祖父ちゃんの昔話
夕食の頃には、外はすっかり暗くなっていた。
食堂へ向かう途中、アリアが俺の横に並ぶ。
「お風呂、気持ちよかったわね」
「だろ。広かったしな」
「もう少し入っていたかったけど、寝そうになったわ」
レンは黙って歩いている。風呂ではあれだけ寝たがっていたのに、食堂が近づくと少し足が速くなった。
「飯の時は元気だな」
「冷める前に食べたい」
「そんなに急がなくても冷めないだろ」
◇
食堂では、マルクが俺たちを待っていた。
「おう、風呂はどうだった?」
「いい湯だったよ。ありがとう、祖父ちゃん」
「そうか! さあ、食え。今日はよく身体を動かしたんだろう!」
温かい煮込みとパンが並んでいる。
昼にあれだけ食べたのに、匂いを嗅ぐとまた腹が減った。
席へ座り、匙を取る。
肉も野菜も柔らかい。今日はナイフを使わずに食べられるのがありがたかった。
「おかわりある?」
レンが鍋を見た。
「あるぞ!」
「よかった」
「まず聞くことがそれかよ」
エレナさんが笑いながら、俺たちの皿へ料理をよそってくれた。
食べ始めてしばらくすると、ルシオンが顔を上げる。
「あの、マルクさん。鬼王討伐の時のお話を聞かせてもらえませんか?」
マルクの匙が止まった。
「ほう。聞きたいか」
「はい。実際に戦った方のお話を聞ける機会なんて、滅多にありませんから」
「そうかそうか!」
マルクが嬉しそうに椅子へ座り直した。
向かいで、エレナさんが小さく息を吐く。
「食べながら聞いた方がいいわよ。長いから」
「長いとは何だ。大事な話だぞ」
「私は子供の頃から、何度も聞いてるもの」
「はっはっは! なら、お前は間違いがないか聞いておれ!」
マルクは咳払いをした。
「あいつが現れたのは、紅月の夜だった」
「魔王が大陸に現れる予兆ですね」
ルシオンが言う。
「ああ。その紅月の夜とともに現れた魔王が、鬼王だ」
「どんな姿だったんだ?」
俺が尋ねると、マルクは自分の額へ指を二本立てた。
「ここに二本の角があった。それ以外は、人間とそう変わらん。顔も整っておったぞ」
「もっと大きな鬼を想像してたわ」
アリアが言った。
「だが、力も速さも尋常ではなかった。こちらが斬りかかっても、平然と笑っておる。あの顔には腹が立ったわい」
マルクが腕を組む。
「わしが正面で引きつけ、キリカが横から攻めた。あいつは速いうえに手数も多い。鬼王も、わしだけを見てはおれんかった」
「二人で攻め続けたのか?」
「いや、傷も負う。そこでベルクートに随分と助けられた。回復しながら、魔法で鬼王の足も止めてくれてな」
ルシオンが頷き、アリアも匙を止めて聞いていた。
「クザンは一番若くて、戦い方も粗削りだった。だが、もう下がるしかないというところで踏ん張りよる。あの底力には、わしも驚かされたぞ」
「それで、どうやって倒したんだ?」
「キリカが注意を引き、クザンが鬼王を押し返した。ベルクートが足を止めたところへ、わしが踏み込んで体勢を崩したんだ」
マルクが身を乗り出す。
「そこで首を落としたのが、志葉蘭蔵だ」
「一撃で?」
「おう。あの一瞬を逃さんかった。純粋な剣技なら、あいつが一番だったな」
マルクは頷いた。
「もっとも、その隙を作ったわしの働きも――」
「はいはい。そこも大事なのよね」
エレナさんが笑う。
「分かっておるじゃないか!」
マルクも笑った。
それから、少し声を落とす。
「誰が欠けても勝てんかった。あいつらには、随分と助けられたわい」
俺は三人を見た。
昼間の鬼ごっこでも、一人で逃げるだけでは駄目だった。
あの修行でエレナさんが教えたいことが、少し分かった気がした。
◇
「ただ、蘭蔵とはよく喧嘩もしたがな!」
マルクの声が、また大きくなる。
「喧嘩?」
「おう。あいつも譲らん。わしも譲らん。どちらも引かんから、ベルクートが間に入る」
「仲裁までしていたんですね」
ルシオンが言った。
「温厚な奴でな。わしらが言い合っていても、まあまあ、と笑って止めてくれた。あいつが本気で怒るところは、滅多に見んかったよ」
「クザンは?」
俺が聞くと、マルクが眉を寄せた。
「横から余計なことを言いよる。『二人とも、いい歳してよく飽きないね』とな!」
アリアが吹き出した。
「生意気な小僧だったわい!」
「でも、お祖父ちゃんたちも、その後には一緒にお酒を飲んでたんでしょ?」
エレナさんが言った。
「おう。蘭蔵とはよく酌み交わしたぞ」
「喧嘩した後でも?」
「喧嘩は喧嘩。酒は酒だ!」
「……よく分からないな」
俺が言うと、マルクは豪快に笑った。
◇
「キリカにも、よく呆れられたものだ。あいつも、若い頃はいい女でなあ」
俺は顔を上げる。
「キリカさんが?」
「おう。思わず振り返るような美人だったぞ」
「若い頃は、なんて言ったことが本人に伝わったら怒られるわよ」
エレナさんが言った。
「今もいい女だ! 若い頃も、という意味だ!」
「言い直すのが早いわね」
アリアが笑う。
マルクは咳払いをして続けた。
「ただし、口を開くとなかなか手厳しくてな。わしが少し調子に乗ると、すぐに言い返してきよった」
「少し?」
エレナさんが首を傾げる。
「……多少は」
「祖父ちゃんの話を聞く限り、少しじゃなさそうだけど」
「お前まで、キリカみたいなことを言うな!」
俺が笑うと、マルクも笑ってパンへ手を伸ばした。
「一度、わしが剣の腕前を見せてやると言ったことがあってな」
「それで?」
マルクは少し声を変えた。
「『剣より先に、その長い話を終わらせてくれないかね』と言われた」
アリアが吹き出した。
ルシオンまで口元を押さえている。
「……今と同じじゃないか」
「今はお前たちが聞きたいと言ったんだろう!」
「鬼王の話をね」
エレナさんの一言に、俺も笑ってしまった。
「まあ、あいつは昔から遠慮がない」
「お祖父ちゃんも、遠慮なく喋るものね」
「気が合ったということだ!」
そこで終わるかと思ったが、話はまだ続いた。
キリカに言い負かされた話。
言い返して、さらにやり込められた話。
マルクはその時の言葉まで覚えているらしく、身振りを交えて話してくれた。
「祖父ちゃん、よく覚えてるな」
「忘れられんことばかり言いよるからな!」
「キリカのこと、好きだったの?」
レンが聞いた。
マルクの口が止まる。
エレナさんが、にやりと笑った。
「私も聞きたいわね」
「……いい女だったと言っただけだ!」
「さっきは今もって言ってた」
「はっはっは! レン、お前はよく聞いておるな!」
マルクは笑いながら、レンの皿を見た。
「どうだ、もう少し食うか?」
「食べる。でも、好きだったの?」
「話を戻しよった!」
俺たちは笑った。
◇
話が一段落する頃には、皿はすっかり空になっていた。
レンが目をこする。
アリアも欠伸を堪えている。
「お祖父ちゃん、続きはまた今度。四人とも、明日も修行よ」
エレナさんが言った。
「おっと。もうこんな時間か」
「鬼王の話より、仲間の話の方が長かったぞ」
俺が言うと、マルクは豪快に笑った。
「はっはっは! 話していると、色々と思い出してな!」
「続きは、また聞かせてくれ」
「おう! まだまだあるぞ!」
エレナさんが俺を見る。
「言ったわね、ランド」
「……そんなに?」
「一か月あるから大丈夫よ」
それは、安心していい言い方なんだろうか。
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