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領主の魔物

「帰ってきたぞ!」


 門番の声が村へ響いた。


 その声を聞きつけ、家々から村人たちが次々と顔を出す。


「おお!」


「でかい!」


「ビッグボアじゃねぇか!」


 歓声が上がった。


 子どもたちは目を輝かせ、大人たちも安堵したように笑っている。


「これで麦畑も安心だ」


「カルロたちがやってくれた!」


 俺たちは広場へビッグボアを下ろした。


 ズシン、と重い音が響く。


「ランドお兄ちゃん!」


 ミナが満面の笑みで駆け寄ってきた。


「よく帰ってきたね!」


「ああ。ただいま」


 頭を撫でると、ミナは嬉しそうに笑った。


 エマさんも胸を撫で下ろす。


「みんな無事でよかった」


「だから言ったろ。この俺がいれば安心だって」


 ドゥランが胸を張る。


「あんたが一番心配なんだよ」


 ハンナさんの一言で、広場に笑いが広がった。


 その時だった。


 ドン……。


 重い足音。


 笑い声がぴたりと止まった。


 村人たちが道を開ける。


 広場の向こうから、一頭の巨大な獣が姿を現した。


 黒い毛並み。


 赤い瞳。


 狼によく似ているが、その身体は馬ほどもある。


 首には分厚い鉄の首輪がはめられ、伸びた鎖を二人の兵士が握っていた。


 その後ろを歩いてくるのは、豪華な衣装をまとった男。


 この土地の領主、バルド・グレイムだ。


 村人たちが一斉に頭を下げる。


「領主様だ……」


 そして、その隣にいる魔物。


 ヘルウルフ。


 山奥に棲む獰猛な狼型の魔物だ。


 バルドはその一頭をガルムと名付け、長年飼っていた。


「グルル……」


 不意にガルムが足を止める。


 鼻先を上げ、何度も空気を嗅いだ。


 赤い瞳が広場を動く。


 そして――止まった。


 血を流したまま横たわるビッグボア。


 カルロの顔色が変わる。


「まずい」


「どうした?」


「血の匂いに興奮してる」


 次の瞬間。


「ガアアアアァッ!!」


 ガルムが咆哮した。


「抑えろ!」


 二人の兵士が鎖を引く。


 だが止まらない。


 太い鎖が限界まで張り詰める。


 バキンッ!


「なっ――!」


 鎖が千切れた。


 兵士たちが後ろへ倒れる。


 ガルムは一直線にビッグボアへ飛びかかった。


 その進路には――。


「ミナ!」


 エマさんの悲鳴。


 驚いたミナが立ち尽くしている。


 考えるより先に身体が動いた。


「どけぇぇぇっ!」


 ミナを抱き寄せ、そのまま横へ転がる。


 直後。


 巨大な爪が地面を深々と抉った。


 土が舞う。


 俺は跳ね起きると、ミナを背中へ庇いながら剣を抜いた。


「ランド!」


 カルロが叫ぶ。


 ガルムが低く唸りながら俺へ向き直る。


 赤い瞳。


 むき出しの牙。


「ミナ、走れ!」


 ミナが駆け出した。


 ガルムが地面を蹴る。


 速い。


 ビッグボアとは比べものにならない。


 爪が振り下ろされる。


 半歩ずれてかわす。


 地面が抉れた。


「グルァァァッ!」


 ガルムが再び飛びかかってくる。


 後ろには逃げるミナがいる。


 ここで避け続ければ、あいつを追われる。


 なら――。


 ここで止める。


 カルロの言葉が頭をよぎった。


 ――剣を振るう前に勝負を決めろ。


 俺は半身になり、突進をぎりぎりまで引きつける。


 あと一歩。


 半歩。


 今だ。


「はあぁっ!」


 踏み込む。


 一閃。


 ガルム自身の勢いを利用し、刃を喉元へ滑り込ませた。


 肉を断つ重い感触。


 鮮血が噴き上がる。


「ガ……ッ」


 ガルムは数歩よろめき――。


 ドサァッ。


 地面へ倒れた。


 広場から音が消えた。


「……ガルム?」


 バルドが呆然と呟く。


 愛獣へ駆け寄り、首を抱き起こす。


「ガルム! 立て!」


 だが、動かない。


 首元から赤い血だけが流れていた。


「ガルム……」


 バルドの顔が歪む。


 やがて、その目が俺へ向いた。


「貴様……!」


 震える指が俺を指す。


「よくも私のガルムを!」


 兵士たちが一斉に武器を構えた。


 カルロがすぐ俺の前へ出る。


「領主様! ランドは娘を守るために――」


「黙れ!」


 怒声が広場に響く。


「私が幼い頃から育ててきたガルムを……!」


 バルドは倒れた愛獣を見る。


 怒りだけじゃない。


 悲しんでいる。


 それは俺にも分かった。


 それでも。


「……俺は、ミナを助けただけです」


 バルドが俺を睨みつける。


「だからといって、私のガルムを殺していい理由にはならん!」


「じゃあ、どうすればよかったんですか」


「何?」


「何もしなかったら、ミナが死んでた」


 広場が静まり返る。


「俺は後悔してません」


 バルドの顔がさらに険しくなった。


 兵士が前へ出ようとする。


「待て」


 バルドが片手を上げた。


 兵士たちが止まる。


「今ここで裁きはせん」


 冷たい目が俺を射抜く。


「ランド・ヴィクトリーノ」


「……」


「処分は追って言い渡す。それまで村から一歩たりとも出るな」


 少し間を置く。


「逃げれば、お前だけでは済まさん」


 俺は黙って頷いた。


 バルドは最後にガルムを見下ろす。


「……運べ」


 兵士たちが死体を囲む。


 そのままバルドは広場を去っていった。


 重苦しい空気だけが残る。


「ミナ……!」


 エマさんが娘を強く抱き締めた。


「お母さん……」


 震えるミナに怪我はない。


 それを確認したカルロが、大きく息を吐く。


 そして俺の前まで来た。


「……ランド」


 大きな手が肩に置かれる。


「ありがとう」


「目の前にいたから助けただけだよ」


 カルロは首を振った。


「それでもだ」


 肩を強く叩かれる。


「お前が守ってくれた」


 それだけで十分だった。


「ランドお兄ちゃん」


 ミナが涙目で笑う。


「ありがとう!」


「ああ」


 俺も笑い返した。


 ドゥランが頭を掻く。


「……とんでもねぇことになったな」


「でも、間に合ってよかった」


 ポールが静かに言った。


「ああ」


 それには俺も頷いた。


 領主に何を言われようと。


 どんな処分を受けようと。


 ミナを助けたことだけは――。


 後悔していなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

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