本祭②
地下へ続く階段は、湿った空気に満ちていた。
一歩降りるごとに、腐った土と甘い花の匂いが混ざったような臭気が強くなる。
松明代わりの蝋燭の炎が揺れた。
壁は岩ではない。よく見ると――
何か柔らかいものが貼り付いている。
近づくと蒼は理解した。
それは布ではない。
皮だった。
人の皮。乾き、伸ばされ、壁一面に貼られている。
縫い合わされた跡がある。
まるで巨大な蛇の鱗のように、無数の皮が重なっていた。
「……なんだよ……これ……」
その時だった。
奥から声が響く。
「来たのですね。」
――――――
凛は暗い空間で目を覚ました。
「よぉ、気づいたか」
目の前には巳神 辰造が座っている。
凛は恐怖を感じて暴れ始めた。
「まぁ、待て待て。俺はあんたの味方だ。」
辰造から思いがけない言葉が飛んだ。
「味方……?何を言っているの。」
凛は信じようとはしなかった。
「俺はこの村の因習を壊すために動いている。この村の儀式は狂ってるんだよ。」
辰造はタバコをふかしながらそう呟いた。
仕事に疲れた社会人がタバコを吸うのと変わらない動作だったが、彼からは覚悟のようなものを感じられた。
「この村の因習……?」
凛はまだわからなかった。
この村はたしかにおかしい部分が多くあるが因習というものは知らなかった。
「そうか、まだ知らないよな。この忌々しい『脱皮の儀』については」
辰造はタバコの火を消し、静かに話し始めた。
「この村は50年前に巳神家の始祖――巳神 喜三郎が作ったんだ。もちろん、村人全員が喜三郎の子孫ではない。やつは山に迷った人間をこの村に連れ去り、洗脳して村人にしたんだ。」
喜三郎――どこか覚えのある名前だった。
「喜三郎――あ、原案の紙に書いてあった名前。」
凛は辰造の小屋で見た蛇神伝説の古紙に喜三郎の名が記されていたことを思い出した。
「ああ、あれは俺がサキの命令を受けて作り出した御伽話だ。喜三郎は効率よく洗脳する方法を考えるうちに、この洞窟で未知の真菌を見つけたんだよ。」
真菌……カビなどの総称で、細胞内に核を持つ「真核生物」に分類される微生物だ。有機物を分解して栄養を得る従属栄養生物。人間に対しては、白癬やカンジダ症などの皮膚・粘膜感染症、あるいは深在性真菌症といった病気を引き起こすものが存在する。
「やつはその真菌を村にばら撒くことで神の祟りだと言い、村人を信仰させるようにした。ただ、そのためには真菌を育てる必要があった。そこで始めたのが脱皮の儀だ。やつは何年かに一度、山に迷い込んだ人間を殺してその皮を剥いだ。そして20年間溜めた皮をこの洞窟の奥に捨てたんだ。その皮を糧にして真菌は増える。」
凛は開いた口が塞がらなかった。
辰造の口から離される話が真実だとは思えない。いや、思いたくないのだろう。
「俺は、あの女に従っているふりをしながら皮を守ってたんだ。あの女の餌にしないために、お前の名前を聞いた時に勘付いたよ。今もずっと守っている女と同じやつだと。姉妹かなんかなんだろう。」
小屋においてあった皮は間違えなく姉のものだったようだ。
「そうなのね、ありがとう。私はあの人の妹。あの人を探してここに来たけど、まさか死んじゃってたなんてね。」
涙を堪えられなかった。
「だから、俺と一緒にこの村を壊そう。俺は奴らに気づかれないように従っているふりをしていたがもう限界だ。これ以上関わっちまうとおかしくなりそうだ。お前がこの村へ来た時、皮を剥いだ人間の模型を使ってお前らを蔵へ追い詰めた。あれはこの村の秘密に気づかせてさっさと出ていくようにするためだった。でも、お前らは調査だの言い出して村に居座ったな。もう、遅いかもしれない。真菌に感染していてもおかしくないぞ。」
辰造は真剣な目で凛を見つめた。
凛は辰造に質問をした。
「なら、なんであなたはサキを切りつけたの?この村を壊したいならなんで切りつけるだけでやめたの。そのまま殺してしまえばよかったじゃない。」
サキは先日、辰造に鉈で切りつけられた。しかし、この事件を考えると辰造の行動は不可解だ。
本当にこの村の、儀式の破壊を望むのならば首謀者を切りつけて逃げるのではなく、そのまま殺害すればよかったはずだ。
「それは、あ、あいつ……蓮が戻ってきたからだ。」
辰造は悔しそうに告げた。
理解できなかった。別に蓮はサキの協力者ではあるかもしれないが、こんな儀式については知らない。
サキを殺害したところを見られても同じように話せば儀式について知り、そのまま丸く収まっただろう。
「やつはもう犯されてるんだよ。あの女の狂った思想に染まりつつある。俺たちが今、こうして話しているうちにも奴の脳はあの女に蝕まれ、あの女の駒になっとるだろう。あいつの首にはもう痕がある。いつのまにかあいつは真菌の餌食になってんだ。」
凛は全てを悟った。
蓮はこの村にきた日の夜中、部屋から突然出て行った。そのとき、サキの声も聞こえたから誘われたのだろう。
そして、その夜に蓮の体には真菌が植え付けられた……と言うことなのだろう。
「俺は今からあの女の家へ行く。お前はここにいろ。絶対に誰かが来るが、静かに隠れてろ。そして俺がここに戻ってきた時に出てくるんだ。」
そう言うと、彼はそそくさと地下室を出て行った。
何時間か経っただろうか。
外からは大きな雷の音が聞こえる。
あれから、辰造は戻ってこないし、誰かが入ってくることもない。
暗闇の中で屈んでいた凛は体の節々が痛くなってきた。
一度、伸びをしようと立ちあがろうとした時、地下室の扉が開いた。
誰かが入ってくる。体の大きさは小柄で辰造のものではない。
その影は凛が村で話を聞いている時に見た覚えがあった。
志津だ。
村の秘密を知っているであろう人物だと凛が疑っていたものだ。
予想通り、志津はランタンを片手に地下室の奥で何かをしている。
辰造が戻ってこないからまだ出るわけにはいかない。
その時だった。
「用意が整いましたよ。巳神様」
志津から耳を疑う言葉が飛んだ。
――なんで、サキがここにいるような話し方。あの人は社務所にいるんじゃないの。
凛は驚きで声を出しそうになった。
地下室の奥、広い洞窟からあの女が出てくる。
「そう、運んでくれてありがとう。もうしばらくすれば彼もここへ来てくださるでしょう。」
顔は見えないが明らかにサキの声だった。
辰造はどうしたのだろうか。そう考えている時だった。
「あなたはもう用済みです。消えてください。」
そう言った途端、壁から志津に向かって糸のようなものが伸びて行った。
菌糸だ。
この村を蝕む真菌は明らかにサキの命令に従っているように見えた。もし仮にこの真菌がそのように進化しているのならこの村だけでなく、世界中をサキの支配下にすることが可能になってしまう。
志津が菌糸に飲み込まれてからどれほど経っただろうか。おそらく、もう志津は死んでいるだろう。
サキは洞窟から出ていく素振りを見せずにずっと居座っている。
辰造も戻ってこないため、凛は動くことができなかった。
その時だった。
地下室から洞窟への扉が勢いよく開いた。
そこから出てきたのは辰造ではなく、蓮だった。
――――――
蒼の目の前にいたのはサキだった。
洞窟の奥、ランタンの光の中に、巨大な影が揺れている。
蒼は強く斧を握った手を離した。
「サキさん、なんでここに」
「あなたが出た後、社務所にあの人から来ました。」
その言葉に蒼は一瞬止まる。
「……じゃあ、辰造は」
サキが微笑んだ。
「彼は死にました。もう私もあなたも恐れる必要はありません。」
蒼はサキの元に駆け寄った。
彼女は優しく蒼を抱きしめる。
「さぁ、もう祭りが始まります。横を見てみてください。」
蒼は蝋燭の炎を横へを持ち上げた。
その光が、洞窟の奥を照らす。
蒼の視界に、信じられないものが映った。
洞窟の中央には、巨大な蛇のような塊が横たわっていた。
だが蛇ではない。
無数の人の皮が縫い合わされて出来た、
目のない巨大な皮の集合体だった。
皮の隙間から白い菌糸が伸び、それがうごめいている。
まるで呼吸しているように。
「これが……蛇神様…」
サキは囁いた。
「二百五十年前から育てられているんです。もっとも、あれは蛇神様そのものではありません。蛇神様を守る皮です。」
大きな蛇の口元に何かがある。
「みてください。あれがこの村の神に逆らったものの末路ですよ。」
そこには辰造が縛り付けられていた。
ゆっくりと大蛇が動き始める。
そして辰造を飲み込むように皮の中に取り込んでいった。
「さぁ、蒼さん。私たち2人はこの村を守る必要があります。共に戻りましょう。」
サキはもっと強く蒼を抱きしめた。
その時だった。
蒼が入ってきた扉から音がする。
「蓮!騙されないで!この事件は全部その女が仕組んだことよ!」
凛だった。
凛の大声は蒼の耳に入っても心に響くことはなかった。
「凛、僕はもう蓮じゃないんだ。もう、あいつの名前を使う必要はないんだ。」
蒼は凛に真実を話した。
「その話が正しいのなら、その女はあなたが恐れていた女よ。」
凛は静かにそう言い放った。
「その女はこの狂った儀式を始めた張本人。そして、あなたの母親よ。あなただって気づいていたんでしょう、この村のそこら中で花にまとわりつく沈丁花の匂いに。」
「なにを言ってるのかわかんないよ、凛。言っただろ、お母さんはあの日、いなくなったんだよ。」
蒼は凛の言っていることを信じようとはしなかった。
そして、ゆっくりとサキの元へと戻った。
「蒼さん、残念ですが彼女はあの卑劣な男に騙されてしまったようです。」
サキは笑顔でそう言った。
その笑顔の奥には獲物を静かに狙う獣の目が隠れていた。
「さぁ、蒼さん、こちらへおいでください」
サキはそう言うと自分の手を開いた。
子供が欠けてくるのを待つ母親のようだった。
蒼は迷うこともなくサキの胸元へ飛びついた。
サキは蒼を優しく抱きしめると笑顔のまま囁いた。
「あなたも徐々に準備ができていますね。首の紋様がうまく育っていますよ。」
そう言うとサキは蒼の首筋をなぞった。
蒼の首には村人やサキのように赤い鱗のような模様ができていた。
「やはり、あなたは蓮にも植え付けたのね」
凛が叫んだ。
それを聞いたサキは笑顔を崩して言い放った。
「植え付けたなどではありません。この村の者にはこの紋様がつくのです。」
「嘘よ。あなたが蓮に吹き込んだ話だって、その模様だって横の大蛇だって全て嘘?」
凛は蒼が落とした斧を拾い上げ、そう言った。
「じゃあなんだと言うのです?これはこの村に伝わる伝統の紋様なのですよ。」
サキがそう言いかけるとサキは大きな声で言った。
「真菌よ。皮を養分にする菌。」
サキは笑った。
「よくご存知でしたね。私が皮を集めて育ててきました。」
凛はごくりと唾を飲み込んだ。
「やはりそうだったのね。真菌を村に放って村人を感染させることで支配していたってわけね。」
凛が斧を握りしめた瞬間、サキは大きく笑い出した。
「そうですよ。私はずっと“皮”を集めていたんです。」
「若い女の皮をですよ。あなたの姉も私が殺しました。ですが、皮がどこかへいってしまって、ずっと探していたけど、先日あなたがお見えになって安心しました。やはり神は脱皮を望んでいます。だからあなたをここへ導いたのです。」
凛が震えた声で言う。
「脱皮……人の皮を剥いで……」
「自分の皮として使ってる……」
サキは頷く。
「そして余った皮はここに捨てるのです。すると菌が育つ。」
「……じゃあ村人が操られてるのは菌のせいであって神なんて関係ないのね。」
サキはため息をつく。
「しかし神様ということにしておいた方が都合がいいのですよ。」
そしてサキは凛を指さした。
「蒼さん、彼女の皮を私に寄越してください。」
蒼は首を横に振った。
「すみません。サキさんの頼みでも、僕にはそんなことはできません…」
サキは意表をつかれた顔をした。
「ふざけないで、あなたと私は一つになるのですよ。これくらいのことはできて当たり前です。」
蒼の目には涙が浮かんでいた。
「それでも…友達を殺すなんてことはできません…」
次の瞬間。
サキの目から光が消えた。
「そうですか。そうですよね。無理を言いすぎました。泣かないでこちらにいらっしゃい。」
再びサキは手を広げる。
蒼は涙を拭きながらサキの胸元に近づく。
「蓮!ダメ!!!」
凛が大きく叫んだ。
しかしその時にはもうすでに遅かった。
「……凛さん、あなたは全てが遅いのですよ。」
彼女は笑った。
その笑顔の端が、ゆっくり裂ける。
皮膚の継ぎ目が開いた。
「もう脱皮祭は始まっています」
彼女の首元から、半透明の膜が垂れている。
まるで脱ぎかけの皮だ。
「蒼さん」
彼女は優しく言う。
「あなたの皮が、ずっと欲しかったんです。」
このとき、蒼は理解した。
最初から全部。
自分はここへ連れてこられた。
そう考えた瞬間。
サキの手が蒼の首に触れた。
冷たい指。
そして――
皮が裂けた。
蒼の視界が真っ白になる。
遠くで凛の叫び声が聞こえる。
体が軽くなる。
「ありがとう」
サキの声がした。
「美しい。これまでにないくらい綺麗だ。やっと……やっと愛したあなたの皮を手に入れることができました。」
蒼の意識はそこで途切れた。




