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第十一幕 真剣な思い(一)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)

「――じゃあな。ま、駅までは人通りある道だけど、日も暮れたし、辻斬り魔の件もあるから、二人とも気を付けて帰れよ」

「はい。堀田先輩も、もし辻斬り魔に遭っちゃったら、脱兎の如く逃げてくださいね。それじゃあ、また明日!」

「ま、また明日……」

 松平の家を出て少し行った所にある交差点で、反対方向へ向かう堀田と別れて、民恵と真琴は駅のある方向へと向かう。

「はぁ……それにしても、松平先輩、大したことなさそうでよかったねえ~」

「う、うん。そうだねえ……」

 すっかり夕闇に包まれた古くからの住宅街の道を再び歩き出し、改めて安心したように溜息を吐く民恵に真琴も穏やかな声で頷く。

「………………」

 しかし、真琴はそんな風に平静を装ってはいたが、内心、あの朱鞘の刀を見て以来、ずっとある不安に囚われていた。

 ……でも、そんなこと、面と向かって訊けるわけないし……ううん。きっと考えすぎだよね。そんなあたしと同じようなこと、そうそうあるわけないし……。

 それでも結局、松平にそれを尋ねることもできず、自分の心を偽り、彼女はその憶測を強引に打ち消そうと努力した。

「なんか、安心したらお腹空いてきちゃったね~……あ、そういえばさ、この前の『土着民SHOW』見た? なんかここのご当地グルメで八丁味噌やきそば出てたよね~」

「真琴殿、気付いたでござるか?」

 ところが、民恵が関係ない世間話を弾んだ声で始める中、不意に背後で姿を現した喜十郎が、そんな真琴の努力を無駄にするかのようにいきなり訊いてくる。

「えっ? ……き、気付いたって何に……」

 その恐ろしい現実を認めたくない真琴は、となりを歩く民恵に聞こえないよう声を潜め、恍けた振りをしてそう答える……本当は、もうとっくに気付いていたことなのであるが……。

「あの松平殿という御仁。それがしと同じような者に取り憑かれておりまするな」

「……!」

 喜十郎のその言葉により、信じたくなかった疑惑はついに現実のものとなってしまう……真琴は不意に目を見開くと、その場に立ち止まった。

「――思い出したら、やきそば食べたくなってきちゃった~……ん? どうしたの?」

 不意に歩みを止めた彼女に気付き、夢中でしゃべっていた民恵が振り返ると怪訝な顔をして尋ねる。

「う、ううん! な、なんでもない……そ、それで焼き肉がどうしたって?」

「もお! 話ちゃんと聞いてた? 焼き肉じゃなくてやきそばだよう! だから、そのやきそばがね――」

「……じゃ、じゃあ、やっぱりあの赤い鞘の刀は、あたしの買った刀と同じように……」

 それ以上、民恵に怪しまれないよう、適当に話を合わせながら再び歩き出しつつも、真琴は背後の喜十郎に意識を向けて、先程同様、最大限に潜めた声で話を続ける。

「やはり気付いていたでござるな。左様。あの朱鞘はそれがしの愛刀とともに時空堂で売られていた代物にござる……それがし同様、成仏できぬ武士の霊のおまけ付きで」

 そんな真琴の言葉に、喜十郎は彼女の嘘を初めから見抜いていたかのようにそう答えた。

「それじゃ、先輩もあたしみたいにその霊に取り憑かれて……だから急に意識失ったり、知らない内に体を使われて筋肉痛になったりして……疲れてるってのも、つまりはそういうことなのね?」

「うむ。その通りにござる。しかも、あの御仁の場合は少々危のう(・・・)ござるぞ」

「……それって、どういうこと?」

 同じ侍の霊の口から発せられたその不吉な言葉に、真琴は言いようのない、ひどく不気味な不安を感じる。

「真琴殿の場合、それがしの存在に気付き、憑依されるのを拒めるほどに対等……というより、それがしの方が少々押され気味の関係にあるでござるが、あの方の場合は完全に心身を支配され、その存在にすら気付いてござらん」

「気付いてないって……そんなことあるの? どうしてそんな、あたしと違いが……?」

 説明する喜十郎の方を振り返ることなく、真琴は蒼ざめた顔を前に向けたまま再度尋ねる。

「気付かれぬのは取り憑いている霊が巧妙なのでござろう。先程も気配は感じたが、姿は現さなかったでござるからな。それに、おそらくは松平殿の方にも原因があるのでござろうな」

「先輩の方にも?」

「うむ。真琴殿とそれがしは、まあ、男女の差というのもござりまするが、どうにも魂の核とでも申そうか……平たく言えば根本的に性格が異なるらしく、体を完全に支配しにくうござる。いわば、真琴殿の心が無意識にそれがしの憑依を拒否してるのでござるな」

「それは無意識にだけじゃなく、意識的にもだけどね……」

 こんな時ではあるが、真琴は思わず律儀にもツッコミを入れる。

「しかし、松平殿とあの朱鞘の刀の霊とではどうやら性格が似ているらしく、同調しやすいのでござる。ゆえに、ああして自分でも気付かぬほどの完全な合一を果たしてしまっているのでござろう」

「それで、何が危ないの? さっき会った時は確かにかなり疲れてたようだったけど、でも、それ以外には特に何も…」

 彼女のツッコミも気にすることなく、その理屈を説明する喜十郎に、そんなことはまどろっこしいと言わんばかりに一番聞きたい結論を急かす真琴であったが、喜十郎はその口を塞ぐようにしてはっきりと答える。

「その疲れが問題なのでござるよ。それがしが真琴殿の体を借りたのと同様、あの朱鞘の霊も松平殿が意識を失っている内に、松平殿の体を勝手に使っているのでござる。ところが、霊は生前の感覚で体を動かすゆえ、その力が取り憑いた人間の身体能力を上回っている場合、その気がなくとも肉体に無理をさせてしまうのでござる」

「確かにあたしもあなたのせいでひどい筋肉痛になったけど……」

「いや、そんな生優しいものではござらん。このまま無理に体を動かし続け、極度の疲労が溜まっていけば、松平殿の命に関わるやもしれませぬぞ?」

「命って……そ、そんな……」

それまでかなり楽観的に考えていた真琴は、そう真剣な口調で脅す喜十郎の言葉に思わず絶句し、再び立ち止まった。

「――ダメだ! もうがまんできない。やっぱ帰りに食べてこうよ…って、また話聞いてない。いったいどうしたっていうのよ?」

「………………」

 再び立ち止まる真琴をふくれっ面で見咎める民恵だが、今度は彼女に気を遣う余裕もなく、真琴は大きく見開いた瞳を小刻みに震わせ、喜十郎の声に耳を傾ける。

「それからもう一つ。もっと厄介なことがござる。それにも、真琴殿は薄々気付いているのではござらぬか?」

 そんな顔面蒼白で立ち尽くす真琴に、同時に立ち止まった背後の霊はさらに問いかける。

「……な、なんのこと?」

 真琴はその答えを少しでも先に伸ばししたいかのように、またもや恍けた振りをしておそるおそる訊き返す。

「あの壁にかかっていた般若の面にござるよ。ここのところ続いている例の辻斬り。あれも霊に取り憑かれた松平殿の仕業にござるな」

「……!!」

 真琴は、頭をガンと金槌で殴られたような激しいショックを受けた………だがそれも、心の隅のどこかではそうでないことを願っていた……否、もうすでに、そうであるとわかっていたことなのであるが……。

「それじゃあ、やっぱり……あれも先輩が……」

「先輩? ……なにあれって?」

「その口振りだと、やはり気付いておりましたな?」

 眉根に皺を寄せる訝しげな民恵を他所に、喜十郎がすべてお見通しであるかのように真琴の耳元で言う。

「どういう理由かは知りませぬが、今はまだ相手を峯打ちにするだけで済んでおるでござる……しかし、このままいけば本当に相手を斬り殺すやもしれませぬぞ?」

「………あたしのせいだ……あたしがあの時、あの赤い鞘の方を選んでいたら先輩は……」

 真琴は時空堂を訪れた際、偶然にも喜十郎の憑いた黒い鞘の方を選んでしまった自分を恨めしく思う。もしも彼女が朱鞘の方を買っていたならば、松平が辻斬り魔になるようなことはなかったのだ。

「赤い鞘? ……ああ! もしかして真琴もあの刀を商店街で見付けて、先輩への誕生日プレゼントにするつもりでいたとか?」

「いや、それは結果論にござる。真琴殿のせいではござらん。それに、もし真琴殿が朱鞘の方を買っていたならば、今度は真琴殿が辻斬りを働いていたやもしれぬのでござりまするぞ? そして、これまでの犠牲者に留まらず、松平殿達をも襲っていたやもしれませぬ……いずれにせよ、そのようなことを今更後悔したとて、なんにも始まりませぬ」

「……助けなきゃ……先輩を助けなきゃ……」

 なにやら大きな勘違いをする民恵の言葉ばかりでなく、厳しくも真理を諭す喜十郎の声もちゃんと耳に入っているのか? 真琴は焦点の合わぬ目で地面を見つめ、か細い声で呟く。

「そうだ! 先輩から無理やりにでもあの刀を取り上げれば……」

「と、取り上げるって⁉ ……い、いや、それは今更というか逆効果というか、ほんとに無理やりすぎでしょう……」

「いや、それは無理でござろう……」

 そこに思い至り、思わず声を上げる真琴だったが、偶然にも勘違いした民恵の合いの手と同音異句な言葉によって、すぐさま喜十郎がその腰を折る。

「もし、左様なことをしようとすれば、相手は松平殿の体を乗っ取って、刀を奪おうとする者に激しく抵抗するでござろう。ヤツはあの方の体をかなり気に入っているようでござったからな。聞くところによれば、相手は幾人もの武芸者を打ち負かしているというかなりの遣い手……一筋縄ではいかんでござるぞ?」

「そ、その時は先輩と闘ってでも……そ、そうだ! 喜十郎、あたしの体を貸してあげるから、その霊と闘ってあの刀を先輩から取り上げて! あなた、剣の試合がしたいっていってたじゃない? あなたの腕ならそのくらいのことできるでしょ?」

「た、闘うって……だから、そんな取り上げてからプレゼントにしても無意味だって……」

 最早、民恵の存在も無視して真琴は背後を振り向くと、必死の形相で喜十郎に願い出る。このような時にだけ喜十郎の力を借りようとするなんて少々卑怯な気もするが、今の真琴にとってはそんなことを言っていられる場合ではない。

「体を借りて勝負するのはやぶさかではないでござるが……それがしとて、確実にヤツに勝てるかどうかはわかりませぬ。下手をすれば、勢い余って松平殿の命まで奪ってしまうやもしれませぬが……それでもようござるか?」

 だが、喜十郎はそのことについて嫌味を言うでもなく、いつになく無表情な顔つきで淡々と冷徹に語る。

「えっ…⁉」

 真琴は考えもしていなかったその危険性に気付き、震える瞳をよりいっそう大きく見開いて小さな叫び声を上げる。

「……な、なら、取り上げるのが難しくっても、最初から刀をへし折ること狙いで……」

「それも前に申したでござろう? もしも、その霊の取り憑いている器物が壊れるなどすれば、その霊は一生、その器物の持ち主に取り憑くこととなるでござる。そうなってしまってはさらに厄介。なんの解決にもなりませぬ」

「じゃ、じゃあ、どうすれば………グスン……グスン……」

 この絶望的な現実から目を逸らそうと必死に代替案を模索する真琴であるが、その安易な思い付きも即行却下されると、ついに彼女は啜り泣き始める。

「壊すって、それはもっと本末転倒な……って、真琴⁉ なにもそんな泣かなくても……」

「……そ、そうでござるな……ま、まあ、それがしと同じならば、何かヤツが生前に残した無念を晴らしてやれば、あるいは成仏するやも知れませぬが……」

 急に泣き出した真琴を前に、民恵同様、それまで厳しく突き放すように語っていた喜十郎もさすがに狼狽の色を見せ、少しは希望のあるようなことも言ってみる。

「……グスン……その、無念だったことって何?」

 真琴は鼻をすすり、眼に溜まった涙を拭いながら尋ねる。

「さあ? そこまではそれがしにも……時空堂に置かれていた時もたいがいは刀の中で眠っていたでござるからな。お互い親しく話をしたこともなかったでござる」

「…グスン……グスン……」

 喜十郎はなんの気なしに本当のことを答えたのであるが、その救いのない言葉を聞いて真琴は再びしゃくり上げ始めてしまう。

「ちょ、ちょっと、真琴! そんな泣かないでって……」

「あ、で、でも、時空堂の親爺ならば、そこら辺の事情を知っているかもしれぬでござる……」

 今にも大声で泣き出しそうな真琴に、慌てて取り繕う民恵と喜十郎だったが……

「ハッ! ……そうか……あの骨董屋だ。あそこに行けば、きっと何かが……」

 不意に真琴は泣き顔を上げると、突然、まるで喜十郎が憑依した時と同じように、それまでとは表情を一変させる。

「喜十郎……あの骨董屋に行くよ! 民ちゃん、ごめん。あたし、急用を思い出したからこれで!」

 そして、喜十郎にそう告げるや民恵にも口早に断りを入れ、強い決意を秘めた顔で夕闇の中を走り出した。

「……真琴……キジュウロウって誰?」

 後に独り残されたポカン顔の民恵が、遠ざかる彼女の黒い影にぽつりと呟いた――。

つづくで御座候えば…。

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