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第十二幕 武士道な告白(一)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)

 夜の(とばり)がすっかり下りた、暗く静かなオフィス街の裏通り……。

 その片隅に立つ、中国武術道場の入る古びだ雑居ビルの入口の前で、建物の影に身を隠す男が一人、じっと息を潜ませてその時を待っていた……その道場での稽古が終わり、そこから一番腕の立つ者が出て来るその時を。

 男は全身を周囲の宵闇と同じ色の衣服で包み、左手にはやはり周囲の空間に溶け込んでしまいそうな暗色の細長い袋を握っている。

 ただ。

 その顔だけは、夜の闇からぬっと浮かび上がるほどに真白い肌の色をしていた。

 ……否。それは肌の色ではない。男はそのような白色の仮面を着けているのだ。よく見ると、その白い仮面の赤々とした口は耳元まで切り裂け、眉間に皺を寄せたその額からは二本のよく尖った細長い角が、にょきりと弧を描くようにして生え出ている……そう。それは言わずと知れた般若の面なのだ。

 男はその般若の面に開けられた二つの丸い眼の穴から、じっと瞬きすることもなく、雑居ビルの入口を注意深く見つめていた……あたかも獲物を狙う猛禽か何かででもあるかのように。

「河上玄蕃殿にござるな?」

 しかし、男が見つめるのとはまったく別の方角から、突然、そう言って彼に声をかける者がある。こんな時と場所には不似合いな、若い女の声だ。

「……何者だ? なぜ、拙者の名を知っておる?」

 男は変わらぬ表情の仮面の内にわずかに驚いた素振りを見せると、謎の声にそう答えて後を振り返った。

「ん? ……その顔、見憶えがあるぞ。そうか。夕刻、この者の家を訪れていた女子(おなご)か」

 般若の黒く丸い眼の穴が見つめるその宵闇の先――そこには、左手に黒い鞘の日本刀をひっ下げた、紺のセーラー服姿の真琴が立っていた。

「だが、この気配……先刻はただの女子(おなご)と思っていたが、どうやらこちらと同じくもう一人中におるな? ……ん? この感じ……これも、どこか憶えがあるぞ?」

 般若面の男はその固まった鬼の表情のまま、まるで能楽のように訝しげな感情を(おもて)に表して小首を傾げる。

「フッ…どこかとはひどいでござるな。短い間とはいえ、そこもととそれがしはあの店でおとなりさん同志だったではござらぬか」

 男の疑問に真琴が――真琴の顔と真琴の声をした喜十郎が冗談めかした口調でそう答える。

 今の真琴の体に彼女の意思はまったくない……現在、目の前にいる般若面の男――松平に取り憑いた河上玄蕃の霊と闘うため、憑依率一〇〇%の完全憑依で喜十郎がその心身を支配しているのだ。

「おお、思い出したぞ。そうか。お主はあの黒鞘の刀に憑いていた者か。なるほどな。どおりで憶えのある気配のわけだ……で、そのお主が拙者に何用だ?」

 ようやく相手の正体に思い至った玄蕃は、般若面の下から松平の声で、真琴の中の彼に重ねて尋ねる。

「なに、そこもとが剣の稽古相手を探しているようだったのでな。僭越ながら、このそれがしがそのお相手を(つかまつ)ろうかとまあ、そう思うてな!」

 ガチャ…。

 玄蕃の問いに喜十郎の真琴はそう答えると、左手に握った黒鞘の刀をグイと前に突き出して見せた。

 喜十郎を宿した真琴の瞳は、鋭い殺気と若干の愉しげな色を持って、般若面の松平を真っ直ぐに正面から見据える……。

 先刻、あの不思議な骨董店を出て喜十郎の協力を取り付けた後、真琴は急いで家に戻ると喜十郎の愛刀を持って再び外へと飛び出し、松平の家の前でじっと彼が――彼の中の河上玄蕃が行動を起こすのを隠れて待っていたのである。

 そして、時刻も夜の九時を回った頃、日新高剣道部の黒ジャージに般若の面という異形の姿でこっそり自室の窓より抜け出した松平の後を尾行し、うまいこと気付かれずについて来た少女一人と侍の霊一体は、今、こうして次なる犯行が行われる直前に玄蕃の前に立ちはだかったのだった。

「お主が相手を? ……ほう。確かに夕刻会った時には気付かなんだが、なるほど。お主もそうとうな遣い手の様子……なかなか良い殺気がびんびんと伝わってくるわ! おもしろい。ちょうど満足いく相手がなかなか見つからず、この平成とかいう御代にも飽き飽きしていたところだ。その勝負、謹んでお受けいたそう!」

 チャッ…。

 玄蕃もそう言って、左手に提げた細長いエンジ色の袋の紐を素早く解き、その中から鮮やかな朱色に塗られた鞘の刀を取り出す。

「ここではなんでござるゆえ、場所を移そう。近くに良い所がござりまする……」

 勝負に同意する玄蕃の霊に不敵な笑みを真琴の顔で浮かべると、喜十郎はそう告げて、彼を促すように踵を返した――。


 冷たい夜気に満たされる、しんと静まり返った誰もいない真夜中のグラウンド……。

「――ここならば~! 誰の邪魔も入りませぬ~!」

 蒼い月明かりに照らされたその広い荒野の中央で、真琴に宿る喜十郎は少し離れた位置に立つ般若面の男にそう叫ぶ。

 そこは、真琴達にはとっては大変馴染み深い、よく見なれた景色の広がる日常的な場所……日新高校の校庭である。じつは、先程いた中国武術の道場と日新高は、それほど離れていない距離にあるのだ。

「では、お手前の腕のほど、拝見させていただこうか……」

 般若面をかぶった黒ジャージの松平――その内に宿る河上玄蕃はそう口を開くと、左手に持った朱鞘から、月影を反射する鈍い銀色の白刃をすらりと引き抜いた。

「これまでに腕の立ちそうな者四人と勝負をいたしたが、いずれも斬るほどの価値もない弱小の者達であった……どうやらこの時代に、拙者を満足させてくれるような武芸者は一人もおらぬと見えるな」

「確かに。悲しいかな今の世には武士という者が存在せず、刀を腰に差して歩くことも禁じられているようでござるからな。左様な有様になってもいたしかたありますまい……」

 般若の面に不満そうな陰影を作って語る玄蕃に対して、喜十郎も同感とばかりに真琴の顔に残念そうな表情を浮かべる。

「だが、お主は女子(おなご)(なり)をしているとはいえ、拙者と同じひとかどの武士……どうやら楽しませてくれそうな気がいたす……お主、名はなんと申す? また、剣はどこの流儀をお使いか?」

 般若面の玄蕃は刀を片手に構えながら、今度はどこか愉しげな声で喜十郎に尋ねた。

「おお、言われてみれば……これはどうもご無礼をいたした。そういえば、まだ名乗っておりませなんだな。それがしは羽州松岡藩藩士・森本喜十郎。剣は森羅万刀流を使いまする」

「しんらばんとう流? 聞かぬ名だな……」

「まあ、それがしの家に伝わる流儀でござるからな。有名ではござりますまい……で、そこもとの剣は?」

 これから真剣勝負に臨むとは思えぬ暢気な声で答え、今度は喜十郎の方が訊き返す。

「フン…拙者の流儀にござるか? それは……実際に味わってお知りなされっ!」


 ガギィィィィィィーン…!


 そう叫んだ刹那、玄蕃は左手に持った朱鞘を打ち捨て、予告もなしに突然、斬りかかった。

「不意打ちとは卑怯にござるぞ!」

 しかし、喜十郎は間一髪、抜刀した愛刀でその凶刃を受け止め、互いに斬り結んだ剣を押し合いながら、その行為を責める。

「なに。お主の力量を計ったまでのこと。これしきを防げぬようでは相手にならんでな。だが、これでわかった。やはり、お主は斬るか斬られるかの真剣勝負をするに値する本物の武芸者……ククク…ようやく拙者の探し求めていた相手に巡り会えたわっ! ここからは本気でいかせてもらう!」

 玄蕃はその喜びに、若干、興奮気味な声でそう告げると、後に飛び退いて喜十郎から距離をとる……そして、刀を握る右手を真っ直ぐ後方へと伸ばし、その刀身が体の影にすっぽり隠れてしまうような奇妙な構えを見せた。

「お褒めの言葉悼みいる。それがしもここのところ、思う存分、剣を振るわせてもらえず、ちと鬱憤が溜まっていたでござるからな。真剣勝負は望むところ……さすれば、いざっ勝負っ!」

 喜十郎もどこか愉しげにそう嘯いて、刀を青眼に構える。

 ……にしても、見たことのない構えでござるな。いったいどこから攻めてくるでござる?

 刺すような視線でお互いを見つめたまま、ぴくりとも動かぬ二人の剣士……その中で喜十郎は、冷静に相手の出方を考えていた。

 ……体に刀身を隠し、こちらにはまるで見えぬようにしているこの構え……おそらくは何処より斬りかかってくるのか、その剣筋を隠すためにござろう……なれば、ここは先にこちらから仕掛けて相手を動かし、その構えを崩すでござる!

「ハァッ!」

 そう思い至るや一足(いっそく)飛びに相手の間合いへと飛び込み、喜十郎は真っ正面から玄蕃に一太刀を浴びせる。

 ブンっ…!

 その動きに玄蕃は背後に隠した刀を一閃し、頭上に迫った刃を振り払う……かのように喜十郎は予想していた。

 しかし、彼は思わぬ動きを見せたのである!

 玄蕃はその身を時計回りに一回転させ、喜十郎の剣を避けると同時にそのまま彼の背後へと回り込む。

 ヒュン…。

 それにより、喜十郎の太刀は先程まで玄蕃がいた空間を虚しく斬り裂くのみである。

「なにっ⁉」

 喜十郎は思わず面喰う。が、そんな驚いている間など微塵も与えず、玄蕃は回転した勢いを利用して、彼の背後から己の刀を横薙ぎに叩き込んだ。

「くっ…!」

 ギィィィィィィーン…!

 咄嗟に喜十郎が後ろ向きに振り上げた剣が、からくも玄蕃の攻撃をすんでで受け止める。まさに文字通りの間一髪……人並外れた彼の反応速度ゆえにできた芸当である。

「フッ…なかなかやるな……フハハハハハ…これは愉快ぞ!」

 切り結んだ刀に力を込めたまま、玄蕃は松平の顔にかぶった般若の面の下で狂気の笑みを浮かべる。

 ギリギリギリ…。

 対して喜十郎も(しのぎ)を削りながら、この刃の下の状況には似つかわしくない会話を玄蕃と愉しそうに交わす。

「なあに、これでも生前は藩内で鬼十などと呼ばれて恐れられた剣士にござったゆえな。しかし、これまで様々な流派の剣を見てまいったが、そこもとのような剣を見るのは初めてにござる。その流儀はいったい……」

「ほう…気付かれたか。それもそのはず。我が剣は我流……故に何人も我が剣筋を読むことはできぬ。即ち、その回避は非常に困難……そう、いつまでも避けてはおれぬぞっ!」

 ギンっ…!

 と、叫ぶと玄蕃は斬り結んだ刃を弾き、今度は逆方向へと体を回転させる。そして、その勢いのまま再び弧を描く斬撃を喜十郎…というか、真琴めがけて打ち込んでくる。

「ちっ…!」

 ギンっ…!

 それも喜十郎は剣を返してなんとか受け止める。だが、玄蕃の攻撃はそれで終わらない。再び剣を受け止められると、次に彼は体を斜め下方向へと回転させ、今度は下方から逆袈裟(ぎゃくけさ)に斬り上げる。

 ヒュン…!

「うおっ…」

 今度もどうにか間一髪で、喜十郎は真琴の体を後に仰け反らせてそれを避ける。その時、セーラー服のスカーフが舞い上がり、その先端が少し刃に触れてスパっと切り裂かれた。

「まだまだっ!」

 しかし、それも避けられることを想定していたのか? 玄蕃は動きを止めることなく、いつ終わるともなく斬撃を連続して打ち込んでくるのだった。

「せやっ! はあっ!」

 くるくると体を回転させる彼の剣は、それとともに弧を描き、上から、下から、横から、斜めからと、変幻自在に喜十郎を狙ってくる。

「うぐっ…!」

 その度に、喜十郎の方もすんでのところで体を逸らしてそれを避け続ける。彼の――真琴の体の動きに合わせて、セーラー服の襟が、スカートの裾が、ポニーテールに結った髪の先が、巻き起こされた夜気の旋風にふわりと舞い上がる……。

 そんな太刀が十数回、夜の闇に閃いたところで、ようやく玄蕃の攻撃は一時停止した--。

いよいよクライマックスにござる…。

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