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本祭③

「あなたは、本当にクズなのね。蓮の……皮を剥ぐなんて……」

 凛は目の前で起きたことに深く絶望していた。

姉も蓮も辰造も全員、目の前にいる女に殺された。

凛は怒りを抑えサキと対話していた。

「あなたの皮も欲しいのですが、残念ながらあなたにはまだ菌が植え付けられていない。仕方がありませんが皮は諦めて殺すしかないようです。」

サキは皮のなくなった蒼の体を地面に優しく置くと、笑いながらこちらへ向かって歩き始めた。

 凛は斧を強く握りしめた。

「ここで殺されるのは私じゃない……あなたと、このクソみたいな因習よ。」

凛はそう呟きながらサキを睨みつける。

こちらへ向かってくるサキは暗い洞窟の中を足音もなく這うように近づいてきていた。

「クズ……? 心外ですね。私はただ、美しいものを永遠に残したいだけ。あなたもすぐに、その怒りから解放してあげますわ」

サキが地を蹴った。その動きは人間のそれではない。菌糸をバネのように使い、天井を這うようにして凛の死角へと躍り出る。

「死ねッ!!」

凛は背後を振り向きざま、手にした斧を全力で振り抜いた。 鋭い金属音が洞窟に響く。斧の刃はサキの肩口に深く食い込んだが、そこから流れたのは赤い血ではなかった。濁った黄色い液体と、無数の小さな菌糸が、生き物のように斧に絡みついてくる。

「っ……離せ!」

「あら、いい力。お姉様よりも活きが良いわ」

サキは傷口を気にすることもなく、菌糸の触手を凛の首筋へと伸ばす。 凛は斧を捨て、地面を転がってそれを回避した。

「よくやった!もうそこまででいい!」

背後から大きな声が響いた。

その瞬間、皮で作られた大蛇が激しく燃え始めた。

中で人影が動く。

そこから出てきたのは辰造だった。

「貴様、蛇神様を」

サキは取り乱しながらそう怒鳴った。

辰造の体は切り傷が目立つ。おそらく社務所でサキと乱闘になったのだろう。

 ――――

 凛は辰造から最後の作戦を聞いていた。

「いいか、やつとまともに戦って勝てる確率は低い。だから俺が囮になる。」

辰造はそう言って作戦の概要を話した。

辰造が社務所に向かい、サキに負けたふりをする。

サキは邪魔者を排除するとともに蒼に儀式を信じ込ませるために大蛇に辰造を喰わせる。

その後、凛がサキを足止めする間に大蛇に火をつけて真菌ごと焼き殺すという作戦だった。

「そんなにうまくいくかしら。」

凛は作戦の杜撰さに不安を持っていた。

時間稼ぎが無理やり過ぎる。

もし、自分が死んで仕舞えば作戦はその時点で頓挫するというものである。

また、大蛇がそう簡単に燃えるのかという心配もあった。

「その点は心配するな。成功させるために俺がこの役割をしていたんだからな。」

辰造は自信満々に言った。

「俺は皮の管理の時は必ずホルマリンを使った。ホルマリンは80℃ほどの火で引火する。それに漬けられた皮はすぐに燃えるさ。」

――――

 「何が蛇神だ!お前が支配するためにでっち上げたもんを神だとかふざけたことを言ってんじゃねぇ」

 サキは、自らの半身とも言える大蛇が焼かれる光景に、狂乱の声を上げた。

「あああ……! 私の、私たちの積み上げてきた歴史が! 喜三郎様の意思が!」

「意思だと? 笑わせるな! 喜三郎も、お前も、ただ自分の欠落を埋めるために他人の皮を剥ぎ取ってきただけの、ただの臆病者だ!」

辰造は炎を背に、傷だらけの体で一歩前に出た。その手には、予備の燃料瓶が握られている。

サキは肩に斧の傷を負い、剥き出しになった菌糸を震わせながら辰造へと飛びかかろうとした。しかし、熱に弱い真菌は、燃え広がる炎の熱気に晒され、その動きを著しく鈍らせている。

「凛、今だ! そいつの核を叩け!」

辰造の叫びに、凛は再び斧を手に取り、地を蹴った。 炎に照らされた凛の瞳には、もはや絶望の色はない。あるのは、すべてを終わらせるという静かな、しかし烈火のような決意だけだった。

「サキ……! あなたが奪った人たちの重さを、その身で知りなさい!」

凛が斧を振りかざす。サキは防衛本能から無数の菌糸の触手を伸ばすが、熱で萎縮したそれは凛の服を掠めることすらできない。

「やめて、やめてちょうだい! 私はまだ、脱皮を……もっと美しい私に……!」

サキの断末魔のような叫びを、凛の一撃が断ち切った。 斧の刃が、サキの胸元――真菌の核が脈打つ場所に深く突き刺さる。

サキの目から、不気味な光が消えていく。彼女の体は糸が切れた人形のように崩れ落ち、そこから溢れ出した菌糸は、逃げ場を求めるようにうごめくが、周囲の炎がそれらを無慈悲に焼き尽くしていく。






 サキは完全に絶命しただろう。

凛の目には燃え盛るサキの体とその横に転がる蒼の体が写っていた。

「小娘、よくやった。早く逃げるんだ。俺は消火なんてしない。このまま村ごと消し炭にする。」

辰造は静かにそう言った。

その言葉に反応し、凛は叫んだ。

「じゃあ、あなたも早く逃げなさいよ!」

 辰造の言葉からは自らを犠牲にする覚悟が感じられた。

その言葉を聞いた辰造は微笑みながら伝えた。

「俺はやつに関わりすぎたんだ。どうせ真菌に感染している。俺もここで死なないと、この村を闇に葬ることはできないんだ。」

「バカなこと言わないで! まだ助かるかもしれないじゃない!」

 凛は崩れゆく天井の破片を避けながら、辰造の腕を掴もうとした。

 だが、辰造はその手を優しく、しかし拒絶するように振り払った。炎に照らされた彼の首筋には、蒼やサキと同じ、不気味な赤黒い鱗の紋様が浮き上がっていた。

「……もう、手遅れなんだよ。俺の肺の奥には、あいつの種が根を張ってる。外に出りゃあ、また誰かに種を飛ばす。そんな真似、死んでもごめんだ」

 辰造は足元に転がっていた蒼の遺体に、自らの上着をそっと掛けた。

「俺がここに残って、最後の真菌の一粒まで焼き尽くす。喜三郎の呪いも、サキの執着も……全部だ」

洞窟の奥で、巨大な爆ぜる音が響いた。

 ホルマリンを吸った皮の山が火柱を上げ、洞窟の支柱となっていた岩が熱で砕け始めている。

「凛、お前は生きろ。お前の姉貴が、最後に俺に託したんだ……『妹だけは、人間として生かして』ってな」

 辰造はそう言うと、懐からボロボロになった小さなカメラのメモリーカードを取り出し、凛の手に握らせた。それは姉・栞が最期まで守り抜いた、この村の真実を記録したものだった。

「行け! 振り返るな!」

 辰造の怒号が爆辞音に混じる。

 凛は溢れ出す涙を拭う間もなく、崩落する出口へと走り出した。背後で、辰造が予備の燃料瓶を地面に叩き割り、炎の壁が二人を完全に隔てたのが分かった。

「……っ、うわあああああああ!」

 凛は叫びながら、暗い地下通路を駆け上がった。

 背後からは熱風と、因習が燃え尽きる断末魔のような音が追いかけてくる。



 

神社の外へ飛び出すと、冷たい夜明けの空気が凛の頬を刺した。

 しばらくして、地面が大きく揺れ、神社の床下から黒煙が噴き出した。社務所も、蔵も、すべてを飲み込むように地面が陥没していく。二百五十年の狂気は、その守護者であった辰造と共に、地の底へと埋め戻された。

凛は朝靄に包まれた村を見下ろした。

 真菌の支配を解かれた村人たちは、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏している。彼らが正気に戻るのか、それともこのまま朽ち果てるのかは分からない。

凛の手の中には、姉の遺志であるメモリーカードと、煤けた斧が残っていた。

 空は白み始め、夜蛇村の長い夜はようやく明けた。

 だが、凛の耳の奥には、今もサキの甘い囁きと、蓮――蒼の悲しい独白が、沈丁花の香りと共にこびりついて離れなかった。


 


どこで間違えてこんなことになったのだろう。

サキをもっと疑っていればよかったのか。

蒼と離れずに行動していればよかったのか。

そもそもこの村に来たのが間違いだったのか。

今となっては何もわからない。

こんな村のことなど知らなければそのまま自分は関係せずに村は消えていたのかの知れない。

夜蛇村の名前は、結局どこにも残らなかった。

役所の記録にも、地図にも、過去の新聞記事にも――

最初から、そんな村は存在しなかったことになっている。

蓮という名前も、蒼という人物も同じだ。

誰の記憶にも残ることはない。

「……空白、ね」

凛は独りごちた。

自分がかつて口にした言葉が、皮肉のように胸に引っかかる。

『存在しないはずの空白』

誰も知らずに生まれて、誰にも知られずに消えた場所。

それでも、あの雨の匂いと、湿った土の感触だけは、まだ記憶の奥に残っていた。

 帰宅してから、何度目かのシャワーを浴びる。

鏡の前に立ち、濡れた髪をタオルで乱暴に拭った。

もう終わった。

 洗面所で顔を上げたとき、違和感に気づいた。


 首筋に、薄く浮かぶ模様。

 光の角度を変えなければ見えない、鱗のような痕。


 触れても、痛みはない。

 かゆみもない。


 ただ――そこにある。


 凛は、鏡を見つめたまま動かなかった。


 存在しないはずの空白が、

 確かに、ここにある。

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