に描かれた龍の絵だ。


 左右の襖にそれぞれ一頭ずつ描かれた巨大な龍が、髭を靡かせながら雷雲の中を泳いでいる。

 うねる体は所々、雷雲に隠れて見えない。それがまた計り知れない大きさを感じさせる。


 二頭の龍は警戒するような目で主膳を見ていた。右の龍は鋭い歯を見せつけるように既に口を開けている。このまま何もせずに立っていたら、食われるかもしれない。


「丹弥、お前は、まだ、ろくに楽器を描く練習をしていないから、苦労しただろう。できた絵を見せてくれるかな」


「主膳、絵を持ってきていたよな。少し貸してくれるか」


 龍に見惚れていたが、丹弥からの呼び掛けで我に返る。


「ここの龍たちは見事だよな。本物の龍を絵の中に封じたと言われても信じられる」


 称賛する静かな声に反して、丹弥の目からは熱気を感じる。いつか、この襖絵のような、見る者を惹き付ける絵を描くのだ。そう目が語っているように思えた。


「主膳殿もこの部屋が気に入ってくれたようで良かったよ。ゆっくり見なさい」


 他人《ひと》の屋敷なのに、我を忘れて襖絵に見入っていた。今更ながらに恥ずかしくなる。頬が熱いと感じながら、如川に山囃子の絵を渡した。


「少し絵を借りるよ。主膳殿は、この部屋で待っていてね」


 如川と丹弥が連れ立って部屋を出て行った。


 部屋に残された主膳は、それぞれの龍を間近で、じっくり見たい欲に駆られた。だが、何か粗相があってはいけないと我慢する。見られていない時こそ、しっかりしていなければ。


 如川に渡しそびれたお菓子を傍らに置いて、腰を下ろした。


 二頭の龍が左右から油断なく主膳たちを見据えている。


 とっとんとんと山囃子が主膳の肩から膝へ、膝から畳へと降り立った。急にどうしたのかと思っている間に、山囃子がそそくさと主膳の背中に隠れる。


「龍たち、出てきて噛みつかないよね」


 山囃子の震えた小さな声が後ろから聞こえる。


「二頭とも、きっと主を守ってくれる、賢い龍だろうね。俺たちが悪いことをしなければ、噛まれないよ」


 山囃子が不安になるのも、わかるほど、存在をまざまざと感じる絵だ。


 座ったまま、しばらく、襖絵をじっくり眺めたり、二頭の龍を見比べたりした。


 片方の龍は今にも噛みつきそうだが、もう片方の龍は思慮分別がありそうな顔付きで口を閉じている。


 二頭の龍が、もし襖から出てきても、見分けられそうだ。そう思うほど、長い間、眺めているうちに、龍をもっと間近で見たい気持ちを抑えられなくなった。


 アクドポッカリは怖くないのか、右肩で、じっとしたままだ。アクドポッカリを気に懸けつつ、立ち上がる。


 襖絵の傍まで来た時、如川と丹弥が部屋に入ってきた。急いで元いた場所に戻って、居住まいを正す。


 主膳の横に座った丹弥は、何か考え込んでいるように見えた。


 主膳の前に腰を下ろした如川から、先ほど渡した山囃子の絵が差し出される。


「山囃子の絵を見せてくれて、ありがとう。山囃子が実在すると丹弥から聞いたよ。絵を見て、山囃子を触ってみたくなったんだが、許してくれるだろうか」


「山囃子、如川様が触ってもいいかな」


 問い掛けると、背中に隠れていた山囃子が主膳の前に出てきた。


「痛くないならいいよ」


 山囃子が主膳の前に座った。撫でやすくするためか、俯いている。


「如川様、犬や猫にするみたいに優しく触ってくださいね。それでは、導くので、手首に触れても、よろしゅうございますか」


「妖に触るのは初めてだから、楽しみだよ」


 弾んだ声からも、躍る心が目に浮かぶ。如川の手首をそっと掴んで、ゆっくりと山囃子の頭上に運んだ。


「ここが山囃子の頭です」


 如川の手が山囃子の頭に触れたところで手首を離した。


「何も見えないし、触れている感じもしない。けれども、ここにいるんだね」


 見えていないと言いつつも、如川は優しい手付きで撫でる仕草をしている。だが、やはり見えていないため、山囃子の頭を少し押さえつけるようになっているようだ。


「ぎぇややや」


 頭を押さえられている山囃子は、不服そうな声を上げつつも、大人しく撫でられている。如川に悪気がないからかもしれない。


「存外と、わからないものだね。ただ、何かがいるような、変な感じは、したよ」


 如川は確かめるように山囃子を撫でた手を握ったり、開いたりしている。今ならお菓子を渡せそうだ。


「如川様、この度は、お世話になりました。お礼として、どうぞ。お口に合えば、よろしいのですが」


 人に贈り物をする時は、いつだって落ち着かない。粗相はないか、気に入ってくれるだろうかなど色々な懸念が頭を駆け巡る。


「勝手ながら主膳殿は孫みたいに思っていてね。だから、主膳殿から貰えるなら、そこら辺の石でも嬉しいよ」


 寛容な如川の言葉に恐縮して、思わず平伏《へいふく》しようとした。だが、アクドポッカリが落ちそうになったため、軽く頭を下げるに留める。


「そう言えば、また別の妖を描くと丹弥から聞いたよ。アクドポッカリなんて変わった名前らしいね。だが、名前には、何かしら由来か意味があるはずだ」


 如川の言葉に丹弥が大きく頷いて口を開く。


「虎虎婆《ここば》地獄という地獄がある。虎虎婆《ここば》の名は、あまりの寒さのために、口がうまく動かせず、ここ、もしくは、ふふばとしか言えなくなることに由来するらしい。由来を知ると、寒さが想像しやすいだろ。アクドポッカリの場合も同様で、名前の由来か意味を知れば、もっと存在が、はっきりするかもしれない」


 名前の由来か意味から、存在をはっきりさせる方法もあるのか。言われてみると、確かに名前の由来か意味を知っておいたほうが良いと思えた。


 丹弥の後に続いて再び如川が話し始める。


「奥羽からも何人か絵を習いに来ているから、アクドポッカリについて聞いてみたんだ。一人だけ知っていて、踵を齧って転ばせる妖だと言っていた。その人に、アクドが踵を意味する方言だと教えてもらったよ。ポッカリの意味は、わからなかった」


「手で掴んで転ばせると思い込んでいました。齧って転ばせるのですね」


 主膳は驚きのままに言葉を返した。


 墓地で人を転ばせる話と、実際に転ばされた一件がある。そこから、人の足首を掴む大きな手を持つ妖だと想像していた。


 実際のアクドポッカリは、主膳が想像した通り、熊のような大きな手を持つ妖だった。だが、本来は、踵を齧って転ばせる妖らしい。


 あの小さな口で人の踵を齧れるのだろうか。不思議に思って、改めてアクドポッカリを見ると、手は普通のもぐらの手のような形に変わっていた。

 だが、口が大きくなっている。この大きさなら、人の踵を齧るぐらい、わけないだろう。心なしか、体も一回り大きくなった気がした。


「如川様のお話を聞いたからか、アクドポッカリの見た目が変わりました」


「どこが変わったんだ」


 丹弥が興味深そうに問う。


「手が普通のもぐらみたいになって、口が大きくなりました」


 いつの間に変わったのだろう。大きな口をよく見ようと、アクドポッカリの口の辺りに手を持っていった瞬間、アクドポッカリが指に食い付いた。


 踵以外は噛まないのかなと思ったが、違うらしい。アクドポッカリに、がじがじと手を噛まれている。だが、猫の甘噛みと同じくらいで痛くない。


「妖は人々の想像次第で形を変えるのかもしれないね」


 アクドポッカリに噛まれている主膳の指の辺りに目を向けて、如川がおもしろそうに発言する。


 如川の発言に、主膳は胸騒ぎがした。


 五兵衛《ごへえ》は、アクドポッカリについて、墓地で人を転ばせて殺す妖だと言っていた。もし、人々の想像によって妖の姿が変わるなら、人を殺す部分が気になった。

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