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ゴブリン襲撃

いつも読んでいただきありがとうございます。


今回からランドの王都への旅が始まります。

初めての一人旅、そして最初の出会いを楽しんでいただけたら嬉しいです。

 夕焼けが村を赤く染めていた。


 長年暮らした、ヴァンダルディア王国の小さな村。


 もうすぐ、その景色も見えなくなる。


 俺は荷袋を背負い直し、一歩だけ前へ踏み出した。


 背中には、村のみんなの視線を感じる。


 振り返れば、きっと誰かと目が合う。


 そうしたら、足が止まってしまう気がした。


 だから振り返らない。


 カルロが最後に言った言葉を思い出す。


『胸を張って行け』


 俺は小さく息を吸った。


「……ああ」


 自分に言い聞かせるように呟き、そのまま歩き続ける。


 土の道を踏みしめる足音だけが静かに響いた。


 村の声は少しずつ遠ざかり、やがて風の音だけになる。


 しばらく歩くと、小高い丘へ差しかかった。


 そこから村が見えた。


 煙突から立ち上る夕餉の煙。


 畑。


 狩りへ向かう時、毎日歩いた道。


 子どもたちが遊んでいた広場。


 カルロの家。


 ハンナさんのパン屋。


 全部見える。


「……」


 自然と足が止まった。


 今頃、みんな夕飯の支度をしている頃だろう。


 ドゥランは文句を言いながら薪を割っているのか。


 ポールは何も言わず、その隣で手伝っているのか。


 カルロはエマさんやミナと飯を食っているのか。


 いつもなら、その中に俺もいた。


 狩りが終われば、みんなで飯を食って笑う。


 そんな毎日が、これからもずっと続くと思っていた。


 もう、あの輪の中には戻れない。


 喉の奥が熱くなる。


 あと一度だけ。


 ほんの少しだけ、振り返ってもいいんじゃないか。


 そんな考えが頭をよぎる。


『振り返ったら、きっと足が止まる』


 自分で決めたことを思い出し、苦笑した。


「危ねぇ危ねぇ」


 村へ背を向ける。


 俺は再び歩き始めた。


     ◇


 しばらく歩いたところで、道端の大きな岩へ腰を下ろした。


「ふぅ……」


 荷袋を降ろす。


 その拍子に、左腕へ視線が落ちた。


 革の籠手に結び付けられた、小さな布のお守り。


 色とりどりの糸で縫われた、少しいびつなお守りだった。


『約束だからね』


 ミナの笑顔が浮かぶ。


 そっとお守りを握った。


「ちゃんと持ってるぞ」


 返事はない。


 それでも、胸の奥にあった寂しさが少しだけ和らいだ。


 腹が鳴る。


「そういや腹減ったな」


 荷袋を開く。


 布袋いっぱいに詰められた丸パン。


 ハンナさんが持たせてくれたものだ。


 一つ取り出し、大きくかじる。


 外は少し固い。


 中はまだ柔らかかった。


「……うめぇ。さすがハンナさんだ」


 思わず笑みがこぼれる。


 噛むたびに小麦の甘さが広がった。


「王都にも、こんなパンあるのかな」


 そう呟いた途端、ハンナさんの声が蘇る。


『仕事が終わったら薪割りだよ! 井戸の水汲みもね!』


 思わず吹き出した。


「ドゥラン、怒られてるだろうな」


 きっと今頃、ぶつぶつ文句を言いながら斧を振っている。


 いつもと同じ時間が、村では流れている。


 もう、その中に俺はいない。


 パンを食べ終え、水を一口飲んだ。


「……行くか」


 立ち上がり、腰の剣へ手を添える。


 母さんが遺した一本の剣。


 本当なら、この剣を下げたまま村で狩人として生きていくはずだった。


 カルロみたいになって。


 みんなと笑いながら年を取って。


 それで十分だった。


 だが、もう前へ進むしかない。


 カルロが「あそこならやっていける」と言ってくれた。


 あの人がそう言うなら、信じてみよう。


 荷袋を背負い直し、お守りを軽く叩く。


「……行ってくる」


 誰に聞かせるでもなく呟き、歩き出した。


     ◇


 街道には、もう人影がなかった。


 昼間なら商人や旅人が行き交う道なのだろうが、日が沈む頃には静まり返っている。


 歩くたび、砂利を踏む音だけが耳に残った。


 俺はカルロから渡された地図を広げる。


 王都まで続く街道。


 途中の村。


 川や森の位置まで、簡単に書き込まれていた。


「あと……五日くらいか」


 思っていたより遠い。


 日はもう沈みかけている。


 暗くなる前に、休む場所を決めた方がいい。


「この辺で野営するか」


 街道を外れ、近くの林へ入る。


 街道沿いは人目につきすぎる。


 旅人だけでなく、盗賊や夜行性の魔物が通ることもある。


 背中を岩で守れる場所を探し、風向きを確かめる。


 獣の臭いはしない。


 近くに新しい獣道もない。


 聞こえるのは、風が葉を揺らす音だけだった。


「ここなら悪くねぇ」


 荷袋を降ろし、枯れ枝を集める。


 火打石で火を起こすと、薪がぱちぱちと音を立てた。


 炎が少し大きい。


 薪を一本抜き、周囲をぼんやり照らす程度まで小さくする。


「これくらいでいい」


 火を眺めながら、空を見上げた。


 満天の星が広がっている。


 村から見ていた夜空と何も変わらない。


 違うのは、隣に誰もいないことだけだった。


「王都、か」


 どんな奴らがいるんだろう。


 冒険者というのは、みんな魔物を狩って暮らしているのか。


 俺より強い奴も、いくらでもいるんだろう。


 胸の奥に不安はあった。


 だが、それ以上に試してみたかった。


 狩人として身につけてきたものが、どこまで通用するのか。


「やってやる」


 荷袋を枕にして横になる。


 目を閉じる前に、もう一度だけ周囲へ耳を澄ませた。


 異変はない。


「……寝るか」


 左腕のお守りを握り、瞼を閉じた。


     ◇


 翌朝。


 鳥のさえずりで目が覚めた。


 火は消え、白い灰だけが残っている。


 土をかけて火の始末をし、顔を洗って荷物をまとめる。


 今日も歩く。


 王都へ向かって。


 そう思って街道へ戻った時だった。


 ――助けてくれぇぇっ!


 男の悲鳴が風に乗って聞こえた。


 続いて馬のいななき。


 荷車が軋む音。


 そして、魔物の唸り声。


 俺は立ち止まり、耳を澄ませる。


 街道の先。


 そう遠くない。


「魔物か!」


 考えるより先に、体が動いていた。


     ◇


 街道を全力で駆ける。


 悲鳴は近い。


 やがて木々の切れ間から荷車が見えた。


 俺は飛び出さず、大木の陰へ身を寄せる。


 まずは状況を見る。


 敵の数も分からないまま飛び込む奴は、長生きできない。


 荷車が一台。


 商人らしき男。


 護衛は二人。


 そのうち一人は肩から血を流し、地面へ倒れている。


 荷車を囲んでいるのはゴブリン。


 一、二、三……五匹。


 錆びた剣や棍棒を持っていた。


「五匹か」


 俺一人でもやれる。


 だが、油断はしない。


 周囲を見回す。


 見張りも伏兵もいない。


 腰の短槍を抜いた。


 狙うのは、護衛から離れた一匹。


 息を整え、投げ放つ。


 ヒュッ――。


 短槍が一直線に飛んだ。


 ドスッ。


「ギャアァッ!?」


 ゴブリンの背中へ深々と突き刺さる。


 一匹が倒れ、残る四匹が一斉に振り返った。


 俺は手斧を抜き、木陰から姿を現す。


「おい! こっちだ!」


 大きく声を張る。


 四匹が牙をむき、俺へ向かって駆け出した。


 これで荷車から引き離せる。


 俺は数歩下がり、そのまま林へ駆け込んだ。


 ゴブリンたちも吠えながら追ってくる。


 木を避けるたび、隊列が崩れていった。


 先頭が一匹。


 少し遅れて二匹。


 一番後ろに一匹。


「そうだ。それでいい」


 真正面から四匹を相手にする必要はない。


 一匹ずつ仕留めればいい。


 先頭のゴブリンが木を回り込み、棍棒を振り上げた。


「ギャアッ!」


 俺は半歩だけ横へずれる。


 棍棒が木の幹へ叩きつけられた。


 ゴンッ、と鈍い音が響く。


 手斧を横薙ぎに振るう。


 刃がゴブリンの首筋へ食い込んだ。


「ギッ……」


 一匹が崩れ落ちる。


 死体に足を取られ、後ろの二匹が動きを止めた。


 俺は追わず、木を一本挟んで距離を取る。


「ギャアァッ!」


 次の一匹が錆びた剣を振り上げ、突っ込んできた。


 振り下ろされた刃を、手斧の腹で外へ受け流す。


 体勢が崩れた。


 懐へ踏み込み、手斧を振り下ろす。


 ゴッ。


 刃が肩口から深く食い込んだ。


 二匹目が地面へ倒れる。


 残る二匹は足を止めた。


 さっきまでの勢いはない。


 俺は血の付いた手斧を構え直す。


「まだ来るか?」


 ゴブリンたちは互いに何か叫び合った。


 そして踵を返し、森の奥へ逃げていく。


 追わない。


 今守るべきなのは荷車だ。


 倒れたゴブリンから短槍を引き抜き、血を拭う。


 胸から小さな魔石を取り出し、袋へ入れた。


 それから街道へ戻る。


     ◇


 荷車の周囲は静まり返っていた。


 馬だけが興奮したまま荒く鼻を鳴らしている。


「もう大丈夫だ」


 声を掛けると、荷車の陰から男が恐る恐る顔を出した。


「助かった……のか?」


「ああ」


 肩を負傷した護衛が、傷口を押さえながら尋ねる。


「ゴブリンは?」


「三匹倒した。二匹は逃げた」


 護衛は倒れたゴブリンを見回し、目を見開いた。


「一人で……?」


「まあな」


 商人らしき男が慌てて駆け寄ってくる。


 年は四十くらい。


 恰幅がよく、上等そうな服を着ていた。


「ありがとう! 本当に助かった! もう駄目かと思っていた!」


 勢いよく頭を下げられ、少し居心地が悪くなる。


「頭を上げてくれ。間に合っただけだ」


 男は何度も頷いた。


「私は行商人のロイドだ。王都へ荷を運んでいた」


「王都へ?」


「ああ。君も王都へ向かっているのかい?」


「王都で冒険者になる」


 ロイドは一瞬驚いたあと、笑みを浮かべた。


「それならちょうどいい。私たちも王都へ向かうところだ。よかったら馬車に乗っていかないか?」


 ありがたい話だった。


 だが、ただ世話になるのは性に合わない。


「タダで乗るのは嫌だ。護衛ならする」


「いや、君は命の恩人なんだ。そこまでしてもらうわけには――」


「俺も王都へ行く。だったら護衛する」


 負傷した護衛が苦笑した。


「正直、助かる。この傷じゃ、まともに剣も振れねぇ」


 もう一人の護衛も頷く。


「逃げた二匹が仲間を連れて戻るかもしれねぇしな」


 ロイドはしばらく考え、ゆっくり頷いた。


「分かった。王都まで護衛をお願いしよう」


「ああ」


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」


 ロイドが二人の護衛を順番に示す。


「肩を怪我しているのがガレス。こっちがブルーノ」


 二人が軽く頭を下げた。


「ランドだ。村では狩人をしてた」


「なるほど。それであの腕前ですか」


 ロイドは納得したように笑った。


「改めてよろしく、ランド君」

最後までお読みいただきありがとうございました!


村編を書き終え、ここから物語は王都編へ向けて動き始めます。

ランドの旅がどう広がっていくのか、これからも見守っていただけると嬉しいです。


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