追放
その夜。
村は静かだった。
昼間の騒ぎが嘘のように、家々の灯りだけが夜道を照らしている。
俺は家の前に腰を下ろし、夜空を見上げていた。
満天の星。
見慣れた景色だった。
明日には、この景色とも別れになるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
ガルムを斬ったことは後悔していない。
あのまま見ていたら、ミナは死んでいた。
もう一度あの場に戻っても、俺は迷わず剣を振るう。
その時、家の前で足音が止まった。
「ランド」
顔を上げると、カルロたちが立っていた。
カルロ。
エマさん。
ミナ。
ドゥラン。
ポール。
皆、昼間とは違う重い表情をしている。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがてカルロが俺の前まで歩いてくる。
「……すまん」
そう言って、深々と頭を下げた。
俺は思わず立ち上がる。
「何でカルロが謝るんだよ」
「俺たちがもっと早くガルムを止めていれば、お前が剣を振るう必要はなかった。お前に全部背負わせちまった」
その声は、いつものカルロとは思えないほど弱々しかった。
隣ではエマさんも目を潤ませている。
「ランド君……ミナを助けてくれたのに……こんなことになってしまって……」
言葉の最後は涙で震えていた。
ミナも俯いたまま、小さく呟く。
「……ごめんなさい」
俺は苦笑して首を振る。
「謝るな」
三人が顔を上げた。
「あそこでミナを助けないなんて選択肢はなかった」
「もう一度やり直しても、俺は同じことをする」
そう言ってミナの頭を撫でる。
「だから気にするな」
ミナは涙を堪えながら何度も頷いた。
ドゥランが壁にもたれ、舌打ちする。
「領主の野郎……どう考えてもお前は悪くねぇ。俺たち全員で文句言ってやる」
カルロは静かに首を振った。
「駄目だ」
「村人まで巻き込むわけにはいかん」
ドゥランは拳を握り締める。
「くそっ……」
その隣で、ポールが静かに口を開いた。
「……ランド」
「ん?」
「逃げるなら、今しかない」
空気が止まる。
俺は少しだけ笑った。
「逃げない。逃げたら、皆に迷惑がかかる。それに――」
夜空を見上げる。
「俺は悪いことをしたとは思ってない」
カルロはしばらく俺を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……お前らしいな」
その一言だけだった。
それから皆で家の前に座り込んだ。
誰も帰ろうとはしない。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
重苦しい空気に耐えかねたのか、ドゥランが俺の脇腹を肘で軽く突く。
「おい、ランド」
「何だよ」
「最後になるかもしれねぇんだ。何か面白い話でもしろ」
「何で俺なんだよ」
「若い奴が気を遣うもんだろ」
「そんな決まり聞いたことねぇぞ」
ドゥランは肩をすくめる。
「じゃあ、お前が狩りでやらかした一番恥ずかしい話をしろ」
「俺の失敗談か」
「ああ。こういう時くらい笑わせろ」
俺は少しだけ考えるふりをした。
「そうだな……昔、ブラッドベアに追われた時の話でもするか」
ドゥランが小さく笑う。
「あの時、俺はまだ小さくて足が竦んじまった。でも、俺の横にいた大人は俺より先に走り出した」
ドゥランの笑顔が固まる。
「……おい」
「慌てて逃げて、川で派手に転んだ」
ポールが静かに呟く。
「……ドゥランだ」
「名前を出すな!」
ドゥランが頭を抱える。
カルロが小さく鼻を鳴らした。
「ブラッドベアより、お前を引き上げる方が大変だったな」
「カルロまで言うのかよ!」
その一言で、皆から小さな笑いが漏れた。
エマさんは口元を押さえて笑い、ミナもつられるように笑っている。
俺もつられて笑ってしまった。
ふと、ドゥランと目が合う。
ドゥランは照れ隠しみたいに鼻を鳴らした。
「少しは元気になったか?」
俺は苦笑した。
「お前のおかげでな」
「そういうことにしとけ」
ドゥランはぶっきらぼうに笑った。
そのぶっきらぼうな言い方が、何だかドゥランらしかった。
皆の笑い声が少しずつ静まっていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
誰も口にはしない。
明日になれば、俺はこの村を去ること。
こんなふうに皆で笑い合える夜は、これが最後になるかもしれない。
静かな夜風が吹き抜ける。
カルロは夜空を見上げ、小さく息を吐いた。
「……また、皆で狩りに行きたかったな」
その一言に、誰も返事はできなかった。
それでも、その夜だけは。
いつもと変わらない仲間として笑っていたかった。
そんな他愛もない話をしているうちに、時間だけが静かに過ぎていった。
やがて夜も更け、カルロたちは立ち上がった。
「また明日な」
ドゥランはいつも通り軽く手を挙げる。
「ああ」
俺も笑って返した。
皆が帰っていく。
最後まで振り返らなかったのは、きっと俺も皆も同じだった。
静かになった家の前で、もう一度夜空を見上げる。
怖くないと言えば嘘になる。
明日どんな裁きが待っているのか分からない。
それでも後悔だけはなかった。
ミナは生きている。
それだけは、何よりも正しかった。
◇
翌朝。
まだ朝靄の残る頃だった。
家の前で複数の足音が止まる。
「ランド」
カルロの声だった。
扉を開けると、その隣には昨日見た兵士が二人立っている。
「領主様がお呼びだ」
兵士が事務的に告げた。
「昨日の件を目撃した者たちにも、館へ来るよう命令が出ている」
カルロが無言で俺を見る。
「……分かった」
俺は一度だけ頷き、家の中へ戻った。
壁に立てかけてある剣へ目が向く。
家を出る時は、いつも腰に差す相棒だ。
だが今日は違う。
魔物を狩りに行く日じゃない。
裁きを受ける日だ。
俺は剣をそのまま壁へ残し、静かに扉を閉めた。
外へ出ると、朝の村は静まり返っている。
窓の隙間から、不安そうにこちらを見つめる村人たち。
カルロは何も言わず、俺の隣へ並んだ。
俺たちは兵士に連れられ、領主の館へ向かった。
領主の館は、村の中でひときわ大きな石造りの建物だった。
重い扉が開かれる。
「入れ」
兵士に促され、俺は静かに中へ入った。
広間の奥には、一段高い席が設けられている。
そこへ腰掛けているのは、領主バルド・グレイムだった。
豪華な衣をまとい、こちらを見下ろしている。
左右には武装した兵士。
広間の隅には村長の姿もあった。
そして、エマさん、ドゥラン、ポールもすでに集められていた。
昨日の出来事を見ていた者として、領主から呼び出されたらしい。
エマさんは緊張した面持ちで両手を握り締めている。
ドゥランは不機嫌そうに眉を寄せ、ポールは黙ったまま俺を見ていた。
村長は俺と目が合うと、申し訳なさそうに視線を伏せた。
「ランド」
バルドが口を開く。
「お前は昨日、私の愛獣ガルムを殺した。間違いないな」
「……はい」
短く答える。
兵士が巻物を広げ、事務的に読み上げた。
「領主様の愛獣にして、この領地における権威の象徴たるガルムを殺害した罪により、裁きを申し渡す」
広間は静まり返っていた。
バルドは椅子にもたれ、口元を歪める。
「その前に聞いてやろう。何か言い残すことはあるか?」
俺は真っ直ぐ領主を見つめた。
「ミナを助けるためでした。ガルムが襲いかかったので斬りました」
それだけだった。
バルドは鼻で笑う。
「だから何だ。ガルムは単なる愛獣ではない。我が家の力を、この領地の民へ示す存在だった」
肘掛けへ置かれた手が強く握られる。
「民衆の前でそれを殺した行為は、私の権威へ刃を向けたも同然だ」
「だが、ガルムがミナを――」
「私の愛獣を殺した事実は変わらん」
その時だった。
「お待ちください!」
カルロが一歩前へ出た。
「ガルムは完全に制御を失っていました。ランドは娘を助けただけです。殺さなければ、ミナは死んでいました」
「私も見ていました」
エマさんも震える声で続ける。
「ランド君は娘の命の恩人です」
ドゥランが腕を組んだまま前へ出た。
「俺たち全員が見てた。ランドが悪いなんて、誰も思っちゃいねぇ」
ポールも静かに頷く。
「……事実です」
バルドは四人を見渡し、鼻を鳴らした。
「終わりか」
冷たい声だった。
「ガルムが興奮したのは、お前たちがビッグボアの血の臭いを村へ持ち込んだからだ。その責任は、お前たち全員にある」
バルドの視線が俺へ向く。
「だが、ガルムへ刃を向け、民衆の前で私の権威を傷つけたのはランドだ。ゆえに、最も重い責任を負うのは貴様である」
カルロが拳を握る。
「それは――」
「黙れ」
バルドの一喝が広間に響いた。
「これ以上口を開けば、領主への反抗とみなす」
兵士たちが一斉に槍を構える。
張り詰めた空気が広間を包んだ。
カルロは悔しそうに歯を食いしばる。
俺は静かに首を振った。
「……もういい」
カルロは何も言わなかった。
ただ拳を強く握り締める。
バルドはゆっくりと立ち上がった。
「判決を言い渡す」
広間に緊張が走る。
「ランド。本日をもって、お前をこの村から永久追放とする。今後一切、この村へ立ち入ることを禁ずる」
静寂が落ちた。
誰も言葉を発しない。
「日没までに村を去れ。従わぬ場合は、反逆者として拘束する」
俺は静かに頭を下げた。
「……分かりました」
その一言だけだった。
バルドは興味を失ったように手を振る。
「連れて行け」
兵士が扉を開く。
俺は振り返ることなく、静かに広間を後にした。
領主の館を出る。
重い扉が閉まる音が、背中へ響いた。
誰も口を開かなかった。
石畳を踏む足音だけが静かに続く。
館から少し離れたところで、ドゥランが堪えきれず舌打ちした。
「……納得いかねぇ」
握り締めた拳が震えている。
「人を助けて追放なんて、ふざけてやがる」
ポールも静かに口を開く。
「……ランドは悪くない」
俺は苦笑して首を振った。
「もう決まったことだ。それに後悔はしてねぇ。ミナが助かった。それで十分だ」
「だからってよ!」
ドゥランが声を荒げる。
「お前だけ村を追い出されるなんて、おかしいだろ!」
「もういい」
低い声だった。
カルロだ。
一言だけで、ドゥランは悔しそうに口を閉じた。
カルロは俺の肩を軽く叩く。
「帰るぞ」
「ああ」
四人は並んで歩き出した。
昨日まで何度も歩いた帰り道。
狩りを終え、獲物を担いで笑い合いながら帰った道。
なのに今日は、やけに長く感じた。
家の前まで来ると、カルロが立ち止まる。
「荷造りが終わったら墓へ行ってこい。終わった頃に迎えに来る」
「ああ」
カルロたちは何も言わず、それぞれの家へ帰っていった。
◇
家へ戻る。
静かな部屋を見回し、小さく息を吐いた。
着替えを袋へ詰める。
干し肉を布で包み、水袋の口を確かめる。
火打石と狩猟用の小刀も忘れずに入れた。
荷造りを終え、左腕へ視線を落とす。
そこには、使い込まれた革の籠手。
物心ついた頃には、もう左腕に着けるのが当たり前になっていた。
母の形見。
傷だらけで色も褪せている。
それでも手入れだけは欠かしたことがない。
革紐を締め直し、軽く握り拳を作る。
「……よし」
荷袋を背負い、家を出た。
向かった先は、村外れの墓地だった。
◇
風が静かに草を揺らしている。
二つ並んだ墓石の前で立ち止まった。
「父さん、母さん」
静かにしゃがみ込み、墓石へ手を添える。
父は俺が生まれる前、ブラッドベアとの狩りで命を落とした。
だから父の顔は知らない。
母は八歳の時に死んだ。
あの日のことは、ほとんど覚えていない。
ただ一つ。
空を覆うほど巨大な龍。
燃え盛る炎。
そして――
「ランド!」
母の叫び声。
強く突き飛ばされた感触。
そこで記憶は途切れている。
何度思い出そうとしても、その先だけは霞がかかったように思い出せなかった。
しばらく墓石を見つめていると、不意に昔のことを思い出した。
◇
「ランド!」
庭先で母が木の枝を振っていた。
「今日も剣の修行するぞ!」
「また?」
「また、じゃない!」
母は豪快に笑う。
「強くなりたかったら毎日振る!」
俺は渋々木の枝を拾った。
「ほら、打ってこい!」
思い切り振る。
母は軽く受け流した。
「遅い!」
もう一度。
また弾かれる。
「遅い遅い!」
何度振っても届かない。
「くそっ!」
夢中になって枝を振る。
ようやく一撃が母の腕へ当たった。
「やった!」
「おっ」
母は嬉しそうに笑った。
「今のはよかった」
俺は胸を張る。
「俺、強くなった?」
「まだまだ!」
母は俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「剣はな」
そう言って俺の胸を軽く叩いた。
「大切な人を守るために振るうんだ。それだけは忘れるな」
修行が終わると、母は木の枝を放り投げた。
「よし! 飯にしよう!」
「やった!」
「腹が減ってちゃ強くなれないからね!」
そう言って豪快に笑う母につられ、俺も笑っていた。
◇
気がつくと、自然と口元が緩んでいた。
墓石へ視線を戻す。
「俺、追放されることになった」
「でも後悔はしてない」
左腕の籠手へ、そっと手を添える。
「母さん、ちゃんと教えてくれた通りに剣を振れた。大切な人を守るために」
ミナの怯えた顔が脳裏をよぎる。
「あれでよかったんだよな」
風が静かに吹き抜ける。
返事はない。
それでも、不思議と胸のつかえが少しだけ軽くなった気がした。
「母さんの息子として、恥ずかしくないように生きるよ」
「……行ってくる」
静かに立ち上がる。
「終わったか」
振り返ると、カルロが立っていた。
カルロは何も言わず墓石の前へ歩み寄り、一度だけ静かに頭を下げた。
「……ガレスさんには、狩りを教わった」
ぽつりと呟く。
「リエラさんには何度も助けられた。二人とも、本当に立派な人だった」
俺は少し照れくさくなって頭を掻いた。
「俺は、まだまだだよ」
「何言ってやがる」
カルロは短く笑う。
「お前はちゃんと、あの人たちの息子だ」
その一言だけで十分だった。
「皆が待ってる」
「最後くらい、見送りたいそうだ」
「……そうか」
俺たちは並んで、ゆっくりと村へ向かって歩き始めた。
夕暮れの村は、どこか静かだった。
いつもなら子どもたちが走り回り、家々から夕飯の匂いが漂ってくる時間だ。
なのに今日は、誰も騒いでいない。
村の広場へ足を踏み入れた瞬間、その理由が分かった。
村人たちが集まっていた。
老人も、大人も、子どもも。
皆、口数は少ない。
領主の耳に入らないよう、誰も大きな声は出さなかった。
それでも、その場を離れようとする者は一人もいない。
「……みんな」
思わず足が止まった。
人混みの中から、ハンナさんが前へ出る。
大きな布袋を俺へ押し付けた。
「持ってきな」
受け取ると、中には焼き立てのパンがぎっしり詰まっていた。
「こんなに……」
「一人旅なんだろ。腹が減ったら戦えないからね」
「……ありがとう」
ぶっきらぼうに言うが、その目は少し赤かった。
その隣では、鍛冶屋の親父が前へ出てきた。
無言のまま、小さな包みを俺へ放る。
慌てて受け止めると、中には手のひらほどの砥石が入っていた。
「親父、これは……」
「持ってけ」
短く、それだけ言う。
「旅じゃ、刃を研ぐのは自分だ」
親父は俺の腰の剣へ目を向けた。
「刃は正直だ。手入れを怠れば鈍る。毎日ちゃんと向き合えば、何年でも応えてくれる」
俺は砥石へ視線を落とす。
親父は少しだけ間を置いて続けた。
「人も同じだ。どんな目に遭っても、自分を磨くのをやめるな」
ぶっきらぼうな口調はいつもと変わらない。
それでも、その一言一言には親父なりの思いが込められている気がした。
俺は砥石を大事に荷袋へしまう。
親父は照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「礼ならいらねぇ。その砥石だけは、なくすな。帰ってきたら、それで研いだ剣を見せろ」
返事はできなかった。
ただ、砥石を握り締め、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
次々に村人が前へ出てくる。
干し肉。
薬草。
丈夫な縄。
「これ使え」
「無理だけはするな」
「身体に気を付けろよ」
一つ一つ受け取るたび、胸の奥が熱くなった。
領主に逆らえば、この人たちまで目をつけられるかもしれない。
それでも皆、ここへ来てくれた。
ミナが駆け寄ってきた。
「ランドお兄ちゃん」
小さな両手で大事そうに何かを包んでいる。
そっと開くと、小さな布袋だった。
色とりどりの糸で不格好に縫われた、小さなお守り。
「これ、あげる。私が作ったの」
「お父さんがね、お守りは大切な人が無事に帰ってきますようにって願いを込めるんだって教えてくれたの」
縫い目は曲がっていて、形も少しいびつだった。
それでも、一針一針、一生懸命縫ったことだけは伝わってきた。
俺はしゃがみ込み、お守りを受け取る。
「ありがとう。大事にする」
ミナは安心したように笑った。
「約束だからね。また会おうね」
一瞬だけ言葉に詰まる。
永久追放。
その言葉が頭をよぎった。
嘘はつきたくなかった。
だから俺は、そっとミナの頭を撫でた。
「……元気でいろ」
ミナは少し寂しそうな顔をしたあと、小さく頷いた。
「うん!」
カルロが俺の隣へ立つ。
「……行くか」
「ああ」
村の門まで皆がついてくる。
見慣れた道。
何百回と歩いた道。
もう二度と歩けないかもしれない道だった。
カルロは前を向いたまま、ゆっくり口を開いた。
「ランド」
「ん?」
「これからどうするつもりだ」
少しだけ考えてから答える。
「……正直、まだ何も決めてねぇ。狩りしかできねぇからな。どこへ行っても、結局それしかねぇ」
カルロは小さく頷いた。
「だったら王都へ行け」
俺は思わず隣を見る。
「王都?」
「ああ」
カルロは腰の革袋から、一枚の羊皮紙を取り出した。
「持ってけ」
受け取ると、何度も折り畳まれた古い地図だった。
「これ……」
「昔、俺が王都へ行った時に使ったもんだ。途中の村や水場、危ねぇ場所は書き込んである。街道を歩く限り、迷うことはねぇ」
地図を開くと、所々にカルロの字で小さな書き込みが残っていた。
『水場』
『野営向き』
『狼注意』
どれも狩人らしい、簡潔な言葉ばかりだ。
「……ありがとう」
「なくすな」
「そいつがお前を王都まで連れてってくれる」
俺は大切に地図を折り畳み、荷袋へしまった。
「ああ」
「ヴァンダルディア王国の王都だ。この村とは比べもんにならねぇくらい人が多い。商人も職人も、腕一本で食ってる奴らも集まる」
少しだけ懐かしそうに目を細める。
「俺も若い頃、一度だけ行ったことがある。そこで初めて冒険者ギルドって場所を見た」
「冒険者ギルド……」
「魔物討伐、護衛、採取、運搬……仕事を仲介してくれる場所だ。腕がありゃ、家柄も身分も関係ねぇ。実力だけで食っていける世界だ」
俺は黙って話を聞く。
「お前は昔から狩りしか知らねぇって言ってたな」
「ああ」
「なら、それを仕事にすりゃいい。お前なら十分やっていける」
カルロは少しだけ笑った。
「狩りと冒険者の仕事は似てる。仲間と命を預け合って、魔物を狩る。違うのは獲物と場所くらいだ」
胸の奥が少しだけ軽くなる。
追放されることしか考えていなかった俺に、初めて進む道が見えた気がした。
「冒険者なんて俺に務まるのか?」
「何言ってやがる」
カルロは呆れたように鼻を鳴らす。
「ビッグボアを仕留めて、ヘルウルフまで倒した狩人が何を言う。王都にはもっと強い奴もいる。だからこそ、お前はもっと強くなれる」
俺は自然と笑っていた。
「……分かった。王都へ行く。冒険者になって、生きてみる」
カルロは満足そうに頷く。
「それでいい。お前には、その道が一番似合ってる」
少しだけ歩いてから、カルロがふっと笑う。
「昔、お前、俺に聞いたことがあったな。何で師匠って呼ばせてくれねぇんだ、って」
俺は苦笑する。
「あったな」
「俺は弟子なんてもんは取らねぇ。狩りは一人じゃできねぇからな。命を預け合う奴は、弟子じゃない」
少しだけ間を置く。
「仲間だ。だから最初から、お前は俺たちの仲間だ」
その言葉が胸の奥へ染み込んだ。
カルロは照れ臭そうに頭を掻いた。
「それと、ミナを助けてくれたこと、親として礼を言う。本当にありがとう」
「そんなの、当たり前だろ」
「当たり前じゃねぇ。命を懸けて娘を守ってくれた。俺は、一生忘れねぇ」
少しだけ沈黙が流れる。
「お前はもう一人前の狩人だ。胸を張って行け」
少しだけ間を置く。
「……もう、俺が教えることはねぇ」
俺は笑う。
「教わったことは、一つも忘れねぇよ」
カルロは満足そうに頷いた。
今度はドゥランが隣へ並び、俺の肩を軽く小突いた。
「おい」
「何だよ」
「王都へ行っても舐められんじゃねぇぞ。村から来た奴は、最初は必ず舐められる」
俺は苦笑する。
「そういうもんなのか?」
「狩りでも同じだ。弱そうな奴から狙われる」
ドゥランは真面目な顔で続けた。
「だから胸張って歩け。ビビってる顔を見せんな。堂々としてりゃ、それでいい」
俺は小さく笑った。
「ああ」
「心配すんな。俺は俺らしくやる」
「それでいい」
ドゥランは照れ隠しみたいに鼻を鳴らした。
「まあ……お前なら大丈夫だ」
その声は小さくて、俺にしか聞こえなかった。
ポールが静かに俺の前へ立つ。
「……ランド」
「ん?」
「冒険者になっても、狩人でいることは忘れるな」
俺は少しだけ笑った。
「忘れるわけねぇだろ」
ポールは小さく頷く。
「……なら、大丈夫だ」
そう言って右手を差し出した。
俺も何も言わず、その手を握った。
ポールは少しだけ力を込めて握り返す。
「……ランド」
「ん?」
「寂しくなったら、俺たちを思い出せ。俺たちは仲間だから」
少しだけ口元を緩める。
「……お前は一人じゃない」
その短い言葉が、不思議なくらい心強かった。
俺は強く頷いた。
「ああ」
エマさんが涙をこらえながら微笑む。
「ご飯だけはちゃんと食べるのよ。いつでも、あなたの幸せを祈ってるから」
ミナが俺の前へ歩み出る。
「ランドお兄ちゃん」
俺はミナからもらったお守りを取り出した。
左腕の革の籠手へ、外れないように固く結び付ける。
「これなら、なくさない」
ミナが嬉しそうに笑った。
「うん!」
俺は立ち上がり、一人ひとりの顔を見回す。
ハンナさん。
エマさん。
ミナ。
ドゥラン。
ポール。
カルロ。
そして、村のみんな。
俺は深く頭を下げた。
「今まで、本当にありがとうございました」
それしか言えなかった。
顔を上げる。
皆の顔を目に焼き付けてから、俺は小さく息を吸った。
「……行ってくる」
皆は何も言わず、小さく頷いた。
俺は前を向く。
振り返らない。
振り返ったら、きっと足が止まる。
一歩。
また一歩。
夕焼けに染まる一本道を、前だけを見て歩き続けた。
背中では、皆が見送ってくれている気配だけが、いつま
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