素振りは基本
しばらく休むと、ようやく呼吸が落ち着いてきた。
脚はまだ重い。
だが、座っているだけなら喋る余裕は戻っていた。
「……帰り道、長そうね」
アリアが呟く。
「来る時も結構歩いたからな」
「帰ったら、すぐ寝る」
レンが言った。
「僕も、今日は早く休みたいです……」
ルシオンも頷く。
「帰らなくていいわよ」
エレナさんが言った。
四人で顔を上げる。
「……え?」
「この一か月は、ここに泊まってもらうから」
「聞いてませんよ!」
「今言ったじゃない」
朝も聞いたぞ、それ。
「屋敷の横に建物があったでしょ? あれが宿舎。前の門下生たちも、そこに泊まってたの」
「泊まるところまであるんですか……」
「毎朝行き来するより、その時間に寝たり食べたりできる方がいいでしょ?」
それは、確かに助かる。
今の脚で宿まで歩くことを考えると、なおさらだった。
「でも、着替えとか荷物が……」
「使用人に取りに行ってもらうわ。宿の名前と、運んでほしいものを後で教えて。宿の人にも分かるように、伝言を書いておきましょう」
「そこまで頼んでいいんですか?」
「一か月ここで暮らしてもらうんだから、それくらいはするわよ」
アリアが小さく息を吐いた。
「……歩いて取りに行かなくていいのは、助かるわ」
「ご飯もある?」
レンが聞く。
「もちろん」
「じゃあ、泊まる」
「お前、決めるの早いな」
「もう歩きたくない」
俺も、それには反対できなかった。
◇
「さて。立てそう?」
エレナさんに言われ、俺は地面へ手をついた。
ゆっくり立ち上がる。
腿が張っている。
隣のアリアも、膝に手を置きながら身体を起こした。
「次は何?」
「素振りよ」
エレナさんが棚から木剣を取り出す。
受け取って構えると、腕が思った以上に重かった。
アリアには、短剣の代わりになる短い木剣。
レンには長い棒が渡された。
レンは自然に両手の位置を決め、構える。
「棒も使えるの?」
「うん。理心流で習った」
「少し見せて」
レンが踏み込んだ。
棒を振り下ろし、止める。
引き戻す動きに合わせて足が動き、元の構えへ戻った。
長い棒の先まで、きちんと扱っている。
「なるほど。じゃあ、習った基本の動きを繰り返してみて」
「分かった」
そして、ルシオンにも木剣が渡された。
「……僕も剣ですか?」
「ええ。持ち方から教えるわ」
「剣は、ほとんど使ったことがないんですが……」
「魔法を使う前に近づかれた時、身を守る手段があってもいいでしょ?」
「それは、そうですね」
エレナさんがルシオンの手の位置を直す。
「それに、あなたは色々な魔法を使えるんでしょう? 魔法剣士もいいわよ」
「魔法剣士……」
「魔法で相手の動きを止めてから斬ったり、剣で距離を取らせて魔法を使ったり。組み合わせれば、戦い方が増えるわ」
ルシオンが木剣へ目を落とした。
「……魔法の威力を上げることばかり考えていました。でも、相手の隙を作るために使うなら、僕の魔法でも役に立つかもしれません」
「ええ。そこに剣を合わせられるようになればね。まずは使ってみて、自分に合うか確かめましょう」
「はい。やってみたいです」
ルシオンが柄を握り直した。
エレナさんは四人の前へ立つ。
「素振りは基本よ。でも、疲れた時ほど、その基本が崩れるの」
木剣を構え、ゆっくり振り下ろす。
身体は流れない。
振り終わった剣が、すぐに元の位置へ戻った。
「疲れていても、構える、振る、戻す。この一つ一つをおろそかにしないこと。今日はそこを見ます」
俺たちは間隔を空けて並んだ。
「まずは十回。ルシオンは私と一緒に、五回からね」
◇
木剣を構える。
振り上げる。
振り下ろす。
一回。
二回。
三回目で、肩に力が入った。
五回目には、振った剣を戻すのが遅れる。
七回目。
身体が前へ流れた。
「ランド、止まって」
エレナさんの声に、木剣を下ろす。
「今、剣と一緒に身体まで前へ倒れたわね」
「……はい」
「疲れて、上半身で押し込もうとしてる。振り幅を小さくして、姿勢を保ってみて」
もう一度構える。
今度は、振り終わる位置を意識した。
だが、戻した木剣を支えているだけで腕がだるい。
十回。
終えた時には、長く息を吐いていた。
普段なら何でもない回数だ。
「……こんなに重かったか?」
「木剣が?」
「はい」
「重さは変わってないわよ」
分かっている。
それでも聞きたくなった。
横では、アリアが踏み込みながら短い木剣を振っていた。
腕は動く。
だが、元の位置へ戻る足が遅い。
「アリア、構え直すところまで一回ね」
「……戻してるわよ」
「足が残ってる」
アリアが足元を見る。
「……本当だ」
踏み込む。
振る。
元の位置へ戻る。
最後の一歩で膝が少し揺れ、アリアは口を結んで足を置き直した。
レンは黙々と棒を振っていた。
踏み込みと振り下ろしが合い、構えへ戻る動きも滑らかだ。
棒の先は、毎回同じ位置で止まる。
だが、楽そうではなかった。
額から汗が落ち、振るたびに短く息を吐いている。障害物を楽しんでいた時の笑顔も、今はない。
エレナさんが、その動きをしばらく見ていた。
「レンは、疲れても形が崩れないわね」
「……崩すと、戻す方が疲れる」
「ええ。その通り」
レンがもう一度、棒を振る。
先端がぴたりと止まった。
十回を終えて棒を下ろすと、大きく息を吐いた。
俺は自分の木剣を見る。
同じように疲れているのに、俺は振るたびに止まる位置が違う。
隣では、ルシオンが木剣を下ろして腕を休めていた。
「五回、終わったか?」
「はい……。持っているだけでも、疲れるんですね」
ルシオンが握っていた手を開く。
指まで疲れているらしい。
エレナさんがそちらへ戻った。
「次はもう少し小さく振ってみましょう。振った後の姿勢を、私と一緒に確かめてね」
「はい」
俺たちも武器を下ろし、しばらく腕を休ませた。
◇
短い休憩を挟み、もう一度。
エレナさんは四人の動きを見ながら、必要なところで声をかけた。
回数は少ない。
それなのに、一回ずつが長かった。
腕を上げる。
振る。
戻す。
疲れた腕は、すぐに楽な位置へ下がろうとする。
俺は木剣を持ち上げ直した。
「早く終わらせようとして、雑に振らないこと。速さを落としてもいいから、最後まで丁寧にね」
俺は息を整えた。
横から、レンの棒が風を切る音が聞こえる。
俺も急がずに振った。
前へ流れそうになる身体を支え、剣を戻す。
「うん。今のはよかった」
エレナさんが言った。
俺は構えを確かめてから、木剣を下ろした。
適当に十回振るより、よほど難しかった。
「今日はここまでにしましょう」
四人とも、すぐには動かなかった。
「……全部?」
アリアが確認する。
「ええ。今日の訓練は全部」
レンが棒の端を地面につけ、大きく息を吐いた。
「初日だもの。今日は、あなたたちがどこまで動けるか見たかったの」
「……明日からは、もっとやるんですか?」
ルシオンが聞く。
「今日の様子を見て決めるわ。休んだ後にどれだけ疲れが残るかも含めてね」
エレナさんが俺たちを見回した。
「一か月続けるんだから、食べて、ちゃんと寝ること。それも修行のうちよ」
「寝るのは、できる」
レンが言った。
「それは俺もできる」
「私も……」
アリアまで頷いた。
エレナさんが笑う。
「じゃあ、まずは昼食ね」
ルシオンが木剣を両手で持って棚へ戻す。
俺も続いた。
空いた手が、妙に軽い。
「荷物のことは食べながら聞くわ。午後は宿舎へ案内するから、その後は休んでね」
エレナさんが屋敷へ向かう。
俺たちも後に続いた。
レンの足音は、朝よりずっと遅い。
アリアもルシオンも、黙って歩いている。
俺は屋敷の横にある建物を見た。
これから一か月、あそこで暮らすらしい。
明日も、その次の日も、あの訓練場へ出る。
今はまだ、一か月を乗り切れるかなんて分からない。
とりあえず、飯を食って寝たい。
食堂の椅子まで、あと少しだった。
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