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本番は今日から

 翌朝。


 目を覚まし、ベッドから身体を起こす。


 肩を回すと、背中に張りを感じた。


 脚も少し重い。


 昨日の壁や縄は、山を歩くのとは違うところを使うらしい。


 だが、動けないほどじゃない。


 立ち上がって軽く膝を曲げ、着替えに手を伸ばした。


 廊下へ出ると、レンが隣の部屋から顔を出す。


「おはよう」


「おう。身体は?」


「ちょっと張ってる」


 レンが両腕を上げ、伸びをした。


「でも、元気だよ」


「それなら大丈夫そうだな」


「ランドは?」


「俺も動ける」


 そこへ、向かいの扉がゆっくり開いた。


 アリアが壁へ手をついて出てくる。


「……何で二人とも、普通に立ってるのよ」


「そんなに痛いのか?」


「脚も背中も痛いし、髪を結ぼうとしたら腕まで痛いし……」


 一歩踏み出したところで、顔をしかめた。


 その向こうでは、ルシオンの部屋の扉が開く。


 だが、本人はなかなか出てこない。


「ルシオン?」


「……おはようございます」


 覗くと、ルシオンは椅子に座り、履き終えた靴を見下ろしていた。


「大丈夫か?」


「靴を履くのに、こんなに苦労したのは初めてです……」


 座面へ両手をつき、慎重に立ち上がる。


「……立つ方が大変でした」


 レンがその様子をじっと見ていた。


「手、貸そうか?」


「ありがとうございます。何とか、立てました……」


 アリアが俺たちを見る。


「……先に行ってて。追いつくから」


「待つよ。食堂は逃げないし」


「僕は待てるけど、僕の胃袋は待てるかな?」


「胃袋にも待たせろ」


     ◇


「おはよう。ずいぶん差が出たわね」


 食堂で俺たちを迎えたエレナさんが、それぞれの歩き方を見た。


 アリアは椅子へ手をつき、ゆっくり座る。


「今日も、昨日のをやるの?」


「ええ。身体の具合を見て、重さや回数は変えるけどね」


 ルシオンが隣で小さく息を吐いた。


 エレナさんは俺とレンへ顔を向ける。


「二人はどう?」


「張ってますけど、動けます」


「僕も」


「そう。じゃあ、今日はもう少しやれそうね」


「……もう少し?」


 アリアが顔を上げる。


「昨日は、何ができて何が苦手かを見るのが中心だったもの。本格的に鍛えるのは、今日からよ」


 俺はパンを持ったまま止まった。


「昨日ので、肩慣らしですか?」


「ええ。まだ余裕が残ってた人もいるみたいだし」


 エレナさんが俺とレンを見る。


 余裕というほどじゃなかった。


 だが、まだ動けたのも確かだ。


「食べておきなさい。今日は昨日より長いわよ」


 俺はパンへかじりついた。


     ◇


 朝食後、しばらくしてから訓練場へ出た。


 身体をほぐし、軽く走る。


 最初はぎこちなかったアリアも、少しずつ脚が動くようになった。


 ルシオンは、その時点で息が上がっている。


 続く鬼ごっこでも、疲れの差は動きに出た。


 パァン!


「っ……!」


 肩を叩かれたアリアが、悔しそうに振り返る。


「今の、見えてたのに……!」


「気づいてから動くまでに、昨日より時間がかかってるわね。次は、私が近づく前に逃げ道を選んでおいて」


 エレナさんがハリセンを下ろす。


「ランドとレンも、二人が動ける場所を見てね」


 俺は頷いた。


 声をかけるだけでは間に合わない。


 今日はアリアもルシオンも、昨日と同じ速さでは走れないんだ。


「ルシオン、次は壁際へ行く前に戻れ。こっちを空ける」


「はい!」


 レンも少し横へずれる。


 俺たちは互いの位置を確かめ、エレナさんへ向き直った。


「じゃあ、もう一度。始めるわよ!」


 エレナさんが地面を蹴る。


 俺たちも走り出した。


     ◇


 鬼ごっこの後は、障害物だった。


 俺とレンには、昨日より重い袋が渡された。


 アリアは、昨日より中身を減らした袋。


 ルシオンは重りなしだ。


「ランドとレンは、戻ってきたら続けて次の周へ。アリアとルシオンは、一周ごとに私のところへ来て」


 エレナさんが袋の紐を確かめる。


「途中で動けなくなりそうなら、その時点で声をかけなさい」


 俺は頷き、壁へ向かった。


 背負った袋が肩へ食い込む。


 壁に手をかけ、身体を持ち上げた瞬間、昨日との違いが分かった。


 重い。


 横木へ足をかけ、脚でも身体を押し上げる。


 向こうへ下り、丸太を渡った。


 縄の手前で袋を下ろし、横の道から向こう側へ運ぶ。


 戻って縄へつかまり、一本ずつ進んだ。


 渡りきったところで、また袋を背負う。


 低い縄をくぐり、最後の坂を上った。


 帰り道を進んでも、休憩の声はない。


 俺は呼吸を整えながら、再び壁へ向かう。


 先に戻っていたレンが、その前で軽く足踏みをしていた。


「まだ余裕そうだな」


「うん。もう行く」


 レンが壁へ走り、ひょいと身体を持ち上げる。


 向こうへ下りると、すぐに丸太へ進んだ。


 俺も続く。


 立ち止まって見ている場合じゃない。


     ◇


 何周かするうちに、袋の重さが脚へ響き始めた。


 壁を越える。


 下りる。


 また走る。


 息は上がっている。


 だが、まだ行ける。


 山で獲物を追っていた時だって、疲れたからといってすぐに帰れたわけじゃない。


 俺は坂を踏みしめた。


 上りきったところで、後ろからレンが追いついてくる。


 さっきまでより呼吸が深い。


 もう余計なことも喋らなかった。


 それでも、足は止まらない。


 帰り道の脇では、アリアが袋を下ろしていた。


 膝へ手をつき、肩で息をしている。


「……これ、軽くなってるのよね?」


「ええ。昨日より軽いわ」


「そう、よね……」


 返事をするだけでも苦しそうだった。


 ルシオンは壁の横へ座り込み、水を飲んでいる。


「ルシオン、次は壁と低い縄を一つずつ練習しましょう。今は、一周続けるより途中で休みを入れた方がいいわ」


「は、はい……」


 アリアが顔を上げ、俺たちを見た。


「……二人は、まだやるの?」


「ランド、レン。もう一周!」


 レンが短く頷く。


 俺も袋の紐を握り直した。


「はい!」


 走り続ける体力は、まだある。


 だが、壁に手をかけるたび、腕が重くなっていた。


 縄をくぐれば腿が張る。


 坂へ来る頃には、背中の袋を下ろしたくなる。


 俺は横木へ足を置き、もう一度身体を押し上げた。


     ◇


「そこまで!」


 ようやく声がかかった。


 袋を下ろすと、肩が軽くなる。


 俺は大きく息を吐き、歩きながら呼吸を整えた。


 レンも隣で黙って水を飲んでいる。


「……昨日より、きますね」


「最後まで足は動いてたわよ。着地も崩れなかった」


 エレナさんが答えた。


「ただ、後半は壁を腕で越えようとしてたわね。脚を使えば、もう少し楽に上がれるはずよ」


「……はい」


 越えられるから、それでいいと思っていた。


 だが、楽に越えられれば、その分だけ次へ力を残せる。


 体力任せに進むだけでは、まだ足りないらしい。


 アリアが水の入った杯を持ったまま、こちらを見た。


「……これで、午前の半分くらい?」


「まだよ」


「まだなの……?」


 ルシオンは何も言わず、杯へ口をつけた。


 エレナさんが武器棚を指さす。


「しっかり休んだら、次は打ち込み。その後は二人組で練習してもらうわ」


 俺は棚の木剣を見る。


 昨夜、祖父ちゃんに直してもらった構え。


 今くらい疲れていても、同じように戻す。


 そこで初めて、覚えたと言えるんだろう。


「レン、棒はまだ振れそうか?」


「振れる」


 短い返事が返ってきた。


「ランドは?」


「俺もだ」


 水を飲み、腰を下ろす。


 脚は重い。


 腕もだるい。


 だが、まだ力は残っている。


 俺は休憩が終わるまで、昨夜の一振りを頭の中でもう一度なぞった。

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