第十一幕 真剣な思い(二)
凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。
(『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)
「――ハァ…ハァ……」
真琴は走っていた。
日が沈み、オレンジ色の街灯が点り始めた薄暗い商店街を、懸命に走って探していた。
「……行かなくちゃ……なんとかあの店に行って、先輩を助けるための方法を教えてもらわなくちゃ……」
彼女は走りながら、通りの左右を見回す。
あの店――真琴が喜十郎の刀を買った骨董店・時空堂が、行こうと思っても滅多に行くことのできない、まるで異次元空間にでも存在しているかのような幻の場所であることは、前回探しに来た時の経験から真琴にだって充分わかっている……しかし、充分わかっていても、たとえそうであったとしても、彼女はどうしても、もう一度、あの店に行かねばならないのだ。
とても大切な……大好きな人を助けるために……。
……どこ? どこなの? いったいどこにあるの?
だが、いくら通りを探してみても、なかなか時空堂は見付からない……否。見付からないというより、その存在自体がこの世界から掻き消されているのだ。
……お願い。あたしをあのお店に行かせて。あたしは、どうしてもあそこに行かなきゃならないの!
真琴はなおも走り続け、探し続ける……しかし、やはり、あの古めかしい骨董屋の店舗は彼女の前に姿を現さない。
「……ハァ……ハァ……どうして、どうして、見つからないの?」
走り疲れ、ついに彼女は息を切らしてその足を止めてしまう。
……どうしても行かなきゃ……もし、あたしが行けなかったら……このまま、先輩を救う方法がわからなかったら、先輩は……。
両膝に手を突き、激しく肩で息をする真琴の心に再び最悪の予想が襲いかかる。
「……お願い……お願いだから、あたしを行かせて……あたしは……あたしはどうしても、先輩を助ける方法を見付けなきゃいけないのっ!」
そう、真琴が叫びながら顔を上げた瞬間……
「ハッ…!」
彼女の視界に、探し求めていた味のある木製の看板の文字が映る。
それは――骨董店「時空堂」は、いつの間にかそこに存在していた。
「いつから、こんな所に……」
真琴は、大きく目を見開いて思わず呟く。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。彼女は気を取り直すと、急いでその店の引き戸を開いた。
ガララ…!
「いらっしゃーい」
勢いよく戸が開くのと同時に、この前来た時となんら変わらぬ穏やかな声で、老店主の挨拶が中から聞こえてくる。
「ん? ……おや、これはこの前来たお嬢さん。こんな短い期間に二度も来るなんて珍しいお客さんだの」
そして、転がるように店へと入ってきた真琴を鼻メガネの隙間からまじまじと見つめ、帳場に座る老人はなんだか愉しいそうにそう呟いた。
「んお⁉」
ボンっ…!
と、その時。奇妙な現象が起こる。真琴に憑いて一緒に店へ入って来た喜十郎が、いきなり煙のように掻き消えたのだ。
「喜十郎っ⁉」
突然の出来事に、いったい何が起きたのかわからぬといった表情で、真琴は喜十郎の消えた空間をしばし見つめる。
「ほう。どうやら刀に憑いとった霊とおもしろい関係になっているようじゃのう……」
すると、この店の主である翁は白い顎鬚を蓄えた顔に柔和な笑みを浮かべて呟いた。
「なあに心配はいらんよ。別に存在が消えたわけじゃない。この店にはちょいと細工がしてあっての。霊達はその活動を制限され、実体化できなくなるんじゃよ」
不思議な出来事の連続に真琴は唖然とした顔のまま、ここへ来た目的も忘れて立ち尽くてしまう。
「さて、お嬢さん。今度は何をお探しかな?」
来店早々度肝を抜かされているそんな真琴に、老人は変わらぬ笑顔のままでそう尋ねた。
「お探し?」
「ああ、そうじゃ。探し物じゃよ。この店はの、何か心より探しているものがなければ、なかなか来ることのできぬ厄介な店じゃからのう。この前も、そして今日も、お嬢さんには何か探し物があったはずじゃよ?」
「探し物……あっ! そうだ! お爺さん! あたし、探し物というか、教えてほしいことがあってここへ来たんです!」
そこで、ようやく真琴は気を取り直し、自分が〝探していたもの〟を思い出す。
「あ、あの、あたしが買った黒い鞘の刀と一緒に売ってた赤い鞘の方の刀って憶えてますか? 特価一〇〇〇円の! あそこに二本一緒に置いてあった!」
「ん? ……おお。あの朱鞘の村正か。ああ、憶えとるよ。じゃが、残念ながらあれももう売れてしもうたよ。確か、お嬢さんが来た次の日に売れたんじゃったかの? ま、もし売れてなくても、あれはお一人様一本限りの特価品じゃったから、黒鞘の方を買ったお譲さんはもう買えんかったがの」
気が急いて、息継ぐ間もなく早口に尋ねる真琴に、老人はうんうんと頷きながら答える。
「いえ、そうじゃないんです! その、それを買ってったのってどんな人でしたか?」
「ん? 買ってったお客さんか? あの男の子は……たぶんお嬢さんと同じ高校生じゃの。紺の旧日本海軍のような制服を着た」
「紺の制服……やっぱり。やっぱり先輩、あの日に買ったんだ……そう! それです! それについて教えてほしいんです!」
思い出しながら答える店主の言葉に、真琴はその疑いをいっそう確かにすると改めて老人に尋ねた。
「ほう……どんなことをじゃな?」
「あの朱鞘の刀に憑いている霊のことです! あの刀の霊はどんな霊なんですか? あの霊が生前に残した無念なことってなんなんですか? どうしたら、その霊を成仏させられるんですか? お願いです! 知ってたら教えてください!」
その矢継ぎ早に繰り出される真琴の質問を黙って聞いていた老人は、しばし間を置いてから逆に彼女へと訊き返す。
「……まあ、知らぬこともないがの……それを知って、なんとするのじゃな?」
鼻メガネの隙間から覗く眼に鋭さを宿すと、老店主は真琴の顔をじっと見つめる。
「その霊を成仏させたいんです! 松平先輩……その、赤い鞘の刀を買ったあたしの先輩が取り憑かれて大変なことになってるんです! 無理に体使われて弱ってるし、その霊は辻斬りのように次々と先輩の体で人を襲ってて……このままだと先輩が……先輩、死んじゃうかもしれないんです!」
真琴は悲痛な面持ちで老主人の質問に答え、そして、懸命に頼み込む。
「お願いです! その霊を成仏させる方法を教えてください! お金ならいくらでも払います! お金でダメなら代わりになんだってやります! だから……だから、お願いします! でないと、先輩が……先輩が……」
気が付くと、真琴の両の瞳には涙が滲んでいる。その込み上げてくる感情に、言葉が詰まってうまくしゃべることができない。
「……つまり、あの朱鞘の刀に憑いていた霊を成仏させて、取り憑かれている少年を助けたいと。ま、そういうことじゃな?」
今にも声を上げて泣き出しそうな真琴を老人は再びメガネの隙間からまじまじと見つめ、もう一度確認するようにそう尋ねた。
「…っぐ……は、はい!」
真琴は嗚咽しそうになる自分を懸命に堪え、はっきりと首を縦に振る。
「うむ。よいじゃろう。しからば、教えてしんぜよう」
すると老人は不意にまたあの柔和な笑顔に戻って、彼女の懸命な願いに色良い返事を返した。
「ハァ……」
真琴はパアっと顔色を明るくし、老主人の言葉に耳を傾ける。
「あれは確か、河上玄蕃とか申したかのう? ま、予想はついてるかと思うが、おまえさんに憑いとるのと同じに江戸時代の武士じゃよ」
「やっぱり……」
「ご他聞に漏れず剣の道を志し、名だたる武芸者を訪ねては勝負を挑んでおったそうなんじゃがの。志半ばで流行り病にかかり、そのままポックリ逝ってしもうたんじゃそうな。玄蕃自身は自分の剣を上回るような強い武芸者との真剣勝負によって最後は果てたいと思っておったようなんじゃが……ま、実際には畳の上であえなく病死というわけじゃ」
「それじゃ、辻斬り魔が剣道の県大会優勝者とか、そういう腕の立つ人達ばかりを襲っているのは……」
「おそらく、その生前に果たせなかった思いを今の世で取り憑いた者の体を借りてやり遂げようとしておるのじゃろう。ようは自分を超えるような最高の武芸者と、一度でいいから満足いくまで勝負がしてみたいとまあ、そういうことじゃな」
「……だとしたら、そのなんとかいう武士の霊に満足いくような試合をさせてあげさえすれば……」
老主人の語る話に、真琴はある考えを思い付いて神妙な顔で呟く。
「ああ、おそらくは成仏してくれるんじゃないかの」
「ハァ……それなら……それなら、先輩を助けてあげられる!」
その肯定の言葉を聞くと、真琴はさらに顔色を明るくして力強く言い切った。
「じゃが、相手はかなりの剣の遣い手じゃぞ? そのような者の相手がお嬢さんのようなカワイらしい娘さんで務まるかの?」
「ああ、それならうってつけの相手が一人いますから……同じように剣術バカの、やっぱりそんな試合がしたくてウズウズしている困った武士の霊が一人ね」
一筋の光明を見出した真琴は、それまでの暗い表情などどこか彼方へと吹き飛ばし、疑問を投げかける老主人にも笑みまで見せてそう答える。
「おお、なるほどの。そういえばそうじゃったの。お嬢さんにはそんな頼もしい相棒がおったんじゃったな」
「まあ、相棒ってのはちょっと微妙なんですけど……あ、どうもありがとうございました。あ、あの、今の話を教えてくれたお礼のお金は……」
「なあに、お代はいらんよ。ここは骨董屋。物を売るのが商売じゃからの。物じゃないものをお客さんに差し上げて、それでお代を取ることはできんて。今の話はまあ、お客様への無料アフターサービスじゃ」
もしかして多額の情報料を取られるのではないかとおそるおそる尋ねる真琴に、老主人は冗談めかしてそう答えると、またにっこりと柔和な笑みをその皺だらけの顔に浮かべた。
「あ、ありがとうございます!」
真琴は体を「く」の字に曲げて、老人に思いっきり礼をする。
「それじゃ、お爺さん。あたし、急ぎますんでこれで!」
そして、慌ただしく別れを告げると店の引き戸を乱暴に開き、全速力で屋外へと駈け出してゆく……再び静寂を取り戻し、古時計のコチコチと時を刻む音だけが響く骨董店の中で、そんな彼女の後姿を見やりながら、メガネの奥の目を柔和に細めて老主人がぽつりと呟いた。
「なあに、礼を言うのはこちらの方じゃよ。自分で買った物ばかりでなく、もう一つの方の怨念も解いてくれるというんじゃからの――」
「――ハッ!」
店の外に出た真琴がふと後を振り返ってみると、そこにあったはずの時空堂の建物はすでに跡形もなく消え去っていた。
そこにあるのはやはり、まったく別の店と店の間に空いた、人ひとり通れぬほどの細くて狭いわずかな隙間だけである……あの店は、本当に滅多なことでは行くことのできない、いわば、異世界のような場所なのだろう。
「喜十郎! いる?」
少しばかり背後に心を残しつつも、真琴は前を向き直って喜十郎の名を呼ぶ。
ボンっ…!
「うおっ! ……おお! やっと姿を現せたでござる」
すると、先程、店に入った時とは正反対に、今度は煙が上がるようにして喜十郎がその姿を再び現した。
「お爺さんの言ってた通り、あの店の中では霊が実体化できなくなってるんだ……」
そのアメージングな現象を目にしても特に驚くことはなく、むしろ感心した様子で真琴は老人の言っていたことを思い出す。これまでにもいろいろと超常現象を見てきたし、いい加減、そういうことにも慣れっこになってしまっているようだ。
「そんなことよりも真琴殿。だいたいの話はそれがしも聞き申した。さて、これからどうするでござるか?」
それでも、その慣れのせいで思わず横道に逸れてしまう真琴に、真剣な表情をした喜十郎が改めて問う。
「うん……こういう時にだけこんなこと頼むのって、ほんと卑怯で調子よすぎかもしれないけど……だけど喜十郎お願い! あたしの体をどう使ってもいいから、河上玄蕃の取り憑いた先輩と闘って! そして、河上玄蕃が満足いくような勝負をして、彼の霊を成仏させて!」
真琴は一点の曇りもない真っ直ぐな眼差しで、喜十郎の瞳をじっと見つめて請う。
「相手もかなりの腕。おそらくは肉薄した真剣勝負となるでござろう……となれば、真琴殿の体とて無事ですむかわからんでござるが、それでもよろしいでござるか?」
「ええ。そんなの覚悟の上よ……あたしの体なんかもう、どうなったって構わない。だからお願い! 松平先輩を助けて!」
その潜む危険性について語って聞かせる喜十郎にも動じることなく、堅く心に決めた真琴の覚悟はまったく揺らぐ気配がない。
「うむ。不惜身命の覚悟にござるな。そこまで真琴殿は松平殿のことを……フッ…よくぞ申された真琴殿! やはりそこもとは立派な武家の娘にござる」
その強い意志を秘めた彼女の瞳に、そう言って喜十郎は満足げな笑みを浮かべる。
「ようござる! 人を思う心は人徳の内でも最高位の〝仁〟の徳。そして、大切な方に忠孝を尽くすが武士の最も重要な務めにござる! 義を見てせざるは勇なきなり! この戦い……森本喜十郎、武士の誇りをかけて助太刀いたしまする!」
「…グスン……ありがとう……」
そして、なにか芝居の口上のように声高々と述べ上げる喜十郎に、真琴はその瞳を潤ませながら、大きく一つ頷いた--。
つづくで御座候えば…。




