ベルナード観光
翌朝。
「ランド! 起きてる?」
扉の向こうからアリアの声がした。
「……今起きた」
「もうみんな下にいるわよ!」
「分かったよ」
身体を起こす。
昨日の傷はアリアに治してもらったおかげで、ほとんど残っていない。
ただ、身体にはまだ少し重さがあった。
白狼旅団。
イザーク。
昨日のことを思い出す。
強かった。
今の俺じゃ勝てなかった。
悔しくないと言えば嘘になる。
でも――だったら強くなればいい。
今はそれで十分だ。
剣を腰に差し、部屋を出た。
◇
階段を下りると、三人はすでに朝飯を食べていた。
「遅い」
レンがパンを食べながら言う。
「昨日あれだけ戦ったんだぞ。少しくらい寝かせろよ」
「私たちも戦ったんだけど?」
アリアが呆れたように言った。
「はいはい」
空いている席に座る。
「それで、今日はどうする?」
「ベルナードを見て回るんでしょ?」
アリアが当然のように答える。
「その前に帰る方法を決めるぞ」
「歩いて帰るの?」
「嫌だよ」
王都まで約六十キロ。
わざわざ歩いて帰る理由はない。
「ベルナードのギルドで、王都へ向かう商人の護衛依頼を探そうと思ってる」
ルシオンが頷いた。
「なるほど。護衛を引き受ける代わりに、馬車にも乗せてもらうんですね」
「ああ。行きと同じだ」
「報酬を貰いながら帰れる!」
アリアが目を輝かせる。
「そこに食いつくと思ったよ」
「だって、お金を貰えて馬車にも乗れるのよ? 最高じゃない」
「依頼があればな」
「じゃあ早く探しましょう」
「観光よりそっちが先なのかよ」
「当たり前でしょ。帰る手段を確保してから遊ぶの」
こういうところは妙にしっかりしてるんだよな。
◇
朝食を済ませ、俺たちは冒険者ギルドへ向かった。
依頼板を確認すると、幸い王都方面へ向かう商隊の護衛依頼がいくつか出ていた。
その中から、明日の朝にベルナードを出発する依頼を選ぶ。
詳しい話を聞いて、受注を済ませた。
これで帰りの足も確保できた。
「よし!」
ギルドを出た途端、アリアが振り返る。
「これで心置きなくベルナードを見て回れるわ!」
「切り替え早いな」
「明日には帰るんだから、時間は大切にしないと」
「まあ、それはそうだな」
俺たちは大通りへ向かった。
◇
朝のベルナードは、昨日よりずっと賑やかだった。
大通りの両側には店や露店がずらりと並び、荷車を押す商人や荷物を運ぶ人夫、買い物客で溢れている。
「すごいわね」
アリアが辺りを見回す。
「王都とはまた違う感じ」
「ああ」
王都にも大きな市場はある。
でもベルナードは、街そのものが巨大な市場みたいだ。
「ベルナードは南の港町からも近いですからね」
ルシオンが言う。
「海産物も大量に運ばれてくるそうですよ」
「海か」
村にいた頃は縁のなかった場所だ。
「魚もある?」
レンが聞く。
「もちろんです」
「食べたい」
「結局そこかよ」
しばらく歩いていると、レンが突然足を止めた。
「ランド」
「今度は何だ?」
「あれ」
指差した先に、一軒の屋台がある。
丸いくぼみの並んだ鉄板に生地を流し込み、その中へ細かく切った何かを入れている。
店主が細い棒で器用にひっくり返すと、丸い食べ物が次々と出来上がっていった。
「何だ、あれ?」
「《海玉焼き》だよ!」
聞こえたらしい店主が答えた。
「南の港町じゃ定番の料理さ。小麦の生地にタコを入れて焼いてるんだ」
「タコ……」
見たことはない。
話に聞いたことがあるくらいだ。
「食べたい」
レンが即答した。
「早いな」
「僕も食べたことない」
「じゃあ一皿買いましょう」
アリアが値段を見る。
「……うん。この値段ならいいわ」
「誰の許可だよ」
一皿買う。
丸い海玉焼きが八個。
レンが早速一つ取った。
「焼きたてだから熱いんじゃないか?」
「大丈夫」
ぱくっ。
「――っ!」
レンの動きが止まった。
「ほら!」
口を閉じたまま必死に息を吐いている。
「熱かった?」
アリアが笑う。
レンは何度も頷く。
それでも吐き出さない。
ようやく飲み込むと、一言。
「……美味しい」
「そこまでして食うのかよ」
俺も一つ取る。
レンの失敗を見たから、少し冷まして――。
「あっつ!」
「ランドも同じじゃない!」
「外は冷めてたんだよ!」
ルシオンは俺たちを見てから、念入りに冷まして口へ運んだ。
「……美味しいですね」
「何か腹立つな」
「なぜです?」
◇
その後も大通りを歩いた。
港町から運ばれてきた魚。
見たことのない果物や香辛料。
外国の装飾品。
冷却魔道具で作った氷菓まで売っている。
王都とは違う物が多く、見ているだけでも飽きない。
そんな中。
「……え?」
後ろからルシオンの声がした。
「どうした?」
振り返ると、ルシオンが一軒の古書店の前で立ち止まっていた。
「何やってんだ?」
俺たちも戻る。
ルシオンは店先に積まれた本を食い入るように見ていた。
「……ノルマン・ワンダラー」
「誰だ?」
「知らないんですか!?」
「何で怒るんだよ」
ルシオンが一冊の本を手に取る。
「『魔物生態図鑑』の著者ですよ。世界各地を巡って魔物を調査し、生態、食性、生息地域、行動の特徴までまとめた――」
「待て待て。長くなりそうだから止めろ」
「冒険者なら知っておいた方がいいですよ」
「魔物の足跡とかも載ってるのか?」
「もちろんです。縄張りの痕跡や活動時間なども載っています」
「それはちょっと見たいな」
狩りにも使えそうだ。
ルシオンは満足そうに頷き、本棚へ視線を戻す。
「あっ、ブライス・ベンゲルまで……」
「今度は誰だ?」
「空間魔法を初めて体系化した人物です。僕が使っている収納魔法も、その理論を基礎にしています」
「へぇ」
「……欲しい」
「買えば?」
レンが言う。
「そうします」
珍しく即決した。
その時。
「あっ!」
「まだあるのかよ」
ルシオンが別の本を手に取る。
表紙には、やたら長い題名が書かれていた。
『魔法は火力だ! 攻撃魔法の威力が低いと言われた俺、努力の末に最強になった7つの方法』
「…………」
長い。
「何だ、この頭悪そうな題名」
「ランド!」
「何だよ!」
「レヴィ・オルフェウスの名著ですよ!」
「これが!?」
どう見ても怪しい本にしか見えない。
「レヴィは攻撃魔法の威力を高める研究で、魔法史に大きな影響を与えた人物です」
「この人も学院にいたの?」
アリアが聞く。
「はい。ローレライ魔術学院に在籍していました。ただし、退学になっています」
「そんなすごい魔法使いが?」
「当時は落ちこぼれだったそうです。特に攻撃魔法の威力が低く、学院を退学させられています」
「そこから最強になったの?」
「はい。退学後も独学で研究を続け、魔法の威力を上げる方法をいくつも編み出しました」
「努力の末って、本当だったのね」
アリアが表紙を見る。
「ただ、レヴィは退学させられたことを生涯恨んでいたそうです」
「そんなに?」
「あとがきにも毎回のように、学院が間違っていたと書いてあります」
「めちゃくちゃ根に持ってるじゃねぇか」
「死ぬまでです」
「怖いな!」
ルシオンが少し苦笑する。
「もっとも、現在のローレライ魔術学院では、レヴィの研究が教材として使われていますけどね」
「……自分を退学にした学院で?」
「はい」
「それ、本人が知ったら何て言うんだろうな」
「さあ……」
何とも皮肉な話だ。
「で、その七つの方法って何なんだ?」
「有名なのはこれですね」
ルシオンが本を開く。
「魔法に、強化魔法をかける」
「……は?」
「例えば《岩槍》を発動して、ほぼ同時に《強化》を《岩槍》そのものへ付与するんです」
「魔法に魔法をかけるのか?」
「そうです」
「そんなことできるの?」
「非常に難しいです。二つの術式をほぼ同時に制御しなければなりませんから」
「ルシオンは?」
「まだできません」
「できないのかよ」
「だから勉強するんです」
ルシオンが真顔で答え、本棚へ視線を戻す。
そして――。
「…………」
動かなくなった。
「……ルシオン?」
今までとは様子が違う。
ゆっくりと、一冊の本を手に取る。
「嘘でしょう……」
「今度は誰だ?」
「アルベルト・クロイツ」
ルシオンの声が少し震えていた。
「有名なのか?」
「僕が――」
一度言葉を切る。
「僕が一番尊敬している魔法使いです」
今までとは明らかに反応が違う。
「そんなにすごい人なの?」
「はい」
ルシオンが大事そうに本を持つ。
「アルベルト・クロイツは火、水、風、土――四大属性すべてを扱い、それぞれを上級魔法まで修めた人物です」
「四つ全部?」
「はい。そして最大の特徴は、魔法のバリエーションです」
「バリエーション?」
「四大属性を単独で使うだけではなく、異なる属性を組み合わせた複合魔法まで使いこなしていました」
ルシオンが本を開く。
「相手や地形、天候、味方の位置。その時々の状況に合わせて最適な魔法を選ぶ。必要なら属性を組み合わせて、新しい効果まで生み出す」
「……ルシオンみたい」
レンが言った。
ルシオンが目を丸くする。
「僕が?」
「いろんな魔法使うじゃん」
「いや、僕なんてまだ……」
珍しく歯切れが悪い。
でも、俺にも少し分かった。
ルシオンはいつもそうだ。
一つの魔法だけで戦うわけじゃない。
風を使い、岩を飛ばし、雨を降らせて雷を落とす。
クレイゴーレムを動かしながら、別の魔法まで使う。
だから、アルベルト・クロイツに憧れてるのかもしれない。
「……買います」
ルシオンが言った。
アリアが値札を見る。
「いくら?」
「…………」
「何で黙るのよ」
「銀貨三十枚です」
「高っ!」
店中にアリアの声が響いた。
「本一冊よ!?」
「アルベルト・クロイツですよ!」
「だからって銀貨三十枚よ!?」
「買います」
「即決!?」
「これは買います」
今日一番強い声だった。
俺とレンは顔を見合わせる。
「止める?」
「無理だろ」
「だよね」
ルシオンは迷うことなく財布を取り出した。
普段あれだけ冷静な奴が、こんな顔をするとは思わなかった。
ベルナードに来なければ、たぶん知らないままだった。
ルシオンは魔法に詳しい。
それは知っていた。
でも――。
こいつ、本当に魔法が好きなんだな。
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