いつもと変わらない朝
「判決を言い渡す」
その一言で、広間に緊張が走った。
「ランド・ヴィクトリーノ」
名前を呼ばれ、俺は顔を上げる。
「本日をもって、お前をこの村から永久追放とする」
「……」
「今後一切、この村への立ち入りを禁ずる。日没までに村を去れ」
広間に静寂が落ちた。
俺は拳を強く握りしめる。
言いたいことなら、いくらでもある。
納得なんてできるはずがない。
それでも――。
「……分かりました」
それだけ答え、静かに頭を下げた。
俺が村から追放されることになった理由。
それは――領主の飼っていた魔物を殺したからだ。
なぜ、そんなことになったのか。
話は、昨日の朝まで遡る。
◇
朝日が山の向こうから顔を出し、村を優しい光が包んでいた。
「ランド! まだ寝てるんじゃないだろうね!」
村中に響きそうな声が飛んでくる。
「起きてるって!」
窓を開けて叫び返す。
向かいの家には、大きな籠を抱えたハンナさんが立っていた。
「ほら」
焼き立ての丸パンが飛んでくる。
慌てて受け取り、一口かじった。
「うめぇ」
「当たり前さ。私が焼いたんだからね」
そこへ、欠伸をしながらドゥランが家から出てきた。
寝癖はそのまま。
腰にはいつもの酒瓶。
「おい、ハンナ。俺の朝飯は?」
「あるよ。帰ったら薪割りと井戸の水汲みをしたらね」
「……帰りたくなくなってきた」
「ざまぁ」
「笑ってんじゃねぇ」
ハンナさんが丸パンを二つ差し出す。
「ほら。狩りの途中で腹を空かせるんじゃないよ」
「やっぱり持つべきものは優しい女房だな」
「帰ったら仕事が待ってるけどね」
「前言撤回」
ドゥランはパンをくわえ、弓と矢筒を背負った。
「おいランド、何笑ってやがる」
「自業自得だろ」
「じゃあ薪割り代わってくれ」
「断る」
「酒一杯おごる」
「飲めねぇって何回言わせるんだ」
「人生損してるぞ」
「お前みたいにはなりたくねぇよ」
「何だと」
「……いつも通りだな」
すぐ近くにポールが立っていた。
片手には、いつもの槍。
「おい、ポール。笑ってるだろ」
「少し」
それだけ言って前を向く。
その素っ気なさがおかしくて、俺も笑った。
「朝から騒がしいな」
聞き慣れた低い声。
振り返ると、カルロが狩猟斧を担いで立っていた。
「おはよう、カルロ」
「おう」
カルロの後ろから、妻のエマさんが布に包んだ弁当を持ってくる。
「あなた、お弁当」
「ありがとな」
エマさんはもう一つ包みを取り出し、俺に差し出した。
「ランドの分も作っておいたよ」
「あ、ありがとうございます!」
「育ち盛りなんだから、いっぱい食べないと」
にっこり笑われる。
……やっぱり駄目だ。
年上の綺麗な人と目が合うと、どうにも調子が狂う。
「顔、赤いぞ」
ドゥランがニヤつく。
「うるせぇ」
「また照れてやがる」
「違うって」
「ランド、お前ほんと年上に弱ぇな」
「だから違う!」
エマさんがくすっと笑った。
「可愛いじゃない」
やめてくれ。
余計に恥ずかしい。
その後ろから、小さな影が飛び出してくる。
「ランドお兄ちゃん!」
カルロとエマさんの娘、ミナだ。
勢いよく腰へ飛びついてきた。
「おっと」
「今日も狩り?」
「ああ」
「大きい魔物?」
「今日はビッグボアだ」
「えぇ!?」
ミナは目を丸くした。
「危ないよ!」
「だから俺たちが行くんだ」
頭を撫でる。
「ちゃんと帰ってきてね?」
「ああ。約束する」
「ランドも無茶しちゃ駄目だからね」
エマさんが言う。
「分かってます」
「本当に?」
「信用ないですか、俺?」
「昔から危ないことばかりするもの」
カルロが小さく頷いた。
「その通りだ」
「カルロまで……」
「二人の言うことは聞いとけ」
ドゥランまで偉そうに頷く。
「お前にだけは言われたくねぇ」
ミナが笑い、エマさんも口元を緩めた。
「……よし、そろそろ行くぞ」
「おう」
俺たちは村の門へ向かう。
「あんた達、ちゃんと無事に帰ってくるんだよ!」
ハンナさんが叫ぶ。
「この俺がいるんだ。心配すんな!」
「あんたが一番心配なんだよ!」
その一言に笑いが起きた。
見慣れた家並み。
聞き慣れた笑い声。
カルロを先頭に、俺たちは村を後にした。
今日も、いつもと変わらない朝だった。
◇
草原を渡る風が、腰の高さまで伸びた草を波打たせていた。
この一帯では最近、ビッグボアが出没している。
村の麦畑はすでに二度も荒らされ、柵を直しに行った男も脚を折った。
次に来られれば、冬を越すための麦まで危ない。
だから俺たちは、奴を仕留めに来た。
「間違いねぇな。見てみろ」
カルロが足元を指差す。
大人の頭ほどもある蹄の跡。
草はなぎ倒され、地面は牙で抉られていた。
「ビッグボアだ」
湿った土はまだ乾いていない。
「ランド、前に出すぎるなよ。お前の悪い癖だ」
カルロが低い声で言う。
「草原じゃ逃げ場が少ねぇ。正面から突進を受けたら終わりだ」
「分かってるって」
カルロは、この狩りのリーダーであり、俺に狩りを教えてくれた男でもある。
師匠なんて呼べば、「そんな柄じゃねぇ」と頭を叩かれる。
それでも俺にとっては、間違いなく師匠だった。
「剣を振るう前に勝負を決めろ。真正面から斬り合うのは狩りじゃねぇ」
昔から何度も言われてきた言葉だ。
両親を亡くした俺を、カルロは狩人として育ててくれた。
それだけで十分だった。
「……この足跡、普通より大きい」
ポールが呟く。
俺も改めて見る。
深い。
歩幅も長い。
「まだ新しい。遠くには行ってねぇな」
「近いってことか」
ドゥランは懐から酒瓶を取り出し、一口だけ流し込む。
「またそれか」
「うるせぇ。これが俺の流儀だ」
戦いの前になると、ドゥランの手はわずかに震える。
だが酒を一口含めば、弓を引く時だけは止まる。
「この先だ。足音を消して追うぞ」
カルロの声に、三人が頷いた。
その直後。
「げふっ」
静かな草原に大きなゲップが響く。
俺はゆっくりドゥランを見る。
「……お前」
「違う」
「まだ何も言ってねぇ」
「草原の精霊だ」
「精霊に責任押し付けんな」
ポールが小さく吹き出す。
カルロは額に手を当てた。
「……お前ら、狩りの前くらい静かにしろ」
俺たちは再び草原を進んだ。
しばらくすると、鳥の鳴き声が遠ざかっていく。
「妙だな」
ドゥランが呟く。
「鳥が逃げてる」
ポールも気づいたらしい。
カルロが頷く。
「獲物は近い」
その瞬間。
ガサッ。
前方の草が揺れた。
全員の動きが止まる。
カルロが片手を上げた。
――動くな。
俺は短槍へ手を伸ばす。
ポールは槍を構え、ドゥランは矢をつがえる。
草の向こうから荒い鼻息が聞こえた。
ブシュウ……。
鼻を刺す獣臭。
「いた……」
草が左右に割れる。
現れたのは、俺が今まで見たどの猪よりも巨大な魔物だった。
肩までの高さは大人の胸ほど。
全身を覆う黒い剛毛。
丸太のような四肢。
二本の巨大な牙。
間違いない。
俺たちが追っていたビッグボアだ。
「……でけぇな」
ドゥランが息を漏らす。
「うちの女房の腹みてぇだ」
「ハンナさんに言っとくぞ」
「待て。それだけはやめろ」
「……俺も聞いた」
ポールが真顔で付け加えた。
「お前まで裏切るのかよ」
ビッグボアが低く鼻を鳴らす。
軽口はそこで終わった。
「話は後だ」
カルロの声。
俺たちは獲物へ向き直る。
「大きかろうが関係ねぇ。やることは同じだ」
俺は息を整えた。
風はこちらへ吹いている。
まだ臭いは届いていない。
何度も繰り返してきた狩りだ。
勝てる。
無謀な思い込みじゃない。
そう判断できるだけの経験が、俺たちにはあった。
カルロが一歩前へ出る。
それだけで俺は左へ。
ポールは右へ。
ドゥランは後方へ下がった。
カルロが小さく頷く。
「狩るぞ!」
号令と同時に、ドゥランの矢が飛んだ。
矢はビッグボアの肩へ突き刺さる。
「ブギィィィッ!」
ビッグボアがカルロへ突進した。
「来るぞ!」
カルロは真正面で構える。
直前。
ビッグボアが巨体をひねり、牙を横薙ぎに振るった。
「二撃目まで読め!」
カルロが紙一重でかわす。
俺は左へ。
ポールは右へ。
「……今」
ポールの槍が脇腹へ突き刺さる。
だが止まらない。
今度は俺へ向かってきた。
牙が迫る。
ぎりぎりまで引きつける。
――ここだ。
半身になり、すれ違いざまに短槍を振るう。
狙うのは前脚。
ザシュッ!
「ブギィッ!」
体勢が崩れた。
「いいぞ!」
カルロの斧が肩へ食い込む。
それでも倒れない。
ビッグボアは暴れながら突進を繰り返す。
「下がれ!」
全員が距離を取った。
ドゥランが弓を引く。
震えていた右手は、もう止まっている。
「今度こそ終わりだ」
矢が放たれた。
ズドッ。
右目へ突き刺さる。
「ブギャアアアッ!」
巨体がのけ反った。
俺は呼ばれるより先に地面を蹴る。
「ランド!」
カルロが牙を弾く。
ポールが首を押さえ込む。
二人が作った隙。
それだけで十分だった。
剣を抜く。
「はああぁぁっ!」
振り下ろした刃が首筋へ深く食い込む。
ビッグボアの巨体が大きく震え――。
そのまま地面へ崩れ落ちた。
ズゥン――。
土煙が舞う。
誰もすぐには近づかない。
カルロが石を投げる。
巨体は動かなかった。
「……終わったな」
俺たちはようやく肩の力を抜く。
「さて、今夜はご馳走だな」
「帰るまでが狩りだ。気を抜くな」
「へいへい」
倒したビッグボアを荷車へ載せ、村へ向かう。
「これを運んだ後に薪割りまであるのか……」
ドゥランがぼやく。
「窯掃除もな」
「何も嬉しくねぇ」
ポールがぼそりと付け加える。
「……井戸の水汲みも」
「お前まで言うか、ポール」
思わず笑いがこぼれた。
俺たちは笑いながら村へ戻った。
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