夜の素振り
◇
宿舎へ戻る途中、レンが小さく欠伸をした。
「マルクおじいちゃん、いっぱい話すね」
「お前も、珍しく最後まで聞いてたな」
「結構面白かった。でも、キリカのことは答えてない」
「まだ気になってるのかよ」
隣でアリアが笑った。
「明日、また聞いてみれば?」
「うん」
「祖父ちゃんの話、また長くなるぞ」
「僕は、他の皆さんのお話も聞いてみたいです」
ルシオンが言った。
「戦っている時と、普段とでは随分違うんですね」
「喧嘩した後に酒を飲むっていうのは、よく分からなかったけどな」
「ランドとアリアも、言い合った後に一緒にご飯食べる」
レンが俺たちを見る。
「……それは、まあ」
「別に喧嘩してるわけじゃないわよ」
「そうなの?」
「そうよ」
アリアが言い切った。
レンは少し考えてから、また欠伸をした。
◇
宿舎へ入ると、レンはすぐに自分の部屋へ向かった。
「おやすみ」
「おう」
ルシオンも頭を下げる。
「では、また明日」
「しっかり寝ろよ」
「はい。ランドも」
アリアだけが廊下に残り、俺を見た。
「ランドも早く寝なさいよ」
「分かってる」
「本当に?」
「何だよ、その言い方」
「何となく」
しばらく俺の顔を見てから、アリアも扉を閉めた。
俺は部屋へ入り、窓の外を見る。
屋敷から漏れる明かりが、訓練場の一部を照らしていた。
昼間の最後の一振り。
エレナさんに言われたことを意識して、ようやくできた。
あの感覚を、もう少し確かめたい。
「……百回まで」
ゆっくり、一振りずつ。
昼間教わった動きを確かめよう。
俺は靴を履き直した。
◇
訓練場には誰もいなかった。
木剣を取り、足元の見える場所に立つ。
脚の張りは残っている。
腕も重い。
軽く肩を動かしてから、木剣を構えた。
振り下ろす。
戻す。
右肩へ力が入りすぎていた。
握る手を少し緩め、もう一度。
今度は振り終わりで身体が前へ流れる。
「……違うな」
足を置き直した。
エレナさんは、振った後もすぐに動ける姿勢へ戻っていた。
俺も振り幅を小さくする。
振って、構えへ戻す。
さっきより戻しやすかった。
その感覚を確かめながら繰り返す。
腕がだるくなったら、一度下ろす。
息を整え、また構えた。
夜の訓練場に、木剣が風を切る音が響いていた。
◇
「よく振るなあ」
声がして、木剣を下ろした。
マルクが屋敷の方から歩いてくる。
「祖父ちゃん」
「窓から見えたぞ。まだ起きておったのか」
「昼間、最後に一回だけ上手くできたんだ。忘れたくなくて」
「ほう。少し見せてみろ」
俺は頷き、構え直した。
マルクは横に立ち、黙って見ていた。
何度か繰り返すうちに、また身体が前へ流れかける。
「今の、戻しにくかっただろう」
「うん」
「剣は戻しておるが、肩が前へ出たままだ。もう一度構えてみなさい」
言われた通りにする。
マルクが俺の背中へ軽く手を当てた。
「身体ごと前へ倒れては、剣を戻しただけでは構え直せんぞ」
「あ……」
足の位置を確かめ、身体を起こす。
「そこから振ってみろ」
振り下ろし、構えへ戻した。
「……楽だ」
「うん。その違いを覚えておきなさい」
マルクが手を離した。
俺はもう一度振る。
剣の位置だけじゃなく、自分の姿勢も確かめた。
「百回までって決めたんだ」
「なら、そこで終わりだぞ」
マルクは訓練場の端にある腰掛けへ座った。
「雑になり始めたら休め。数をこなそうとして、直されたばかりの振り方へ戻っては仕方なかろう」
「うん。丁寧にやる」
俺は木剣を下ろし、腕を休ませた。
マルクは急かさずに待っていた。
◇
休憩を挟みながら、残りを振った。
疲れてくると、構えを低くしたくなる。
早く振り終えてしまいたくもなる。
そんな時ほど、一度止まって姿勢を確かめた。
最後の一振りを終え、木剣を下ろす。
「……終わった」
マルクが立ち上がった。
「どうだ?」
「毎回同じにはならない。でも、崩れた時は少し分かるようになった」
「そうか。それなら、明日エレナに見てもらいなさい」
「うん」
木剣を棚へ戻す。
手を開くと、指に柄の感触が残っていた。
もう少し振りたい気もした。
だが、百回と決めた。
続きは明日だ。
◇
マルクと並んで宿舎へ向かう。
「リエラも、昔はよくここで剣を振っておった」
「母さんが?」
「ああ。夕食の後に抜け出してな。見つけると、あと五回だけだと言う」
「俺と同じだな」
「お前よりしつこかったぞ。五回終わると、今のは数えないと言い出すんだ」
「……それ、いつ終わるんだよ」
「終わらん。だから剣を取り上げる!」
マルクが豪快に笑った。
俺も笑う。
そんな母さんは知らなかった。
俺が覚えている母さんは、俺を叱る方だった。
「母さん、強かった?」
「強かったぞ。稽古では、わしも何度か一本取られた」
「祖父ちゃんから?」
「おう。その時は、随分と得意そうな顔をしておったなあ」
マルクが目を細める。
「負けた時は、もう一本、もう一本とうるさかったくせに、勝つとそこで終わろうとするんだ」
「……それ、ずるくないか?」
「ずるいとも! だから、今度はわしがもう一本と言ってやった!」
「祖父ちゃんも負けず嫌いなんじゃないか」
「はっはっは! そうかもしれんな!」
俺は、二人が向かい合って剣を構える姿を想像した。
母さんが勝って笑う。
祖父ちゃんが、もう一本だと剣を上げる。
そんなふうに、ここで暮らしていたのか。
「……見てみたかったな」
マルクの足が、少しゆっくりになった。
「ああ」
短く答えてから、俺を見る。
「話なら、いくらでもしてやれるぞ」
「うん。聞きたい」
マルクが頷いた。
今度は、俺が覚えている母さんの話もしてみよう。
◇
宿舎の前で、マルクが俺の肩を軽く叩いた。
「さあ、寝ろ。明日も修行だ」
「うん。見てくれてありがとう、祖父ちゃん」
マルクは目尻に皺を寄せた。
「おう。また見てやる」
「おやすみ」
「おやすみ、ランド」
部屋へ戻り、汗を拭いてから寝間着へ着替える。
ベッドの端に座ると、腿がまだ張っていた。
腕もだるい。
だが、剣を戻す時の違いは覚えている。
明日は、最初の一振りから意識しよう。
エレナさんにも、今日よりよくなったところを見せたい。
俺は灯りを消し、ベッドへ横になった。
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